ガソスタ見下ろす魔法夜行

寒川吉慶

ガソスタ見下ろす魔法夜行

ローファーでタッ、タッ、っと助走をつけると少女は紫色の空に飛び出した。

箒にまたがり、自転車ほどのスピードで空を走る少女の名は「長谷川はせがわ ロル」。

魔法使いの彼女の向かう先は学校である。

学校といっても、魔法学校なんてメルヘンなものでは無い。

ここ、静岡県の偏差値が50より少し上回っている制服の可愛い高校。普通科だ。

ロルは明日の月曜に前期期末テストを控えている。

夕飯を食べ終わったついさっき数学のワークが学校にあることに気がついたので、今箒を飛ばして取りに行っているのだ。


箒に乗ったままパーカーのポケットからワイヤレスイヤホンを取り出したとき、ロルは私服で学校に入るのは校則違反だと思い出した。

あーあ。

腕時計を見るともう19時。

引き返していたら学校が閉まってしまうし、何より面倒くさい。

イヤホンを耳につけて音楽をかけると、ロルは意味も無く高度を上げた。

飛行機が飛んでるくらいの高さへ。

と、いっても飛行機とすれ違うのは怖い。

半年前くらいに飛行機の近くに箒で通って風圧で激突する寸前まで近づいたというヒヤリハット体験をしたことがあるからだ。

30秒ほど上のヒンヤリした空気を味わうとロルは高度を下げて、明りの多い国道沿いを進んでいく。

今度は逆のポケットからうまい棒を取り出した。

16歳ともなるとロルの箒歴も5年。

両手で包みを開けるくらいの余裕は出てくるのだ。

ザク、とうまい棒を食らう。

こどもの時と変わらず、美味い。

明日、一昨日のロルの誕生日にうまい棒を大量にくれた友達にお礼を言っとこうなんて思っているうちに学校が見えてきた。

電線に引っかかりかけながら正門前に降り立った。

正門を前に、さて、私は制服を着てないんだった、と思い出したロルは箒を持って全力ダッシュで昇降口に向かう。

ロルの50m走のタイムは8.1。

所属するテニス部でも女子1年ではトップの足の速さを誇っている。

うおおおお、と昇降口へ突っ走り、箒を傘立てに突っ込んで上履きも履かずに教室に向かう。

私服だから、先生には見つかりたくない。

相手に認識されない魔法もあるにはあるが疲れるし、完璧に使えこなせはしないから中途半端に隠そうとしてバレる、という最高火力で怒られるシナリオが頭に浮かんでいるのだ。

ロルの教室は1-D組。

階段を上る必要は無く、1階の1番奥。

ペースを緩めることなくドタドタ走っていたロルはD組の教室に電気が着いてるのに気が付き、急停止する。

中に誰かいる…?

先生だったらまずい、私の担任はこういうの普通に許してくれない…と、ロルはドアの外からそっと中を覗き込んだ。

中には勉強中のメガネをかけた男子が1人。

なんだ、とロルは扉を開いた。


秋人あきとじゃん」


メガネの男子はシャーペンを走らせるのを止め、ロルに目をやった。


「長谷川、なんでお前私服なんだよ」


篠原しのはら 秋人あきとはロルの隣の席の同級生。

囲碁将棋部所属で暗そうなイメージこそあるが、話すとなかなか面白く友達も多い。

ちなみに、彼は魔法使いではないが、別に珍しいことでは無い。

魔法が使える人と使えない人の人口の割合は3:7、使えない人の方が多いのだ。


「いやー、数学のワーク忘れてさ」


「あと、お前うまい棒食った?」


「なんで分かるの!」


「匂いで。チーズ味だろ」


「チーズ味だけど、すご」


そんな会話を交わしながらロルは秋人の隣の自分の席の机の中に手を入れる。


「あ、あった。数学のワーク」


「おー、そりゃよかった」


秋人は物理の問題集を解いている。

明日は数学と現代文なのに、余裕だな。

そう思って言葉に出そうとしたが、なぜだか途中で躊躇った。

そのせいで沈黙が出来上がる。

秋人とは普段の学校では普通に、むしろ激しい会話を繰り広げるのだが、2人きりになってみると意外と会話が続かない。


「ね、秋人は数学ワークどこまで進んだ?」


「もう丸つけまで終わってる」


「まじか、私あと30ページくらいある」


「この土日何してたんだよ」


秋人は少し笑いながら言った。

その時。

外からザー、と地面を激しく打つ音が聞こえた。


「ヤバい、めっちゃ雨降ってんじゃん!」


「あー、降ってくる前に帰っとけばよかった……」


「どうしよう、これ突っ切って帰れる強さじゃないよね」


ロルが窓に近づくと、秋人も着いてきた。


「傘持ってないのか、お前」


「箒だからカッパね。それどころかカバンもないからワーク濡れちゃう……」


秋人はロルの言葉を聞いて、少し考えた素振りを見せ、口を開いた。


「長谷川、うちの方向どっち?」


「石橋公園の方」


「じゃあ、傘入ってけば?」


ロルは驚いた。

こいつ、こんな優しいやつだったっけ。


「いや、悪いよ」


「別に減るもんじゃないし、いいだろ」


正直、濡れないで済むのはありがたいし嬉しい。

しかし当たり前だがこれは相合傘になる。

え、こいつ私のこと好きなの、とロルが1人でおろおろしていると、教室に下校を促す放送が響き渡った。


「と、とりあえず昇降口まで行こ!」


秋人と一緒に昇降口に着いたとき、ロルは少し落ち着きを取り戻した。


別にこれは恋愛どうこうとかじゃない。

さっきは私のこと好きなの、とかぶっとんだ考えしちゃったけど、これはあいつが私のこと友達としか思ってないからできることだ。

そう思った瞬間、ロルの頭の中に1つのアイデアが浮かんだ。


「で、どうやって帰るんだ?長谷川」


「ごめん、傘入らせて」


「了解、じゃあぱぱっと帰るぞ。お前の格好で教師に見つかったらやばいし……」


「その代わり!」


ロルは秋人の言葉を遮るように言った。

これはまあまあ勇気がいることだ。


「私の箒乗って!」


――――――――――――――――――――


「今思ったけど、箒の2人乗りって違反じゃないのか?」


箒の運転で必死なロルの後ろで傘を持ちながら、秋人が雨音で負けないように大きな声で言う。


「うるさい、そういうのノータッチで!」


16年生きていても、ロルは2人乗りなど初めてだ。

一応落っこちても自分と秋人に浮遊魔法をかければいいのだが、少しでも気を抜いたらバランスを失ってしまうので、とてもロマンティックなフライトという訳にはいかない。

というかこんな土砂降りにロマンなんてない。


「大丈夫、そっち濡れてねえか?」


「私自身は諦めた!秋人はワーク守って!」


「分かった!」


潔いいな、こいつ。

傘入らせてもらうだけ、っていうのも悪いから早く帰れるように箒2人乗りで帰ろうと提案したのだが、普通に濡れるし、風で操作がおぼつかなくて運転は遅いし……。

二兎を追う者は一兎をも得ずとはこのことだ。

秋人は優しさからかそこら辺触れないでくれているけれど。


「秋人の家の方が近いんでしょ、どっち?」


「そこのガソスタ右!」


了解、と方向転換した瞬間、またロルのもとに1つアイデアが思い浮かんだ。

行きの時と同じように急に高度を上げる。


「ちょ、何どうした!怖いんだけど!」


後ろで慌てる秋人も気にせず雲に突っ込む。

雲は水の塊だからヒンヤリ濡れるが、既にずぶ濡れのロルたちはそんなものは誤差だ。

ロルと秋人は雨雲を突き抜けた。


「最初からこうすれば良かったんだ」


雨雲の上には一面に澄んだ紫色の空が広がっていた。


「本当、もうちょい早く気づいてくれ」


秋人の言葉に2人して笑う。

傘さし2人乗り魔法夜行は流石にハードだった。

箒の上でしばし休憩していると、狭いスペースですっかりくつろいでいる秋人が話しかけてきた。


「でもこれだと自分たちの場所分からなくねえか」


「そんなときのためのGPS」


「便利な世の中だ」


魔法と科学の使い分け。

これが要領よく生きるコツだ、とロルは思っている。


急降下で秋人の家に着いた時には雨はほとんど降っていなかった。

「タオルでも貸す」との申し出があったが、「速攻で家帰るから大丈夫!」と力強く断った。

「また明日ね」と言葉を交わし、ロルは今度は1人で旅立つ。


あー、なんか疲れた。

さっきまでは必死に飛ばしていたのだが、もう気が抜けてしまったのでノロノロと進む。

おかげで普通なら5分で着く家の近くの魔法店に辿り着くまで10分かかってしまった。

地面に降りたって窓の外から中を見てみる。


魔法専門店「夜色の館」。

魔導書、つまり街中で魔法を使うための免許をとるための参考書だったり、箒や杖、怪しめな薬品などが売っている店。

そんなに大きな店でないし、駅前にはもっと品揃えがいいところがあるのだが、ロルは子供の頃からこの店が好きだった。

「大きくなったらいっぱい魔法を覚えるんだ」としょっちゅう家族に宣言していたのだが、魔法の免許をとるのは難しく、そんな暇があるなら英検の1つでもとったほうが助かるというのが現状だ。

英検、と考えた弾みにロルは忘れかけていたことに気がついた。


「やば、あと30ページ」


慌てて箒に跨りまた走り出す。

腕時計を見るともう20時30分。

これまでの経験からして、ワーク30ページを終わらせるには4時間はかたい。


今夜は長くなるな。

すっかり雨が上がった紫色の空を近くに感じながらロルは小さくため息をついた。









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