第31話 少年期の終わり

 レオンハルトは朝陽が昇る前に目を覚ました。昨日の大立ち回りで疲労困憊ひろうこんぱいだったので全員で朝寝坊ということも考えていたが、むしろ神経がたかぶっていたのだろうか。同じ家に割り当てられたのはレオンハルトが責任者という事でギルベルト司祭と神官が全員、それから神殿騎士団のミュセルだった。レオンハルトが身を起こすと、その物音で気付いたのかミュセルも目を醒ました。


「起こしてしまいましたか?」

「いや、大丈夫。昨日の今日で疲労困憊だと思っていたが、意外と習慣通りに起きられるものだな」

「ミュセル卿とは結局剣を交えることは有りませんでしたが、ご気分など如何ですか?」

「問題無い」

「私は他の皆様の様子を確認するために村を巡回したいのですが、この場をお任せしてもよろしいですか?他の方はともかく、ギルベルト司祭は未だ王宮への服属以外の道を考えているかもしれませんので…」

「良かろう、引き受けた」


 レオンハルトやルーチェが恐れているのは王宮調査隊という詐術さじゅつが明らかになった時の激発であって、現在の状況で神殿騎士団が脱走するなどという可能性は考えていない。この場をミュセルに委ねてレオンハルトは外に出た。

 まだ陽は地平線の下にあるにもかかわらず、村はもう動き出しているようだ。異分子であるレオンハルトに興味を示す村人も居たが、レオンハルトが軽く手を振ると大袈裟に頭を下げてくる。

ミュセルには他の様子を見ると言い置いたがレオンハルトが話し合いたい相手は他にいる。だがその相手は女所帯の家へと招かれており、流石にこんな朝早くから訪ねるというのは無作法に当たるだろう。さてどうしたものかと思案していると、見慣れた明るい金髪を短く切り揃えた少女がこちらに駆けてくる。


「おはよう、レオンハルト」

「ああ、おはようルーチェ。早いんだな」

「枕が合わなかったのかな。何となく目がめちゃって。レオンハルトはどうしたの?」

「似たようなものだ。一晩経って体調を崩した騎士がいないか見て回るつもりだったのだけど、ルーチェとも話をしたい事が有るんだ。今良いかな?」

「良いけどどうしたの?あたし達はこのまま、アレンが王宮からハインリヒ様たちを連れて来るのを待つんでしょ?」

「そうじゃない!」


 ルーチェがレオンハルトが話したい事とは何かに気付いて、わざと話題をらしているように感じて思わず大声を上げてしまう。突然の見習い騎士の様子の変貌に目をぱちくりさせている少女の様子に、自分の考え過ぎであることに気付いてレオンハルトはひとまず深呼吸して心を落ち着かせる。


「すまない、大きな声を出して。でも判っているんだろう?話したいのは昨日洞窟でギルベルト司祭と話していた事…」

「この島に未来が無いって話?」

「ああ、とても信じられないよ。もうこの島の歴史は500年も続いて来たのに…」

「少しずつ林を切り開いて農地を増やして、たった一つしかない鉱脈を掘り進めながらね」

「それは…この島が発展しているという事だろう?」


 レオンハルトもルーチェの理論の行き着く先は昨日のギルベルトとのやり取りで知っていたが、どうしてもその暗い未来を否定したくて反論してしまう。しかしルーチェはレオンハルトの逃避を許さない。改めて自分が出した結論を突き付けてくる。


「でもこの島は無限に広がってはいないもの。人が増えても使える土地が増える訳じゃない。つい昨日叛乱はんらんなんてものが起きかけたけど、この島はずっと平和だった。でもそれは貧しくてもちゃんと食べられるだけのご飯が島に行き渡っていたからよ。いつか食料の奪い合いで争いが起きるし、争っている間に実りの季節が過ぎて次の年はもっと足りなくなる。そうやって今度はどんどん島がすたれていくのよ」

「じゃあどうすれば良い?子供を産むなと皆に言うのか?」

「しっかりしてよ。昨日も言ったじゃない。この島は無限じゃないけど、もっと広い土地がある事をあたし達は知ってるじゃない」

「大陸…でもそんな伝説のような話でどうなるっていうんだ?」


 確かにこの島の外にも世界はある。最初はそこから来たのだと、島民の誰もが御伽噺のように聞かされて育ってきた。だが大船団を組んで苦難の航海をして、たった一隻がこの島に何とか辿り着いたのだと歴史は告げる。それは無数の犠牲によって切り開かれた、そして失われた航路なのだ。


「でもこの島に最初に来た人たちはそこから戦争で負けて命からがら辿り着いた。ずっと南にある、という事しか判らない確かに有るのよ。そしてすぐに見つけなければいけない訳でもない」

「え?」

「この島の未来が閉ざされてるって言っても、直ぐにみんなが滅びる訳じゃないのよ。今から何十年も、ひょっとしたら何百年もかけて、ゆっくり海を調べていけばいつかは辿り着く。きっと荒波に揉まれるでしょう。何日も真水が飲めない日々が続くでしょう。だから鋼鉄で船を作るの。大きな船を作るの。それを動かすために重力水の力を使って、簡単に船を行き来させるのよ」


 話している内に太陽が地平線から顔をのぞかせたようで、王都の方角に明るい光が射している。その細い光に照らされた少女の髪の毛は黄金に輝いて、彼女が天から託宣を受けた神聖な少女のようにレオンハルトは錯覚する。もちろん錯覚だ。彼女の言葉に深い確信が込められているのは、神憑りなどではなく彼女自身が何度も自問自答した成果だ。そのルーチェは南を向いて、ひょっとしたらいつか自分で越えるかもしれない海を見据えてもうレオンハルトの方を振り向きもしない。

 ルーチェはいつか行くのだ。何十年も時間をかけて準備する気など無い。今回発見された重力水をこれは自分が使うのだと言い張って、鋼鉄船の建造に携わり、真っ先に漕ぎ出すつもりだ。そこにレオンハルトは居ない。ルーチェにとって、今何とかなればそれで良いと考えているレオンハルトなど必要ない。


「私も乗れるのかな」

「え?」


 それが寂しくてふと口に出して問いかけると、思いがけないことを聞いた、とルーチェが振り返る。


「君の造る船に、私も乗れるのかな?」

「レオンハルトは…この島の政に携わりたいんじゃ無かったの?」

「勿論そのつもりだけど、いつか訪れる破滅を防ぐというのも同じくらい大切な事だよ。それに君には私の力が必要になる筈だ。ルーチェ、君は重力水を独り占めできるのかい?この沢山の重力水を島の未来の為に使うのだ、と司祭のように誰かが言った時、それを押し退けて全部を使えるかい?」

「それは…何とかするよ」

「どうやって?でもこれから私は正式に騎士になる。叛乱はんらんを未然に防いだ功労者としてカシウス家は王宮で一目置かれる存在になる。沢山の鉄と全部ではないにしろ重力水の多くと、ひょっとしたらこれからまた洞窟探検の隊長になって新しい重力水を手に入れて」


 ルーチェの思案に足りない物がどんどん口からあふれ出てくる。騎士のレオンハルトならば平民のルーチェでは考えても皆を説得できないような事を、時には強引に推し進める事ができる。


「だから私も船に乗せてほしい。君が夢見る広い大陸に私も連れて行ってくれ。そのどこまでも続く大地をチュルクにまたがって走ってみたい」


 それはきっと少年の夢。レオンハルトはこれから大人になり、反対する者をデュラディウスでなく言葉の刃で退けてルーチェの望む物を手に入れ、ルーチェが望む形で人々に夢を見せ、そしてきっとルーチェの代わりに皆の先頭に立って民を導いていく。

 いつか来た道を振り返った時、こんな事をすべきだったのかと後悔もするだろう。憧れた大地は不毛の荒野かもしれない。そもそも荒波を越える事はレオンハルトには適わないのかもしれない。それでも今、少年の日の終わりに夢を見る。王宮で、この島で、そして大海原で冒険を続けるのだ、と。

 レオンハルトの決意がルーチェに伝わったのかはわからない。ただ彼女は曲線的な答えでレオンハルトの依頼を了承した。


「じゃあ、きっと船にはレオンハルトって名前を付けるよ」

「それは恥ずかしい。カシウス号、くらいにならないか」


 一番の功労者に名誉で報いるという約束。


「これからどうするの?」


 これから、の範囲がわからなくて取り敢えずの予定を答える。


「今から騎士が割り当てられた家を回って、体調を崩した者がいないか確認して回るつもりだ。その後は村の要求に応じて力仕事でもしようと思っている。ルーチェ、君もたまには家事手伝いでもするといい」

「家事…鍛冶なら得意なんだけど、何年ぶりだろう?」

「きっと普段やらない事は良い経験になる。この十日ほど、私はだいぶ良い経験を積んだ」

「何を大人ぶっているんだか」


 アレンが居ない今は久しぶりに従者もディルも交えず会話するので、騎士と平民の少女ではなく、幼馴染の男女として軽口を叩き合う。


「じゃあ、また後でね。苦しんでる騎士が居たら知らせてよ。私が処置できるかもしれないから」

「ありがとう。それじゃあ私はこちらに行くよ」


 最後に少しだけ顔を見合わせて、ばらばらの方向へ。少年騎士はほかの騎士の下へ、少女は元来た家の方へ。少しずつ異なった目的を持って、でも共に夢の道行きをふさぐ壁に立ち向かう事を信じて歩いていく。ほんの少しだけ明るさを増した太陽が幼い勇者たちを祝福するように、二人の行く手を照らしていた。

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アイク島冒険記 嶺月 @reigetsu_nobel

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