第133話 傷つき鳥

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「広い道に出たならこっちのもんよ。ただのオークがわたしに追いつけるもんなら追いついてみな!」


 ニャイの声は息を潜めて隠れているノルマルたちにも聞こえてきた。


 とりあえず一安心だ。


 本気で走る猫人族キャッティーの足にオーク、ましてや並オークの足では追いつけない。


 ノルマルだけでなく『同期集団』の総意として、オークジェネラルに進路を塞がれた瞬間、以心伝心でニャイ一人だけでも逃そうと考えていた。


 ニャイは自分が気を引くと言ったが、途中でうまくノルマルが相手を引き付けてジェイジェイとミトンで背後を取っている隙に、ニャイは先に行け、と逃すつもりだったのにノルマル自身が思い切りやらかした。


 ニャイを先行して走らせ自分たちも戦いながら位置取りを変えていきオークジェネラルに進路を塞がれない状況にうまく持ち込んだらニャイを追いかけて走って逃げる。


 オークジェネラルとの戦闘そのものには勝てないにしても、走って振り切るだけであれば可能だろう。オークジェネラルに進路を塞がれたことだけが問題だったのだ。


 多分、それならばニャイも自分が先に逃げることを承知しただろう。


 すぐ後を追うから先に行け、と言って、実際にすぐ後を追うのだ。ノルマルさえヘマをしなければ、その作戦は十分に成立していたはずだ。


 ノルマルもミトンもジェイジェイも満足に走れなくなった今となっては自分たちを置き去りにしてニャイだけ先に逃げろと言ったところで素直にニャイが従うわけがない。


 その程度にはニャイは頑固だ。


 仮にオークたちに発見されて、次から次に増援が駆けつけてくる乱戦になったとしたならば、なおさら自分だけ先に逃げるという選択をニャイはしないだろう。


 戦えないにしても運命を共にしようと残るはずだ。


 それは望ましくない。


 そのためにノルマルが思い付いた作戦は俗に『傷つき鳥の演技』と呼ばれる作戦だ。


 地面の上に巣をつくって卵を産み暖める習性を持つある種の鳥は、卵を食べてしまう蛇などの外敵に巣の存在を気付かれそうになった時、親鳥がわざと外敵の前に姿を見せて怪我をして上手に動けないという演技をする。


 外敵がふらふらとした様子の親鳥を獲物と認識して捕らえようとするところを親鳥はのらりくらりと躱しながら自分の巣から距離を取るように離れていく。


 外敵を十分に巣から遠ざけたところで親鳥は傷ついた演技をやめて羽ばたいて飛び去る。


 そういう鳥の知恵に倣った作戦だ。


 何とかオークジェネラルを倒して治療のために藪の中に隠れた後、全員を全快させることはできないと悟った時点でノルマルは考えた。


 ニャイだけでも逃がしたい。その点については『同期集団』の総意である。


 で、『傷つき鳥の演技』だ。


 このままオークに発見されなければ問題はないが、ノルマルたちが、もしオークに発見されたらどうなるか?


 あっという間にとり囲まれて逃げられなくなってしまうだろう。


 運が良ければ切り伏せて突破できるかも知れないが全滅の恐れが高い。


 走れば逃げ切れる可能性が高いニャイまで付き合わせるわけにはいかなかった。


 だったら、ノルマルたちがオークに発見される前にニャイを逃がすしかないだろう。


 ニャイが逃げた後、結局、発見されたとしてもそれはそれだ。


 幸い、ニャイも同じ作戦に思考が至っていた。


 ニャイはニャイで、どうすればノルマルたちを助けられるかと考えたのだろう。


 自分が囮になってノルマルたちの存在をオークに気付かれないようにすればいいと考えたのだ。


 うまくニャイを説得して囮としてオークを引きつけながら振り切って逃げるよう頼むまでもなく同じ方法を思いついたニャイが、いつのまにか囮を買って出ていた。


 一応、ノルマルは難色を示して見せたが、そこは演技だ。


 実際のところ、ノルマル自身、さらに先まで藪を漕いで進むことは可能だったが、音は上がるので、そうなると藪漕ぎ中にオークたちに発見される可能性が高くなる。


 発見された後、ニャイが逃げようとしてくれなければ一蓮托生だ。


 だとしたら、暗にもう歩けないと示して、リスクはあるがニャイに『傷つき鳥の演技』を任せたほうが、少なくともニャイが助かる可能性はあがるだろう。

という、ノルマルの目論見だった。


 結果として、


「広い道に出たならこっちのもんよ。ただのオークがわたしに追いつけるもんなら追いついてみな!」だ。


 ノルマルはミトンとジェイジェイと顔を見合わせた。


 とりあえず一安心。


 あとはニャイがオークたちをぶっちぎりさえすればいい話だ。


 その点については猫人族キャッティーの能力を疑っていない。


 追いかけられたところでニャイはオークたちを振り切れるだろう。


 もし懸案があるとすればニャイが逃げた先に別の敵がいる可能性だ。


 けどまあ、同じ道を逆方向から王国兵たちが来ているはずだった。


 逃げるならノルマルたちも今のうちだ。


「行くか」


 ノルマルは立ち上がると小さくミトンとジェイジェイに声をかけた。


 先頭に立って藪をかき分けるようにして少しでもオークと村から離れるべくノルマルは歩きだした。


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「あたし事務職なんだけどなぁ」


 パレードの様にオークの群れを引き連れて走りながらニャイはぼやいた。


「なんで本職の探索者たちより走ってるんだろう」


 ニャイを追うオークの集団は二十人近くに増えていた。


 幸い、並オークばかりだ。


 ニャイは、よろよろと疲れた振りをして走りながらもオークたちに追いつかせない。


 疲れた振りのつもりではあるが実際に疲れてもきていた。


 ニャイが田舎から出て来て以来、この二年間で間違いなく今日が一番走っている。


 もともと猫人族キャッティーは瞬発力勝負だ。


 長距離を走り続けるのは苦手だった。


 一方のオークは鈍重だが持久力がある。


 追いつかれないにしても追われ続けているのは危険だった。


 本当にニャイに疲れがきたならば振り切れなくなる。


 ノルマルたちからは大分離れた。そろそろオークの引き離し時だろう。


 ニャイは前方に目を向けた。


 ノルマルほどではなくてもニャイも遠目は利くほうだ。


 前方の道の先に人の塊があるのが見えた。


 兵士だ。


 馬に乗った十人程の集団がゆっくりと馬を走らせて、こちらに向かってくるところだった。村から上がる煙を見つけてやってきたのだろう。想定どおりだ。


「助けてぇ!」


 ニャイは大きく左右の手を振りながら兵士たちに向かって速度を上げた。


「村がオークに襲われたの」


 ニャイはオークを置き去りにした。


 ニャイに気付いた兵士たちは馬を早駆けに転じさせた。


 相対的にニャイと兵士たちの距離は瞬く間に縮まり馬が凄い勢いでニャイに向かって迫って来る。


 兵士たちはニャイの前方で二手に割れてニャイの左右を抜け後方のオーク目掛けて突撃した。


 抜刀して次々とオークの首を刎ねたり逃げようとするオークを馬の足で踏みつぶす。


 二十人近いオークが一人も残さず一瞬で壊滅した。


 兵士の側に被害はない。


 ニャイは兵士たちと擦れ違った場所に立ち止まって振り返るとオークたちが討伐されていく様子を見つめていた。


 オークを蹴散らした勢いのままオークより後方まで駆けて行った兵士たちが馬をターンさせてニャイの近くへと戻って来た。


 兵士たちは剣を抜いたまま切っ先をニャイに向けてニャイを取り囲んだ。


 全員、馬上から憎悪のこもった目でニャイを睨んでいた。


「う、そ」


 ニャイは唖然として声を漏らした。


 兵士の一人が口を開く。


「アルティア神聖国内に猫人族キャッティーなどいるはずはない。貴様は『半血ハーフ・ブラッド』か?」


 兵士はアルティア兵の集団だった。

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