私も地道に生きてます

高月院 四葩

虚弱、病弱の話

 世間から見たら、私は虚弱と呼ばれるらしい。

 二歳の頃から熱性痙攣を繰り返し、頻繁に罹らないはずのマイコプラズマ肺炎に月一回罹患し、喘息の発作が起きて月一回入院する。これを虚弱っていうらしい。


 流石に熱性痙攣の記憶はない。けど、小児喘息の発作の記憶はあって。とんでもない喘鳴(胸から聞こえるヒューヒューという音)を轟かせながら、病院の処置室から逃走を図る。点滴というか、身体に針を刺されたくなくて。まぁ、最終的には看護師さんに捕まって、馬乗りにされて点滴されるんだけど。

 誰が見ても中から大発作を頻繁に起こす子どもだった。そのくせ、SpO2が八十パーセント台に入っても本人的には全然苦しいと思っていないから普通に元気に過ごしている。痰が絡んで鬱陶しいなぁと思う程度。走り回ったり、お絵描きしたり塗り絵したり、と発作を気にすることなく生活していた。

 しかし入院する程の発作だから、大人からしたら全然穏やかじゃなかったらしい。そりゃ当たり前だ。本人はケロッとしてたけどね。

 月一回入院するもんだから、小児病棟の看護師さんたちにも顔と名前を覚えられた。中でも病棟保育士のお姉さんにはとりたてて可愛がられていた、らしい。やけに病室に様子見に来てくれるなぁと思っていたら、そういうことだったようで。

 入院中は常時ステロイドが投与されている状態で、それを管理する機会があるから、遊び場のあるプレイルームにも行けず。それを可哀想と思ってもらえたのか、塗り絵と色鉛筆持ってきてくれたり、お喋りしに来てくれたりしてもらっていたから、入院は楽しいもの、というインプットがなされてしまった。言ってみれば、友達の家に泊まりに行くような、そんな感じ。

 入院のせいで幼稚園の季節の行事に参加できなくなるのはそれなりに残念に思っていた記憶があるけど、まぁ入院も楽しいからいいか、みたいな。


 私に猛威を振るったそんな小児喘息も中学に上がる頃には鳴りを潜めた。時々発作が出る程度で、入院することはなくなっていった。

 代わりにやってきたのが、蕁麻疹と生理痛。

 まず蕁麻疹。ところ構わずぷっくり赤い盛り上がりが身体中に出る。顔に出た時はパンパンに腫れて、見れたもんじゃなくなってしまう。

 生理痛の方も滅茶苦茶重いタチで、大体月一で動けなくなる日が来る。痛み止めを飲んで気合いで我慢して、休むことなく学校には行っていた。

 そんな状態だったけど、両親は病院に連れて行ってくれなかった。「蕁麻疹程度で病院にかかるなんて」、「生理痛は誰でもあるもの。重いから動けない、は甘え」という母の方針に「あぁ、そういうものなんだ」と疑問を覚えることもなかった。これについては後に出会う人物に「それは間違っている」と指摘されることになる。

 病院に行くのは酷くなってから。言い換えれば、個人では取り返しがつかない状態になってから。そういう基準があったから、保険証を握られている高校時代も病院に行くことはなかった(というか、行きたくても行けなかった)。

 いや、一度はあったか。それは久しぶりに喘息の発作が出た時。その時は近所のクリニックに連れて行かれて点滴を打ってもらった。

 流石にインフルエンザにかかった時も連れて行ってもらった。四十度を超える熱が出て、あの時ばかりは死ぬんじゃないかと思った。

 と、まぁ、喘息とインフルエンザ以外で病院に連れて行ってもらったことはほぼなく、風邪も蕁麻疹も生理痛も全て「気のせい」で片付けられた。

 そういう訳で病院に連れて行ってもらえなかった高校時代は、何を勘違いしたのか自分のことを「虚弱ではなく健康体」だと思っていた。遂に"普通の人間"の仲間入りを果たしたのだと嬉しかった記憶がある。


 病院に行かなければ病気にならない。


 今思えばとんでもない暴論。病院に行こうが行くまいが、病気は病気だよ、と思う。

 熱性痙攣に始まり、小児喘息を経て今に至るまで、恐らく私が何の病気にも罹患していなかった時期はない。治療した、してないは問わず、常に何らかの病気にかかっていたんじゃないかなぁ。中学生時代からやってる蕁麻疹と生理痛については今治療中だし。まぁ、その他にも治療してる病気はあるんだけど。

 治療に至らなかった原因である母独自の基準は多分、親譲り。先述の通り、症状が酷くなってからしか病院に行かない。これは母の父すなわち祖父譲りで、祖父も病院に行かなかったから、母と私の目の前で心筋梗塞で死んでいった。いくつもシグナルはあったらしいのに。

 それを目の当たりにしてもなお、私を病院に行かせなかった。宗教染みたその思想を母個人の中におさめておいてくれるのなら何の文句もないが、それを私にも押し付けるのは違うと思う。

 そう思えるようになるのは、相当先の話。両親の庇護のもとにあった頃は、そんなこと思いもしなかった。悲しいね。

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