二度目の選択⑤
「──お待ちしておりました。おかえりなさい。時の旅はいかがでしたか?」
気がつくと私は料金を支払いに時屋タソガレを訪れていた。相変わらず冴えない陣名さんが私に肘掛け椅子とコーヒーを勧める。
「……すみません。過去で死んでしまおうと思ってたんですが邪魔されて……でも、」
彼の目がわずかに見開いたので慌てて言葉をつなぐ。
「大事なこともわかりました。あの時の選択は間違いじゃなかったって。まさか友達に救われるとは思ってなかったけど……あれって、烏丸さんのせいなんでしょうか?」
「うーん……どうでしょうねぇ。私も昔はタイムトラベルをしてきましたが、過去を変える時は決まって思い通りにはいかないんです。とくに人の生き死にに関わることは。でないとタイムパラドックスが起きますから」
急に難しい話をしてくるので、私は曖昧に笑うしかできない。その様子を読み取ったのか、彼は苦笑してコーヒーをすすった。
「死ぬべきじゃない時に死ぬと、正常な時間軸で大きなズレが起きてしまいますね。だから、その軌道修正が自然的に起きるんです。不思議なものですよね」
こんな摩訶不思議なことをやってのける陣名さんでさえ不可解なことがあるらしい。
「烏丸さんって、なんの神様なんですか?」
話を変えてみると、彼は若干嫌そうに口元を歪めた。
「時の神だそうです。本当かどうかは分かりませんけれどね。私、硝子とは仲が悪いので」
そう言うと、彼は今までに烏丸硝子からどう邪魔されてきたのかを語ってくれた。それはなんだか上司に手を焼く部下の愚痴みたいで、私は相槌程度に笑うしかできない。あんな体験をさせてもらったのでせめてもの恩返しとして、しばらく雑談に付き合う。
「あ、申し訳ありません。硝子のこととなると愚痴が止まりませんで。何せ、私はこの店に一人ですので話し相手がおらず……」
「溜め込むと良くないですからね」
「はい。お客様も以前よりさっぱりしましたね。毒抜きはできましたか?」
その問いに私は苦笑した。
「あれから不定期だけど、なんとか病院に通って精神安定剤とか睡眠薬とかもらって休むようになりました。まぁ、お金がないと行けないのがネックなんですが……それでも前よりは楽です」
「そうですか。あまり無理せずに最期まで過ごしてくださいね」
「はい」
コーヒーのいい香りが鼻腔をくすぐり、一口飲む。苦味が口いっぱいに広がって顔をしかめると、陣名さんが冷やかすように笑った。私はカップを起き、時計を見やる。そろそろ帰らないと。
スマホにはお母さんからの着信が何件かと、理世からのLINEが届いている。
「それじゃあ、今日はもう帰りますね。いろいろとありがとうございました」
「はい、さようなら」
陣名さんがにこやかに手を振る。店から出る時の声掛けにしては不自然だと思いながらドアを開けて黄昏の外へ出た。季節は平年より気温が高い春の真ん中で、服の中がじっとりと暑い。大きく伸びをして振り返ると、そこは空き地で。
「……私、なんでこんなとこにいたんだっけ」
まぁいいや。早く帰ろう。
お母さんのところには行かない。電話も出ない。すると、意外にもお母さんは私のところへ来ず、しばらくは忘れたかのようにお互いなんの干渉もせず過ごしていた。休業だったバイトも再開してきていて、憂鬱から少しだけ解放されていくのを肌で感じている。
そうだったはずなのに──
アパートの階段を上がると、お母さんが三角座りして部屋の前にいた。虚ろな目をしている。
「お母さん……どうして」
思わず声をかけると、お母さんがゆらりと立ち上がって私を見た。
「あんた、なんで電話に出ないの?」
「え……あ、それは……」
「お母さん、寂しかったのに」
そう言ってこちらに顔を向ける。
お母さん、マスクして出かけてっていつも言ってるのに。いや、そうじゃなくて。ごめんね、お母さん。一緒にいると疲れちゃうから会えなかったんだ──
「あんたっていつもそうよ。お母さんがどれだけ心配したと思ってるのよ!」
お母さん、声大きい。やめて、近所迷惑。
ダメだ、声が出ない。体も動かない。だって私の目はお母さんが持っているものに釘付けだ。
「それなのに、あんたは……あんたのせいで私がどれだけ苦労してきたと思ってるのよ! 私を無視して! 私の人生全部奪って! 全部全部あんたのせいよ!」
そう言って、お母さんは私の胸に包丁を突き刺した。倒れる私。
やめて、お母さん。
周囲が慌ただしくなる。音が聞こえなくなった。でも近所の人たちが叫んでいるのがわかる。私はその場でされるがままで、なんか体からいろんなものが出ていってる感覚がして気持ち悪い。お母さんは私をまた刺す。何回も、刺す。何回も、叫ぶ。
何、私がお母さんの男をいつとったって? 全部あんたの妄想でしょ。それで私を殺すの? 何それ、意味わかんない。私、生きようとしたのに。あんたの人生が終わったからって私の人生も終わらすの?
あぁ、理世。助けて。昔みたいに私のこと助けにきてよ。
私は誰かに取り押さえられるお母さんから逃げようと、這いつくばって自分のスマホを掴んだ。体が痛い。痛いよぅ。理世、お願い、助けて……
それにしても、なんですぐに理世がよぎったんだろう。だって、十三歳の時に理世が来てくれたから私はずっと理世から離れられなくて、理世さえいれば私は生きていけるって思って──あ、でも理世ならこう言いそうだな。
「そういう運命なんだよ」って。
***
──お客様、お客様。あぁ、気が付かれましたか。話の途中で居眠りしていたようですよ。そんなに退屈させてしまって申し訳ありません。
ここでは少々、時間の進みが遅かったり速かったり止まったりしてしまいまして、ひどく不安定なんです。
何やらうなされているようでしたけれど、大丈夫ですか?
もしかして、物語の中に引き込まれてしまったんでしょうか。また硝子のせいでしょうね。申し訳ありません。
え? あの女性はどうなったのかって?
さぁ……私は時を売るだけなので、お客様のその後を知ることはできません。彼女はもう二十四時間を使い果たしてしまいましたので、二度と訪れることはないでしょう。
さぁ、あなたはどんな時を買いますか?
【二度目の選択 了】
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