第32話 エピローグ3
命の尊さは平等にあると信じたい。そう考えられるようになったのは、幸せな毎日を送っているからだ。スイカを器としたフルーツポンチを作りたい、と恋人に提案されれば、さっそくスイカの作り方をネットで調べた。
スイカは野菜の王者とも呼べる絶対的な存在だ。失敗はしたくないが、たとえうまくいかなくても小ぶりであっても、一度はチャレンジしたい代物である。
「初心者でも安心って書かれてましたけど、騙されましたね。僕にとっての『初心者でも大丈夫』は、ほっといても育つ野菜や果物のことをいうんですけど」
そう言いつつ、庭に実るブルーベリーを見やる。余った肥料をまくくらいだが、いつも元気に育ってくれる。まだ収穫には早いが、今年はケーキを作ろうと決めていた。
「あとは小松菜とかね。うまくいくといいなあ」
畑仕事を終えた後は、縁側に座ってお茶請けをつまんだ。飲み物は薫お手製の紫蘇ジュースだ。
「でもちょっとだけ腕が上がった気がしません? 来年も難しい野菜に挑戦してみるのもいいかも」
「キャベツは難しいっていうよね。育てばかなり食卓が賑わうけど。やってみる?」
「ザワークラフトでしたっけ? 瓶詰めにする保存食。作ってみたかったんですよねえ」
「よし、やろうか」
「キャベツなら、この時期に種まきをしなきゃいけないっていうの決まりは緩いみたいです。まく時期によって味や柔らかさが変わるって。でも土作りがちょっと特殊ですね」
「ネットという名の文明の利器は便利だなあ。……いやそれよりも先人たちの知恵のおかげか」
今年の目玉ははスイカ、ジャガイモだ。両方とも害虫に注意しなければならない野菜だが、育てばいろいろな料理に活用できる。副菜の王様だ。
「ポテトグラタン、ポテトサラダ、フライドポテト……」
「ポトフもいいかもね。みそ汁に入れても美味しいし。そろそろ中へ入ろう。日が暮れてきた」
「薫さんが虫とか平気な人でよかったです」
「どうしたの急に?」
「苦手な人って図鑑の虫もだめな人多いじゃないですか。家庭菜園なんて難しいと思うんです」
「ああ、そうだね。田舎で育ったからわりと平気なんだと思う。京都って観光地をイメージする人が多いけど、外れは田舎だし」
夕方になればまだ肌寒いときがある。夏がもうすぐやってくるというのに、今日は汗が冷えると鳥肌が立つ。
夜は野菜をたっぷり入れて、煮込みうどんを作ることにした。あとは余った肉も入れる。
作っている最中に、インターホンが鳴った。
薫が代わりに出るが、何やら甲高い声が聞こえる。おっとりした声質の薫も負けじと大きめの声を出し、笑みが零れる。
彼がキッチンに戻ってくると、両手に大量の野菜を抱えていた。
「タエさんからたくさん野菜を頂いたよ」
「こんなに?」
隣に住む佐久間タエは、御年八十歳の女性だ。過去に農家で働いていた経験があり、今も庭で野菜を育てながらのんびり暮らしている。野菜の育て方に関し、よくアドバイスをくれる人だ。
タマネギやレタス、大根もある。せっかくなので、大根は薄切りにして鍋焼きうどんに入れた。
「立派だなあ。葉つきの大根なんて店じゃ買えないので、すごく嬉しい」
「どうやって食べる?」
「たくさんあるので浅漬けにして、残ったのは明日のみそ汁に入れましょう」
「浅漬けなら、いっぱい作って持ってお礼をしにいこうか」
いつもよりも野菜多めのうどんを食べ、優しい満ち足りた一日を過ごした。
会社から帰ると、薫はまだ帰ってきていなかった。
──何か買っていく?
メッセージが届いていて、冷蔵庫の中をチェックする。
──牛乳をお願いします。
あとコップ一杯分しかない牛乳を飲み干した。黒と白の牛がついている牛乳はふたりのお気に入りだ。わりと甘みが少なく、おやつや朝食も合う。
昨日漬けておいた浅漬けを食べてみると、ほどよい塩加減でちゃんと漬け物になっていた。
隣の家にお邪魔すると、タエは庭でのんびりと過ごしていた。
「タエさん、昨日はごちそうさまです。これ、昨日頂いた大根の葉で作った浅漬けなんです。よければ食べて下さい」
「おんやあ、そうかい? まあまあ……」
声がはつらつとしていて、笑顔が眩しい。太陽は沈みかけているが、ここにも小さな太陽がある。
「上手にできたねえ」
そう言われつつ、頭を撫でられた。タエからしたらひよっこで子供だ。
「お茶飲んでいくかい?」
縁側には湯飲み茶碗が一つだが、タエはもう一つ持ってきてお茶を淹れた。
茶碗はタエが使っているものより大きく、くすみのある黒だ。
「素敵な湯飲み茶碗ですね」
「旦那が使ってたものだよ」
「僕が使ってもいいんですか?」
「もう使ってくれる人がいないからねえ。物も置いておくだけじゃあ価値が下がる。使われないと」
湯飲み茶碗は蓮の指先にしっくり馴染む。きっとタエの旦那と手の大きさは同じくらいだったのだろう。
「今、幸せかい?」
タエに突然話を振られた。幸せは何を指しているのだろう。家庭菜園か、仕事か、それともすべての生活においてか。
「息子がいたんだけれど、家を出ていってしまったんだ」
「そうだったんですか……」
タエが自身の過去を話すのは初めてだった。
「素敵な人を見つけて紹介してくれたんだけど、反対してしまったんだよ。旦那と一緒になって責めてしまって、それっきりなんだ。時代を言い訳にしちゃいかん。親として、守ってやれなかったんだから」
蓮はふと気づいたことがある。
薫と一緒にいても手を繋いでもじゃれていても、タエは微笑むだけで関係性を一度も聞いてこなかった。それどころか生活を野菜や煮物をくれたりと、心配している節がある。
判っていて、彼女は何も言わなかったのだ。
「世の中、タエさんみたいな素敵な人がいっぱいだったらいいのにって思ってました。少なくとも、僕らは幸せです。ここに引っ越してきてよかったと、心から思います」
玄関から顔を出したのは、まだスーツ姿の薫だ。
「タエさんのところだと思ったよ」
「おかえりなさい。お茶をごちそうになってたんです」
「ちょうどよかった。うちでご飯を食べてって。いっつもひとりだから寂しいんだよ」
薫と目を合わせる。答えは一緒だった。
「喜んで!」
薫る薔薇に盲目の愛を 不来方しい @kozukatashii
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