第6話 花の乙女


 王宮庭園の一角には、神殿が建てられている。そこは礼拝のためではなく、神木を管理しつつ守るための神殿。白亜の円柱状の建物の中心には、幹も葉も真っ白な神木が生えていた。すべてが白でできた空間で、真っ黒な穢れの実だけが異様な存在感を放っている。


 その前では、ひとりの乙女が両膝をついて祈りを捧げていた。しかし神木や実に変化はなく、夫となるはずの王太子フィリップは彼女に呆れたような視線を向けた。



「浄化されないね?」

「も、申し訳ありません。頑張っているつもりなのですが……殿下のいう力に目覚められないようですわ。私も、どうしたら良いのか」



 リズは上目遣いで謝罪する。

 いつものフィリップであればニッコリと微笑んで、優しい声色で慰めてくれる。「もっと我が国への愛着が湧いたら大丈夫。何が欲しい? ケーキでもドレスでも、国一番のものを用意するよ」と言ってくれた。しかし……今日のフィリップの視線は冷たく鋭い。表情はいつもの様な穏やかな微笑みを浮かべているのに、重々しいプレッシャーがリズを襲う。



「殿下?」

「ねぇ、レティーシャ。私に隠していることはないかな? 君は本当に私が愛すべき運命の王女?」

「もちろんですわ! だってこの髪と瞳の色に、肩にある花のような痣は神託通りでしょう?」

「では君が本物で、彼女が偽物だと言うのだね?」



 王太子が手のひらを向けた関係者たちの中から、ひとりだけローブを脱いだ人物がいた。露わになった顔を見て、リズは零れ落ちそうなほど目を見開いた。

 自身の顔を見て強張ったリズの前で、シンプルなドレスを着たレティーシャは、右肩に浮かぶ花の印を見せつけるように深い礼をした。



「フィリップ殿下、ごきげんよう。レティーシャ・ルイ・メーダ、ただいま参りました」



 その礼は令嬢でも難しいとされている最敬礼にもかかわらず、一寸の隙も無い優雅なものだった。

 リズは、信じられないと言わんばかりの表情を浮かべた。

 マナーの勉強で苦労したのは自分なのに……とリズは思っているのだろうが、レティーシャは王女。隠された姫でも王族水準で教育は進められ、リズが雇われる前に終わらせていたのだった。ただ……披露する機会が一度もなかっただけ。



「リズもごきげんよう」

「――わ、私の名を間違って呼ぶなんて不敬でしてよ! 殿下、この不届きものを信じるというのですか!? すぐに追い出してくださいませ」



 リズは必死に訴えるが、王太子フィリップは微笑みを絶やさない。



「だって、私が本物です……って、神託通りの乙女がもうひとり名乗り出たんだからね。ふたりもいて、私は驚いたよ。でも君が本物なら、慌てる必要はないだろう? 追い出すのは、彼女の祈りを見届けてからだ。ということで、頼めるかい?」

「神木に祈りをささげる機会をくださること、感謝いたします」



 レティーシャはリズと入れ替わるように、神木の前で両膝をついた。ゆっくりと両手を胸元で組み、大きく深呼吸をした。

 目の前の大きな黒い実は人の頭の大きさほどに育ち、重々しく枝から垂れている。伝承によると、数か月以内に種が弾けてしまうほどの成熟度。愛しい人を、殺そうとしている実を彼女は見つめた。



(お願い……私が神託通りの花の乙女でありますように。穢れを浄化させる力がありますように。グレン様を死なせたくないの……好きなの……好きな人を助けたいの。神様、どうか私に祈りの力を授けてください。愛する彼と、彼が愛する世界を守りたいのです)



 ゆっくり目を閉じ、願いを込める。すると右肩が熱くなり、連動したように胸の奥からじわりと温かいものが湧き上がるのを感じた。

 レティーシャの胸元から金色の光が溢れ、糸となって神木へと伸びていく。白かった神木は黄金の輝きを放ち、黒かった穢れの実すらも金色に染めていった。

 繋がりが勝手に切れたのを感じたレティーシャが目を開けたと同時に、神木には数多の桃色の花が咲き誇った。

 その美しさに見惚れるレティーシャの横で、王太子が片膝をつく。



「あなたが、本物の王女レティーシャですね。神木を救ってくれて感謝する。そしてこれまで側にいる者が偽物だと見抜けず、あなたの保護が遅れてしまったこと大変申し訳ない」

「いいえ。私の影武者を務めていた者の犯行ですもの。見分けるのは非常に難しいのは理解しております。私もなかなか名乗り出ることができずに、ご迷惑をおかけしましたわ。お互い様ということで、いかがかしら?」

「それは、ありがたい。で、偽物の処遇に希望はあるかな? 我が国を欺いたのはもちろん、至宝の乙女であるあなたを危険な目にさらしたことは許しがたい。あなたの思うままにするよ?」



 フィリップは立ち上がり、レティーシャに甘い笑みを向けてから、縄で縛りあげられたリズを冷たく見下ろした。

 リズはビクッと体を強張らせる。



「わ、私を愛してくだったではありませんか。どうかご慈悲を」

「花の乙女だから優しくしていたまで。で……お前は裏切った夜、主だったレティーシャに慈悲を与えたのか? リズ・ギレットよ」

「そ、それは――っ」



 慈悲を与えるどころかわざと裏切りを明かし、嘲笑い、殺そうとした。弁明できないリズは悔しそうに奥歯を噛んでから、レティーシャをキッと睨んだ。



「どうして生きていらっしゃるのですか」

「運が良かった、としか言えないわ。リズ……私、あなたが好きだったのに残念よ」



 レティーシャは寂しそうな微笑みを返すと、リズの顔が悔しさで歪んだ。



「だったら、どうしてずっと私のために名乗り出ないでくださらなかったのですか! そうすれば魔術師ひとりが犠牲になるだけで、私が王太子妃のままでいられたはずなのに……!」

「その魔術師が犠牲になるのが嫌だったの」

「はは、そんなきれいごとを言って、やっぱり王太子妃の地位が欲しかったのでしょう! 罪人の前世を持っているくせに! やっぱり卑しい思考は、魂に引き継がれるのね!」



 裏切って殺そうとしたリズと、命を救ってくれたグレン。どちらを選ぶかなんて考えるまでもない。

 しかもリズは反省も後悔もした様子がない。レティーシャへの謝罪の言葉もない。ここまでくるといっそ清々しい。



「王太子殿下、リズへの処遇について私から希望はありません。帝国のやり方にお任せしますわ」

「承知した。本物の罪人である女を牢に入れておけ」

「あ……あぁぁああ! メーダの汚点のくせに! 私が……! 私の方が王太子妃になれるはずだったのに――!」



 そう叫ぶリズは、騎士に引きずられるように神殿の外へと連行されていった。

 神木になっていた穢れの実は祝福の実になり、グレンは犠牲にならずに済んだ。裏切り者のリズは捕まり、ようやく王女の立場がレティーシャに戻ってきた。

 問題は解決した……はずなのに、レティーシャはまだ肩の力を抜けずにいる。偽物花嫁が退場した今、王太子フィリップの婚約者の座もまたレティーシャに戻ってくるのだから。



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