ep.002 もうどうにもならない

 

■歴 1988年 10月某日





 花の名を冠する部隊があった。


 共和国がガンマに対抗するために生み出した特殊諜報部隊。その一角にあたる暗殺に特化した小部隊。構成員の数は不明。特殊な訓練を受け、超人的な身体能力をもっていること以外、なにも情報がなかった。


 ――その花を一つ残らず手折りなさい。共和国の愚か者どもにガンマの威光を示すのです。


 夜の女王アリアから与えられた命令はそれだった。暗殺人形だったころのライには、疑問などない。ただ命じられたとおりに、求められたとおりに任務を完遂する。それだけが存在意義だったから。


「……またえらく面倒な敵を押し付けられたみたいだな」


 アリアの部屋から出てすぐに、エルシオが話しかけてきた。ライは無機質な藍色の瞳を向けると、抑揚のない声で機械的に言った。


「貴官には関係ありません、エルシオ少尉。それにどのような命令であろうとも遂行するのが暗殺人形です」


「つれないこと言うなよ。困ってるなら手伝ってやってもいいんだぜ兄弟」


 気さくな調子で肩を組んできたエルシオの腕を反射的に掴み、ライは関節を極めた。


「いでででででででっ!! やめろ、やめろ!! ほんのスキンシップで冗談だってばっ!」


「そうですか。以前も言いましたが、反射的に攻撃をするようプログラムされているので、安易に手を出してこないで下さい」


 ――今度は折りますよ。


 ぶっそうなことを言って、ライはエルシオの腕を離した。涙目になりながら肘をさするエルシオは、歯をむき出しにしてライに噛み付いた。


「オマエなあ! こっちは親切心から言ってやってんだぞ! そんなやつに技をかけるかフツー!?」


「普通とはなんですか? そんな曖昧な概念は知りません。私は暗殺人形でそれ以上でも以下でもありません。それに何度も忠告しているはずです」


「そうだけどよぉ! もう少し融通利かせたっていいだろう? 俺たちは仲間なんだから」


「仲間……ですか?」


 ライは小首を傾げながら続ける。


「たしかに、同じ部隊に所属しているので同輩というべきでしょう。協力し合う必要も時にはあるので、そういう意味では仲間という定義に疑問はありません」 


「おお、そうだそうだ。オマエも少しはわかるじゃねえか」


「ですが、仲間だから融通を利かせるという意味がよくわかりません。自分に与えられた役割に集中していれば良いのではないですか? それ以上のものが必要とも思えません」


 エルシオががっくりと肩を落とした。壁と話しているようだ、とでも言いたげな疲れた表情をしている。彼は自分に何を期待しているのだろう、とライは冷たく思った。自分は所詮人形でしかないのに。


「……たく、オマエさんはそうだよな。わかってんよ、わかってた。あー、心配した俺が馬鹿みたいでした」


「心配していたのですか? なぜ?」


 エルシオの頬がかっと赤くなる。


「う、うるさい! オマエのことなんか別に心配じゃねえよ、バーカバーカ!」


「……?」


 ぷりぷりと怒りながら去っていくエルシオの後ろ姿を見ながら、ライは眉根を吊り上げる。意味が分からなかった。やはり彼ら人間は、こころという複雑な機関をもっている分、非効率的で所作が読み辛い。 


「……」


 ライはエルシオのことなど放っておいて歩き出した。


 アリアの命令では、レグルスに会いに行けということだった。疑問を抱かないのが暗殺人形だ。命令は絶対。会いに行けといわれたら会いに行くのが当然である。


 レグルスの部屋、その扉の前に辿り着くと、ライはノックをしようとして聴いた。


「……もうどうしようも……。俺には……どうすることも……んむを放棄するわけには……」


 レグルスが中で何かを呟いている。内容はよくわからない。だが、なにかただならぬ雰囲気を感じる。


「……ゆるせ……には、逆らえない。……れは、あいつを……さないと……。でも、無理なんだ……」 


「レグルス?」


 中でガタッと音がした。


「……ライか?」


「ああ。どうした? 普段と様子が違うようだが?」


「……いや、なんでもない。気にするな。それよりお前から訪ねてくるなんて珍しいじゃないか。何か用か?」


「そうだ」


 ライは答え、口を噤んだ。アリアからはなぜか自分の命令で会いにきたことを告げてはならないと口止めされている。自分に与えられた任務の内容をただ伝えればよいと、言われただけだった。


「話がある。開けてくれ」


 しばらくして、扉が開いた。


「……よお」


 扉からのぞいたレグルスの表情はどこかやつれているように見えた。目の下には薄っすらとだが隈がある。


「寝れていないようだな。また深酒でもしたのか? 酒は睡眠効率を著しく阻害する。それによる身体機能の低下は無視できるものではない。任務の能率を考えても飲酒は控えた方がいい」


「心配してくれてありがとうよ。ちょっと腹立たしいことがあってやけ酒しただけだから気にするな」


「心配などしていない。ただ任務の能率を考えても」


「ところで要件はなんだ?」


 ライの言葉は、レグルスに黙殺される。たしかに与太話をする意味も理由もない。用件をさっさと済ませるべきだ。


「新しい任務を与えられたからその内容を伝えに来た」


「……そうか」


 それを聞いたレグルスの表情は、どこか苦々しいものに感じられた。こころという機能不全のないライには分からないが、レグルスは何かに苦しんでいて、そしてそれがこの任務内容を伝えることに関係することだけは理解できた。


「レグルスは任務の内容を知っているのか?」


「いや……知らない。ずっと部屋にいたからな」


「そうか。共和国の暗殺部隊を殲滅しろという命令をアリア様より頂いた。これから任務に向かう」


「……わざわざ伝えにきたのか、それを」


「そうだ。レグルスには知っておいてもらいたかった」


「……なぜ?」


「状況によっては、俺一人ではなくガンマ全体の導入も考えられるそうだ。念のため伝えておいた方がいいだろうと判断した」


「……」


 レグルスの瞳は、やけに冷たくて鋭いものだった。商品の真贋を値踏みするような冷徹さを感じられる、そんな眼差しにライの肩はなぜか震えた。普段のレグルスから感じられる、弾を吐き出した後の銃よりも温かい空気は死んでいるように思えた。


 この目には覚えがある。


 人を殺したあと、夜の窓に映る自分の瞳。それと似ている。


「……レグルス?」


「ああ、すまない。少し考えごとをしていたんだ。なんでもないから気にしないでくれ」


「しかし」


「悪いな、ライ。そのときが来たらちゃんと手伝うから、今は休ませてくれ。体調が優れないから、少しでもゆっくり休みたい」


「了解した」


「……じゃあな。おやすみ」


「おやすみ」


 扉がぱたんと簡素な音を立てて閉まった。訪れた静寂はどこか居心地が悪く感じられて、ライは俯いた。なぜ、立ち去らないのか。命令は遂行した。ここに残る意味はもはやないのに。自分でも、なぜ足が動かないのかわからない。


 ――俺は、何か余計なことを言ってしまったのだろうか?


 ライは思う。


 レグルスは暗殺人形の自分でもわかるくらい苦しそうに見えた。ほんの一月ほど前に頭を撫でてくれたときの柔らかい表情……。あのレグルスがいい。なぜそう思うのかわからないが、笑っていないレグルスはレグルスじゃないように思えた。


 こういうときに、どうすればいいかわからない。こころなんて無駄な代謝がないせいで、まったく考えが浮かばない。


 ライはしばらく俯いて、重い足をブリキのおもちゃのようにぎこちなく動かして、立ち去った。


 レグルスの嘆きの意味を知るのは、これよりもずっと先のことだと暗殺人形は知らない。



 

 




 

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