先生、(強制的に)街道をゆく

 槍の姫とのちに呼ばれる少女が、駆け出しの冒険者として王都を訪れたのはガイウス歴十九年のことだった。

 王都警備隊槍術指南役にして史上最年少の特級魔導士、ミランシャ。

 しかし真に人々を驚かせたのは彼女が師をただ一人としていた事実だった。

 つまり王都の武闘大会で齢十六にして王国一に輝いた武人と、豊かな知識と斬新な発想を両立させる最新最強の魔導士の手本となった者がいるということである。

 いつしか『北の隠者』と呼ばれるようになったその人物に自らも教えを、あるいは仕官をと望むものは多かったが、槍の姫は師の居所と来歴については固く口を閉ざした。

 彼の人が世俗を嫌い、平穏を望むことをその理由として。

 その意思は固く、王国宰相その人の求めに、職を辞して都を去る決意を見せたことで、ミランシャを通しての接触は打ち切られた。

 しかし以降も隠者の教えを求め、その手を伸ばす貴族・騎士・魔導士その他による探索は影に日向に続けられていた。

 ――しかして現在、その隠者は三重に縄を打たれた罪人のような姿で馬に乗せられ、王都への街道を行っている。


「――ははぁ、ここを通って都へ行くのは十数年ぶりだけど、様変わりしたものだねえ」

 しっかり踏み固められた道と、先を行くあるいはすれ違う者の多さ、そしてなにより街道沿いに点在する集落に、馬上の先生は感心したように漏らした。

「はい、今の国王陛下になって、とくに王都周辺の賑わいは増すばかりと聞いていますね」

「即位されたころは、僕もまだ子供だったけれど大変な時代だったことだけは覚えているなあ。なにせ武断王なんて呼ばれてたくらいだ」

 それが変わるものだねえ、と先生はしきりに頷く。

「諸侯が全て牙を無くしたわけではないですが、王都周辺以外も、今はおおむね平らかに治まっている、そう言われています」

「あまり剣呑な話も聞かないし、事実だろうねえ」

「逆に王都では人が増えすぎた弊害もあります。壁外の貧民窟や、旅人を狙う賊などですね」

「うーん、それはまぁ、どうしたってそうなるだろうね。どんなこともでも良い面だけは受け取れないものさ」

「おっしゃる通りかと」

 一見すれば馬上の貴人と手綱を取る従者。

 その実男には縄が打たれ、娘が手綱とともにその端を持っている。

 ときおりすれ違う中には、それに気づいてぎょっとした顔で足を止める者もあったが、そんな状況でも二人が和やかに話をしているのを見れば首を傾げつつも何事かを問うまでには至らない。

 街道沿いで野良仕事を手伝う子どもたちなどには容赦なく指をさされているが。

「――ところで、ミランシャ? もう逃げたりしないから、そろそろ縄はほどいてくれないかな」

「先生は大丈夫です」

「んんん、それを判断するのはこっちだと思うんだけども……」

「別に、石を投げられたわけでもありませんし」

「さすがに、それは先生も泣いちゃうかもしれないなあ」

「まぁ、私がその前に止めますけど。そうですね、『私は罪人ではありません』と書いた札を首から下げましょうか」

「晒しもの感が増すだけな気が……。それにほら、こんなことで君の名声に傷がついたら申し訳ないし」

「先生に傷つけられた心に比べれば、全然平気です」

「はい、ごめんなさい……」

 まるで首切り役人に自ら差し出すように、がくりと先生は頭を垂らした。

 ミランシャは、元々田舎の小娘である。

 だから師がつねづね口にする世間体というものについて真の意味では理解していなかったし、たいしたことでないだろうと華の王都に立場を得た今でもどこかそう考えている。

 一方で少しでも目を離せば文字通りふっと消えてしまいそうな師の動向と、久々の再会でにわかに燃え上がった己の中のクソデカ感情には人一倍敏感であった。

 だから鞍と鐙があるとはいえ、縄で上体を縛られた馬上の師が、揺れる馬からまるで落ちる気配もなく落ち着いていることに一層の警戒を強めていた。

 おそらく、その気になればこの状況からでも師は逃げおおせて見せるだろう。

「――ところで先生、三年ほど前に王都近隣に居ついた人食い獣の話はご存じですか?」

「三年前。いや、覚えがないねえ」

「そうですか。少なくとも五人が亡くなり、その倍以上が行方知れずとなったんですが。これがおそらく魔獣の類だろうと私にも討伐の依頼が出まして」

「物騒な話だね、また」

「ええ。ですがいざ住処と見られた森に踏み込んでみると、痕跡はどれも少し古い物ばかり。姿は結局見つけられませんで、その前後で被害もぱったりと収まり、結局、獣は見つからないまま依頼は取り下げになったんです」

「ふむ、魔獣同士で食い合ったか、その後被害がないのは何よりだけど……なわばりを移しただけなら心配だねえ」

「ええ、そう思います。ところで先生。二年前の秋に贈ってくださった毛皮の敷物ラグのことは覚えてらっしゃいますか?」

「んー? 敷物……どんなのだったかな」

「黒い、不思議な光沢のある毛皮でできたものです。先生がご自身で仕留められた、という話でしたけど」

「あー……あぁ、あの熊のやつか。あれは大物だったね」

「なるほど、熊だったんですね。件の人食い獣は」

「えっ」

「魔術での検査の結果、当時採集していた毛と一致したんです」

「へ、へえ、それは珍しい偶然もあるものだね……」

「同一の個体のもので、間違いないんです」

「じゃ、じゃあ、北の方まで移ってきたわけだ」

「先生?」

「はい、先生王都まで来て退治しました……。いや、でもうわさになってたのは知らなかったんだよ? 知ってたらさすがに報せてたとも。それにわざわざ贈り物にするなんて、自分でばらすようなことしないだろう?」

「それは確かに、おっしゃる通りです」

「だよね! 先生悪くないよね!」

「問題なのはそこではなく、先生が王都近くまで来られていた事実です」

「あっ」

「私、何度も王都を案内させてほしいと、お手紙をさしあげましたけど。先生がなんと断りの返事をされたか、覚えてらっしゃいますか?」

「はい……先生覚えてます……」


 王都レマの白く輝く市壁がはっきりと見えるようになったころ、なけなしの罪悪感を刺激されきった先生に、すでに逃亡の気力は残っていなかったという。

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先生、言いましたよね 小宮地千々 @chiji-Komiyaji

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