第5話
雪村と話をしながら歩いていたら、いつの間にか、みち花は自宅のマンション近くまでたどり着いていた。
古い赤レンガ風の壁の、こぢんまりとしたマンションだ。みち花はいつも正面のガラス扉ではなく、駐輪場横の
「それじゃあ、また」
小径の入り口までさしかかり、みち花が足を止めた。小径の片側に植えられたマサキの生け垣が、青々と茂っている。小径のすぐ先に、金属製の黒い扉がある。そこが裏口だ。
「うん、」
どこか素っ気ない態度で、雪村が言う。軽く斜めに、顔をそむけて、左足に体重をかけてだるそうに立っている。なぜか、去って行こうとしない。そんな雪村を残してさっさとマンションに入るのは、みち花も気が引けた。
どうしたんだろう。
みち花は困ってしまった。まだ話したいことがあるのだろうか。大人しく待ってみても、雪村は全然、話を切り出そうとしない。
何時からなのかは知らないけれど、こんなにのんびりしていて、塾に間に合うのかな。
他人事だけど、ちょっと心配にすらなってくる。
太陽はもう半分以上沈み、東の方は暗い夜空が広がりだしていた。傾く夕日が、黙りこむ二人を、薄紫色の混じる夕闇色に染めている。
「あの、さ」
ようやく、雪村が口を開く。でも、すぐに、
「いや、何でもない。また明日」
そう言って、雪村は軽く手を振った。
「……」
何でもない、わけがないと思うんだけど。
みち花が疑いの目を向ける。あれだけ長いこと、ためらっていたのに。そんなに言いにくいことなんだろうか。でも、無理に言わせるなんてできない。
「分かった。また明日」
みち花も手を振り返して一人、緑の生け垣がある小径を進んだ。マンションに続く黒い扉の鍵を開けて中に入る。扉を閉めようとみち花が振り返ると、扉の隙間から、まだ立ち去っていない雪村の姿が見えた。目が合う。雪村は軽く会釈するように、頭を傾けた。みち花も、もう一度手を振る。
がちゃん、と黒い扉が閉まった。
「はあ、」
雪村が小さくため息をつく。その頬はほんのりと赤い。
言いたいことがあるわけではなかった。雪村はただ、一秒でも長く、みち花と一緒にいたかっただけだ。
制服のポケットからスマホを取り出し、雪村は時間を確認する。
「やば、」
塾の時間まで、あと10分を切っている。走らないと間に合わない。
雪村はもう一度だけ、みち花の去った扉をじっと見つめた。彼の薄茶色の瞳は、甘酸っぱい光に満ちている。
気持ちを振り切るように頭を軽く振ると、雪村は一気に駆け出した。
走る雪村の軽快な足音が、夕暮れの街に溶けこんでいく。街灯の明かりが点り始めて、空にはうっすらを星が現れだした。
もうじきに、夜になる。
ビーズで出来たお花の指輪 日野 @Fauna_f
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