二度目の選択③
──七年前、私はとてもバランスの悪い子供だった。腹がぽよぽよしているくせに足がやたら細くてちぐはぐな体型だった。顔もかわいくないし、平均より下みたいな。垢抜けた同級生にからかわれる対象だったが、ヘラヘラ笑ってみんなのご機嫌をうかがっているバカな十三歳だ。それでもある日をさかいに私は誰からも搾取されないよう気を張って生きるようになった。その転換期が今日。忘れもしないあの日──
「はるちゃん!」
ぼうっとしていると、私の顔面にバレーボールが飛んでくる。球技大会のど真ん中だった。
「はるー、顔面でトスすんなー」
クラスメイトたちが少し心配そうに笑う。驚いているところ、わざとぶつけられたわけじゃないことがわかる。私は、うん、ごめんねぇと媚びるような話し方でクラスメイトたちに笑いかける。一方、相手コートにいる
小学生の頃、友達だった
しかし試合が終わった後、理世は私の方へ真っ先に駆け寄ってきた。
「はるちゃん、大丈夫? ごめんね」
「………」
大丈夫だよ。そう言えないのは、背後にいる女子たちの視線が怖いからだった。
理世はいじめられている。いや、彼女たちの総意としては「関わりたくない子」に認定されているだけであり、理世が話せば周囲がシーンと静まるみたいな。それを理世は気づかない。関わりたくない、来ないでって面と向かって言えないみんなの心とか空気を読み取ることができない子。
もれなく私も多数派だった。くるりと踵を返し、仲のいい子たちのもとへ行く。
あれ? 私、こんな時間に戻って何しに来たんだっけ。
球技大会が終わると、その日の学校はおしまい。結局優勝を逃してしまったけど、クラスの子たちは楽しそうで、私も同じく楽しくて学校が終わらなければいいのにと考えた。
そうだ。学校が終わって家に帰るのがとても嫌なんだ。
ここずっとお父さんが不機嫌で、昨日なんてお酒が飲めないからって大暴れして窓ガラスに救急箱を投げつけていた。お母さんはずっと泣いてるし、私は自分の部屋に閉じこもって本を読んでいた。ばかやろう、ふざけんな、クソがと怒鳴るお父さんの声をBGMにして本を読み続ける。いつからだっけ、こんな風になったのは。お父さんの膝が壊れてからだっけ。
ぼうっと考えながら帰路につく。家まであと一〇〇〇歩。田んぼのあぜ道が近道で、小学生の時はここを通って家に帰っていたけれど今じゃ見向きせず遠回りする。
「帰りたくないな……」
それは私の口から飛び出してきた。帰りたくない。怖い。心臓が早鐘を打つ。お父さんに会いたくない。
「あ、はるちゃん! 待ってー」
後ろから理世が駆け寄ってきた。私は振り返り「何?」と不機嫌たっぷりに訊く。
「一緒に帰ろ!」
満面の笑みで言うなよ。こいつと一緒に歩いてるの、他の誰かに見られたら嫌だな。でも家に帰るのも嫌だ。私は家路とは違う道を選んでサクサク歩いた。
「え、ええ、はるちゃん、家とは逆方向だよ?」
「知ってるよ。ついてくんな」
「えー、なんで? はるちゃん、六年の時は優しかったじゃん! どうして今はわたしを避けるの?」
「はぁ?」
苛立ち紛れに振り返ると、理世が「あっ」と自分でも驚いたように両手で口を塞いだ。まるで思わず口をついて出たみたいな格好だ。私は眉をひそめた。
でも……確かにそうなんだ。ほんの一年前までは理世と並んでくだらないことを笑っていた。本当ならあの頃と変わらないのにな。それにしても、理世って集団の中にいるとウザいのに単体だと素直でかわいい子なんだな。
その感覚は、十三歳の私ではなく二十歳の私の感覚だった。あぁ、そうだった。過去に戻ってやり直したいことがあったんだ。急激に視界が俯瞰的になる。
「……ごめん」
私は思わず謝っていた。すると、理世は呆気にとられた様子で私の顔を覗き込む。
「はるちゃん、なんかつらいことあるんでしょ。わたしもね、今は一人でいるからわかるよ」
「そういうのとはちょっと違うって言うか……」
学校は嫌いじゃない。ちょっと窮屈だけど、それは集団でいるからそうなのであって、私たちはもう無邪気だけで生きていける年齢じゃないというのをわかっている。そうして他人との距離の測り方を学んでいく過渡期。理世は他人よりちょっとその辺のことが遅れてるだけ。
「でもね、わたしが今一人なのはそういう運命なんだって思うことにしたの。今はつらくても、頑張ってれば報われる日がくるはずだってママも言ってたし。今のこの運命を受け入れて、わたしは周りの人に優しくしてあげるの」
そういう運命──あぁ、理世っていつもそう言ってたな。
自分がそういう目に遭っているのは他人のせいだし、運命のせいだと。それが甘えに思えて余計嫌いになったような。
「理世には関係ないよ」
「関係なくないよ! 友達だもん!」
「だから、そういうのがウザいって言ってんの! あんたがそんなだからみんなに嫌われるんだよ!」
私は苛立ち紛れに言った。すると、理世は目を丸くして時を止めた。だから私も気まずくなって顔を背ける。持っていたサブバッグが重く感じる。
すると唐突に、理世の背後からスラッと背の高い女の人が現れた。
「お嬢ちゃんたち、道の真ん中で何ケンカしてるんだい。ダメだよ、仲良くしなきゃ」
なんだか達観したような口調の女の人は見た目二十代か三十代前半くらいに見えた。黒いロングヘアに肩出しのサマーニットを着ていてスタイルがいい。顔も美人だった。
「おばさん、誰?」
理世が悪気なく訊いた。相手の女は「おばっ」とショックを受けたような声を漏らした。しかし気を取り直して腰に手を当てる。
「烏丸硝子。神様よ」
「ふっ……不審者だ!」
理世の判断は正しい。呆然と立ち尽くす私の手を握って、もと来た道を引き返そうとする。対し、烏丸硝子は布のようにヒラリと宙を舞うと私たちの行く手を阻んだ。
「不審者扱いされてタダで帰すと思ったか、このクソガキ!」
「きゃー! 口悪い! はるちゃん、逃げよう! この人絶対危ないって!」
「う、うん……」
でも、私はこの烏丸硝子がどうしてここに現れたのか知りたかった。陣名さんは構わなくていいと言っていたけれど──
理世に引っ張られるまま私は大通りへ出た。と言ってもあまり車通りのない道路である。マンション沿いの歩道まで行けば、烏丸硝子は追いかけてこなかった。
「はぁ、はぁ……一体なんだったんだろうね、あの人」
理世が息を切らしながら言った。私も前かがみになって乱れた呼吸を整え考えた。
もしかすると烏丸硝子は私がどう行動するのか見張っているのかもしれない。それとも十三歳の私に意識が引っ張られそうな私を正気に戻してくれているのかもしれない。まぁ、どちらでもいい。私はこの時間を無駄にするわけにはいかないから。
「理世、ごめん」
「え?」
「今まで、本当にごめんね」
まるで意味がわからないといった様子でキョトンとする理世。その頬をつねってみる。
「んみゃっ、いひゃいっ」
情けない声を上げる理世。当時はうっとうしいなと思っていたのに、なんでだろう、すごくかわいい。妹がいるとこんな感じなのかな。
手を離すと、理世は頬を押さえながら涙目で言った。
「虐待はんたーい!」
その言葉が胸に突き刺さる。それ、うちの親に言ってくれよ。
私は唇を噛んで家路へ向かった。理世が後ろからついてくるも、彼女の足じゃ追いつけないくらい早足で、そのうち走って振り切った。
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