第一章「私は人である」

運命の巡り合わせ

 雨はと友人は、俺を逃がした。雨は僕の指紋という名の証拠を消し、友人は警察に嘘を付いた。

 肝心の俺は、心の蟠(わだかま)りが無くなったかのような清々しい気持ちで、その場から全力で逃げていた。


「君さあ、仕事中よくボーっとするけど大丈夫?」


「別に何も。大丈夫です」


「ならいいんだけども」


 今日は佐登原(さとはら)さんが出勤する日だった。彼女はバイト先の店長(?)みたいな人だ。俺が働くバーのマスターをしている。

 佐登原さんとの出会いは偶然だった。俺が殺人鬼(マーダー)になったあの日から、三週間後の事だった。

 あれは、大雨の日の路地裏。俺が学校からの逃げた日に似ていた。関東広域に線上降水帯警報が出ていて、それはまあ酷い雨だった。

 人と人目を避けて生活した。今まではマンションに住んでいたけど、そんなところに住んだら一日と持たずその場が殺人現場と化してしまう。だから売り払った。

 毎日毎日、野宿の日々。食料は深夜のコンビニで買った。一人くらいなら、目さえ合わせなければなんとかなった。それでも、数日に一度は、猛烈に人を殺したくなった。


「殺ス...!殺ス...!殺ス!!コロ...シ、タイ」


 俺は、殺人鬼としての本能を理性で無理矢理押し付けている状態だった。

 そんなある日、いつものように殺人衝動を抑え付けながら割れるような頭の痛さを我慢している際に、俺は他の殺人鬼が人を襲っているところに遭遇した。


「きゃぁっ」


「さて、今宵はどう殺したもんかねぇ」


 その会話をほんの数十メートルしか離れていない距離の、しかも真横から盗み聞きしていた俺は、当然殺人鬼に気付かれた。


「お前、同類か?」


「ちげーよ」


 確か殺人鬼(マーダー)は、同じ殺人鬼も標的に定めると聞いたことがある。縄張り意識とか、そういったものがあるのかはわからない。だが、今ヤツの標的に俺が含まれているのは確実だった。


「そっか。ま、邪魔されないように殺すけどなぁ!?」


「あぶねっ」


 急に飛んできた回し蹴りに対して、咄嗟に身体が動いた。

 なぜだろう。心なしか、目の前の殺人鬼を殺したくなってきた。俺なんかが殺せるはずもなかろうが、それでも殺したくて仕方がない。そう思った。


「お前も殺人鬼なら、殺しても問題ねぇよなぁっ!」


 心臓があるであろう部分を利き手の右腕で一突き。感触からして、あばら骨を二、三本折れた感覚があった。


「いってぇ!」


「さーてと。殺すか」


「...!」


 相手が突っ込んでくる。俺はそれに応じるように、相手に突っ込んでいき、目の前で相手の視界から消えた。


「!?」


「こっちだ。のろまイノシシ」


 何をしたかと言うと、ただ相手の間合いの直前でかがんで視界から外れ、うろたえている間に後ろに回った。それだけだ。ぶっつけ本番で出来たのは、正直驚きだったが。


「ぐっ...い、息が...」


 そのまま首を絞めて殺した。


「ふぅ。あ」


 襲われていた女性が、足元で気絶したまま横たわっていた。

 恐る恐る交番まで届けて、すぐさま立ち去った。


「はぁ。これでしばらくはもつかな...」


 確かに数日間は、殺人衝動も抑えられていた。しかし、あまり長くは続かず、終には人気のない路地裏で悶えながら耐え忍ぶ事しか出来なくなってしまっていた。 

 さすがに気もおかしくなっていたので、これではマズいと、それからは人目見て殺人鬼とわかる者は殺していった。それでも、両の指に収まる程度。これでも長くは続かず、結局路地裏でのたうち回る生活に逆戻り。それでも、転機は訪れた。

 それは、再び苦痛に苛まれることになってから四日後の事だった。苦しさに叫び疲れて、久々に深く眠れた日の翌朝。二十代位の女性が、路地裏で寝ていた俺を起こした。俺はハッとして飛び起き、すぐさま女性から距離をとった。対する女性の方は少し驚いていたが、それでもにこやかに微笑みかけてくれていた。ほんの少しだけ、心が軽く、明るくなった気がした。

 それからというもの、二日に一回はその女性が俺の朝を迎えさせてくれた。

 

「なぜ俺に構うんです?」


「だって、今時十代くらいの男の子が路地裏で寝ているなんてあり得ないじゃない。だから、少し心配しただけよ」


「ありがとうございます。わざわざ」


「君、親いないの?」


「はい」


「家は?」


「売り払いました」


「なんで施設とか行かなかったの?」


「......」


 当然、自分は殺人鬼だからなんて言えるわけない。というか、口が避けても言わない。


「ゴメン、嫌なこと聞いたね」


「いえ。お気になさらず」


 そのあと、女性は顎に手を当てて少し考え込んだ。


「君さ、うちの店でバイトしない?」


「俺、人嫌いなんで。お誘いはありがたいですが、お断りします」


「でも、私は大丈夫なの?」


「ハッ」


 確かにそうだ。なぜ気付かなかったのだろう。俺は目の前の女性に、殺意を抱いた事はなかった。


「少しずつでいいから、慣れればいいじゃない」


 自分を、変えることが出来るかもしれない。今の生活から、抜け出せるかもしれない。そう考えると、行動せずにはいられなかった。


「じゃ、じゃあお願いします!」


「オッケー!じゃあ明日の夜、またここに来るわね」


「分かりました」


 そして、翌日の夜。本当にその女性は現れた。


「こんばんわ~。ハイこれ」


「サングラスですか?」


「そ。これ着けてれば、人も見えにくいでしょ。大丈夫。私が手を引っ張ってあげるから」


「なんかすみません」


「いいのよ」


 本当に優しい人で良かった。


「ここよ」


「え。マジかよ」

 

 案内されたのは、六本木の高層ビルの最上階にあるバーだった。


「あ、そうだ。野宿もなんだし、ここの事務所で寝泊まりしていいわよ。警備員さんにも話しておくから」


「本当にありがとうございます!」


「いいのいいの。若い男性がいてくれると、内も色々と助かるし。うち個人だから」


「個人でこんな立地のいいところ借りれるんですか?」


「まさか。私の場合、親に助けてもらっただけ。親、ちょっとしたお金持ちだったから」


 それから、バーの店内を案内され、今日はもう寝なさいと、事務所のソファで床に着いた。久々の地べたじゃない寝床に、正直快眠間違いなしだった。


「個人なのに、事務所あるんだ...」


その言葉の後、なぜだか目が潤んできた。


「なんか、涙出てきたな...」


 そんな涙と共に、気付けば朝になっていた。

 机を挟んで向かいのソファには、恩人の女性の姿が。


「おはよう」


 と同時に、ふわぁ~あというなんとも朝になれていなさそうな感じのあくびが女性の口から出た。


「昨日は自己紹介もせずにゴメンね~。私は佐登原(さとはら)美穂(みほ)。よろしくね。一応、ここのバーのオーナーでマスター。あ、マスターはもう一人いるよ。君より二つ三つ上の男の子だから、仲良くね」


「よろしくお願いします。佐登原さん」


「こちらこそ~。それじゃあ早速、仕入れたお酒を運ぶから手伝ってね」


 なるほど。それで朝早かったのか。


「それじゃ、手伝いよろしくっ!着替えは隣の部屋に置いといたから。私は先に下に降りてるわね」


「わかりましたっ」


 とまあ元気に店を飛び出していった。


「朝起きたら六本木のビルの最上階だった、なんてこと、早々あるもんじゃねぇよなぁ。朝の東京を見下ろすのも悪くない」


 東京タワーも、スカイツリーも見える。天気がもっと良ければ、富士山すら見えそうだ。 


「ふ~はぁ」


 美味しい空気は美しい景色から。

 一息吸って、用意された服に着替えた。

 店の外からの、店長の急げ~!の一言を聞いて、ふと宙に舞いかかった意識を頭のなかに戻した。

 俺は服装を整えて、急いで店長のもとへ向かった。





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KILLER 夕凛 @Yuri_0316

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