totsu totsu totsu‥僕は生きて歩む

@tnozu

本文

僕は生きて、死んでいた。

高校卒業後の進路を巡っての親とのいさかい、友情の亀裂、失恋・・

色々ありすぎた。


僕はいわば川べりのくぼみに漂う泡のように、日々の片隅で、ただくるくると回っていた。


‥なぜ生きるのか‥

淀みに漂う自分への 答えのない問いが、更なる淀みへと僕を連れ込んでいた。




そんな僕が流れに乗った。


九月下旬のその土曜日、残暑に蒸す夕暮れだった。

ベッドの上で寝返った時、本棚から一冊の本が落ちてきた。

‥今は天国にいるジイちゃんがくれた登山ガイド‥


と、手に取って たまたま開かれたページに目がとまった。ごく平凡な山頂の写真に、何かを見たような気がしたのだ。


僕はそのまま駆り立てられるように家を出た。バスと電車を乗り継ぎし、小田急線 新宿発 最終便に乗り込んだ。

揺れる車内で、登山ガイドに記された登山道を見つめていた僕の耳に、下車駅のアナウンスが流れた。


----「次は・・渋沢 渋沢」----


・・


totsu  totsu  totsu


僕は夜の道を歩いていた。


渋沢駅を出て半時間はたっただろう。


・・/ ‥‥ /・・


一つの気配に振り返った。


誰もいなかった。

ただ光が、細い骨のような電柱の上で揺れていた。

色をなくしたおぼろな冷たさが、そこに眠っていた。


前に向き直った。

誰も待たない光が並び、闇に飲まれて消えていた。


totsu  totsu  totsu


めしいの獣のような しなやかさを欠いた歩みの連続・・連続・・ 


突然、白い炎がなぎはらわれた。

車のヘッドライト。

慣れる間もなく、赤いテールランプとにじみあい、排気ガスの臭いを道に残した。


totsu  totsu  totsu


朽ちた草の香りが、喉の奥をいている。

胸の鼓動がシャツの布地と打ち合い、意味知れぬ韻を踏んでいる。


僕は歩き続けた。

近づく光 遠ざかる光、どちらも胸の奥の灯心に炎をつけることはなかった。

地上の埃のような星々が、暗い空の平面にへばりついていた。


totsu  totsu  totsu


もはや周囲に光はなかった。

闇が沈黙のざわめきとともに 漆黒のヴェールを広げていた。


足下に小石が転がった。

ねばつく蜘蛛の糸が顔を引き、細枝が前をまさぐる両手に噛みついた。

僕は郊外を過ぎ、山塊の伸ばす舌に乗っていた。


引き返す選択肢はなかった。

僕はキーホルダーのLEDを財布から外し、ベルト通しにぶら下げた。一、二歩先の山道が心もとなく白く浮き上がった。


totsu  totsu  totsu  


冷気が荒く喉をいでいる。

胸の奥、鼓動に包まれた灯心に、炎が立った。


・・//


闇に何かが切りこんだ。

鋭い鳴き声が左に流れた。


鹿だった


totsu totsu totsu


・・//


わかっている。

後ろに何かが近づいていた。


足音を立てず、息も殺している。

実体を持たぬ闇の影・・

そんな感じだった。


僕はとまった。

それもとまった。


totsu  totsu  totsu


・・// ・・//


僕は歩き始めた。

それも進み始めた。



胸の内の炎が叫んだ。

ー後ろを見よ。近づくものの息を感じよ!ー


瞳が叫んだ。

ー振り返るな。ないものに命を吹き込むなー


totsu  totsu  totsu


・・// ・・//


「闇の胎内はらに 出口はないのか」


「導きの光は 我が求めに気づいていないのか」


「時の振り子に 安堵の鐘はないのか」


意味の世界を求める叫びが、虚空の迷宮を彷徨さまよった。


totsu totsu totsu


・・// ・・//


炎を燃え立てて打ち続ける鼓動 

ふいごのように冷気を吸排する肺

身体は機械仕掛けとなっていた。


鼓動と肺の二つの脈動

それだけが、僕の存在を証していた。


totsu  totsu  totsu


・・// ・・//



totsu  totsu  totsu  totsu・・・ 


紺色の広がりが目の前にあった。

沈黙のざわめきが、下方で波を打っている。

迷宮に彷徨う 意味の世界を求める叫びが遠のいていく。


totsu  totsu


そこは丹沢にある塔ノ岳という山の頂上だった。



四・・


三・・


二・・ 

        

一・・


徐々に等級が減じ、星々が消えていく。


腰かけた冷たい大岩の上で、僕は長い息を吐いた。



・・


瞳の端に何かが映った。


斜面を登り来るもの

闇の影・・


それが音もなく近づいてきた。


・・//


・・// ・・//


・・// ・・// ・・//


喉を研ぐ冷気が凍てつき、胸の内の灯心の炎が消えた。



・・// ・・// ・・// ・・//



気づくと、目の前に少年が立っていた。


「・・ ・・」 

僕の手は、無意識の内に彼にさしだされていた。


『来たんだね』

舌の筋肉のかすかな痕跡が、僕が話したことを蘇らせた。


「やっと・・やっと追いついたよ」

少年は言った。


少年・・

幼年期の天真爛漫さが許されなくなった頃、遠く後ろに置き去りにした僕自身だった。


これまで、

彼が突きつけるだろう無垢な視線が怖くて、振り返って顔を見ることができなかった。


「ほら」

紺色の暗がりで無邪気に笑う少年が、僕の手を握った。

花びらに似て柔らかく、懐かしい手だった。


僕が手を開くと、ぐっと重みのかかる何かを入れて、両手でおおった。

「渡したよ」

うなずいた彼は、抱きつくように僕に重なって消えた。


・・//


背後にまた一つ、歩みがあった。

振り返ると、老人が立っていた。


「いつからそこに」

「今、そして、ずっと以前から」


しゃがれたその声は、幼い頃に耳の奥のひだに刻まれて以来、いつも傍らにあった声だった。

僕が小学二年の時に亡くなった祖父…、顔はよく覚えていないが、その声に違いなかった。

少年の顔を見られなかったのと同じく、これまでその声に耳を傾けることはできなかった。



「よい頃合いだ。種をけ」

僕の胸に手を当てた老人が言葉を投げた。


その声は僕を包み、身体の内に溶けていった。


手の中で、少年から渡された物が光り始めていた。

それは硬い殻におおわれた大きな種だった。


『よいのか。架空でありながらも、生きる道の示されている楽園に住まう者でなくなっても・・』


『よいのか。可能性に満ちながらも、決して掴んだり、留まることのできないまことの世界に 自分という存在を託しても・・』 



否・・


否・・



良し!!! 疑念の囁きを打ち払い、僕は渾身の力を込め、種を宙に押し上げた。



向かいの山の稜線に赤いにじみが生まれていた。

陽が昇りはじめた。

大地に朱色の光の波が染みていく。


宙に放たれた種が、風を切って躍り上がった。

落下の弧を描いた時、それは黄金の光を四方に放射した。種はその内に宿したものを解き放ったのだ。


カツッ


わかっている。すでに老人は消えていた。

老人の立っていた所に落下した黒い種が 二つに割れていた。


ああ・・


それは見覚えのある種だった。


無垢な幼年時代に、僕が作った物。

「これ、お星さまの種だよ」と、庭の花壇の丸石を引き抜いては、マジックペンで色を塗り、山好きの祖父にあげていたものの一つ。


祖父は、蒔くべく時を待つ種として、ここにその一つを置いてくれていたのだ。



澄んだ冷気が、痛いほどに喉に流れ込んできていた。

胸の内の灯心に再び炎が立ち、流れ込んだ空気の中で激しく燃え始めている。


「だれでも…、いや、なんでもいい。・・会いたい!」



totsu・・


totsu・・


totsu・・                       


totsu・・

totsu ・・ 

totsu ・・


僕は山を駆け下りた。


totsu  totsu  totsu




街は目覚めていた。


家々の壁は白く輝き、軒先の花が鮮やかに揺れている。


白 灰 黒 銀・・多色の織り込みの造形物・・アスファルトの道はいったい幾つの色を持つのか。


人々は闊歩し、車はエンジンを唸らせている 


街は色に、音に満ちていた。

あの種が放った輝きを、それぞれに宿していた。


昨日まではなく、ずっと以前からあった街でもあった。



totsu  totsu  totsu


僕は前に進んだ。


『またいつか、いずこの山の頂きで』

どこからか声が聞こえた。



totsu  totsu  totsu


改札を抜け、僕は家路への列車に飛び乗った。




ふた月が過ぎた。


親との諍いは相変わらず続いている。


高三の冬だというのに、受験準備をするわけでもなく、就職の予定があるわけでもない。

それにファーストフード店でバイトを始めるなど・・親から見れば、正気の沙汰ではないらしい。

それでも、履歴書に同意の印鑑を押してくれた所をみると、親なりに諦めがあったのかもしれない。


バイトを始めた理由はよくわからない。たぶん、あの深夜の登山で、胸の奥にあった黒いヴェールのようなものが払われたのだと思う。


夕方、自転車を飛ばして商店街にある店に行く。制服に着替えて、客と向き合うカウンターへ・・注文受けにレジ打ち、品出し・・クラクラする間もないほどに忙しい。


なぜか、別れた彼女が 予備校の帰りに店に寄ってくれるようになった。が、話をする暇もなく、その真意は分からない。




僕は知っている。


一度、輝きの種をまいた者は、もはや虚ろという甘美な淀みの淵に留まることはできないということを・・。



                                              了

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