第7話 神木の祝福
「王宮に戻ろうか」
そっと手を差し出した王太子フィリップを、レティーシャは見上げた。
彼の銀髪と紫の瞳は神秘的で、容姿は非常に整っている。国民や臣下からの信頼が厚い次期国王である二十二歳の彼は、大陸一の嫁ぎ先と言っても過言ではないだろう。
フィリップと結婚すれば最高の権力も、潤沢な財も手に入る。花の乙女として大切にされ、故郷のように王宮の奥で寂しく過ごすこともない。その上難しい公務をする必要はなく、花の乙女である彼女の仕事は、神木に定期的に祈れば良いだけだとか。
この手を取れば、多くの女性が憧れる夢のような、理想の結婚生活が約束されている。
でもレティーシャは、なかなかフィリップと手を重ねられずにいた。胸に痛みを感じながら、視線を横に向ける。視線の先には、花の乙女の祈りを見守っていた生贄の魔術師グレンがいた。
(理解している……私はフィリップ殿下に嫁ぐためにルートビア帝国に連れてこられた。神託で決められたことで、なんの力を持たない小国の姫である私が覆すことはできない。でも……私が好きなのは……心より本当に一緒になりたいのは――)
楽しかった森での生活が脳裏に浮かぶ。荒い口調の中に見える、グレンの優しい思いやりが嬉しかった。いつも不機嫌な顔に笑みが浮かんだときは、太陽のように眩しくて魅入った。
思い出してしまったレティーシャは、涙ぐんだ瞳で求めるようにグレンを見てしまう。
視線がぶつかった瞬間、グレンは表情を引き締め、強い足取りで彼女と王太子のもとへと向かってきた。彼はそばまで来ると、片膝をついた。
「フィリップ殿下に提言したいことがございます」
「……いつもより怖い顔して。ふっ、聞いてみようか。グレン、言ってごらん」
「花の乙女は、ルートビア帝国を慈しむ心を持つことで、神木を浄化する力を発揮すると言われております。この度は他国の王女が花の乙女だったため、最高の条件で迎え入れるために王太子であるフィリップ殿下が娶ることになりました。しかし……我々は、まだそれが本物の花の乙女が望んでいることなのか確認しておりません」
「そうだね……我々ルートビア帝国は、国救いの花の乙女を幸せにし、国を慈しんでもらえるよう環境を整える義務がある。だから王太子妃の座を用意したんだけれど……グレンは、他の方法が良いと言いたげな顔をしているね?」
「その他の方法を今からレティーシャ様に、直接申し上げてもよろしいでしょうか?」
「ほぅ? 王太子妃よりもいい条件があると?」
フィリップの声がぐっと低くなり、神殿内にピリッとした緊張感が広がっていく。
しかしグレンの真っすぐな眼差しは揺らぐことなく、フィリップを見上げていた。
睨み合って数秒、フィリップが一歩引いた。彼は顎をクイっと上げて「やってみろ」とグレンを促した。
グレンは片膝をついたままレティーシャに体を向けた。彼女に向ける眼差しは、燃えるように熱い。
「レティーシャ様」
「は、はい」
「穢れの実の生贄に選ばれた十年前から、俺は世界に必要とされた魔術師であり……未来には必要のない人間だと思って生きてきました。俺がいなくなって悲しむ人はいても、それ以上に平和が守れるから喜ぶ人が多いと……俺は死を望まれた人間だと思っていました。だから、あなたが言ってくれた言葉が凄く嬉しかった」
その言葉は、グレンが初めて笑みを見せたときにレティーシャが言った“今の私はグレン様なしでは生きていけないんですから!”を指しているのだろう。
レティーシャの胸が高鳴っていく。
「グレン様……!」
「同時に……俺が命綱だと必死に、それでいて明るく生きようとするあなたの姿に心打たれてしまいました。侯爵家の人間だからと媚びを売るのではなく、生贄だからと憐れんで世話をするのではなく、純粋に向けられる明るい笑みに俺は救われて……」
「だって、グレン様との生活は本当に楽しかったから」
彼女が応えると、グレンが眩しいものを見るかのように目を細め、口元に弧を描いた。
「なら、これからも俺と一緒に過ごしませんか?」
「え?」
「レティーシャ様を愛してしまいました。俺の妻として、一生隣にいてくれませんか?」
グレンが跪いたまま、レティーシャに片手を差し出した。
レティーシャは口元を手で押さえ、瞳にたっぷり涙を溜める。
すぐに彼の手を取りたい。でも……でも……そう思いながら、ちらっと本来の婚約者フィリップを見た。
なぜならグレンは、帝国の王太子の婚約者を奪う発言をしたのだ。不敬で罰せられるかもしれない――そうレティーシャは心配したのだったが……。
「グレン、本気なのかい?」
「はい。自惚れでなければ、俺はフィリップ殿下よりもレティーシャ様を幸せにできると思っています。もちろん殿下が認めてくだされば、より王家に忠誠を示しましょう。俺の魔法は殿下のために捧げます」
「君の魔法が私の自由に……それは魅力的だね」
フィリップの視線はレティーシャへと移った。
「ということだから私とグレン、レティーシャは好きな方を選べばいいよ。花の乙女には、自分の幸せを選ぶ権利があるのだしね」
そうフィリップは微笑みながら、軽い調子で言った。その上「ほら、グレンが返事を待っているよ」という視線をレティーシャに投げかけたことから、彼女の気持ちは見透かしているのがわかる。
それならもう、レティーシャが迷う必要はない。彼女は熱い視線を送り続けているグレンを見下ろし、ゆっくり手を伸ばした。
ふたりの手が重なる。
「私もお慕いしております。グレン様と、一緒にいたいです」
「レティ、ありがとう。絶対に幸せにすると誓う」
レティーシャの手の甲に、グレンの唇が落とされる。彼女の瞳からは、歓喜の涙がたくさん零れ落ちたのだった。
***
裏切り者のリズの身柄は、彼女にかかった費用の請求書とともにメーダ王国に送られることになった。もちろん、共犯の騎士もセットだ。忌み姫であっても王族レティーシャの命を狙い、強国ルートビア帝国を欺いた罪は重く、もう日の光を見ることはできないだろう。
またレティーシャが王太子妃から外れることについて、やはりメーダ王国は難色を示したが……。
『こちらは、メーダ王国の侍女の質が悪いせいで非常に迷惑を被ったんだ。むしろ、殺されかけた末姫の命を助け、保護したのだから感謝をしてほしいのだけれど。私としては、本当はレティーシャを娶りたかったけれど、彼女の命を助けた恩人には、働きに見合った褒賞を与えないといけないだろう? 分かる? そちらの不手際で起きた尻拭いをやっているのは誰かな? 難色なんて、示せると思っているの? ん?』
と王太子フィリップが、リズの引き渡しついでにメーダ王国に直接出向いて説き伏せたのだった。
こうして正式にメーダの国王は、レティーシャが『アシュバートン侯爵夫人』になることを認めた。きっと伯爵以下の家だったら、メーダ王国が小国と言えどスムーズに話は進められなかっただろう。
丸く収まったのも、跡継ぎ予定だった次男キースとその婚約者が自らグレンとレティーシャに当主と夫人の座を譲ってくれたからだ。彼らは元々、グレンが生贄を回避出来たらそうするつもりだったらしい。
すべてが上手くいきすぎて、幸せな時間ばかり過ごしているレティーシャは、今日も神木に祈りを捧げる。
「神よ、今日も素敵な一日をありがとうございます」
レティーシャの言葉に反応してか、室内にもかかわらず神木の白い葉が揺れる。
すると、彼女の隣に魔術師が立つ。彼は柔らかい笑みを浮かべ、手を差し出した。
「お疲れ」
「グレン様!」
「今日も綺麗だったな」
「やっぱり神木が輝く姿は神秘的ですよね。私は目を瞑っているから一瞬しか見られないのが惜し――」
「違う。俺が綺麗だと言ったのは、祈るレティのことだ」
「へ!?」
立ち上がったばかりのレティーシャは、驚きでよろめいてしまう。それをグレンが難なく腰を抱いて受け止めた。
「はは、顔真っ赤。これくらいで照れられたら、困るだろうが」
「グレン様が困ることってあります?」
「ある……早く挙式を済ませたい」
「挙式と、今困っていることに関係があるのですか?」
「……お前は俺の寛大さに感謝しろよ」
グレンは腕を組み、「メーダ王国の教育係はどうなっているんだ」と少々プンプンしている。それも数秒で、彼は得意げな表情でエスコートのために肘をくいっと向けた。
「まぁ、良い。家事のときと同じように、俺が一から教えてやるよ。手取り、足取り……な?」
グレンの笑みがあまりにも妖艶で、レティーシャは思わず息を呑んだ。無意識に警戒しながら、彼の肘に手を添える。
「お手柔らかに、お願いします?」
「じゃあ、まずはこれからだ」
グレンはレティーシャに顔を寄せた。彼の薄い唇が、レティーシャの小さい唇に重ねられる。粗暴な口調と強引なタイミングとは裏腹で、とても優しい触れ方。
初めての口づけに、レティーシャの心はあっという間に幸せに満たされる。
その瞬間、祝福の実が金の種を弾かせ、輝く雨をふたりに降らせたのだった。
END
花嫁の座を奪われた六花の忌み姫ですが、ツンデレ魔術師と森暮らしを堪能中 長月おと @nagatsukioto
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