◆ 猫と決めていくこと ◆

10.天気予報 ①


『いや~、今夜は一段と寒かったですね、サクラバさん』


『はい。ですがまだ気を抜くことはできません。強い寒気の影響で、明日からは東京都心をはじめ列島各地で今シーズン一番の冷え込みとなりそうです』








「おし。こんなもんでいいだろ」


 資料に一通り目を通し終えた頃、何気なく目を向けたテレビの時刻表示は深夜0時を示していた。


 ぐっと背筋を伸ばす。


 そのままあくびをすると、寒さに身体がぶるぶると震えた。


 背後うしろでごとごと音がする。強い風に窓が音を立てているのだ。


「やけにさみいな」


 部屋が暖まりきらない。足の先が冷たい。


 エアコンは──。


 動いてんのか怪しいものだが、運転はしている。こんなのでもないよりはマシなのだきっと。


 俺は捲っていた袖をおろし、室温をあげた。


 エアコンが唸りをあげてぬるい風を吐き出しはじめる。




 ふと視界の端にある物を捉え、俺は視線をすこし下げた。




 俺の部屋に、俺のものではない物がある。


 金の釦。


 赤色の三本ライン。紺色の、


 ──ブレザー。


 カーテンレールには俺のコートや背広と並んで、迩愛のブレザーが吊り下がっている。


 ビジネススーツと並ぶ制服。


 妙な感じだ。


 否応無しに意識してしまう。"いるんだな"と。


 実際、動いている迩愛にあを見ているより、喋っている迩愛の声を聞いているより、あそこで吊りさがっている無機物を目に入れたときのほうが、何故だか、"クる"。


 女子高生の制服が、俺の部屋に吊るしてある。


 新鮮、というか。まぁ、変な光景だ。


 それにしても。


 寒くないんだろうか。




「おい、起きろ」


 迩愛は絨毯じゅうたんの隅で、背中を丸めて転がっていた。


 白いシャツの背中に、ブラジャーの型が浮かんでいる。微かに黒い下着が透けている。


 寝ているのか、腹が痛いのか。


 迩愛はそんな格好でくたばっていた。


 寝息は聞こえない。


 呼吸で身体を上下させたりもしない。


 凍死でもしたか。


 雪でも降ってんじゃねえかと思いたくなるような寒さだ。


 この調子だと朝はもっと冷え込みそうだ。


 そんな薄っぺらい恰好で、パンツを丸出しにしている場合ではないだろう。


「迩愛、パンツ見えてんぞ」


 迩愛は──。


 尻の上でスカートが捲れ、黒い下着が覗いている。


 エロさよりもあわれさが勝った。


 よく知りもしない男の家でパンツを隠す余裕もなく寝落ちするJK。


 もうすこし、


 もう少し上手に生きられなかったんだろうか。




「風邪ひくぞ」


 揺り起こしてやろうと立ち上がったところで、俺はようやくこいつが背中をまるめていた理由に気づいた。


「ぽ、ポット……?」


 迩愛は腹にポットを抱いていた。緑色のランプが保温を示している。


 よく見れば、迩愛の体の向こうに電源コードが伸びていて、コンセントにつながっている。


 ポットは普段キッチンにあるのだが、迩愛が持ってきたのだろう。仕事に集中していてまるで気が付かなかった。


「迩愛、起きろ。凍えるぞ」


 真横にしゃがんで顔を覗くと、すぅすぅ寝息が聞こえた。


 ポットに腹を密着させ、それが気持ちいいのか迩愛の寝顔は穏やかだった。


「あったかよーってか」


 油断しすぎだ。


 俺は呆れて笑った。


 スカートの裾をそっと摘んでパンツを隠してやるが、迩愛はピクリとも動かなかった。熟睡しているのだ。


 寝かせておいてやりたい気もするが、風邪を引かれても厄介だ。


「ベッドに寝かすしかねえかなぁ……」


 客用のフトンは実家に送ってしまっているし、寝袋なんて都合のいいモンもうちにはない。他に寝られそうな場所といえば、絨毯ここか座椅子くらいだった。


 それも不憫ふびんだろう。


 俺が退くか。


 それもパスだ。


 明日からまた一週間が始まるというのに疲れを残したくはない。


「つうことは……」


 立ち上がり、ベッドを見下ろす。


 サイズはセミダブル。


 迩愛は華奢きゃしゃだ。端っこと端っこで分け合えばまぁ、接触はしねえだろう。


 ──1日くらいなら。


 間違いは起きねえと自分自身に言い聞かせ、俺は迩愛をお姫様だっこした。


「う……っ……おっも……」


 こいつはなかなか。


 人間そのものの質量にやや感動を覚えつつ、腰をいれて抱え上げた。上げてしまえばやはり華奢なのだ。迩愛は軽かった。


 右の二の腕に迩愛の膝の裏が当たり、ぶらんと脚が垂れ下がる。


 左腕は迩愛の丸めた背中にジャストフィットした。


 眠っているからだろう。身体は温かかった。


 そのままベッドをふり向こうとするが。


「……ん……」


「────っ!」


 迩愛が腕の中でもぞもぞと身じろぎ、俺はぎくりとして出しかけた足を止めた。


(起きんな。ぜったい起きんなよ)


 心の中で祈る。あらぬ疑いをかけられるのはごめんだ。


 数秒そうしたまま息を凝らしていると。


 迩愛は眠りながら、ごく自然に、寝返りを打つ感覚で俺の首に手を回した。


「……ぇ!?」


 迩愛の顔が、唇が、間近に迫る。


 俺は絶句した。なぜだ。なぜ襟にリボンが着いていないんだ。


 胸元は第二ボタンまで開いていた。肌着がたゆんで隙間が。谷間が。視線が、


 迩愛の胸の谷間に吸い込まれていく。


 なんて、


 なんて柔らかそうなんだ。


「…………ん、ぁ」


 熱い息が鼻にかかり、背中がぞくっとした。胸が音を立てて高鳴り、体が芯から熱くなり、周りの音が何も聞こえなくなった。


 じんわりと手が汗をかいていく。たかがヒートテック一枚が、クソほど暑い。


(フトン買う。明日ぜってえフトン買う)


 この憐れなJKを俺の手からまもるためにも。


 福沢諭吉二人分くらいの出費は覚悟しつつ俺は、ぎりぎりのところで迩愛をベッドに寝かせた。

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