憂いの月

津川肇

憂いの月

 まだ六月だというのに、外は蒸し暑い。私は部屋の隅の扇風機を勝手につけて、二本目の缶ビールを開けた。

「それくらいにしとけば? 花嫁が二日酔いで登場してどうすんのよ」

 そう私をたしなめたのは、親友の香織だ。明日式を挙げてしまえば、こうして親友の部屋で安酒片手に語らうことも、自由にできなくなるだろう。

「独身生活最後の夜くらい自由にさせてよ。あぁ、私だって香織みたいな恋愛のひとつやふたつ、してみたかったなあ」

「でも、いい人なんでしょ?」

「そりゃあね。門脇さんは、まあ申し分のない優しい人よ。家柄もいいし」

 彼は、誠実で思いやりのある人だ。ただ、それ以上でもそれ以下でもない。一度でいいから、胸を焦がすような切なさや、舞い上がるほどのときめきを経験してみたかった。そんな運命の恋と巡り合えないまま私はいつの間にか二十六歳になり、その間に養父母は何度も縁談を持ってきた。六回目のお見合いで出会ったのが門脇さんで、私はついに諦めがついた。彼が、どう揚げ足を取ろうとも文句のつけようのない人だったからだ。

「やだ、ひかりだってもうじゃんか」

「そうだった。実感湧かないなぁ」


 二本目のビールが空くと、私たちは酔い覚ましにベランダへ出た。その時ちょうど雲の間からまあるい月が顔を出した。少しも欠けていない、綺麗な満月だ。

「ひかりに先越されちゃったな。この調子じゃ、あたし一生結婚できそうにないもん」

 香織が柵にもたれながら言う。地元で就職した香織と、東京で夢を追っているらしい彼氏は、遠距離恋愛をしてもう六年になる。私からしたら、金がなくても愛のある関係は憧れるものだけど、人には人の悩みがあるらしい。

「次に会えるの、来月になりそうだって」

 香織は、困ったような嬉しいような顔をしてぼやいた。

「ま、ブーケトスは香織の方がんばって狙ったげるよ」

「ヤラセで貰ったって嬉しくない!」


 私は、これからの平凡で刺激のない結婚生活を思いながら月を眺めた。もし私が月の国のお姫様なら、つまらない堅実な人生は捨てて、今すぐあの満月まで昇っていくのに。そんなくだらない妄想は、夜の闇に静かに溶けていった。

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憂いの月 津川肇 @suskhs

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