02-02
一週間前。
郊外にある集合住宅から『異臭がする』という通報が、付近の警察署に二件寄せられた。
通報者と管理会社および警官数人で周辺居住者の家を廻ったところ、原因は通報者達の住む集合住宅五階の五〇六号室と推定。
部屋からの応答はなし。
警察が管理者に許可を得て突入したところ、居間で男女二名が心肺停止状態で倒れているのを発見、直後に死亡を確認。
被害者は以下二名。
一人目:
三十四歳、仕事は医療事務系。
遺体は後頭部に打痕あり、これが致命傷とみられる。
なお、居間のダッシュボードの角部分に、傷と一致する血痕と凹みを確認。
二人目:
三十六歳、無職。
なお、二人は内縁関係で、
額利の遺体は同じく後頭部に打痕、これは香月よりも強い力で殴られており、致命傷に相当。同じようにダッシュボードの角により大きな凹みが存在していたが、血痕が多く付着していたため、死後に押し当てるなどされたのではないかという見方が強い。
遺体は腐敗が始まっており、死後四日は経過していると推定。
当初、部屋に充満していた二酸化炭素の濃度から、夫婦が練炭自殺を図ったものと見られていたが、夫の死亡状況の不自然さから、事件が発覚したその日の夜には既に他殺の線に切り替えて捜査している。
†
「――ちなみにその集合住宅、幽霊マンションって言われてるんですよ」
――連行される犯人の気持ち体験アトラクションで最も手軽なのは、パトカーに乗せて貰う事である。
後部座席ならなお良し。
フード付きのジャンパーがあれば傾斜配点あり。
探偵はそんな下らない事を考えながら、クリアファイルに挟まれた簡易資料に目を通していた。
探偵は自動車運転免許こそ持っているが、自家用車は持っていない。そのため、このような『緊急を要する移動』には警察車両を用いることが多い。
この超法規的車両の前では、殆どの車が徐行運転を始める上にあおり運転は一切無いという、
「へぇ」
運転手である福島の後頭部に、気のない返事が飛んでくる。資料に集中しているのか生返事なのか、声色では判別できなかった。
「オカルトは興味無いって感じですか」
「築半世紀行くか行かないかのマンションなら、まさに住人十色でしょうよ。その
「失礼しました。外では気をつけます」
――僕には? と言いたげな目で、探偵は一瞬資料から顔を上げた。
ヘッドレストの隙間から見える福島の刈り上げられた襟足は、運転中も微動だにしていない。
「ちなみに福島くん、今からそこに寄りたいって言ったら許可出る?」
一瞬の間があり、福島が応える。
「もう解決出来そうなんですか?」
探偵はすぐに返事をせず、なるたけ悪意を込めて嘆息した。
「あんねえ福島君。僕をおだてるのはいいとして、その
「でも、探偵さんの腕は日本一か二ぐらいはあるのは本当だと思ってます」
「君が僕に媚びたところで、僕はキミんとこの上長には
「そうでしたか。部長はこれで三日は上機嫌なんですが」
安いなぁ、とは流石に探偵も言わなかった。
上客に失礼があってはならないのである。
「事件現場に入りたいんですか」
「んにゃ、外観だけかな。この空き室状況と事件現場の位置関係をね」
†
事件現場となった
方角の関係でそうなったのであろうが、道路側にベランダが面しているタイプの造りになっているため、こうして外から部屋の状況が見えてしまう。
コンプライアンス的にも、防犯的にもあまりよろしくない物件である。
「結構空き家が多いよなぁ」
「そうですね。専ら利用者は大学生で、それも五年以内にほぼ出払ってしまいますし。あとはあまり世帯収入の多くない家族が数世帯……といった状況がここ二十年ぐらい続いているようです」
「防犯カメラは?」
「あそこにあります」
そう言って福島が指さしたのは、マンション敷地内に入る前にある、二メートルほどの高さの塀だった。
探偵が目をこらすと、その上部に斜めに通行者を見下ろす形で、カメラらしきものが塗り固められている。カメラの線は塀を伝ってマンションの方へと伸びていた。
「入り口はここだけ?」
「裏口もありますけど、封鎖されています。扉と鍵の錆び具合から、ここ数ヶ月の間に誰かが裏口を利用した形跡は無いそうです。一応そっちにもカメラはありますけど、そもそも通る人が居なければ、意味が無いですね」
敷地内からマンションにたどり着くまでに、雨ざらしの駐車場と、さび付いたトタン屋根が特徴の駐輪場を通ることになる。駐車場は二十台分ほど停められるように白線が引いてあったが、今は五台しか埋まっていない。平日の昼過ぎであることを差し引いてもうら寂しい、と探偵は思った。
「で、現場はあそこか」
「はい。五階の角部屋です」
マンションは七階建てで、各階に五戸の部屋がある。時代を反映してか、部屋番号に四号室は存在しない。また、法律の関係か、六階と七階の部屋は四戸のみである。
非常階段は各階の両端――つまり一号室側のと五、六号室の間に存在する。
エレベータは一基のみで、三、五号室の間にある。
「この記号の意味は?」
「居住者のアリバイの有無をざっくりと。×は空き部屋、○はアリバイあり、△はアリバイなしです」
はーなるほど、と探偵は警察側の主張を読み取る。
「事件現場の真下の部屋の人がアリバイなしなら、怪しいと思わざるを得ないわけね、キミたちは」
「同じ状況なら誰だってそうするでしょう」
探偵はフカシてみただけだったので、黙って考え込むフリをして有耶無耶にした。
「で、その人のアリバイが成立しかけているせいで話がこんがらがってきたというワケだ。しかもホシ狙い以外の人たちはみんな警戒してなかったから、証拠隠滅されちゃってたとしてもヤムナシと」
「仰るとおりで。探偵さんはまるでエスパーですね」
あんたらの状況はいつもそうだろうが、とは流石に探偵も言わなかった。
探偵の名は、だれも知らない - never remind, my name. 汐見圭/叶下欧貨 @unsung28
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