二度目の選択④
理世とは中学を卒業した後、一度も会ってない。高校が別々になったことも含むが、そもそも私がこの町から引っ越したのが最大の理由だった。
中学を卒業すると同時に両親の離婚が成立した。お父さんから逃げるように私とお母さんは遠い町へ引っ越した。でも、高校に入ってアルバイトを始めても、そのお金はお母さんに吸い取られてしまう。お母さんはパートを始めたけど給料なんてたかが知れてて、またお父さんから散々痛めつけられてきたせいで人付き合いも苦手になっていたから職場でいじめられていたらしい。本当かどうかわからないけど。もうその時のお母さんは平気で嘘をつくようになっていたし、私の顔を見ると舌打ちするようにもなった。
お父さんから解放された時はあんなに二人で抱き合って「これからはもう怖いことがないよね」って感動に浸っていたけれど、それ、すぐ終わるから。ねぇ、十三歳の私。今この時間に抗ってもろくな未来は待ってないんだよ。暴力的な父親から逃げたところでね、世間知らずな母子二人で生きていくのは無理な世の中なんだよ。幸せになれると思うな。この現状から逃げられても、その先も地獄なんだよ。疫病も流行るし。
きっと、お母さんは私のことが邪魔だった。これから自分の人生が始まるという時に金のかかる大きな子供が家にいるのがストレスだったんじゃないかな。家に男を連れ込めば、娘の私に男が興味を示すのも嫌だったろうし。死んでくれって何度願われたんだろうな。
気がつけば玄関の前に立っていた。古い木造の狭い一軒家。どこもかしこもくたびれた私の家。
「ただいま……」
私は覚悟を決めて玄関を開けた。すると案の定、お父さんがお母さんを怒鳴りつけていた。顔を殴ろうと拳を振り上げている。お母さんは顔を守ろうとしている。その目が私を捉える。まだ母親の目をしているその人は私に向かって「来ないで!」と言う。お父さんが私の方を見る。
「
お父さんが低い声で唸る。私はすぐに「はい」と従う。すると、お母さんの絶望的な悲鳴が上がった。お父さんが、うるせぇと怒ってお母さんの髪の毛を掴んだ。まるでモノみたいなお母さん。私は靴を脱いで、自然的にお母さんの前に立った。やめてよとお父さんに懇願する。お父さんの足を蹴ってお母さんを守る。お父さんは大げさにのたうち回って叫ぶ。
こいつ、舐めやがって。やめて、陽乃に手を出さないで。うるせぇ、ぶっ殺してやる。そんな声が私の前を通過していく。そうしていつの間にか私の首をお父さんの手が絞めつけてくる。音が聞こえなくなった。黄昏時、逆光でお父さんの顔は見えない。涙が出てくる。痛い。喉が潰れて死んじゃう。いろんな血管とかが詰まっていく。次第に顔面へ血が溜まり熱くなっていって、口で息をしようにもできなくて、なんでこういう時に鼻で呼吸できないんだろうって考える。あの顔面トスより痛くて苦しい。
私はここでお父さんの睾丸を蹴って抗わなければならない。でも、そうしない選択をする。やめておく。だって、これからの未来もろくなものじゃないから。私は死ぬために時を買ったのだから──
その瞬間、割れた窓ガラスから大きな石が投げ込まれた。
「虐待はんたーーーーーい!」
突如、大きな声が私の耳をつんざいて、部屋中が静まり返った。
「お、おじさん、やめて! はるちゃんがっ、し、死んじゃう!」
お父さんの手が緩んでいき、私はつむじの向こうで鳴る震え声の主を見た。
「理世……」
「はるちゃん、助けに来たよ!」
お父さんはすぐに私から離れた。お母さんはすすり泣いている。私の口から垂れていた唾液が床に落ちる。まるで陸に上がった魚のように激しく呼吸をする。喉の痛みが襲いかかり、頭がぼうっとした。
「はるちゃん!」と呼ぶのは理世だけで、その声もどんどん遠のいていった。
──どうして死なせてくれなかったの、理世。
目が覚めたら、それまでに起きたことを思い出して私は泣いた。布団に寝かされている。理世はすでにおらず、代わりに烏丸硝子が私の顔を覗き込んでいた。
「お父さんとお母さんは?」
びっくりするくらいの嗄れ声で訊くと、烏丸硝子はニヤニヤ笑いながら答えた。
「お父さんはパチンコに行ったよ。お母さんは夜のお仕事」
「あぁ、そう」
「気を失った娘を置いて出かけちゃうなんて、ほんと最低な親だねぇ」
「まぁ、そういう家なので、うちは」
「あの父親、あんたを殺す気だったね」
烏丸硝子は感情を込めずに言う。
「うん。だから、死にたかったのに……」
あの時死んでいればどんなに良かっただろうかと考えることが多かった。こんなに生きるのがつらいなら、なんであの時に生きることを選んでしまったんだろうと。お父さんから殺されかけた時、私は絶対に生きてやると誓った。死んでやるものかと強く誓った。でも、現実は無情だ。私はあの運命を受け入れてしまえば良かったのに。
「なんで、理世が邪魔してくるの」
「そりゃあの子はあんたに生きてほしかったからに決まってるだろう。あんたと別れてからもずっと心配してたんだからな」
烏丸硝子があっけらかんと言う。
「何それ。今生き延びたとして、その後の責任は誰がとるの。あの子とは中学卒業したらそれきりなのに」
「別に、いつ連絡したっていいだろう。現世に戻ってからでも遅くない。あの時助けてもらった私はここまで生きてやったぞとあの子に見せつけてやればいい」
その言葉に私はハッとした。痛む体をさすりながら身を起こす。
烏丸硝子は小さく三角座りをして私に微笑んだ。
「それに、陣名が心配してたぞ。あんたには何がなんでも生きて料金を払ってもらわないとって」
「……あぁ、そうね」
確かに、ここで死んだら料金を踏み倒すところだった。
私はおかしくなって笑った。膝を抱いて笑う。涙があふれてきて泣いているのか笑っているのかわからなくなった。布団にシミができていく。私、まだ生きてる。
二度目の選択も失敗するなんて、そういう運命だったのかな。
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