彩り


「えっと、この、ダブルダッチ……ドレスみたいな秋桜にします」


「ありがとうございます。ご自宅用ですか?」


「はい、自宅用です」


「かしこまりました。花瓶のサイズはどのくらいでしょうか。合わせてお切りしますね」


「あ、このくらいです」


 両手でおおよそのサイズを示すと、「わかりました」と微笑んだ彼は私が選んだ一輪の秋桜を手に、作業台のような場所へ向かう。


「花瓶の二倍程度の長さに切っておきますね。お手提げはご利用ですか?」


「お願いします。あの、色々助かりました。ありがとうございます」


「いえ、ついつい話すぎてしまって……楽しかったです」


「お花、お好きなんですね」


 秋桜の細長い茎を丁寧に切ってから、綺麗に包装してくれた彼。そっと受け取ってお礼を言いながら微笑めば、「花屋なので」と笑ったその視線と目が合う。


 こんな風に面と向かって人と話したり笑い合ったりするのは、いつぶりだっけ。はっきり思い出せないほど“昔”になってしまった記憶を辿りながら、名残惜しい気持ちで踵を返す。


「ありがとうございました。またいつでもいらしてください。うちは眺めるだけでも大歓迎なので」


「こちらこそ、ありがとうございました。また来ます」


 細長い紙袋を右手にぶらさげながら会釈をして、来た道をゆっくり戻る。行き道に感じたちょっとの不安は嘘のように晴れてしまって、久しぶりに履いたスニーカーも軽やかだ。


 ここからほんの少しだけ遠回りして、あの川を見つけてから帰ろうか。家から一歩踏み出しただけでこんなにも新鮮な世界が広がっているということを、私はずっと忘れていた。


 見慣れた道も知らない場所も、ほんの少し視点を変えるだけで、心躍るような大冒険のフィールドになる。ワクワクと浮かれた気持ちを持て余すように早歩きして、知らない角を曲がってみた。この道は一体、私をどこへ連れていってくれるのだろう。


 変わらない日々を変えてくれるものは、本当はすごくささやかでさり気ない。ちょっとした思いつきひとつで、無色な毎日が鮮やかに色づく。次はどんな花を買おう。明日はどんな道を歩こう。世界はきっと、見果てぬ彩りで満ちている。



(完)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

歩み彩る世界の見方 川辺 せい @kawabe-sei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ