第115話 居眠り猫
119
ちゃりん。
と、目の前に置かれた貯金箱の中にコインが落ちる音でニャイは現実に引き戻された。
ニャイが座っている席の前にあるカウンターの上には、彼女が最近まで所属していた探索者ギルドから持ってきたニャイの私物の貯金箱が置いてある。お座りをして肉球が見えるように右手をあげた三毛猫の貯金箱だ。
ニャイの貯金箱であるにも関わらず通称を『バッシュの貯金箱』
探索から帰って来たバッシュのランクが上がっていなかった場合に、いつの日かバッシュのランクアップ祝いの豪華食事代にあてるため、ニャイがワンコインずつ積み立てを行っている貯金箱だ。
以前のギルドでは事情を知る他の職員や探索者が面白がって小銭を投入していたものだが、現在のニャイはライネットがギルドマスターを務めているギルドに移籍していたため周囲に貯金箱の
しかも、ライネットの探索者ギルドにバッシュは所属していないからバッシュがこのギルドへ帰還してくる可能性はない。
ノルマル、ミトン、ジェイジェイという『同期集団』の残りの三人はライネットのギルドに移籍していたが、バッシュは本人の探索者カードがないために手続き不能だった。もちろん、移籍に対するバッシュ本人の意思確認もできてはいない。そもそも、バッシュは『同期集団』から勧奨脱隊したつもりなのだ。
バッシュが『同期集団』を抜ける手続きについてはノルマルが脱隊届を破いてしまったし、そもそもニャイが事務処理をしていない。同じ日にスレイス隊と探索に出てオークジェネラルとの戦闘でバッシュは行方不明になってしまったから脱隊手続きは止まっていた。
その後、消息が確認されたバッシュだが王国軍により拘束されてしまったために『脱隊』も『移籍』も一切の手続きは進捗していない。ギルドカードに端末処理が行われたバッシュの足取りはスレイス隊と探索に出たところまである。要するに現在『探索中』だ。
コインの落ちる音にカウンターで、うとっとしていたニャイが顔を上げると貯金箱に手を掛けていたのは、案の定、『同期集団』のノルマルだった。
「なんだ、寝てんのかよ」とノルマル。
ノルマルの背後にはミトンとジェイジェイも立っている。
「寝てにゃい。積み立てへのご協力いつもありがとう」
ニャイはノルマルに笑いかけた。無理やり笑ったのだろうな、とよくわかる笑顔だ。
「相変わらず眠れないのか?」
ニャイの目の前で軍によりバッシュが拘束された衝撃は、ニャイにとって大きな
その日以来、ニャイは眠りが浅い。
一晩に何度かバッシュが拘束された際の様子を夢に見て叫び声をあげて起きてしまう。
左右から王国の兵隊に腕を組まれたバッシュがテントの中へ消えていく。
その後、酷い拷問が行われるのだろうと予想された。
ニャイが最後に見たバッシュの姿は拘束された後ろ姿だ。
眠りが浅いため、ニャイには日中カウンター業務につきながら、つい、うとうととしてしまう場面が多くあった。
現在のところ、移籍後のギルドでのニャイの担当は『同期集団』ら一緒に移籍してきた馴染みの探索者たちに限られているため、事情を知る彼らはニャイが居眠りをしていても悪く言うことはない。
とはいえ、同僚のギルド職員や、もともとこのギルドを拠点とする探索者たちには関係ない話だ。担当制だからといって担当以外の探索者の手続きをまったくしないというわけではないので、少なからず迷惑をかけることになる。
ギルドマスターであるライネットの耳には、ぽつぽつとそんな声も届いていた。
近隣探索者ギルドを統括する中核的ギルドマスターであるライネットは、バッシュを拘束した王国兵団の駐屯地の団長に対して『探索者ギルドとして探索者の不当な拘束は看過できない』と文書による正式な抗議を行うとともにバッシュの即時解放、それが叶わなくても現在の状況の詳細な説明を要求したが、王国兵団からは『戦時中であり終戦後に対応したい』という回答がなされただけであった。
バッシュが拘束されてから一箇月近くが経過している。
現在も拘束された『
再三の面会要求に対しても、王国側の回答は拒絶だった。
「あれ、こんな時間から出発だっけ? 遅いじゃない」
ニャイは探索者カードを受け取るべくノルマルたちに手を差しだしながら話しかけた。
ニャイのカウンターはもちろん他のカウンターにも並んでいる探索者の姿はない。
探索者たちは大抵、朝一斉にギルドを出て行くので出発手続きはパーティーの担当職員に限らず、どのカウンターでも並んだ順に誰でも関係なく処理をしていく方式だ。さすがにカウンターに人が並んでいる状況ではニャイも居眠りなんかできないだろう。
通常、常設依頼でないそれなりの探索から帰ってきたパーティーは連日の探索は行わずに何日か休みを取るものだ。その休みの間に担当職員と日程を調整して次回の探索について打ち合わせを行うという仕組みがライネット方式だ。
その後、実際の出発までの間に探索者は準備を行う。
ライネット方式に慣れてしまうと毎朝早い者勝ちで掲示されたビラを剥して事前準備もなく出発するという従来の仕組みは、とてつもなく非効率だ。
具体的な
ライネット方式である以上、当然、『同期集団』の担当職員であるニャイは、ノルマルたちの本日の出発予定を把握していてしかるべきだ。実際の出発手続きは自分が行うとは限らないにしても、探索の内容に応じていつ頃来るかは想像がつくはずである。それ以前の話として打合せ時に当日は何時頃出発するよというやりとりが普通は交わされている。探索者だって出発時には自分の担当職員と一言二言声を掛け合うべく、大抵は担当職員の列に並ぼうとするものだ。
「おいおい。時間と場所はそっちの指定だろ。」
ぼやっとしたニャイの様子に、さすがにノルマルは呆れた声をあげた。
「今日は駐屯地までギルマスの護衛依頼だっただろ」
「あれっ?」と頼りない声を上げるニャイ。
そこに余所行きの服装に身を包んだ、ギルドマスターのライネットがやって来た。
ライネットは二人のやりとりを聞いていたのか、じとっとした目でニャイを見て、ノルマルと目を見合わせた。
やれやれ困ったもんだ、と。
ライネットはニャイに声をかけた。
「相変わらず仕事になってない様子だな。おまえも行くか? 特段バッシュくん絡みの新情報はないだろうが」
王国兵団の駐屯地で定例の打合せ会議だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます