先生、言いましたよね

小宮地千々

先生、怒られる

 晴れ渡った空、うららかな日差しにそぐわぬ血なまぐさい死にたてほやほやの魔物のそばで、二人の人物がなにやら話しこんでいた。

 ときおり頭をかいて落ち着かない様子でいるのは中背の男、その前で見目麗しい娘が腰に手を当ててしっかと大地を踏みしめて、詰問の気配をただよわせている。

 年の差は父娘おやこと見るには近すぎるが、年の離れた兄妹きょうだいや、叔父姪ならば考えられる――そんなところだ。

 もっとも今、主導権を握っているのは年少の娘の方だったが。

「――先生、言いましたよね。『大きな力の持ち主には、大きな責務がついてまわるものだ』って」

「はい、言いました」

 刺々しさを隠そうともしない娘の言葉に、先生と呼ばれた男が肩を落としながら答えた。

「それから『苦しくても決してそれから逃げてはいけない』との教えも、ずっと私は守ってきました」

「はい、立派な教え子を持って先生も鼻が高いです」

「そういう話は今していません」

「はい、先生黙ります……」

 ぴしゃりと切って捨てられて、先生はいよいよ小さくなって口をつぐんだ。

 娘の言葉や態度は刺々しくこそあったが、その根底には確かに師と呼ぶ男への信愛もあり、だからこその不満が感じられた。

「『自分は全盛期は過ぎて、古傷もあるし私にはもう敵わない』……そう言われたことも覚えてますか?」

「…………」

「それも五年も前に、です」

「…………」

「黙っていられたら、わからないんですが?」

「だってさっき黙れって……」

「いいから早く答えてください」

「ひどい……はい、確かに言いました……」

「ですが先生は一人で、私が苦戦していたこの魔物を倒しました。しかも一撃で、あっさりと」

「はい、先生倒しました。……一撃で」

「――どういうことですか?」

 冷たい声は、下手な言い逃れは許さない、と言外に告げていた。

「待ってほしい。違うんだ。誤解なんだ」

「ええ、一応・・うかがいます」

「あれはこう、苦境の弟子を想う師の想いが奇跡を起こした的な……」

「なるほど、それで?」

「あと最近は古傷が痛まない調子の良い日もちらほらあったりして……」

「ほう」

「だからその、そう! たまたま、今回はたまたま運が良かったんだよ……!」

 言葉を続けるほどに冷たくなっていく娘の視線と、漏れ聞こえた小さなため息に先生の肩が震えた。

「先生?」

「はい、黙ります……」

「――先生は、もしかして私が馬鹿だと思っているんですか?」

「そんなことはないけれども……」

「じゃあどうしてそんなゴミみたいなごまかし方をなさるんです」

「ご、ゴミみたいなって……いやその、わずかな可能性に賭けてみたくて……?」

「いいようにおっしゃいましたね……私、先生に『嘘や誤魔化しのない人生を送りなさい』と教えられた覚えがありますが」

「はい、先生確かにそう言いました……」

「『自分の言葉には責任を持ちなさい』……そう教えていただいたことも、忘れてません」

「はい、ちゃんと覚えていてくれて先生うれしいです……」

「先生、力を隠してたんですよね? あれが本当の実力なんでしょう?」

「はい、そうです。ごめんなさい……」

「そんな泣きそうな声出さないでください。ええ、確かに今の先生は泣きたいくらいに情けないですが」

「はい……」

「でも泣きたいのは、先生にだまされていた私も同じなんです」

「はい、ずびばせん……」

「別に。私も好んで糾弾したいわけではありません。ただ理由を、本当のことを知りたいんです。もちろん、恨み言も少しはありますが」

「はい……」

「先生にも、事情がおありだったんでしょう。ええ、たった一人の弟子にまで嘘をついて隠し通さなくてはいけないような理由が」

「結構、恨みに思ってない?」

「いいですから、素直に話してください。ろくでもない理由でも多分怒ったりしませんから」

「もう怒ってる人の台詞だよそれ……本当に怒らない?」

「ええ、多分」

「力強く曖昧な……でもまぁ、そろそろ、そういう時期が来たんだろうね。わかった、全てを話すよ」

「お願いします、どうして先生ほどの方が、力を隠さなくてはならなかったのか」

 こほん、と咳払いし先生は姿勢を正した。

「その、やはりね、先生の持つ力は一人の人間には過ぎたものと思われたというか、世に出ることで無用な混乱を招くというか、均衡は保たれねばならぬと思ったというか、正直その、人に知られると色々面倒ごとが湧いてくるのが目に見えてて、そういうのなんて言うか面倒くさかったというか――」

「ちょっと先生!? それ、絶対最後が本音ですよね!?」

「怒らないって言ったのに! 怒らないって言ったのに!」

「いいから、正座してください! はやく正座!」

「やっぱり怒ったじゃないか! 先生ちゃんと正直に話したのに!」

 泣きの入った抗議をしつつも、先生は硬い地面の上で正座に移った。

 教え子の顔がそれくらい恐ろしかったからである。

「何事にも限度があります! 今、『面倒くさい』っておっしゃいましたか!?」

「ううう……」

「こちらは先生の気持ちを尊重して、隠居生活を邪魔しないようにしていたのに、言うに事欠いて『面倒くさかった』!?」

「ごめんて……」

「先生、ちょっとこの石を膝の上に乗せていただけますか?」

「あああああああ、重い痛い!!」

 ズシリと自重に加えて脚を圧迫する重みに先生がたまらず悲鳴を上げる。

 それに構うことなく娘は板状の重石を師の膝に次々と積み上げていった。

「――え、もしかして、古傷の話も嘘とかいいませんよね!?」

「ふ、古傷……?」

「ええ、熊につけられた胸と脚の大きな傷跡です! これ以上誤魔化すとひどいことになりますからね!?」

「もう結構ひどいことになってるんだけど……い、いや、古傷は本当に本物だよ? 相手は、熊じゃなくてドラゴンだったけど」

「な・ん・で相手を過小申告するんですか!」

「だって竜殺しドラゴンスレイヤーとかうわさになったら恥ずかしいし……」

「そこは普通、恥じるのではなく誇るところです! と言うか竜を倒したんですか!? 熊からなんとか逃げのびたって話だったのに!」

火の息ブレス見てから飛び込み余裕だったよ、体が大きいから懐が死角になるみたいでね? まぁそうしたらそうしたで危うくつぶされそうになったんだけど、いやぁ、あの時はびっくりしたなあ」

「聞いてません」

「はい、ごめんなさい、余計なことは言いません……」

「――傷が痛むのは、本当なんですよね?」

「え? あ、うん。そうそう、雨の日とか、寒くなってくるとこうムズムズとね、うずくというか、痛痒いたがゆいというか……」

 あらためて指摘するまでもないほどに、師の目は泳いでいた。

「――――はぁ」

「……あの、やっぱり、怒った、かな……? あと先生そろそろ脚がつらくなってきたんだけど。せめて石はどかしてくれない……?」

「ええ、ええ! 怒ってます! こんなに頭に来たのは生まれて初めてです!」

「はい、ごめんなさい。先生石抱えて黙ってます……」

「――決めました。やはりこのままにはしておけません。これはダメです、これは、ダメです」

「な、何を……? 後なんでダメって二回も言ったのかな?」

「先生がそれくらいまるでダメな方だからです」

「ひどい……」

「これから先生にはご自身の教え通り、その大いなる力に伴う責任を果たしていただくことにします」

「ええ……?」

「ひとまず私と一緒に、王都に行きましょう」

「ま、待ってほしい。もうこうなったら逃げ隠れはしないけど、別に王都についていく必要はないのでは?」

「いいえ! そもそも先生には私の男性観を歪めた責任もあるんですから! その件についてもじっくり話しあう必要があるんです!」

「え、なにそれ知らん……」

「なにが『自分みたいな男はどこにでもいる』ですか! 少し似てる程度でも、全然見当たらないじゃないですか!」

「え、ええ……そうかな、そうなの? いや、でもほら世間は広いしさ。まだ若いんだし、出会いはこれから幾らでも……」

「そうやってまた誤魔化そうって言うんですか! 先生の嘘つき! 嘘つき! 嘘つき!」

「三回も言わなくても……」

「違うとおっしゃるんですか!?」

「いえ、先生は嘘つきです……ごめんなさい……」

「じゃあついてきてくださいますね、王都! 少しでも申し訳ないと思う気持ちがあるのでしたらそれくらいできますよね!」

「はい、先生ついていきます……」


 ――ガイウス歴二十四年、春。

 『北の隠者』が愛弟子の再三の要請に根負けし、王都を初めて訪れたと歴史は語る。

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