ダイヤモンドリリー
浜風ざくろ
ep.001 君に捧ぐ
よくも。
よくも、兄さんを――。
枯れ葉が、ライ・ミドラスの白銀の髪に落ちてきた。指でつまみとったそれは、虫食いによってボロボロで、血を流し尽くしたかのような生気のない土色をしていた。
季節の死がもたらした残骸を、ライはそっと指から離す。風にのった残骸は、道端にある花壇へと吸い込まれるように消えていった。
これから、あの残骸は大地の一部となるのだろう。季節の死による無機質なサイクルを、単なる機能だと思えなくなったのは、こころというものの有機的な反応なのだろうか。アルバが言っていた。人が季節の移ろいや夜の月に感じる特別な思いを情緒というのだと。こういう感情の働きなのかもしれない。
花壇のそばを、黒塗りの車が通り過ぎる。排気ガスの匂いが花の香りを侵した。棒切れを小銃のごとく構える子どもたちが、「敵を殲滅せよー」と無邪気な声を上げながらライのそばを通り過ぎた。横切った小物売商から、「そこの兄さん、お一つどうだい?」と声がかかる。一瞥して立ち去ると舌打ちが聞こえた。
休戦中だからこそ見られる、戦時中とは思えない呑気な空気がリンツェルンの港街を活気づかせている。日差しは仄かに温かく、海風は冷たい。季節はもうすぐ死んでゆく。その前触れを感じる時期に、ライにはいつもやることがあった。
花を、添えるのだ。
ある人のために。
「……」
ライの足が止まる。磨き上げられた軍靴が、わずかに泥をはねたのは地面が濡れていたせいだ。彼の藍色の瞳がむかった先には、花屋の看板があった。
花の香りが、鼻腔を心地よくくすぐる。花は嫌いじゃない。綺麗でいい匂いがするから。
店内に入ると、店員の女性が「いらっしゃいませ」と笑顔で挨拶してきた。ライの顔をみると、なぜか少しだけ目を見開いて固まってしまったが。花屋を訪れる軍人が、そんなに珍しいのだろうか。
こういうときは、たしか笑うといいのだったか。エルシオとアルバが、女性と仲良くなるには笑顔をふりまくことが寛容だ、と言っていた気がする。この場合、仲良くするのとは違うかもしれないが警戒を解く意味でも同じことだろう。
「こんにちは。花を見せてもらっていいですか?」
なるべく柔和さを心がけつつ破顔すると、女性は小さくため息をついた。心なしか、ライを見つめる顔が赤い。
女性から返事がない。ライは訝しがりながら声をかけた。
「……あの、どうかされましたか?」
「あっ、い、いえ! すみません! 花ですよね! どうぞどうぞ! たくさん見ていってください!」
女性は慌てた様子で手を振りながら、店の奥へと消えていった。どうやら逆に警戒されてしまったらしい。中々ままならないものだ。
ライは少しだけ気落ちしつつ、店内を眺めることにした。色とりどりの美麗な花たちが、花弁をこちらに向けて笑いかけてくれる。なんて綺麗な光景なのだろうか。どの花も瑞々しくて、輝いていて、芳しい。小さな楽園にいるようだ、と先日読んだ詩集の言い回しを思い出す。まさに、ここは小さな楽園だ。
いつか、彼女にも見せてやりたいな。美しいものをことごとくを知らない、あの娘に。
「……」
花を見つめ、しばらく物思いにふけっていると、おずおずと近づいてきた女性の店員が声をかけてきた。
「……あ、あの。お探しのものは見つかりましたか?」
「いえ。なかなか難しいですね。どの花も綺麗で悩んでしまいます」
「そうですか」
花を褒められたことが嬉しかったのだろう、女性の表情筋が幾分か柔らかくなった。
「……えっと、どのような用途で買いに来られましたか? どなたかのプレゼントでしょうか?」
「ええ……。昔……別れてしまった友人に送りたくて」
少しだけ言い淀んでしまったのは、その人物のことを友人と呼んでいいのかわからなかったからだ。思い浮かんだのは笑顔と憎悪に満ちた顔。どちらも同じ顔から刻まれたものであるはずなのに、その意味合いはまるで正反対だ。憎しみを向けてきた相手を、わだかまりが解消されることなく終わった相手を、友人と呼ぶべきなのか?
「……な、なるほど! それでしたらこちらの花はいかがでしょう? カーネーションはご友人に送るお花としては人気ですよ」
ライのためらいをみて、女性は気を遣ってくれたらしい。逡巡したところは別だったが、おそらくは故人に送るものであることに気づいてくれたのだろう。その意味では間違いではない。
「ふむ……綺麗なお花ですね。これなら彼女にも似合うでしょう」
「他にはこちらも――」
女性は、丁寧な解説を交えながら色々な花を紹介してくれた。百合、スチータス、キンセンカ……その花はどれも美しく、そして死者を偲ぶために添えられるものだからこその儚さのようなものがあった。
ライは目を細める。かつて、人ではなかった頃には味わえなかった何かを美しいと思う感情が、心臓の鼓動に溶ける感触がたしかにある。花は、やはり素敵だ。人形だった自分さえ、こころの存在を強く感じられるのだから。
ふと、ライの目に一輪の花がとまった。
「……これは?」
最初、その花を見たとき
「ああ、そのお花はダイヤモンドリリーといいます。綺麗なお花でしょう?」
「そうですね。名前のとおり輝いています」
ライはじっと見つめる。なぜか、この花から目が離せない。
「……そのお花、お気に召しましたか?」
「これは故人に送るものとしては相応しくないですか?」
せっかく気を遣ってもらっていたのに、ストレートな聴き方をしてしまった。女性は若干困り顔になったが、すぐに笑顔をつくった。
「いえ、相応しくないということはないかと。ただ、先程紹介したものに比べると一般的とは言い難いですね」
「ふむ……。花言葉はなんですか?」
「えーと、『忍耐』と『また会う日を楽しみに』です」
「……」
ライは顎に手を当てて考える。
一般的にいえば、この花よりも他の花の方が相応しいのだろう。去年はとくに花の種類まで拘らず、エルザが選んでくれたものを添えたから、悩むということはなかった。たしか、去年は百合を送ったはずだ。今年もそれでいいのかもしれないが、取り戻し始めたこころが納得してくれない。
今回は、ちゃんと自分で選びたかった。弔うという行動にしっかりと意味を持たせるなら、自分で選ばなければならないと思うから。それに罪と向き合うためにも、自分で考えるのは当然だと思えた。
ライはふと、ダイヤモンドリリーにかけられた名札に気付いた。
そこには、ダイヤモンドリリーの別名が書かれている。
――ネリネ。
「……これにします」
思わず、言葉が出ていた。
運命とは、おそらくこういうことを言うのだろう。その花の別名は、ライが弔おうとする人物とまったく同一のものだったから。
女性店員は、すぐに花を丁寧に包んでくれた。受け取ったライは、我が子を抱くように大切に抱える。
「……ありがとうございます。色々丁寧に教えてくださって」
「いえいえ、お仕事ですから! お兄さん、また何かありましたら是非寄ってくださいね!」
「ええ、また寄らせてもらいます」
ライは笑顔で言って、もう一度女性店員を赤面させると花屋を立ち去った。
日が少し傾いて、橙色に染まろうとしている。夕暮れの街はまだ賑やかで、海猫の声が海岸線から響いてくる。穏やかな波の音が寄せては返す。寄せては返す。
通り過ぎる電車を見送って、ライは歩く。
弔うべき少女の名を呟いた。
――ネリネ。
かつて、グラトニア共和国には花の名を関する暗殺部隊があった。現在ライが所属する特殊諜報部隊の一角をなしたその部隊は、ローデンハイム帝国の擁するガンマと暗殺人形に滅ぼされ、跡形もなく歴史の闇へと消え失せた。
かつてライが殲滅した部隊。その最後の生き残りが、花のごとく華麗で美しい少女……ネリネだった。
ライが摘み取った、最後の
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