7.ヤキモチ


 マンションが見えてきた。


 静かで、あかりの乏しい道。


 畑まである。


 とんだ田舎だ。およそ都内とは思えない。




「タバコ吸う人なんだ」


 二歩ほど後ろに離れた位置から、迩愛にあの声が訊ねてきた。


「…………」


「……あれ。聞こえなかったのかな。ねぇ、タバ──」


「さっきのが人生最後の一本だよ」


 投げやりに答える。


 聞こえてるんじゃん、とくぐもった声が返ってくる。


 飯、どうしようかと考えていた。


 朝から鯖缶しか食っていないのに、何も口に入れたくない。むしろ吐きたい。はらの中が渦巻くような最悪の気分だった。


 マジで俺はどうしちまったんだろう。


 それこそタバコのせいかもしれない。


「……そのセリフ、あんまり好きじゃないなぁ」


 そう言う迩愛の声はどこか沈んでいた。


 意味深な感じではあったが、今はどうも詮索してやろうという気持ちにはなれない。


「そうかい」


「秋田さん、怒ってる?」


「ちっとも。ちょっと胃がおかしいだけだ」


「そっか。あと何歩あるいたら振り向いてくれる?」


「北海道に着いたらな」


 着くわけがない。ここは都内だ。


「遠いなぁ」


 空気が悪い。


 俺の態度がそうさせていることは明らかだった。


 迩愛は努めて話題を出そうとしてくれている。


 掘り下げるべきだろうし、そこから情報を引き出していくのが俺の目的だったはずだ。第一、俺たちはこれからのことを何も決めていない。


 でも。


 振り向くのが苦痛だった。


 迩愛の顔をみると、何故だか無性に腹が立った。


 目の保養だったその巨乳も。今は悪魔の頭がふたつへばり付いているようにすら思える。


 俺はひとりで八方塞がりになっていた。




「看病したげよっか。あたしおかゆ作れるよ」


「いらねえ」


 この野郎。おかゆだと。


 自分はタダで散々美味いもん食ってきたくせに。


 つくづく心配して損した。


 寒い中ベランダに突っ立ってこいつの姿を探していた時間を返して欲しい。


 こいつを探している間に稼働を続けていたエアコン、その電気代も。


 自動給湯機能により人知れず風呂を温め続けている、そのガス代も。


 ──何より、


 こいつが腹を満たしているその一方で、汚れてしまった、俺の肺。


 なんならライター代の100円も、返せ。


 腹がたつ。


 おかゆだと。


 俺がちゃくちゃくと主流煙で寿命を削っている間、お前は何を口にした。


 はんぺんか。


 はんぺんだろう。


 そうして俺の頭には、迩愛が食ってきたであろうメニューの数々が思い浮かぶ。


 向かい合った席に座る、汚いツラのおっさんも。


 俺の脳裏に、会ったこともないおっさんのツラが、なぜか鮮明に浮かぶ。


 生え際の後退した脂ギッシュなおっさん。


 迩愛が飯を食う姿を、エロい目で眺めている。


 ……くっ。


 俺は拳を固くする。




「…………帰ったらはんぺんでも食うわ」


「は。はんぺん」


「いや、はんぺんはねえな。たこ焼きか、かつおの叩き。あと、なんだアレ。もち明太春巻きとかな」


 くそ忌々いまいましいことに、俺はさっき公園で迩愛がいったメニューを、一言一句間違わずに覚えていた。


「それって……」


 迩愛が怪訝な顔をする。


 眉間にしわを寄せ、何か心当たりがあるようだった。


 あるよな。


 それは今お前の胃袋に入っているメニューだ。


 俺ってなんて嫌味な人間だ。しかし自制がきかなかった。


「居酒屋でも行ってくるかな。相席した女子高生を、エロい目で眺めるのも悪くねえ」


 なぜだか不思議と、胸のうちがすっきりしていく。


 迩愛は俯いてしまう。


 俺の一言一言に、ダメージを食らっている。


 その姿は、あまりに気の毒だった。


 でも。


「いや、やっぱりおかゆにするか。俺、つくれるし」


 とどめを刺す。


 お前の施しは受けねえ。そんなつもりで言った。


 なのに。


「……もういい? ぜんぶ吐き出せた?」


 迩愛は顔を上げる。


 どこか疲れたような、でも優しい微笑みを俺に向ける。


「ありがとう、ちゃんと教えてくれて」

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