9.スウィート・ホーム ②


「秋田さんはときどき、話飛ぶじゃん」


 迩愛は俺から目線をはずし、どこか遠くに視線をやる。


「……それってきっと、その隙間でいろんなこと考えてんだよね」


 なんの話だ?


 俺は身体を起こし、手についた砂利を払う。


「そりゃまぁ、そうだろ」


 話の着地点が見えないまま、俺はそれに付き合う。


「考えないで喋ってんのはサルくらいじゃねえか。いや、知らねえけど」


 サルの気持ちなど考えたことはない。


「でもさ。なんていうか、」


 迩愛は自分の膝で頬杖をつき、すこし口を尖らせた。


「そんなに色々考えてるのに、あたしは『結果』しか聞けてない」


「……結果?」


「うん。『こう思ったから、こう言う』の、『こう思った』って部分が、秋田さんにはぜんぜんない」


「……俺はこれ、今説教を受けてんのか……?」


 『ものの伝え方』について、JKに叱られる27歳。これが営業のプロだというのだから呆れる。


「違うって。あたしたち、まだ出会ったばっかりじゃん。秋田さんの『こう思った』って部分、あたしには全然埋められない」


「…………」


 言っていることは解る。


 それに実際、俺は迩愛に対してそういうふうに接していたのかもしれない。


 けれど、だったら何だという。


 やはり着地点が見えず、俺は沈黙した。


「言わなきゃ解んないよ、あたし猫だもん。表情をみるしかないじゃん。じゃぁさ、これは知ってる?」


 迩愛が訊く。


「あたしは、秋田さんが困ってる顔しか見たことないよ」


 俺はその言葉に少なからず動揺した。


「ほら、そういう顔」


「え?」


 思わず自分の頬に手をやる。


 触るまでもない。俺は怪訝につらを歪めていた。


「……そ、そりゃそうだろ。だって……」


 寝起きにいきなり現れて。


 俺の部屋に居候するとか言い出して。


 話はかみ合わねえし、シャワー浴びるとか、濡れ髪のまま部屋に入ってくるとか。


 胸もデカいし。


 携帯の充電もねえのに街を出歩こうとするし。


 行ってきますとか言ったくせに帰ってこねえし。


 散々心配かけといて、見つけたと思ったら居酒屋行ってたとか言うし。


 今はいきなり抱きしめられた。


「わかってるよ。そんな顔をさせてるのは、あたしのせいだってことくらい。でもさ……」


 分かんなくなっちゃった、と言って迩愛は俯いた。


「あたし、どこに帰ればいいんだろう……」


「…………迩愛……」


 ふっ、と迩愛の表情が晴れる。


「だからねっ。さっき、秋田さんがしてくれた、ハンペンの話。あれよかったよ、解りやすくて」


「はんぺん……? あぁ」


 鬱憤が爆発したあれか。あの皮肉。嫌味。ぶちまけたやつだ。


「ヤキモチ妬いてたんだな、って解った。最初は、あたしの帰りが遅くなったことに怒ってんのかと思ったけど……違うよね」


「違うくねえよ、その通りだよ。誰が猫に妬くかよ」


 俺は膝を伸ばして立ち上がる。


 迩愛も立って、スカートの裾を払った。


「ほんとうに?」


「本当だ」


「嘘ついてない?」


 俺はマンションを見上げ、顔をしかめる。


「わっかりやす。嘘つけないんだ。いい人~」


 あはは、と迩愛は笑い、俺の先へ踊るように歩み出た。


(嫉妬……か)


 実はその言葉を聞いて、ストンと腑に落ちるものがあった。


 なるほど、確かにさっきまで胸の底に沈んでいた黒いおりのような物の正体はそれかもしれなかった。


 この女が好き、とかではないと思うのだが……まぁ、そういうことも起こり得るのかもしれない。


 餌をやった猫が他人に懐いて腹が立った、そんなところか。


「いい人じゃねえよ」


 俺は吐き捨てるように言い、先を行く迩愛の後に続いた。


「あたし帰ってもいいんだね」


 後ろを向いたまま、その言葉は自分に言い聞かせるようだった。


 肩にバッグをさげ、両手でスカートを押さえながら階段をのぼっていく。


「そうだな」


 俺も階段に足をかける。


 弱々しく光を放つ蛍光灯。


 階段は薄明るい。


 我ながらこのマンションは薄気味悪いと思う。


「秋田さん」


「何だ?」


「覚えてますか? 今朝のこと。あたし、『秋田さんはさ、』って言いかけましたよね」


「え? ……あぁ。うん、言ってたな」


 二人でサバをつついてるときだったか。


 迩愛は俺に何か言いかけたが、忘れたと言って話は終わっていた。


「あれ、いま思い出しました」


「おう。それで?」


 迩愛は歩みを止めない。振り返らず、着々と四階までの距離を縮めていく。


 背中を向けたままの会話は続いた。


「『秋田さんは、なんで白木を拾ったんですか?』って尋きたかったの」


 白木──猫のことか。


「……拾ってねえよ。あの猫は勝手に──」


「ううん。答えは要らないんだ。あたし、解ったから」


 そう言って迩愛は振り向いた。




「秋田さん、寂しがりなんだなって」




「な…………」


 その言葉の衝撃に視界がブレて、俺は思わず手すりを掴んだ。


 ──あんたほんまは寂しいんと違う?


 刹那せつな的に俺の脳裏を過ぎったのは、あの小麦肌の女の顔。


「そ、……それは考えすぎだろう…………」


 俺はジャスミンに返した言葉を、そっくりそのまま繰り返す。


 迩愛はふふっと微笑み、横を見た。


 迩愛はもう、四階の階段を上り詰めていた。


 その廊下の先にあるであろう光景をおそらく迩愛は見て、くしゃっと笑う。


「あいてた」


「え?」


「隙間。開いてたよ」


 こいつがどんな思いでこの階段を上ったのか、


 どんな思いでこのマンションまで帰って来たのか、


 知る由も無い。


 なぜならそれは、こいつの口から聞けていないのだから。


 でも。


 その笑顔に孕んだこいつの心情はなんとなく解る。


 俺は残りの階段を上りきり、迩愛と並ぶ。


 迩愛は俺を見上げて、すこし躊躇ためらいながら言った。


「……ただいま、秋田さん」


 俺はなんだか照れくさくなって、視線を床に逃がす。


「……ちっ。油断すんな。部屋ん中は水の入ったペットボトルで溢れか──あ、おいっ!」


 迩愛は駆け足気味に、俺から離れていく。


 そして玄関前で軽く飛び上がり、だんっ! と音をならしてこっちを見た。


「ただいま、秋田さん!」


 その嬉しそうな表情を見て、俺はつい苦笑してしまう。


「……おかえり。おっせえよバカ」


 迩愛は、いひひ、といたずらっ子みたいに歯をみせて笑った。

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