あいつ絶対俺のこと好きだな

ぬるぬる

夏休みと年賀状

来年は年賀状いらないです、というのを丁寧に言い換えた文面の並ぶ紙が俺の家のポストに投函された。送り主は見知った人間だ。あ、アイツそうなんだ、とアイスキャンディーを食べながらその文字列をじっと眺めていると、キッチンの方から母親の声がした。あんた、暇なら買い出し行ってきてよ。ずっとゴロゴロしてないで。典型的な夏休みの母親のセリフだ。しかし俺も扶養の身、逆らうこともできないので、すごすごと財布を受け取り立ち上がった。


夏の日差しはすべての気力を奪う魔物だ。家から一歩出ただけで全身の皮膚が限界を訴える。サンダルが地面を一、二度擦っただけで汗が噴き出し、手の中の革財布もどんどん熱を持っていった。

家から一番近いスーパーの看板が見えた頃にはTシャツも汗でじっとりと肌に貼り付いていた。気持ちが悪いな、と思いながら手で顔を扇ぐ。ようやく入り口前にたどり着いたとき、自動ドアの向こうに見知った顔が見えた。俯きながらドアを作動させた男に声をかける。

「鈴木」

名前を呼ばれた相手はバッ!と不必要な勢いで顔を上げ、そのあと数歩ほど後ずさった。上擦った声が「佐藤」とか細く俺を呼ぶ。ここで話すのも通行の邪魔なので、小さく手招きして入口の横に鈴木を誘い出した。夏休みらしく何人かの子供が笑いながら脇をすり抜けていく。

「買い出し?」

「あ、うん、そう。佐藤も?」

「うん」

鈴木は両手にそれなりの量の食料品が入った袋を提げていた。ネギが存在を主張するかのように大きくはみ出していて笑える。鈴木の額と首にかすかな汗が光っていた。

「やっぱり夏休み中の男子高校生っていうのはどの家庭も人権が剥奪されてるんだな」

「はは、確かに。俺も厄介払いの末のこれだし」

どうせ家にいても妹に邪魔って言われるからいいんだ、と鈴木は笑った。鈴木はあまり歯を見せて笑わない。頬を少しだけ緩めて、恥ずかしがっているような笑い方をする。家でもこうやって笑うんだろうか。

「喪中ハガキ届いた?」

「……あ、届いた」

「親戚の人が亡くなっちゃって。あんまり会ったことはないんだけど」

「そうか」

「だから今年は……」

鈴木の眉が下がる。形のいい唇が年賀状という単語を音に変換して、しかしその続きはなかなか言葉にならなかった。近所の公園の木で蝉が声を張り上げて鳴いている。真正面から眺める鈴木の茶色がかった瞳は揺れていた。

「わかってるよ、送らない」

なぜかまごついている鈴木に先回りしそう言ってやったが、その目は今まで以上に揺れた。眉も下がったままだ。しかし鈴木はまた控えめに口元をゆがめて、「うん」と呟く。

「ごめんな」

謝るほどのことではないと思う。今時あけましておめでとうなんてみんなメールか何かで済ませているし、なんとなく毎年続けていたってだけのものだったんだし。きょうび、小学生でも年賀状なんて楽しみにしない。空にはかすかに橙が混じって、それは鈴木の頬に色を付けていた。照れているように見える。いや、照れているんだろうな、実際。おまえ喪中ハガキわざわざうちのポストに入れに来ただろう。なんでもないようなフリをしてるが、あれ切手が貼られてなかったよ。いつもおまえは詰めが甘い。

鈴木は俺のことが好きなんだと思う。思うと言いつつ実際は断定形でいいくらいだ。授業中にいつも斜め前の俺を見ている。たまたま手が触れたとき今みたいな顔をした。メールの返事がいつも遅い。俺と一緒にいるとき、いっとう目が輝く。状況証拠だけなら腐るほどあった。どうせ家まで来たなら勇気を出してチャイムを鳴らせばよかったのに。チャイムの前で震える指先を想像すると少し面白い。

「じゃあまた休み明けにな」

そう言ったら鈴木はまた恥ずかしそうに、それと少し寂しそうに笑顔を見せた。軽く手を振ってからその顔に踵を返してスーパーの中に進む。鈴木は休みのあいだ俺のことを思い出すだろうか。たぶん思い出すのだろうな。俺は果たして、鈴木のことを思い出すのだろうか。……ああネギが安い。だから買っていったのか、鈴木。

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