第3話 ストーリー少女

 彼は玄関を通るなり買った弁当を床に放ってリビングの机に駆け寄った。

 原稿用紙の散らばった机など気にせず、彼は机の隣に密着する形で設置されている本棚へ目を移す。

 ——教科書、ノート、原稿用紙、小説、漫画……。

 違う。違う、違う。

 まさにひっくり返すが如く、悠人は棚の中身を取り出していく。

 そしてついに。

「あった……」

 彼はその手を止めた。止まった彼の右手には、青色のアルバムが掴んである。悠人はすぐさまそれを開き、目を通し始めた。

 ——あの女と視線が交差した時、確かに思い出したんだ。

 そう、あのたった一瞬。まるで目の前を高速で通り過ぎるかのように、ほんの一瞬、それでいて確かな記憶が脳裏をよぎったのだ。どんな記憶かも思い出せない。しかし彼女との何かしらの記憶であったことは確かだ。昔、彼女と出会った記憶。

 悠人は素早くページをめくり、写真の1つ1つを目で追っていく。

 が。

「くそ……!」

 思わず吐き出されたのはその言葉であった。どれだけページをめくろうと、彼女と思しき者の写真などこれっぽっちも存在しない。あの刹那よぎった記憶の断片は確かにあった物だっただろう。しかしアルバムにないのも事実である。

「なんなんだよ」

 心底だ。心の底から湧き上がる不思議、恐怖、そういった感情。だが同時に彼の心には確かななつかしさが残っていた。残り香というべきか、残留思念というべきか、それは彼女か受け取った物だろう。

 悠人はチッと小さく舌打ちすると、グシャグシャの机にアルバムを投げ捨てる。

「何やってんだ」

 ボリボリと後頭部をかきつつ、悠人は先程放った弁当を拾うべく玄関へと足を進めていた。

 結局のところ、彼女が何者であるのかなどわかりえない。ただ、わかる予兆さえ見つからなければあきらめもつく。

 悠人は油の漏れ出す弁当箱を拾い上げ、そのまま玄関に背を向けてからリビングへと歩き始めた。

 その時。

 ガチャリという聞き慣れた金属音が鳴ったと思うと、彼の背後から光が差し込む。

 悠人はこの時ほど鍵を閉めていないことを恨んだことはなかった。

 彼はもはやわかりきっているものの、ゆっくりと首だけで振り返る。そこにはやはり少女が立っていた。

 いや、立っていたというよりも開けた扉に寄り掛かっている。体も常に砂嵐のように若干原型を崩しては元に戻すことを繰り返している。

「……だせ! は、やく」

 少女はそう言って白銀の髪を揺らした。彼女の足取りはたどたどしく、今にも倒れこみそうだが、体重に任せるような形で悠人へと進み始める。

 悠人は思わず落とした弁当も拾わずリビングの方へ走り出した。

 少女はフラフラと左右の壁に寄り掛かりながらに悠人へ歩みを進めていき、悠人をリビングにまで追い詰めた辺りで足を止めた。

 悠人は張りつめられた空気の中、覚悟を決めたかのように口を開く。

「なあ、お前は何なんだ、誰なんだ?」

「……だせ! 許さ、な、い。……んで」

 少女は左手で壁に寄り掛かり、俯いたままに口だけ動かした。

 そして少女はその場でしゃがみ込んだかと思うと、床に落ちていたカッターナイフを拾い上げ、刃を出した。それを右手でみぎり占める。

 悠人の額からは汗が伝った。数歩後方へ下がるが、腰が机にぶつかり、足を止めた。

 同時に彼女は体重に任せる形で彼へと走り出す。

 悠人は身構える。

 そして距離が詰まりきったその瞬間、彼女は振り上げたカッターナイフを彼の脳天めがけて振り下ろした。

 パチン——。

 振り下ろされた右手首を、彼は左手で押さえ制止した。

 その時だった。

 彼には自身の握る手首が先程よりも若干細くなったように見えた。そのまま視線を彼女へ移すと——。

 そこには悠人の姿があった。それも過去の。

 犬歯を剝き出しにした齢9才程度の優斗の姿。瞳からは涙を落とし、鋭い視線を16才の悠人へ向ける。

「……んで」

「あ?」

 思わず聞き返してしまった。

「なんで、やめたんだよ! なんで忘れてんだよ! 思い出せ!」

「なに言っ——」

 瞬間、彼の脳には大量の記憶がよみがえる。それは物語を書き始めてすぐに出会った、いや作った彼女、ユキとの記憶。12歳の頃まで、ずっと彼女は隣にいた。それが妄想なのか、本当に体現していたのか、それは定かではない。

 ただ、月光よりも白い美しい肌も、その全てを見抜くような碧眼も、全てが悠人の作ったもの。それは確かだ。

 そうだ。いつも、彼女と共に物語を書いていた。

 それが、いつからだ……? 彼女を見なくなったのは。

 否。

 あの時。物語を書くのをやめた時。

 ——あの時僕は、彼女を置いてきた。

 悠人はハッとして9歳の自身の背後へ目を移した。そこには、少女がいた。同じく9歳ほどだ。

 それは先程まで自身へ敵意を向けていた少女。しかし彼が出会った当初の姿。

「ユキ……」

 悠人の瞳からは、涙が伝った。

「思い出したんだ?」

 少女は柔らかに微笑んだ。

 そして少年はカッターナイフを下ろし、左手に持っていた原稿用紙を差し出す。

「別に、休んだっていいんだけどさ……、僕が書いてきたもんを無駄にしないでくれよ……! まだユキを、物語を、書いてくれよ……! 僕!」

 悠人は目を大きく見開き、袖で自身の涙をぬぐうと、ポケットからハンカチを出して少年の涙をぬぐった。

「ああ」

 ゆっくりと頷き、彼は原稿用紙を受け取った。

 同時、視界が光に包まれ、気付けば彼はベッドの上で仰向けになっていた。

 彼は左手にあった原稿用紙を持ったまま、机に向かい腰を下ろす。

「始めようか、ユキ」

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ストーリー少女 さゆき @syki

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