第四十四話(幕間) リリース
ちょっと聞いて欲しい。
最近ちょくちょくバレイア聖水域に出入りするようになったんだが。
……何のためにって?
決まってるじゃないか、釣りだよ釣り。
中原じゃ魚なんて滅多に食えないだろう?
もちろん近くに川でもあるなら話は別さ。
けど、生憎ラトナ生まれのラトナ育ちなもんでね。
川どころか水路だってありゃしないよ。
まあそんなことはどうだっていいじゃないか。
とにかく俺はこのところ
そこで……おかしな目に遭った。
その日もいつもみたいに竿を担いで崖の方に向かって歩いてたんだが、浜の前を通りかかった時にな、不気味な何かが流れ着くところに出くわしたのさ。
遠くてはっきりとは分からなかったが、最初は黒い毛の塊か何かだと思った。
海藻か何かが絡まって漂着したのか?
俺は軽い気持ちで近付いた。
そしたら、砂浜に張り付くように広がる毛の隙間から……青白い手が見えたんだ。
「ぎゃっ!」
俺は情けない悲鳴をあげちまった。
一度だけ水死体を見たことがある。
ふやけてぶくぶくに膨れ上がって、それはもう恐ろしい姿なんだ。
またあんなのを見なけりゃならないのかと思うと……正直逃げ出したいくらいだ。
だが、これでも冒険者の端くれだからな。
こんな時にこそ最善を尽くすのがラトナ支部の流儀。
と言うわけでまずは状況確認からだ。
「おいあんた、生きてるか!」
すぐ傍で大声をかけてみたが、反応はない。
かと言って見た目で判断しようにもとにかく髪の毛の量がすごくて、手の他は腰から下の変わったスカートみたいな代物以外はさっぱり分からない。
そう言えばうちの
だとすると
いや、それならいくら髪が長くても少しくらいは長い耳が見える筈だ。
これ以上はひっくり返してみないと確かめようがないな。
触るのは嫌だが仕方がない。
俺は湿った砂の上でそいつをごろんと転がした。
目を瞑って顔を逸らしながら。
そして恐る恐る目を開けて視界の端の方をちらっと見て――驚いた。
いや、目を奪われた。
小柄な女だった。
肌は生っ
むしろ作り物みたいに整っている。
瞼を瞑っていても大きいのが分かる目と太い眉毛。
太くも細くもないメリハリのある体型。
それでいてあまり大きくない、と言うよりほとんどない胸。
背格好からしてまだ年端もいかない小娘だろうか。
ちなみに上半身はサラシを巻いただけの無防備な格好だ。
さっきとは別の意味で触れるのに抵抗を感じたが、そんな場合じゃない。
「おい、大丈夫か! おい!」
今度は呼びかけながら肩を掴んで揺すってみたが、相変わらず反応はなかった。
と思ったら。
「うぉあいっ!?」
そいつは突然がばっと上体を起こしやがった。
そしてきょろきょろと周りを見た後、なぜかがっくり肩を落として。
「はぁ……どんだんず。
耳慣れない発音でよく分からないことを呟いた。
だが状況はまだ続いていた。
いつからそこにいたのか、いかにもベテランの漁師といった風体の小柄な爺さんがいきなり彼女を肩に担ぎ上げると、そのまま海に放り投げた。
「なっ……おいあんた! なんてこと――…………?」
当然食ってかかろうとした俺を無視して、爺さんがなにやら手を振っている。
俺もそっちを見ると、あの小娘も波間から手を振っていた。
「やーどーもどーも」
彼女は抑揚のない声でそう言うと、そのままざぷんと潜り。
以来、二度と水面に上がって来ることはなかった。
「…………」
なんなんだ一体。
俺はただ彼女が消えたあたりを指さしながら爺さんに目で訴えた。
何をどう訊けばいいのか全く分からなかったからだ。
「……お前、会うのは初めてか」
「あ、ああ。さっきのは一体……」
「偶にああして流れ着いて来るのさ」
「?? 誰が? いや何が!?」
「
「……………………は?」
「怠惰な御方でなぁ、自分から動くのを良しとせんのよ」
「はぁ?」
「放っとくといつまでも浜で寝こけとるで、干からびる前に戻してやらにゃならん」
「はぁぁ!?」
「お前も見かけたら海に帰してやってくれ」
「はぁ……」
爺さんは言うだけ言うとどこかに行ってしまった。
俺はその背中を呆然と見送ることしかできなかった。
その後も
だが、爺さんとは一緒に釣りをするようになった。
あの日のあれは本当に水君だったのか。
だとしたら一体何をやっているのか。
あの呟きは何を意味していたのか。
色々と訊いたりもしてみているが、爺さんはただ黙って釣りをするだけだ。
何も知らないのか、知っていても言えないのか、いずれ答える気はなさそうだ。
水君にまた会えたら、
野薔薇の国のエンプレス 津軽玉子 @tsugarudama
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