第六章
第113話 初めて会った時から
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もし、『いつから?』と誰かに訊かれれば、ニャイは『初めて会った時から』と答えるだろう。
約二年前、新人受付嬢として探索者ギルドの受付カウンターに初めて座ったニャイの胸元には、『研修中』と書かれた丸いバッチがついていた。
研修期間中のため新品の制服ではなくギルド所有の制服の貸与品だ。新品の制服は研修期間が無事終了して本採用となった後に支給される。
ギルドの研修は基本的に実地体験だ。いきなり現場で作業につかせて何か問題が発生した都度、周囲から修正の指導が入るという仕組みだった。
ニャイの初めての仕事は、これから探索に出る探索者の探索者カードを受け取り、端末を通過させて『探索中』の記録を残すこと。及び、探索から帰って来た探索者のカードを端末に通して『待機中』の記録を行うことだ。だから、ギルドに登録されている探索者の状態は常に『探索中』か『待機中』のいずれかになる。
出発の場合は『いってらっしゃい。お気をつけて』、帰還の場合は『お帰りなさい。お疲れ様でした』の言葉を添えるだけの簡単なお仕事だ。
そうして探索者の顔と名前、パーティー名を一致させながら何日かかけて探索者という人種と職場の雰囲気に慣れつつ次第に別の仕事も覚えていくという方法が通常の研修の段取りだった。
もっともニャイが初めてカウンターに座った時間は既にお昼を過ぎていたため、これから探索に出ようという探索者はあまりおらず基本は帰還の受付だった。
とはいえ、帰還した探索者パーティーの場合、そのパーティーを担当するギルド職員が出迎えを行うため新人受付嬢の出番は普通ない。
新人受付嬢が手続きを行う相手は、まだ探索者に成り立てで特定の担当職員が決まっていないパーティーか担当者が不在もしくは接客中で対応ができず待つぐらいなら特に担当職員以外の帰還確認でも構わないと考えるパーティー。または、どこか別の探索者ギルドに籍を置いたまま出稼ぎ的にこのギルドでの仕事も受けたパーティー等だ。他ギルドからの移籍手続き中で、まだ特定の担当職員が決まっていないパーティーも考えられる。
帰還の受付後は戦利品である素材やアイテムの買取りについて各種カウンターでの個別手続きとなるため受付ですることは他に何もない。受付の際、もしランクアップをした探索者がいれば『おめでとうございます』の言葉と共にその旨を相手に告げるぐらいだ。
ちなみに出発時の手続きは、ごった返す朝の時間帯がメインのため、担当職員に限らず誰であれ端末での処理をして出発することになっている。もちろん担当職員と顔を合わせれば『行ってきます』、『行ってらっしゃい』の口でのやりとりぐらいは行うが。
そう考えると窓口初日のニャイの仕事と相手はそれほど多くも難しくもない。基本は新人受付嬢を座らせて放置しておいても何の問題もなく進んでいくはずだった。
まさか指導役の先輩職員がちょっと席を離れた隙に、
「いつまで待たせるんだよ。さっさとやれよ」
ニャイにカードを渡したベテラン探索者から野太い声があがるとは。
ニャイの前には数人のごついおっさん探索者パーティーが立っていた。
皆、既に十年は探索者をしているのであろうベテラン面だ。三十歳過ぎだろう。
その中の一人、ニャイに自分のカードを渡した男が声を荒げていた。
べつにニャイが何か不始末をやらかしたわけではない。
時々、端末の不調でカードの認識がうまくいかない場合がある。
だからといって何か問題があるわけではなく何度か端末にカードを通し直せば普通はうまくいく。
普通は。
男に野太い声を掛けられたニャイは気が焦った。
再び、端末にカードを通そうとして手が滑ってカードを取り落とした。
慌てて拾う。
続けて何度も繰り返してカードを端末に通そうとするが、ニャイが何度端末を通してもカードは認識されなかった。真っすぐゆっくりやればいいだけだが焦っているためにうまくいかない。
ニャイは知らないが声を荒げた探索者のパーティーは他ギルドから移籍したばかりのパーティーだった。
まだ、移籍後の担当職員は決まっていないが日銭を稼ぐため日帰りの簡単な
パーティーメンバーの探索者ランクは全員D。パーティーランクも同じくDランクだ。
生き残っているという実績はともかくとして本当に十年以上も探索者を続けているのだとしたら平均より低い。
才能が不足しているか普段から負荷をかけた探索を行っていないためだろう。原因は明らかだ。
そんな探索者パーティーの一人から『お帰りなさい。お疲れ様でした』とニャイが受け取って端末を通した探索者カードが、たまたま反応をしなかった。
ニャイの胸には『研修中』を示すバッチ。
他所のギルドでは探索者間の
だが、ライネットが統括的ギルドマスターを務めている、ここも含めた近隣一帯の探索者ギルドはそうではなかった。
各パーティーを担当するギルド職員が自分の担当するパーティーの実力と各種依頼内容を比較検討してパーティーに最適と思われる依頼をいくつか紹介して、その中から依頼を選択して取得する仕組みを取っていた。
通称をライネット方式。もちろん探索者側は斡旋された依頼内容がすべて気に入らない場合は何度でも別の依頼の紹介を希望可能だ。
実際問題として田舎から出てきたばかりの探索者の多くは文字が読めない。
早い者勝ちで一斉に依頼のビラが掲示されたところで内容の検討などは行えず、ビラに書かれている探索に適正なランクを示すアルファベットと報酬金額の大小、あとは『ゴブリン』等のかろうじていくつか知っている文字を頼りに適当にはがして受付に持っていくだけである。
結局、受付で職員から依頼の内容を説明され、じゃあやめたとなるか、微妙でもそのまま請け負って探索に失敗する羽目になるのだから
そう考えれば担当ギルド職員による斡旋方式は効率的だ。最近は真似するギルドも多い。
問題点があるとすれば担当者のギルド内での序列や能力の有無により斡旋できる依頼の内容に差がつくことだ。担当者になる職員の人数も多く必要だ。
当然、どの探索者パーティーも自分の担当にはできのいい職員を希望する。
逆に斡旋した依頼が成功した場合は担当職員の側にも歩合で若干のボーナスが入るので、どの職員も優秀なパーティーを担当したくなるし
ある意味ウィンウィン、ある意味パワーバランスで決まる出来レースだ。
ギルドが他のギルドから移籍した探索者パーティーに担当者をあてがうにあたって探索者パーティーの実力が一般的かむしろそれ以下の場合は余計な仕事が増える手間を嫌って担当を希望する職員が現れない場合がある。
そう言った場合、移籍したばかりの探索者パーティーがギルドにお任せで黙っていると、往々にして偶々受付をした程度の縁から担当者として新人をあてがわれる危険があった。
とはいえ、担当者の力量の優劣は探索者パーティーにとっては死活問題だ。
そうならないよう、ギルドに対して『あいつらは新人が相手をするには少し荷が重いパーティーだ』と思わせられれば、ギルドはベテラン職員を担当につけざるを得ないだろう。
声を荒げたDランクパーティー側には、そういう思惑があった。
逆を言えば、そういう対応の差があると自分の身で知っている程度には、この移籍したばかりのパーティーはギルドの移籍経験が豊富だった。どこでも問題児の根無し草である。
とばっちりで対応する羽目になったニャイは泣きそうだ。
「ひ、ただいま。ちょっとお待ちください」と何度も端末を操作する。
実際、涙がにじんでいた。
その時、いちゃもんパーティーの後方で声が上がった。
「あんまりみっともない真似はやめなよ。なに、研修中の子いじめてんのさ」
「あん?」と振り向くいちゃもんたち。
ニャイも顔をあげて声の主を見た。
声を上げたのは探索から戻って来たばかりの、ニャイとほぼ同年代の少年探索者。
ニャイとバッシュの出合いだった。
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