叱り方の多様性

 子どもの教育。叱り方。そういうものを説いた説明文やら論説文やら随筆文やらは五万とあることだろう。そのうちのいくつかは教材にも採用されているわけで、採用されていれば当然私は読むことになる。

 その中で引用されていた川柳を一つ、よく覚えている。

 ――自殺せぬ程度に叱る難しさ

 引用元を調べようと思ったら、検索サイトに私が自殺を考えているらしいと判断されてしまった。しばらくねばって探してみたが、「理容山形」とかいう地方の情報誌に引用されているのが見つかっただけで、結局大本はわからなかった。ままならないものである。

 本文もざっくりと覚えている。筆者の名前などは忘れたが。要するに、最近の子どもを取り巻く環境は一枚岩になりすぎていて、大人たちがこぞって責め立てる、昔は祖父や祖母なんかが横から口を挟んで子どもの代弁をするなど、ちょうどよい塩梅になるようにしていたものだが……というような内容だった。

 そんなことを、どうしてこのタイミングでこの席に座ってしまったのだろうと考えつつ、別の先生に怒られている生徒の横で思い出すのだった。

「宿題ちゃんとやってこいって言ったよね。で、あんたもやってくるって言ったよね。嘘ついたわけね。――どこ見てんの。なんとか言ってみろって。あたしがキレるまであと三秒」

「あの、その」

 しどろもどろになりながら言葉を紡ごうとする生徒に、私は酷く同情的になるのだった。その子に特別同情的になる理由はわかっている。なんとなく、私と似たにおいを感じ取っているからだった。本当に私と似た性格なのかはわからない。ただ、これまでの付き合いから察するに、どうも似たり寄ったりの人間なんじゃないかと思っているだけだ。

 負けず嫌いでプライドが高く、そのくせ要領がいいだけに手を抜きがちだから、上手くいかなくなった途端に自己嫌悪に陥り、すぐ諦め、しかし他人の指図は(特に嫌いな人間の言葉は)どれほど正しかろうと決して聞き入れず、泥臭い努力を嫌う人間。

 そういう人間に対して、

「シンくんはちゃんとやってくるよ。ハナちゃんも、わからないとこがあったらすぐに聞きに来るよ。どうしてあんたはそれが出来ないの」

 なんて言ったって無駄だと私は思うのだ。

 シンくんが出来るから何? ハナちゃんがやるからどうした? で? だから? それと私に何の関係がある? 私に何かを頑張れと言うのに他人を引き合いに出す必要が一体全体どこにあるのだ? その言葉を裏返せば、シンくんやハナちゃんが頑張っていなければ私だって頑張らなくっていいということになるのだが、そういうわけではないのだろう? ――かといって、こういう本心を真正面からぶつければ、あなたはまた「へりくつばっかり言うな」と怒るのだろう?

 それがわかっているから反論は出来ない。心の内をさらけ出すことは出来ない。

「なんとか言いなさいって」

「はい」

「謝りもしないでへらへらして」

「すみませんでした」

 だったら目線をそらして、できる限り己の心が傷つかないように身を縮めて、嵐が過ぎ去るのを待つしかない。

 だというのに、相手はそれすら許しはしないのだ。

「は、どこ見て言ってんの? そんなそっぽ向いた適当な謝罪が通用するわけないでしょ。大人はそういうのわかるんだからね。こっち見て言いなさい、心をこめて」

 目を見て言えば心がこもったことになるのだろうか。だとしたらずいぶんと軽い心だ。そもそも、あなたの目を見ない理由ははっきりしている。目を見る必要がないと感じているからだ。あなたの目など見たくもないからだ。さらに言えば、心をこめた謝罪が必要だと思っていないからだ。それすらわからず、一体誰が大人だというのだろう。

 嵐はやがて過ぎ去って、辺りが静かになる。私は息を吐きたくなったのをぐっと堪えた。その子は静かに勉強に戻った。胸の内は荒れ狂っているだろうに、静かに。

 それを改めてかき乱すように、話が蒸し返される。私は悲鳴を飲み込む。

「あたしの旦那さんがね、あたしがこういう子がいて困っちゃうんだよって言ったらね、『その子は意欲がないんだね』って言うんだよ。『どうしてそんな子のために頑張ってるの? そんな仕事なら辞めたら?』って言うんだ。あんたのこと見知らぬ人がそこまで言うんだよ」

 だからなんだ、と私が言いたくなった。私が祖母だったら間違いなく横から口を挟んでいたことだろう。そしてこの人のことを叱っていたはずだ。

「あたしが見てる子はあんただけじゃないからさ、シンちゃんとかハナちゃんのために仕事はまだ続けるよって言ったんだけどさ。伝え聞いただけの人でもそういう風に思うようなやつなんだよ、あんたは」

 これ以上は聞いていられなかった。

 私は心の中で謝っていた。怒られている、その子に向けて。その人が私より年上だからという理由だけで、口出しすることが出来なくてごめん。真横にいながら首を突っ込む勇気がなくてごめん。あなたの味方だよとただ思うだけでごめん。私があなたの祖母でなくてごめん。――あなたはそんな子じゃない、と胸を張って反論できるほど、あなたのことを見ていなくてごめん。

 熱血である、ということは決して悪いことではないだろう。その先生の言うことも、言い方は悪いと思うが、内容は間違っていないのだ。宿題をきちんとやってこないのは、受験を目前に控えた生徒としてご法度である。

 ただ、私にそういう叱り方はできないな、と思うのだ。そしてそう思う自分のことを、例の論説文を根拠に肯定したい。

 優しい人間を装いたいわけではない。ただ、周りが一枚岩になっているのは息苦しいことであろうから。いろんな意見が存在することを許容したいと思うから。

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