それは、しあわせなせかいです。

頭の葉っぱが重い。



足が重い。




汗を垂らす種族ならば、溶けたみたいに地面を濡らしただろう。

ああ、でも何故かここには地面が無い。

全て樹皮だ。



何故ここに居るか分からないが、辺り一帯うねるように大きな枝なのか根なのか分からないものが入り組んでいる。


数日前に珈琲店を見つけた。


あまりに怪しくて通りすぎてしまったが。



次に見かけたら入ってみるか。




そのまま彷徨うこと三十日――。





栄養はいらない。

ここはほどよく日が差すから。


水も要らない。

毎朝霧がたちこめるから。



それなら私は生きていける。

生きてしまう。




この身体は破片さえあれば永遠に命を繋いでしまう。

消し炭になったとしても、からだの中腹に固く守られた種子が千年の後に芽吹き始める。



最悪なことに、記憶も魂も引き継がれる。



これを潰すには猛烈な苦痛が必要だろう。


そんなものは怖くて受けられない。


そうやって、腐った命を延ばし続けた。





ならばこれは夢か?




また辺りを見回した。





「珈琲屋の次は占い師か。」


少し離れたところに盲目の占い師がポツンと立っていた。

杖をカツカツとならしながら歩いていたかと思うと、立ち止まってこちらを向いた。

両目を閉じているのに見つめられているように感じた。


恐らく女性で、かなり若い。子供だろうか?

肌は褐色で美しく陽の光を艶やかに返し、薄紫の髪を長く伸ばしっぱなしにしている。


占い師だと思ったのは……それっぽい服を着ていたからだ。


「耳も聞こえないのか?」

「……聴こえております。」


占い師は薄い唇を開いた。

声も幼い。


幼く感じるだけか。

私も見た目では年齢がわからない種族だ。


人間に見えるこの占い師も人間ではないかもしれない。


「あなたは迷い人ですね。」

占い師が言った。

「人間ではないけれど。」

「ここでは種族など殆ど意味を持ちません。

あなたは、来たくてここにいるわけではありませんね?」

「……。」

戻りたいわけでもない。

「何故店を訪れなかったのですか?」

「あんな怪しいものに入ってひどい目に遭ったらどうするんだ。

私は痛いのも苦しいのも嫌だ。」

占い師は不思議そうに首をかしげた。

「ならなおさら、ご来店ください。」

「お金は無いよ。」

「あそこは店の形をした案内所のようなものです。」

そこはそうだったとして、それならばこの占い師には何の意味があるのだろうか。


それも聞くと、答えてくれなかった。


「胡散臭い。信じられない。」

「かまいません。

しかし、あまりここで敵意を剥き出しにすると……元の世界に戻りますよ。

あなたは、それを望んでいませんよね?」

ここに来たくて来たわけではないと見抜いたのに、戻りたくないだろうと思ったのは何故なのだろうか。


実際そうなのだが……どうも不思議でならない。



「何故そんなに見抜くんだ?」

「占い師ですから。」

「あなたも店を持っているのだろうか。」

「ええ。」


占い師は光の灯らない目を開いた。


瞳孔が無く、虹彩のみの鈍い銀盤のような瞳だった。


「見えないと思っていたが、見えるのか?」

「見えるものはありますが、あなたの眼に映るものと違うものが見えております。」

「……あなたの店に行こう。案内してくれ。」

かしこまりました。」





占い師の店は絡まった枝の隙間の暗闇の奥にあった。


日の光が届かない。


長く歩いていたが初めて見る景色だ。


店の中にまで枯れ葉がガサガサと溜まり混んでいて、足を動かす度に耳障りな音を立てた。


割れて、砕けて、砂のように細かくなる音だ。


私にとっては終わりの音。

しかし、私には迎えられない無縁の音。


「すみません。掃除ができないものでして。」

「私は問題ない。あなたは何故こんなところで生きていられるんだ?」

「お話しした通りです。

ここでは種族が殆ど意味を持たない。

それはつまり、人間であってもコロボックルであっても同格になってしまう……すべての種族の境界が曖昧になる場所なのです。」

「気に食わないな。あなたは見透かしてばかりで自分を教えない。」

「ならば名乗りましょう。セレーヌと申します。」

占い師、セレーヌは頭を下げて名乗った。

「私はセカイ。」

私が名乗ると、セレーヌは驚いたように口に手を当て、よろめいた。


なんでも見透かしていると思ったから意外だ。


「ならば。ならば、…それならば。

ああ、なんということだ。だからでしょうか。

本来ならマモルの仕事だったものが私に来た理由は。」

セレーヌの鈍い瞳がじろりと私に向けられた。


暫く見たあとにまたぶつぶつと一人で悶え、また見られた。


あまり良い気分にはならない。


「私の役割は占い……。

抜けられなくなった迷い人の道を照らしたくここに住んでおります。

最初はあなたを小さな神の一種かと思っておりました。

しかし、しかしそれは。ああ、それはあっていたのですが、ですがですが。」

セレーヌはまた頭を抱えた。


「迷いを照らしてもらえるならはっきり言ってくれ。」


セレーヌは泣きそうになりながら私の前に跪いた。


「恐れ多くも説明いたします。

ここは誰もが持つ義務を全うする手助けをする場所。

もうひとつの店が権利を提示する場所。

私と縁が繋がったということは、あなたはあなたの義務を全うしたい気持ちが強かったようです。」

「義務?」

「ええ。ですがあなたにとってそれは非常に困難な事です。」

心当たりが無くも無い。

私は辺りを見回して、少しだけ息を漏らした。



そして、セレーヌに仕事を頼んだ。




それは、例えば分厚い岩の天井が崩れて陽が差し込むような―…晴れやかで危うい瞬間だった。


瞬間なのに永遠にも感じた。



私は理解した。


ここはそういう場所なのだ。

救いを、助けを、嘆きを、苦しみを。


解放してくれる。示してくれる。


さいごに行きつく場所なのだろう。



セレーヌに礼を言い、私はこの世界を後にした。





それは、とてもしあわせなせかいだった。




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世界樹珈琲店 匿名 @Nogg

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