子供好き
「牧野さんって、教員志望なんでしたっけ?」
「はい、そうなんです」
彼女はにこにこと笑っていた。
「私、子どもが大好きなんで」
屈託なく言われて、私は二の句が継げなくなった。
それは夏期講習中のことだった。何日目だったかは忘れた。でもとにかく暑くて、クーラーの効きが悪くて、にじみ出てきた汗がテキストに落ちないように気を付けていたことを覚えている。
毎日午前中から塾に来ている真面目な子どもたちは、ひとところに集められて気持ちよい集中の中にいた。私は私が小学生だった頃を思い出しながら、最近の子は偉いなぁなどとどこか空しい気分になっていた。
小学生は二年生から六年生まで揃っていた。人数は大して多くない。確か七、八人程度だったと思う。
それぞれが勝手に、学校の宿題あるいは塾側で用意したテキストを黙々と進めていた。
私は机の周りをふらふらと歩きながら、折を見て丸バツを付けてやり、質問があれば答えてやって、集中を切らした子には声を掛けた。適度に息を抜くのが集中のコツである、という持論を掲げる私は、時折わざと雑談に興じることもあった。
教室にはもう一人、牧野という女子大生がいた。私の二つか三つくらい下だったと思う。最近入ってきたばかりで、ほとんど話したこともなかったため、下の名前は記憶していなかった。
始まって、三十分くらい経った頃だろうか。
「ねぇ、ねぇ先生」
六年生の男の子が、こっそりと私を呼んだ。つられて声を潜める。
「どうした?」
「牧野先生、ヤバくない?」
私は思わず小さな呻き声を上げた。
男の子の指摘はもっともだった。
牧野先生は二年生と三年生――俗に言うギャング・エイジ――の少年たちの質問攻めに遭っていた。彼らは分かっていることでも「分からない」と言ってみたり、聞いていても「聞いてなかった。もう一回言って」なんて要求をしたり、上げ足を取って話の流れを大幅に変えたりと、ギャングの呼び名に恥じぬ行ないをする坊やたちだった。けっして悪い子たちではない。そういうお年頃なだけである。
だが牧野先生は慣れていないのか、真面目なのか、彼らの主張を逐一聞いてはまともに受け取ろうとしていた。その姿勢は評価に値する。だが、
「だからね! 言ってるでしょ! 聞いてた? ねぇ!」
はた目にもフラストレーションが溜まっているのが丸見えだった。真面目に受け取るなら最後まで忍耐せねばならぬ。そういうものだ。気を荒立てたところで、坊やたちは面白がるだけである。
その様子を見て、六年生たちは心配していたのだ。おそらく、牧野先生のキャパシティーが弾け飛んでしまっては“先生が”可哀想だと思っているのだろう。気付いていて無視していた私とは比べ物にならないほど優しい、出来た子たちである。
「ね、先生、助けてあげて」
「こっちは大丈夫だから、代わってあげて」
隣に座っていた女の子もそう言って、何度も頷いた。
私は溜め息を我慢した。
「了解、任せろ」
そうして私は六年生たちから離れて、「すみません牧野先生、算数の問題でちょっと私では難しいのがあって、代わりに見てあげてくれません?」と言ったのだった。
牧野先生は無実の罪が晴れた人間のような表情を浮かべて、六年生たちのほうへ行った。
坊やたちは先生が代わってちょっとだけ唇を尖らせていた。私では相手にならないことを理解しているのだ。
私は彼らの机に手をついて、極力感情を排した声を出した。
「さて、君らは一体何がどう分からないのかな?」
「……ここがね、あのね」
「先生夏休みなにすんのー?」
「ここでずーっと君たちと一緒にお勉強さ。はいじゃあまず問題文読んで」
「ええー」
「おやぁ、読めないの? 一年生からやり直す?」
「ねぇねぇ先生、せんせー」
「君は君のを進めなさい。漢字の書き取りか、じゃあ十分後にテストするね。はいこっちはまず読んで。――そうそう、いいじゃん――で、分からないのがここってわけね。よーし、それじゃあ話すから聞いててよ――聞いてないよなその姿勢は。はいしゃんと座って――」
などという一幕があった後の昼食時だった。
私は普段、後進の指導とか同僚との交流なんていうものに興味を持っていない人間である。だから昼食も誰かと一緒に摂ろうとは思わない。少なくとも、こうして二人だけで向かい合って、話しながら食べるということはこれが初めてだった。
子どもたちの優しさに当てられたのかもしれなかった。
あるいは、ちょっとした罪悪感から。
それで、まずは軽い会話をと思って、なんともなしに進路のことを聞いてみた結果が――冒頭のあの言葉である。
上手く接することが出来なくて落ち込んでいるものとばかり思っていた私にとって、それは予想だにしていないセリフだった。二の句が継げなくなったのも無理はないと、今思い返してもそう思う。
だから、その続きに彼女とどんな会話をしたのか、よく覚えていないのだ。頑張ってください、とか、教員試験は大変なんでしょう、とか、そんな当たり障りのないことを言ったような気がする。
言いながら――あの程度でフラストレーションを溜める人間が果たして教員になってやっていけるのだろうか。子どもたちに気を遣われたことを理解しているのだろうか――そんなことを考えたことはよく覚えている。だが、それらは何一つとして言葉にはならなかった。彼女のためを思えば、そのことを指摘した上で先輩らしくアドバイスの一つ二つでもしてやるべきだったかもしれない。だが、私はそこまで優しい、出来た人間ではなかった。
子どもが大好きだ、とは、どういうつもりで言ったのだろう。
あれから数年経った今でも、まだ理解できないでいる。
私はまかり間違っても“子どもが大好きだ”とは言えない。
子どもだから、という理由で、彼ら彼女らを無条件に愛することはできない。
それはたぶん、子どもを子どもとしてしか見ない、失礼な行為であると思うのだ。
――あの時、あのまま彼女をフラストレーションの最中に放っておいたらどうなっただろう。そんな残酷な実験を私はしようとしていた。現実を思い知るのも勉強だ、と。それを子どもたちが止めた。失敗する前に正してあげて、と。
いよいよ、誰がどう大人なのか分からなくなってくる。
牧野先生は、私が下の名前を覚えるより早く塾からいなくなった。理由は知らない。
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