ep.004 花の少女ネリネ

 絡まれてしまった。


 六人組の不良が、ニヤニヤと笑っている。


 エルシオが小腹が空いたといって、露店に一人向かったときだった。一人で突っ立っていると、あからさまにマトモではない連中が声をかけてきて、「身体検査しまーす」と言いながらライを路地裏に連れていったのだ。


「……わかるだろ兄ちゃん」


 不良の一人が、下卑た笑みを浮かべて言った。


「わかるとは?」


「おいおーい、しらばっくれるなよ。この状況でやることなんか一つだろぉ? 金だよ金ェ。有り金全部出しなあ」


「なぜです? そんなことをする理由がありません」


 男がナイフを出して突きつけてきた。


「うるせえな! いいから殺されたくないなら出せっつってんだ! 無理やり身ぐるみを剥がれるのは嫌だろ? あ?」


「……そうですか」


 ライは小さくため息をつく。


 面倒なことになったなと思った。今は潜入任務の途中だ。あまり目立つ行動を取るわけにはいかない。この連中を制圧することなど造作もないが、後で憲兵にでも通報されたらやりづらくなる可能性がある。


 ナイフが首元に近づいてくる。指先がぴくりと反射的に動いた。切っ先を向けてくる男の顎を粉々に吹き飛ばすイメージが勝手に浮かぶ。


「うらあ! 透かしてんじゃねえぞガキぃ! さっさと懐に入れてるもん全部出しなあ!」


 どうしたものか。全員を気絶させたのち、しばらく喋れないよう顎の関節を外すか。もしくは舌を切り落して――。


「あー、そこの君ら、それ私の連れだから離してもらっていいかな?」


 鈴が鳴るような声音がした。


 全員が声のした方に顔を向ける。


 そこにいたのは、共和国陸軍の軍服を着た美しい少女だった。目を惹かれずにはおけない薄い桃色のショートヘア。人懐っこさを感じさせる丸い猫目。そして、湖水を結晶化させたかのような浅葱色の瞳――。


 ライは瞬きを繰り返す。あなたのことなど知らないと口を開こうとしたら、少女が人差し指を桃色の唇に当ててウインクした。黙っていろ、ということだろう。


「な、なんだおめえ!?」


「見りゃあわかるでしょ? 軍人さんだよ軍人さん。共和国軍のそこそこにえらーい軍人さんさ」


「……お、おい。まずいぞ」


 ナイフを突きつけていた男に、別の男が慌てた様子で声をかける。この街で軍人と事を荒立てたらどうなるか、彼らのような半端なアウトローでもきちんと理解しているらしい。


 少女が、目を細める。


「……見逃してやる。だから、さっさと私の連れを離しな」


「……ちっ」


 男は苛立たしげにナイフを下げて、「いくぞ!」と声を荒げると、仲間たちとともに去っていった。連中の背中を睨みつけていた少女は、彼らが視界から消えると、ライの方に向き直って相好を崩した。


「いやあ、災難だったねえ少年っ! でも今日は厄日じゃないよ、こんな美人なお姉さんに出会ったんだからね!」


「あなたは誰です?」


 ライは、状況把握の最短を目指した無駄のない質問を投げかけた。自分のことを美人と称する謎の女は、肩透かしをくらったようにずっこけたフリをする。


「おいおい、随分冷めてるねえ。まあ、たしかにいきなりこんな美人に話しかけられたらそりゃびっくりもするよね。知りたい? 私の名前」


「……ええ、まあ」


 ライは眉根を吊り上げてしまう。変な人間だ。意味もない自画自賛を繰り返し、一人で盛り上がっている。


「私の名前はネリネって言うんだ。あなたは?」


「ライです」


「ライね……。この辺は治安の悪い地区が近いから、子供が一人で出歩くのはちょっと危ないぞー。そんなことも知らないってことは、君この辺の子じゃないな?」


「はい。フライハイト近郊の出身です」


 万が一、身分を改められたときはそのように答えるよう指示を受けていた。偽造した身分証にも、同様に書いてある。


「え、私と同郷じゃん。私はバリバリの首都出身なんだけどさ〜。フライハイトの桃って本当に美味しいよねえ。最近魚ばかり食べてるから久しぶりに食べたいなあ」


「そうですか」


「ところで、ライ。同郷の好として言うけどさ」


 ネリネはにっこりと笑い、両手でライの頬を引っ張った。


「助けてもらったら、お礼言わないとだめだよ〜」


 ライは目を見開く。敵意がないとはいえ、触れた相手に反撃するようプログラムされたライが反応できなかった。身のこなしで凡そ判別はついていたが、この少女が相当な手練であることはまず間違いない。


 反撃するべきか。ライは一瞬そう考えたが、無意味であることをすぐに悟った。それに、この少女が言うことは最もだとも思ったので、素直に従うことにした。


「……ありがとうございます」


「ふむふむ、よろしい! お姉さんは素直な子は好きだぞー」


 ネリネは満足そうに頷いてライから手を離した。頬に痛みは感じられない。戯れだったのだろう。


「まあ、こんなところで駄弁っててもなんだし、表に行こうか。ライは一人なんでしょ?」


「いえ、連れがいます」


「そうなの? その人はどこに居るの?」


 ライはちらりと目線を表通りへと向ける。一瞬だけエルシオの顔が見えたが、すぐに気配がなくなった。状況をみて、姿を隠すことにしたようだ。ネリネの正体を探れということだろう。


「実は迷ってしまったんです。探しているときにさっきの連中に捕まってしまいました」


「そうなんだ。なら、探すの手伝ってあげるよ」


「有り難い提案ですが、そこまでしていただくのは申し訳ありません」


 自分にとって利のある提案を受けたときは、一度遠慮の言葉を述べた方が相手の印象はよくなる。レグルスから教わったことを、ライは実行した。


 ネリネは何故か瞬きを繰り返し、穏やかな笑みを浮かべた。よく笑う人だとライは思った。


「遠慮するなよ〜。さっきも言ったけど同郷の好だ。どうせ暇だし手伝わせてよ」


「かしこまりました」


「なんか硬いなあ。ねえ、敬語やめてタメ口で話してよ」


 タメ口とは、レグルスが教えてくれた敬語ではない話し方だ。人間には一定数敬語を嫌うものがいることを把握してはいたが、未だになぜタメ口というものを好んで要求してくるのかは理解できない。


「わかった。これでいいか?」


「お、いい感じだね。……ところで、ライの知り合いとはどの辺りで逸れたの?」


「すぐそこの四番通りだ。露店で小腹を満たすものを買うと行ったっきり戻ってこなかった」


「迷子になったの連れの方なんかーい! まあ、あの辺りは迷いやすいうえに美味しいところが多いからねえ。露店の匂いに惑わされちゃったかな?」


「そんなことがあるのか?」


「私はよくあるね〜。気づいたら奥深くまで迷い込んで、食べきれないくらい串物と甘いもの握ってるときとかあるよ!」


「……」


 理解できなかった。ライにとって食事とは単なる栄養補給に過ぎない。そんなことで、そのような非合理極まりない事態に追いやられることがあるというのか。


「信じられないって顔してるなー? なら、試しに食べてみるかねライくんよ」


「急に馴れ馴れしくなったな。気のせいか?」


「気のせいじゃないよー。そんなことより、食べに行こうよ。どれだけこの辺りのグルメが美味いのかお姉さんが証明してやろう。今日は奢りだぞ〜、喜べ〜!」


「おい、まだ俺は」


 ライが言い切る前に腕を引っ張られた。またしても反撃用のプログラムが働かない。完全にネリネのペースに乗せられているが、身体は拒絶を選択しなかった。


 なぜなのか、ライにもわからない。


 しばらく手を引かれるまま歩いていると、急にネリネが立ち止まった。


「あったあった。ここはイチオシだよ!」


 ネリネが指差した先にはクッキーがずらりと並んでいる露店があって、甘やかな香りが漂っていた。店主の老紳士が、ネリネを見つけたとたん表情を和らげて声をかけてきた。


「久しぶりだね、ネリネ大尉」


「もう、おじさん大尉をつけるのはやめてよね〜。響きが可愛くないじゃん」


「ははは、あいかわらず軍人さんらしくないことを言うじゃないか。今日もクッキーを買ってくれるのかい?」


「もちもちっ! 鳥ちゃんのクッキーお願い!」


「あいよっ」


 店主は小気味よく声を発すると、鳥の形をしたクッキーを四つ紙袋の中にいれる。それをみたネリネは目を丸くした。


「えっ、おじさん私二つ分の料金しか出してないよ」


「サービスだよ。そこのアンチャンは弟さんかい? その子と食べな」


「ありがとう! ……嬉しいなあ。遠慮なくいただくね!」


 ネリネは袋を大事そうに抱えると、ライのところに戻ってきた。満面の笑みで袋を開き、クッキーを二つライに手渡す。


「はい、これ。わたしのイチオシの甘味だよ。ぶっ飛ぶくらい美味しいからビビるなよ〜」


「……」


「大丈夫だよ。怪しいものは何も入ってないって〜。ほら、食べてみせるからさ」


 ネリネはそう言って、クッキーを勢いよく頰張った。ボリボリと音を立てて食いながら、指でOKのマークを作っている。


 たしかに、毒は入ってなさそうだ。


 念のために鼻を近づけ匂いを検めると、ライはおそるおそるクッキーに齧り付いてみた。さくっとした食感。そして、口に広がる甘やかで優しい味。


「……! おいしい!」


 思わずライは声を発すると、そのまま勢いよくクッキーを食べきってしまった。もう一つのクッキーもすぐに頬張り、この世から跡形もなく消し去る。


 ネリネはぽかんと口を開け、やがて噴き出した。


「そんなに美味しかったんだね〜! あはははっ、めっちゃ必死で食べてるじゃん! ほんとにぶっ飛んでる人はじめて見たよ!」


「……飛んでない。俺は立ってる」


「そんなのわかってるから! もう、ライってば可笑しいなあ〜」


「うるさい。不快だ。なぜ俺が笑われなければならない」


「ごめんごめん。怒らないでよ〜。あー……笑っちゃったあ」


「別に怒ってなどいない」


 ライはじっとネリネを見つめ、自分のやるべきことが何なのか考えたのちに、ゆっくりと頭を下げた。


「……ありがとう。こんなにも美味しいものは初めて食べた」


「うん。お礼を言えたのは偉いぞ〜!」


 ネリネは優しく微笑むと、ライの頭に手を置いて撫でてきた。不思議だ。また、反撃ができなかった。やる意味はないと理解しているとはいえ、これほどまでに身体が動かなかったことがかつてあっただろうか?


「いやー、まさかこんなに喜んでくれるとは思ってなかったから、お姉さんは嬉しいですよ。ね、すごいでしょ。ここのクッキー屋さん」


「……そうだな」


 ライは頷きながら思う。


 ――喜ぶ?


 喜ぶとは、こういうことを言うのか? この小麦粉を固めて焼いた甘味を食べたときに感じた微かな鼓動の高鳴りと、血糖値の上昇とは無関係な血圧の変化。この生理的な現象のことか? 


 いや、違う。もっと胸の奥が軽くなったようなこの感覚――。


 ネリネがライの手をとった。


「さ、行こうかライ。君の知り合いを探しながらグルメツアーと洒落込もうじゃないか!」


 許可は出していない。


 だのに、ライは華やぐように笑うネリネを振りほどくことができなかった。


 




 

 

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