世界樹珈琲店

匿名

そこはのろわれたおみせ。

大きなうねるような巨大な樹皮。


葉はどこか。陽はどこから注いでいるのか。


それを考えるだけで疲れてしまいそうな大きな幹の一部から、ゆっくりと湯気が立ち上がっていた。


「このかおりは……炒った豆のかおりだ。」


かおりに導かれて小さな影が店を訪れた。



樹皮の中から明らかに人工物だとわかる造形が急に現れていた。

だが、不思議と優しさを感じる。


扉を開ける手はゴツゴツとしていた。

それもそうだ。


岩だから。



「いらっしゃいませ。」


押し開けた扉の先に居たのは年齢が一桁ほどの少女だった。

肩につかない長さの錆色の髪をランタンと木漏れ日で煌めかせている。


こんな小さい女の子が一人で?


岩の塊は辺りを見回して他の者を探した。


「ああ。ゴーレムさんですね!私、店主のマモルっていいます。」

女の子、マモルは頭を丁寧に下げて客の元に駆け寄った。

「こわくない、のですか?」

「大丈夫です。ここに来るのはまいごさんか、来たくて来た人です。」

「ぼくは、ひとじゃ。」

「人間じゃなくても立派なお客様です!」

マモルは踊るようにカウンターに戻り、にこにこと笑いながら珈琲を淹れ始めた。

「あの、その炒り豆の粉は茶にするのですか?」

「あ。コーヒー、知らない世界の人ですね。

飲めない感じですか?」

「そもそも水分はちょっと。」

マモルはうーんと首を傾げて考え込んだ。

「じゃあクッキーを焼きますね!

待ってる間にあなたの状況を教えます。」

「はい。」


岩の塊……ゴーレムはマモルとあまり変わらない大きさだった。


それを自覚すると、余計に不思議な気分になった。


自分は人間の子供よりもはるかに大きな存在だったはずだが。

もしかしてこのマモルという少女は巨人族の子供なのだろうか。


外の樹皮も異常な状態だったため、ゴーレムも頭をひねらせて考え込んでいた。


「名前は言えますか?」

「ありません。」

はっきりと言えた。


「自分は…迷宮の中層より深い……神域に入る者を試す岩の門の守護者。

ゴーレム、ガーディアン、ばけもの。そう呼ばれています。」

マモルは苦々しく笑った。

「どれも名前じゃないですね。けっこう重役なのに迷ってここに居るなんて、焦っているんじゃないですか?」

不思議と焦りは無かった。

それを伝えると、マモルは確信したかのように空色の目を輝かせた。

まるで虹がかかったように美しく光るその目に、ゴーレムの意識が持っていかれた。

「……あなたがまいごじゃないという事が分かりました。さて、飲み物は飲めないようですが、味覚はありますか?」

「遥か昔にうっすらですが……旅人の荷物を吸収した時の穀物の香りを覚えています。

マモルさんの炒った豆にも興味があります。」

「これは、豆だけでは食べられたものではありませんからそのままではお出しできませんし……。

わかりました、モカクッキーにしますね。」

小さな手で背伸びをしながら戸棚の材料をひょいひょいと取り出していた。

マモルはゴーレムを見やると、唇に指をあてて悪戯っぽく笑った。

「いいですか?名づけ。」

「名前を頂けるのですか?」

「ゴーレムさんが許してくれるなら。」

ゴーレムに瞳は無かった。

くぼんだその穴に光を取り込み、マモルを見ている。


その穴の向こうに、きっと瞳があれば喜びに煌めいていただろう。


「お願いします。」



暗闇で、人を殺し、試し。


多くの叫びを聞いた。


多くの憎しみに刻まれた醜い表情をその穴で見てきた。



血の匂い、焼け焦げる肉、毛。飛び散った血や魔法で生み出された刃の様に鋭い水。

濁流で粉砕されたこともある。

壊されたら神域の力で復活し、また命を頂く。


そして、門を守る。



痛みと苦しみを繰り返すその命は、命である意味があるのか。


いつの日か思考は止まりかけていた。

感情が押しつぶされても、最低限の理性と知識がないと人を試すことができない。

自身の役割のためだけに、僅かに残された感覚を絞り生臭い空間で人を殺し続けて、壊され続けてきた。


ただ、神域を守る。

試す。



それだけの存在になって殺し続けてきた。



そんな自分に、名前を付けてもらえるなんて。

望んだことさえもなかった。




「香ばしいかおりが好きみたいだから、カオリなんてどうですか?」

「随分かわいらしい名前ですね。」

「今のあなたはとても愛らしい姿ですよ。」

マモルは銀色のコースターを軽く拭いて、ゴーレムに姿を見せた。


確かに、入店した時は全身岩の塊で…。


サイズこそマモルと同じ大きさになっていたが…それはマモルがゴーレム並に大きいという可能性があった。


だが目の前に映るその姿は、とてもゴーレムと呼べる姿ではなかった。


目がある。崩れかけた岩から毛が見えている。

話しているうちにポロポロと体の岩がはがれていたようだ。


いや、いくら岩がはがれたからと言って人間になるわけがない。


驚いた顔でもう一度マモルを見た。

「ここはね、のろわれているんです。」

ゆっくり、優しい声で呟いた。

「望んで来たのなら身を任せて大丈夫です。」

「身を任せるって…ぼくは、どうなってしまうんですか?」

「私のような子供になります。世界樹を傷つけないために樹皮の迷宮にはのろいがかけられているのです。」

「世界樹…?ここは世界樹だったのですか。おかしいです。ぼくは迷宮に居たはずなんです。」

「おそらくお仕事が忙しすぎて自我さえも許されなかったんですよね。

あなたの小さな自我がここを望んだんです。」

マモルはクッキー生地を念入りにこねながら説明した。

「命ある限り、誰もが救いを求める権利があります。

それが叶うか叶わないか。保証がありませんが…誰だって『助けて』って言っていいんです。


ここは、そんな人が迷い込む国への入り口なんです。」


マモルは濃厚に抽出した珈琲に大量の砂糖を入れた。

小さな鍋でゆっくりと煮立たせていく。


「ただ、事故で入ったら大変です。この先に行くともう帰れませんから。

この店は、私は、それを見極めるためにここにいます。」


世界樹の先にある国は精霊の国。

性別も種族も曖昧になり、他者を傷つけることを許さない国。


世界樹に守られ、ただ平和に暮らすだけの国。


美しい花や木の実、澄んだ泉、川。

キラキラと光る精霊の霧が一定以上の命を全て子供に変えてしまう。


獣だったり、人間だったり。


意識の強い者はたいてい人間の子供になる。


マモルがそこまで説明すると、出来上がった珈琲の蜜をクッキー生地に流し混ぜた。


甘く香ばしい香りに包まれた。

それが、カオリにとってとても心地よく、ほとんど人間になったその頬を緩ませた。


「ほら、やはりカオリさんは望んでいるんじゃないですか。」

「……でも、ぼくがいないとあの世界は、門は誰が守るんですか。神様がそのためにぼくを作ったのに。」

「その神はその世界の神です。ここは、違う世界の樹です。

あなたはこんな世界樹を聞いたことがありますか?

迷宮に居続けたならあまりその世界も見ていないかもしれませんが……ここはあなたの知らない世界樹です。」


だから……あなたはここで許される。



マモルは口にしていなかったが、カオリはそう感じ取った。



いつの間にか、カオリが座っていた椅子の周りは岩だらけになっていた。

「ごめんなさい。汚してしまった。」

「お洋服が必要ですね。生地をオーブンに入れたら取ってきます。」







マモルが服を取りに行く間に、改めてカオリは店を見回した。


樹皮に建っていると思えないほど安定していて落ち着いた店だ。

マモルもここに望んできたのだろうか。

マモルも助けてほしくて子供になったのだろうか。


ここは入り口だと言っていた。


なら、マモルはまだ迷っていて…戻れる位置にいるのだろうか。


マモルの事が気になってしまったカオリは、ずっとそんなことを考えていた。



戻ってきたマモルが手にしていたのは、今のカオリの姿に合う大きさの店員服だった。

マモルは恥ずかしそうに頬を染めていた。

「すみません、これしかありませんでした。

先の国に入ればもっと素敵な服がたくさんあります。

カオリさんならきっと歓迎されるでしょう。


今までお疲れ様でした。行く前に焼きあがったクッキーを食べて行かれませんか?」


花のように笑ったマモルは、厚手の手袋で頑丈なオーブンを開き、焼き立てのクッキーを皿に並べた。


「飲み物は、まだ飲めませんか?」


カオリはもうほとんど人間の子供の姿になっている。

今ならこの良い香りのものを体に入れることができそうだった。


「飲んでもいいのなら飲みたいです。」


マモルは温かいミルクと珈琲を並べて置いた。




今までの優しい顔つきが、一瞬大人びた。


涼やかな目元の光が今までの優しさを少しだけ疑わせた。



「こちら―…元の世界に戻りたいのなら珈琲を。

この先に行くのならホットミルクを。

選んでお飲みください。」



とっくに決まっていたはずのカオリの手は、急に固まって動かなくなった。


「ゆっくり決めてかまいませんが…できれば温かいうちに召し上がってください。」


カオリはうろたえながらも、クッキーをひとつ口に放り込んだ。

「あつっ。」

焼き立ての熱が舌を刺激した。


こんな感覚は初めてだ。

カオリはじわりと目を潤ませた。

そんな感覚も初めてだ。


「あまい。」

きっとこれが甘いというものだ。

香りだけなら複数、感じたことがある。

感じたことの無いお菓子に使う香りならきっとそうだ。

あまいんだ、これは。

カオリは口の中のクッキーがなくなると、次のクッキーをすぐに入れた。

珈琲の香ばしさ、砂糖の甘さ、鼻に抜けるバターのにおい。

知識でしか知らない感覚が押し寄せ、また涙で視界を歪ませた。



乾いていたゴツゴツの岩肌も、光を吸い込むだけの目の穴も。

今はほとんど人間の子供だ。


頬を伝う涙が止まらず、甘さと熱がカオリの気持ちを固めていった。




「空のコップをひとつ。」



カオリの答えを聞いたマモルは、澄んだ瞳を見開いた。

「本気ですか?」

「……マモルさんはここにひとりですか?」

「たくさんのお客さんがいらっしゃいます。」


マモルはカオリに空のマグカップを渡した。


カオリは珈琲とミルクをカップの中に半分ずつ注いで、飲んだ。



「教えてないのに何故わかったんですか?」

「きっと、マモルさんと同じ仕事をしていたからじゃないですかね。」




カオリは、戻って冷たい洞窟を守り続けることも、先に進んで美しい世界で平和に命を輝かせることも選ばなかった。




「二杯は多いですね。マモルさんもどうですか?」

「いただきましょう。」



マモルは残った半分ずつのコーヒーとミルクを混ぜて、カオリと乾杯をした。








世界樹の根。

珈琲の香り漂う不思議なその店は、のろわれている。


珈琲を飲めば元の世界に。

ミルクを飲めば平和な世界に。


決めない限り永遠に迷い続ける無垢な迷い道。



迷い人を導くその店で、店主はずっとそこを守り続けている。




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