口約束は果たされた

山吹弓美

口約束は果たされた

「大きくなったらお父さまにおねがいして、かならずむかえにいくからね。それまで、がんばって」


 俺と同い年だというその女の子は、別れ際にそう言ってくれた。

 その一言を胸に、俺は十八歳になるまで頑張ってきたんだ。

 たとえそれが、子供の口約束だったとしても。


「九年前のお約束を、果たしに参りました」




 騎士団副長として、王国に名高き伯爵。その次男として、俺は生まれ育った。


「兄上。本日分の書類をお持ちしました」


 ワゴンに積み上げた書類を、兄上の部屋まで運び入れる。そのまま、執務机の横まで動かして固定。

 俺の使ってる机よりも新しく重厚な執務机、その向こうで兄上はこれまた質のいい椅子に腰を下ろしたままだ。その手元の書類にサインをするだけの、とてもお手軽な仕事をする場所とは思えない。

 そうして、俺の持ち込んだ書類を待ちわびていた兄上は俺を見て、一言。


「遅い」


「申し訳ありません」


 ほとんど合言葉のように、俺は謝罪の言葉を口にして頭を下げた。そうしなければ次の瞬間、俺は兄上の拳で壁に叩きつけられているからだ。

 まだ昼前だよという文句も、そもそも兄上の仕事だろうという文句も口には出さない。兄上は伯爵家の跡取りで、なおかつ王家騎士団の部隊長として忙しく働いているのだから。

 たまたま、今日は休日だから在室している。そうでなければ、この書類は夕方までに持ち込んでおけばよかったのだ。


「ふん、まあいい。俺は昼から、婚約者と茶会だからな。その前に片付けられるのは好都合だ」


 ああそうですか。

 ……兄上の婚約者は母上の実家と親しい家のご令嬢で、確か四ヶ月後には俺の義姉となるはずである。兄上は仕事にかまけておられるので、結婚式の準備は両親に丸投げであろう。昼からの茶会というやつも、母上がまるっとセッティングしてるはずだし。

 なお、結婚その他において兄上自身のサインが必要な書類は、今俺が持ってきた山の中にある。準備したし

 騎士団副長の嫡男で、自身も部隊長を務める兄上は当然というか、武芸に優れている。俺は一歳しか違わないけれど、幼い頃から兄上と戦って勝ったことは一度もない。

 もっとも、最後に戦ったのはもう十年も前になるかな。その時に散々に叩きのめされて、それ以降俺は兄上の補佐としてこの家に置いてもらっている。兄上が騎士団に入って以降は、手伝いの名目で書類はほとんど俺が手掛けていて。

 父上や……特に母上は、本来兄上が手掛けるはずの書類を俺がほとんど仕上げていることに気づいていないだろう。せいぜいがお手伝い、というくらい。それにしたって、兄上は忙しいから当然だって感じで。


「こちらの書類を、明日の晩にまで片付けておけ。俺は早朝から、北の森に魔物の討伐に行く」


「わかりました」


 兄上がこちら、と示したのは、机の端に積み上げられている書類の山。今持ってきた分の、ざっくり二倍ほどになる。多分、先日の魔物討伐の報告書だな。

 騎士団とはいえ、例えば隣国などとの戦というのは今はほとんどない。故に父上や兄上の仕事はだいたい、王都近郊に現れた強力な魔物の討伐ということになる。辺境であれば、駐留軍やその場に領地を持つ貴族の軍の任務になるけれど。

 北の森はたしか、環境のせいで大型の魔物が数多く住んでいるエリアだ。重要鉱物の鉱脈などがあるので、その付近に魔物が出れば騎士団が討伐に向かうことになる。今日の休暇は、討伐の合間の休みということか。


「それと、父上がお呼びだ。書類を運んだらすぐに行け」


「え? は、はい」


 兄上に言われて、思わず目を見張った。父上が、俺を呼ぶことがあるなんて。

 ま、どうせろくな用事じゃないんだろうと思う。新入り相手の模擬戦とか、新作魔術の的とか。この家に生まれたせいかなまじ丈夫な身体をしているので、そういう相手には便利、らしい。

 そんな事を考えながら俺は、新しい書類をワゴンに積み替えた。


「それでは、失礼します」


「ああ、さっさと行け」


 もう、兄上が俺を見ることはない。俺が片付けた書類に、次々にサインをしていくという仕事があるからだ。

 書類に対して兄上がすることは、目を通したというサインだけだ。それ以外の内容精査や清書、書き損じなどの確認と修正なんてのは全部俺の仕事。

 書類にまとめられる前の作業は兄上の部下がやってるけれど、そのまとめられた資料に兄上が目を通すことはない。持ってきた部下たちを退出させた後、俺に丸投げである。そして俺が戻した書類にサインをして、自分の成果として提出。

 ……兄上、ほんとに内容読んでるのかな……ま、いいか。そんなこと指摘して、兄上を刺激するのは嫌だしな。




「辺境伯家より、ご嫡女に婿をもらいたいという申し出があった」


 書類を運んだ後訪ねた父上の執務室で、そんなことを言われた。

 ああ、父上の顔がにやにやと笑ってるところを見るとあのお家だな。隣国との国境付近を領地とし、彼らがにらみを聞かせているからこそ戦のない時代となっているという、あの辺境伯家。


「王家に覚えめでたき辺境伯家とつながりを持つことで、我が家の格も上がるというものだ。当然、受け入れたわけだが」


「……婿に出るのは、僕ですね」


「当たり前だろう。我が家の大事な後継ぎを出す訳がない、役立たずのお前が最適だ」


 役立たず。そう言って父上は、俺を鼻で笑う。

 父上にとって俺は、兄上の書類の手伝いをしているだけの穀潰しにしか見えていないんだろう。兄上以上に家にいることが少ないから、仕方ないといえば仕方がない。

 それにまあ、実際はどうあれ兄上がこの家の後継者なんだしな。次男である俺が、婿に出されるのは当然と言うか。


「わかりました。それで、どうすれば」


「三日やる。すぐに荷物をまとめろ」


「……は」


 何か、いきなりだな。

 要するに後三日で、お前は家を出て辺境伯家に行けということかよ。


「こちらから、そう申し出た。次期当主がまもなく妻を迎える家に、役立たずの弟がいてはかわいそうだろうが」


「……わかり、まし、た」


 はは、そうか。

 俺なんて、兄上の結婚式にいちゃいけない存在ってことかよ。


 わかったよ。そういうことなら、出ていってやるよ。辺境伯家でどれだけこき使われるかわからないけれど、もしかしたら実家よりましかもしれないからな。

 ああ、でも結局、あの彼女には会えないままか。




 あれは、兄上の十歳の誕生日パーティ。兄上が、婚約者となる彼女と初顔合わせしたときなんだけど。


「どうしたの?」


 ひとつ下の俺は、家族と並んで来客に挨拶をした後は広間のすみっこに追いやられていた。既に俺は兄上に叩きのめされた後で、だから兄上が笑って「邪魔すんなよ」と言えばそれには逆らえなかったから。

 で、人目につかないように小さくなっていた俺のところに、女の子が一人やって来たわけだ。両親は、例の彼女以外にも兄上の婚約者候補にすべくあちこちの貴族を招待していて、その中の一人だったような。


「あまり表に出るな、っていわれたんだ。ぼく、兄上とちがってできがわるいから」


「そうなの? でも、お父さまはじぶんのとくいなことをがんばればいいよ、っていってくれるわよ」


「ぼくの父上は、戦に強い子どもがいいんだって。ぼく、戦うより本を読むほうがすきだから」


「え? それってすごいんじゃないの?」


 その女の子からそう言われて、俺は目を見張った。

 武芸で成り立っている、といっても過言じゃないこの家にいる俺が、本を読むのが好きということをすごい、と言われたのは生まれて初めてだったから。


「だってわたし、本読むのにがてだもの。文字が多いと、ねむくなっちゃう」


「兄上も、おなじことをいってるなあ。でも、おうちのしごとをするのに、もじはいっぱい読まないといけないのにね」


「……それもそうね。お父さま、ときどきおしごとをためこんでお母さまにおこられてるもの」


 こんなことを言われている『お父さま』、きっとどこかの当主なんだよなあと思いつつ、俺は彼女とぽつぽつ話をした。

 なんか、家族に言えないことを彼女にはかなり言った気がする。


「そっか。うん、わかった」


 そうして、ひとしきり聞いてくれた奇特な彼女は大きく頷いて。


「大きくなったらお父さまにおねがいして、かならずむかえにいくからね。それまで、がんばって。わたしと同じ年だから、同じだけがんばろう」


「……う、うん」


 そう言って、その場は別れた。

 当日の夜になって、父上にどこに行っていたんだと散々怒られたのは理不尽だな、と今でも思う。彼女は、どうしたんだろうなあ。


 子供同士の、無邪気な約束だ。もちろん、信じているつもりはないんだけどな。

 それでも、父上や兄上の冷たい視線や言葉を受けた後は、あの約束を思い出して頑張ったんだ。

 同い年の彼女が、もしかしたらどこかで同じように頑張っているかもしれないからって。




 で、三日後の朝。

 一応、お付き合いしたい家への婿入りということで外面の良い父上は、ちゃんとした馬車と部隊を用意してくれた。……つってもこの人たち、騎士団の配下だよな? いいのかこれ? うちにも一応、私兵はいるはずだろ?

 まあ、ツッコミ入れるつもりはない。入れたところで、どうせ鉄拳制裁だろうしなあ。


「辺境伯閣下とご嫡女には、くれぐれも失礼のないようにな。最悪、種馬としての役割だけでも果たせ」


「………………はい」


 にやにや笑いながら、酷い台詞で念を押してくる父上。まあ、正直そこが目的だろうなというのは分かる。

 辺境伯家に自分の血を入れて、結び付きを強めて、ついでに関税や通行税値切ろうという魂胆だ。

 その割に、特産品はぼったくりなんだけど。原価とか人件費とかこう、いろいろ考えて本来つけるべき値段の倍は取ってるからな。

 兄上もそれはご存知のはずなんだけど、何も言わない。俺が言ったところで父上ともども聞く耳を持たない。自分が家を継いだあともそのままで、儲けるつもりなんだろうな。


 だったら、種馬のほうがもしかしたらなんぼかましかもしれない、と思ってしまったわけだ。ああもう、人生終わってるなあ、俺。


 そんなことを考えているうちに馬車隊は、あっという間に父上の領地の外れまでやって来た。

 いやなんというか、さっさと俺を片付けたいのかこの馬車隊。ものすごいスピードでここまで来たんだよ、いくら良い馬車でも尻が痛いっつーの。街を離れて少ししたら、道に石畳とかないもんな。


 そんな俺たち一行の前に、別の馬車隊が出現した。そろそろ父上の領地が終わる、その道標が置いてある向こう側に。

 うちのみたいに見栄えに全力注ぎ込んだ馬車ではなく、質実剛健系のしっかりした作りの馬車。先導に立つ騎士もまた、飾りではなくそのまま戦に出てもおかしくない装備だ。……先頭の人は、馬車についてる騎士よりちょっと小柄だと思うけど。

 そうして、馬車や騎士に記されている紋章は、間違いなく俺が婿入りする辺境伯家のものだ。


「伯爵家の御一行とお見受けする。こちらは辺境伯家より、婿殿をお迎えするために派遣された」


 低くて張りのある声を張り上げたのは、先頭の人ではなくてその隣に従っているがっしりしたタイプの騎士だった。こういう声のほうが、迫力はあるからね。

 けど、辺境伯家からわざわざお迎えに来てくれたのか。俺でごめんなさい、と馬車の中で祈る。


「おお、それはありがたい。では、ここより先はおまかせしても」


「無論。婿殿と積荷は、こちらで引き受けよう」


「では、よろしく頼む」


 ……こちら側の部隊長、なんだか酷く偉そうな感じなんだけど。大丈夫かな、辺境伯家ってうちより王家の覚えがめでたい家なんだぞ。

 とかなんとか考えている間に、馬車の扉が開いた。部隊長がにやにや笑いながら、手を差し伸べてくる。


「ここより、あなたの身柄は辺境伯家におまかせすることになります。この馬車は伯爵家のものですゆえ」


「ああ、分かった」


 つまり、馬車持って帰るからここで降りろってか。ま、身体がたぴしいってるし、一度降りてほぐしたほうがいいしな。

 なので、こちらも手を伸ばそうとした瞬間。


 ぱかーん。


 何か良い音がして、部隊長が真横にすっ飛んでいった。そのおかげで、彼の背後にいた人の姿が見える。

 ……多分、さっき辺境伯軍部隊の先頭にいた人だ。何か小さいから、そうだと思ったんだけど。いつの間に馬を降りていたのか。

 こっちの部隊長は……どうなったんだろうな。配下たちが駆け寄ってるから、そちらに任せよう。うん。


「お久しゅうございます」


「え?」


 その人の声だと、一瞬気づかなかった。小柄だと思っていたけれど、どうやら女性だったようだ。

 その人は兜を外し、さらりと長い髪をなびかせて俺に手を差し伸べてくれて。


「お迎えに上がりました。さあ、お手をどうぞ」


「え、あ、はい」


 あれ、なんだか見たことのある顔で、聞いたことのある声で。

 どこでだろう、と思いながらその手を取って俺は、馬車を降りた。そうしてまじまじと、彼女の姿を見つめる。やっぱり、この人を俺は知ってる。でも、どこで。

 と問う前に彼女が、答えを教えてくれた。


「九年前のお約束を、果たしに参りました」


「九年前……………………あ」


 九年前。

 兄上の、十歳の誕生日。

 あのときの、あの女の子。


「俺を、迎えに来てくれるって言ってくれた」


「覚えていてくださいましたか!」


 俺の言葉に、ぱっと彼女の顔が晴れた。

 ああ、間違いない。俺に言葉をかけてくれて、迎えに行くから待っていろと言ってくれた、あの女の子。

 そうか。辺境伯家のご令嬢、だったのか。俺と同い年のはずだから、兄上より一つ下。確かに、兄上の婚約者候補には見合った年齢だよな、と思う。もっとも、兄上のお眼鏡には叶わなかったけれど……ま、いいか。


「遅くなりました。あのときのお約束どおり、お迎えに上がりましたわ」


「わざわざ、ご自身で」


「わたくしの婿になってくださる方ですもの、当然というものです」


 にこにこにこ。

 満面の笑みが、俺の努力が無駄じゃなかったことを教えてくれている。

 ……九年、頑張った甲斐があった。彼女が待っていてくれ、と言ったその言葉を信じて。


「もちろん、お話はお受けしてくださるのですよね?」


「父から強制された話ではあったのですが、お相手があなたであればこちらからよろしくお願いしたいです」


 一応事情はすっぱり言ってしまうけれど、でも本音もちゃんとぶっちゃけてしまおう。

 俺は、あなたの隣に立つために九年、頑張ってきたんだから。




「わたくしの婿となるお方の扱い、わたくしはよく存じ上げておりますとご当主様方にお伝えくださいませ」


 ほうほうの体で逃げ帰る伯爵家の部隊に、そう彼女がにっこり笑って告げる。

 そうして辺境伯家に迎えられた俺は、妻となった彼女と一緒に家をもり立てるために更に頑張った。俺偉い。


 え、実家?

 いや何かね、数年で爵位ぶち落とされるわ領地減らされるわ、父上も兄上も役職追われるわしたらしいんだけどね。

 いやだって、俺あの家では役立たずだったわけだし、気にしたって何もできないもんね?


 ほんと、しーらない。

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