勘のいいガキ

 荒川弘先生の代表作『鋼の錬金術師』の有名な台詞に、「勘のいいガキは嫌いだよ」というものがある。少し言い回しは違ったかもしれない。ショウ・タッカーという錬金術師が自分の家族をキメラの材料にしたことを、主人公が指摘したときに、そうやって言い返したのだ。かなり序盤の――確か二巻か三巻くらいの――一幕であるにもかかわらず、そのシーンはずっと語り継がれ、何かを指摘された際の決まり文句のように使われることもしばしばだ。

 勘のいいガキ、というやつは勉強の出来不出来とは関係ないのだった。塾で小学生と接していると、そのことをひしひしと感じる。

 たとえば、こんなことを言われた。

 それは動詞の活用の話をしている時だった。“書く”という動詞は五段活用で、“書かない”“書きます”“書く。”“書く時”“書けば”“書け!”“書こう”“書いた”というふうに変化するのだと説明した。

 すると、

「“書き方”の“書き”とか、そう?」

 と問われて、私は返答に窮したのだった。

 決まりから言えば活用語尾の“く”が“き”になっているのだから、それは連用形である。だが“方”という名詞に繋がるのならば、それは連体形でなければならない。それはつまりどういうことだろう。もともとは“書く方”だったものが変化したのだろうか。それとも“方”は名詞でないのだろうか。はたまた、“書き方”は“書き方”で一つの名詞として判断すべきなのだろうか――

 迷った挙句、私は適当に誤魔化した。あの時の焦燥はいまだに忘れられない。

 また、こんなこともあった。

 漫画やアニメが大好きな子で、最近流行りの『鬼滅の刃』もよく読んでいた。私が「四巻まで読んだよ」と言うと、一巻から四巻までの漫画の表紙に誰が描かれているかをすべてそらんじてみせるような子だった。(記憶力というものに偏りがあるのは当然だと思っている。私だって小学生の頃は、ことわざなんかよりドラクエの呪文の方がたくさん覚えていた。)

 その子が漫画の登場人物たちを指して、

「どうしてみんな腕を犠牲にするんだろうね?」

 と言うのだ。

 思わず笑ってしまった。考えたことのない問いだったから。ああ、確かに言われてみれば、腕を犠牲にするキャラクターは異様なほど多い。日本の漫画文化に頭の先まで浸ってしまった私では、そのことを疑問に思わないほど。

 だがよくよく考えてみれば、腕を失うということはそう簡単に決断できることではないはずである。

「命を落とすよりはマシってことなんじゃない?」

 無難な答えを返すと、その子は納得したように頷いた。

 私も勘のいいガキは嫌いで、だが同時に好きでもある。なぜなら彼ら彼女らは、私の誤りを容赦なく指摘し、この凝り固まった小さな世界をぶち壊してくれるから。教わることも、叱られることもなくなった大人を、成長させるのはこういう子どもたちなのだろう。

 ――問題は、“書き方”の“書き”が結局どういう文法に則っているのか、まだ調べていないところにある。


※のちに考えた結果、おそらく“書き”は転成名詞であり、名詞“方”とくっついて複合名詞化しているものと思われる。調べても分からなかったので、正しいかどうかは定かでない。

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