第65話 研究殻



 内匠櫂たくみ かい。12歳。

 32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。

 “大回廊”を抜けてランスカーク地方に降り立った櫂とベルタは、互いの目的が収束する場所へと向かう。


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 四方を険しい山脈に囲まれた陸の孤島、ランスカーク地方。

 そこは統一王朝時代にこの地を支配していた豪族の名を踏襲した、銀鷲帝国西部の辺境である。

 四方を山に囲まれているとは言え、ランスカーク地方の大半は緩やかな傾斜の丘陵と平地が半分以上を占め、山から湧き出た清水が幾つもの川となって、ランスカークの地に住む生き物たちののどを潤していた。

 冬ともなれば山々から吹き下ろす風は肌を切るほど冷たいが、夏から秋にかけてはその山々が海上で発生する大風や嵐の雲―要するに台風だ―を阻んでくれるため、ランスカークは農業が盛んな地でもある。

 特にその寒暖差が育む芳醇な果実は酒の原料だけでなく、乾燥させて茶の香り付けに活用されるなど近年になって需要が増していた。


 櫂はそんな果実を目いっぱい積んだ馬車の一角で、甘酸っぱい香りと吹き付ける風の心地良さに目を細める。その端正な横顔に見惚れているのは自称錬金術のベルタで、二人がランスカーク地方に足を踏み入れてから既に二日が経過していた。


「嬢ちゃんたち、あと少しでトッカの丘に着くぞぉ」


 馭者ぎょしゃの老人が掠れた声で知らせると、二人は「はぁい」と気の抜けた声で応じる。

 老人はランスカーク地方中北部に住む農民で、この時期は乾燥させた果実を近くの町に出荷し、生活に必要なものを買い込んでから帰ると言う生活を送っていた。

 この日、老人は出荷の途中で二人の少女を拾い、道中にある丘陵まで馬車に乗せて行くと約束していた。ちなみにその約束に際して櫂は自らの契約神能けいやくしんのう――幻惑の瞳を一切使用していない。

 これはひとえに老人の厚意から来るものであった。


「ベルタさん、確かその丘を西に進めば、目的地にたどり着くのでしたね?」


「はい~その通りです~。トッカの丘は三本の街道が交差する場所でして、西の街道のその先にご先祖様の工房があります~」


 ロールプレイングゲームのNPCのように説明的な回答を受けて、櫂は馬車が向かう先へと視線を向ける。

 二人が乗せてもらった馬車は街道を北西に進んでおり、その先には緩やかな丘陵以外に何もない。その上で長閑のどかな田園風景を眺めていると櫂はそれだけで眠くなってきてしまう。

 欠伸あくびを噛み殺しながら櫂はこれまでの道のりを思い返していた。

 大回廊を抜けて最初の宿場町で一泊した後、櫂とベルタはそのままランスカーク地方西部へと歩を進めた。時には馬車で時には徒歩で街道を移動し、二日目の今日になって遂に目的地の――その一歩手前まで辿り着いたのである。


「気を付けてなぁ~」


 何事もなくトッカの丘の頂上——三つの街道が文字通り交差する地点で櫂とベルタは馬車を降り、気の良い老人に見送られながら西へと延びる街道を歩いていく。

 丘を下り、街道に沿って平原を横切ると、櫂の目に見覚えのある風景が飛び込んで来た。


「――まさか、ここは」


 沸き起こる驚きと感慨に言葉を失う櫂。

 街道の先に見えたのは小さな集落だった。幾つかの畑と倉庫を囲むようにしてぽつぽつと点在する住居。そこはこの世界に転生した櫂が、名も知らぬ集落であった。


「ベルタさん、ここで少し休んでいきましょう。私は――ここを知っています」


「!? で、では~この集落が以前に櫂殿が仰っていた」


「はい、私にとっては“はじまりの地”です」


 既に事情を聞かされていたベルタは櫂の言葉に頷き、二人は集落に点在する住居へと足を進めた。しかしそのほとんどは空き家だった。


「……ええ、私たちは二つ向こうの村から移住してきたの。ここはお爺さんの生まれ故郷だし、放っておいて野党の根城にされても困るしね」


 五件目でようやく出会えたのは、つい最近この集落に移住してきたと言う住民の一人で、体格の良い中年の婦人であった。

 何でもこの集落は半年ほど前に野良のオークによって住民が皆殺しにされた後、その親族を中心に数世帯が近隣から移り住んで来たらしい。

 ベルタにとっては初耳であったが、櫂は既にその事を知っていた。何故なら住民を皆殺しにしたオークを葬ったのが他ならぬ自分であったが為に。


「それで貴女たちは何処から……まぁ今から社の丘に? え、えぇ…陽が落ちる前には戻って来られる距離だろうけど気を付けて行くのよ? 何かあればまたいらっしゃい」


「はい、ご心配ありがとうございます。それでは」


 心配する婦人に笑顔で手を振り、櫂とベルタはその足で北へと向かう。

 集落の北から伸びる一本の畦道あぜみち。その道に沿って草原を抜けた先には、木々に覆われた丘陵が存在する。それこそがベルタが目指すべき「工房」の在り処であった。


「――意外と覚えているものですね。確かこの場所で私はオークと対峙しました」


「話には聞いていましたが~よくぞご無事で~。オークに一人で立ち向かうなんて~それこそ英雄譚の中の話です~」


 ベルタは既に櫂の持つ超能スキルや、それを使って無数の戦乙女を率いる第三の勇者と戦う姿を実際に目にしていたが、それでもオークという怪物を一人で倒した事には驚きを禁じ得なかったらしい。

 実際は一頭どころかエルナやミカゲと共にオークの群れを壊滅させた事もあるのだが、櫂は敢えてそれをベルタに語ろうとはしなかった。



「確か目覚めたのはこの道でした。それより以前の記憶は――思い出せませんね」


 社の山へと向かう畦道の途中で櫂は立ち止まり、そこから歩いて来た集落へと向き直る。細部は異なっていたかもしれないが、その光景は確かに見覚えがあった。


 「色々ありましたね……」


 櫂にとってはまだ新しい記憶――その日の朝、いつものように家を出た櫂は会社に向かい、昼に会社近くのラーメン屋で味付き卵をトッピングした豚骨醤油ラーメンを食べた後、そのまま営業先への外回りに向かった。

 その途中で立ち寄ったオープンテラスのカフェでコーヒーを飲んでいたら、車道を走っていたトラックがそのままこちらに突っ込んで来て――気付いたら、櫂は草原を走る畦道の上——つまりこの辺りで寝転んでいたのである。


「ふむふむ~確かにここにはなにもありませんが、櫂殿の記憶に残っているという事は~やはり櫂殿は~ご先祖様の工房と関わりがある……と考えて良いのですね~?」


 ここから目と鼻の先に存在すると言う、ベルタの先祖である錬金術師の工房。

 その近くで目を覚ました櫂が工房と無関係とは考えにくい。二人の予想通り、互いの旅の目的地は最初から同じだったようだ。


「ではでは~ここからは私が案内いたします~」


 ベルタはそう言うと櫂の前に立ち、畦道から分かれた先にある丘へと歩を進めた。

 その丘の一角、生い茂る木々の一角をくり抜くようにして建てられていたのは、無数の石柱で四角く区切られた空間と、その奥に建つ木製の社。

 櫂にとっては見知らぬ様式の建築物であったが、佇まいからそれが崇拝を示す宗教的建造物である事は一目瞭然だった。

 ベルタは社を迂回すると、その奥にひっそりと佇む石扉の前に立つ。

 崖になった岩肌の一部を切り出した石扉は、見ようによっては神殿の出入り口のようにも見えた。


「ここが~錬金術師ベルタ様の工房……のひとつです~。見ての通り扉は堅く閉まっていますが~」


 ベルタは着けていた手袋を外すと、石扉の一角、四角く区切られた場所に掌を押し付けた。

 すると四角い溝がぼんやりと光り出し、ほどなくして石扉は上方に吸い込まれるようにスライドしていく。


「おお~!」


 ゲームやアニメでは何度も目にしたが実際には一度も見た事のない光景に櫂は感激の声を挙げ、それを受けてベルタは愉快そうに口の端を持ち上げた。


「では~ご案内します~。我らが偉大なる祖、錬金術師大ベルタ様の研究殻ケミア・シェルへ~」


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 石扉をくぐり、腰に下げた小型のカンテラと先端から強い光を放つ杖に照らされた階段を下りていくと、地下とは思えないほど広い空間に出る。

 その中央に、巨大なが存在していた。地面に半分ほど埋もれている事から元は巨大な球体である事が推測できる。半球体の表面は杖が放つ光を反射して銀色に輝き、近くで眺めるとまるで鱗の様に細かい文様が規則的に刻まれているのが分かる。


「おおーーーっ! 何ですかこれは! 俄然がぜんファンタジーめいてきましたね!」


 実在はするがおおよそ非現実的な建造物を前に興奮を露わにする櫂。そのはしゃぎようを見てベルタは胸が詰まる思いだった。


(櫂殿も分かるのですね~、このワクワクするような圧倒的存在感が~)


 オタクならではの共感に胸を震わせたあと、ベルタは半球体の壁面に再び掌を押し当てる。すると鱗にも似た無数の文様が波打ち、ベルタが押し当てた掌を中心に人が楽々と出入りできるほどの穴が開く。

 どうやらそこがこの半球体の入り口らしい。ベルタは櫂を呼んでその穴から半球体の内部に足を踏み入れた。するとそれと同時に暗闇の中に無数の光球が出現し、球体の内部を一斉に照らし出す。


「…………え? これって…まさか……」


 そこはまるで櫂が知るのようだった。

 直立ではなく斜めに伸びる無数の柱に区切られたドーム状の空間。

 そこには十を超える寝台らしきものが整然と並び、何に使うのかよく分からない巨大な構造体が中央に雑然と積み重なっている。

 その空間の一角に、如何にも研究者が使用していると思わしき机と椅子が置かれていた。

 壁一面を覆い尽くす、塔のように積み上がった書物。

 いたる場所に貼られた無数の紙片と、写真と思わしき写実的な図画。

 木製の箱から溢れるガラクタの隣には、櫂も良く知るデザインの飲料水の缶が転がっている。カフェインたっぷりで確実に体に悪そうな「エナジードリンク」と呼ばれるそれだ。


「――あの、ベルタさん? ここはその……いにしえの錬金術師の工房なのですよね?」


「はい~櫂殿もお分かりになりますか~? ここが! 我らが祖! 錬金術師大ベルタ様が寝泊まりしていたと言う研究殻ケミア・シェル――の一つなのです~!」


 誇らしげに語るベルタであったが、櫂にとってここは神秘と叡智の神域ではなく、興味の対象に没頭するあまり生活と趣味の境が無くなって混沌と化したオタクの部屋にしか見えない。

 ベルタの許可を得てエナジードリンクの缶……らしきものを拾い上げた櫂が、その表面に目を凝らすと間違いなく日本語とアルファベットが交じった表記で、櫂も良く知るエナジードリンクの名前と成分表が印刷されている。

 そして缶の底には『20■■.8.28』と製造年月日らしき刻印まで記されていた。


(……私が死んだのと同じ年の日付ですね。

 この世界には“異邦人エトランゼ”と呼ばれる同郷人が、時間を超えて転移していた事は知っていますが……だとすれば、この工房の主もまた“異邦人エトランゼ”だったのでしょうか?)


 櫂がベルタにその事を尋ねると、ベルタは意外そうな顔をして首を横に振った。


「いえいえ~ご先祖様いえ大ベルタ様は~銀鷲ぎんしゅう帝国の建国後に帝都で生まれたと~幾つも記録が残されています~。ですから“異邦人エトランゼ”だったとは~聞いたことがありません~」


「そうでしたか……だとすればこのエナジードリンクの缶は一体……? ああいえ、今はそれよりも考えるべきことがありましたね!」


 ここに来た本来の目的を思い出した櫂は缶を元の位置に戻すと、視線を机の上に向ける。無数の器具と白紙の帳面、どう見ても算盤そろばんにしか見えない計算器具の下にそれはぽつんと置かれていた。


「―――――――!!!!????」


 声にならない衝撃というものが存在するとしたら、この時櫂を襲った衝撃こそがそれに相応しい。

 震える手でそれを掴み上げる櫂。それはつるりとして鏡面のように磨き上げられた板に挟まれるようにして微笑む、すみれ色の幼い美少女——のイラスト。


「ふ、ふふふふふ……」


「ふ? どうかしましたか~櫂殿~?」


 ひょこひょこと歩み寄るベルタにも気付かず、櫂は——その名を叫びあげる。




じゃないですか、これーーーーーーー!!!!!!」




 エルフリン・ゼア・カスティアード(水着)。

 風の精霊姫プリンセアにして、自分と契約した勇者プレイヤーを「お兄さま」と呼ぶ、シスコン系ロリータヒロイン。

 夏イベント限定の水着仕様でレアリティはSSR。排出率は0.25%。

 菫色の髪をリボンのように編み上げて、それ動いたら見えちゃいますね? と心配したくなるローレグビキニをまとった少女は櫂の推しであり、この世界では存在すらしないである。




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転生勇者の傾国無双?~でもこいつ、私なんですよね~ カミシロユーマ @umakamishiro

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