10.天気予報 ④


 例の"資料"は、無事先方に展開することができた。


 さすがに夜更かししただけのことはあり、それなりにウケもよかった。


 20時過ぎには仕事を終えて、ニトリで用事を済ませてからマンションに戻った。




「あーさむかった……」


 猫がいる気配はない。


 居室には迩愛だけがいた。部屋は冷えている。エアコン入れてないのか。


 テレビでもつけりゃいいものを、迩愛はベッドに背を持たせ、何をするでもなく座っていた。


 薬局には無事行けたのだろう。迩愛はタイツを履いていた。


 俺を見て、


「あ、秋田さん、おか……え、デカ」


 その眼が目敏めざとく俺の手に向く。


「そっか、フトン。ほんとに買ったんだ」


「違うぞ。これは俺の晩ご飯だ」


 俺は左手にぶら下げたコンビニ袋を持ち上げる。中身はコンビニ弁当だ。


「……そっちじゃなくて、反対の手のほうだよ」


 分かっている。もったいぶったのだ。


「これはまぁ、マットレスだけだけど」


 デカイのはデカイのだが、マットレスはロールされた状態で圧縮されていたから片手で持って帰ってくることができた。


 とはいえ、こんなものさすがに二つは持てない。


 掛け布団は別で発送してもらうことになっている。


「マットレスってこんなちっちゃくなるんだね」


「こう見えて厚みは十四センチある」


「へー」


 迩愛はピンと来ていない様子だった。


 コンビニの袋をどさりとテーブルに置き、筒状のマットレスは昨晩迩愛が寝ていた付近に転がしてやった。


 リモコンでエアコンを稼働させる。


「あたし開けていい?」


 きらきらと輝くまっすぐな眼差しが俺を向く。


 なんだかんだ言って嬉しいのだと判り、俺はホッとした。


「ハサミがいるぞ」


 テープを切って広げると、マットレスは二つ折りになっていた。


 その時点ではまだペラペラで、本当に十四センチもあるのか自分で買っておきながら不安になったが、圧縮袋の封を切った途端、マットレスはまるでオーブンの中のケーキのように音もなく膨らんだ。


「え、すごいすごい! 秋田さん、これ本当にマットレスだよ!」


 迩愛はマットに膝を乗せ、両手でぐいぐい弾力を確かめた。


 そうして滑り込むようにマットに飛び込んだ。


 スカートなどお構いなしだ。


 ふつうに脚の付け根まで見えてしまっているが、厚手のタイツはしっかりと下着を隠していた。


 ごろんと転がり仰向けになる。膝を立てて、迩愛は人心地ついたように息を吐いた。


「はあー。秋田さんもおいでよ。ふつうにベッドだよ」


「いや、俺はいいわ」


「えーなんで。このフカフカを分かち合おうよ」


「分かち合っちゃったら寝床別けた意味ねえだろ」


「うん? そういう理由だっけ?」


 迩愛はまたうつ伏せになり、両手で頬杖をつきながら虚空を眺めた。脚をぱたぱたと交互させる。


「あたしが風邪ひくからって理由じゃなかった?」


「……そうだな」


 そうか。ムラムラして敵わない、という理由は話してなかったか。話すことでもない。


「でも掛け布団ないし、結局同じフトンで寝ることにならない?」


「あーそれは別で届くんだ。一週間くらいかかるって言ってたな」


「うん。だからそれまでは一緒に寝るんでしょ?」


「タオルケットでいいだろ。あと……ポットとか?」


 そうだね。それなら全然、と迩愛は静かに言い、頬をマットに擦り付けた。


 俺は飯を食ってからシャワーに入るか、シャワーに入ってから飯にするか考えていた。


 ふと。


「あたしたち、昨日の夜とは真逆のことしてる」


 迩愛はにこにこ笑いながら言った。




「あ? どういうこと?」


 俺は訊き返しつつ立ち上がる。キッチンに足を向けた。


「あたしは迷惑かけたくなくて床で寝たのに、秋田さんはベッドに連れてったじゃん」


「おう」


 カランを捻り、お湯に変わるのを待った。迩愛は居室から移動してこなかった。


「でも今日はさ、あたしが秋田さんをベッドに呼んで、秋田さんがあたしにポットと寝ろって言

ってる」


 確かにそうだ。


 手を洗いながら、面白いもんだと思った。


 居室に戻ると迩愛は仰向けになって天井の電気を見つめていて、


「明日はどうなるのかなー」


 と、言った。


 声が弾んでいる。楽しげだった。


「凍え死んでないといいな」


 俺は迩愛のあたまの横に腰を下ろし、コンビニ袋から弁当を出した。割り箸を割る。


「えっちしてたりして」


 口を開けたまま、俺はつまみ上げたほうれん草をぽとりと落とした。


「お前、シたいの?」


 気を取り直して人参をつまんだ。


 迩愛は無意味にあげていた両手を、ぱたんと左右に開くように倒した。


「別に。興味はあるけど」


 男性経験ないんだろうか。そんなふうな物言いだ。


 俺は間を持たせるためにハンバーグを割いて口にした。味はしなかった。


「あったかいといいな」


 そう呟く迩愛を、俺は肉を咀嚼しながら見ていた。


 意味もなくつむじの渦の方向を確認する。


 テレビを点けると、ちょうど番組のつなぎ目に流れる短いニュースがやっていた。


 天気予報のコーナーに移り、今朝の急な冷え込みについて気象予報士が説明を始めた。


『明日からも厳しい冷え込みが続く見込みです。続きまして──』


 おもちゃみたいなブロッコリーを飲み下し、


「暖かくはないみたいだぞ」


 と、迩愛の頭に声をかける。


「そうなの? やだな……え、なんの話?」


「天気。今夜はもっと冷えるってよ」


「そう。じゃ、今のうちにポット持ってきとこーかな」


 ほっ、と立ち上がる迩愛を尻目に、俺はコンビニ袋をがさごそ探る。


 インスタント味噌汁を取り出して、いそいそと湯を入れる準備をはじめた。

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