ファミレス尋問事件とマネキン人形

もう何度目になるだろう?俺はまた水谷の事務所で机の上の何かと向き合っていた。


水谷の説明は冗長でわかりにくかったが、認知バイアスが無視できるようになるコツっていうのがいくつか合った。

一つは、水谷の方便によると、これはこれ、それはそれで、切り替えるのだ。

俺の解釈ではそれは物事を一面的に捉えないっていうことだ。他人に見えていないのに、自分だけ見えているなんてことに対して、科学的に説明しようとしないのだ。


ただ、現象をありのままに受け入れるっていうのも違っていて、それが次の疑うっていうところに繋がってくるんだが。


二つ目は、まず全てを疑ってかかるのだ。

全てを疑ってかかるというのは、もう、そう、最初からある酸素から、自分が人間であることから(水谷曰く人間を精巧に模したアンドロイドである可能性もある。)まるまる全てを疑うのだ。


ただこの全てを疑うってことも最初からやろうとすると相当に難しい。

だから最初は水谷にバイアスのかかったものを置いてもらって、そこに何もないことを疑うのだ。

これが結構難しくて、何か実際にそこにものがあるものを無いと疑うのはそれほど想像できなくはないんだが、そこに無いものつまり全ての何も無いとされる空間に何かがあるって疑うのは難しいのだ。

水谷が言うには、慣れてくると全てのものに対してそういう風に疑いを少しずつ置けるようになってくるのだという

そしてそれが自然に行き渡ってくると世界が変わって見えるという。


つまり水谷みたいな猜疑心の塊みたいな嫌な人間になるとも言うことか。うーん。あまり見たくない世界かもしれないな。



俺はそうやって気を逸らしながらも、机の上に何もないことをなんとなく疑っていた。

そうしたらだんだんと何かがぼんやりと見えてきた。


一度それが認知できたら最後、今まで俺が嫌がって受け入れなかった脳細胞の片隅に追いやられた情報たちが一気に集まって瞬く間に、形を成した。


ああこれだったのか!それが見えた時には何か新しい世界が広がったようなそういう喜びが3%くらいあった。


そこにはタワーのように積み上げられた。福沢諭吉の束が鎮座していた。


俺はこんな大金を現金で目にするのは初めてだった。触ってみたかったが訓練の際は俺が逃げないように椅子に縛り付けられていたため身動きができなかった。

俺はは訓練に飽きて事務所に引き上げてしまっていた水谷を大声で呼び寄せた

「おーい見えたぞ!」

「札束だ!札束が見えた!」


俺が、大きな声でドア越しに水谷を呼ぶと、水谷が入ってきて笑った。


水谷にロープを解いてもらい俺はそれに直に触れてみた。確かに妙な違和感はあるもののリアルな札束だった。


「一千万ある。使えないけどな。」


俺は思う、これがあれば俺の人生はどれだけ楽になるだろう?

水谷に支払う一千万も帳消しになるし、それがなくたって大学在学中の学費、生活費、全て賄えるじゃないか。いつも憂鬱にもたげる、三流大学の奨学金だって気にしなくたっていい。

しかしこれは使えないのだ。


「なんとかこれ使えませんかね?」


俺がそういうと水谷は試しがダメだったと言わんばかりに口をへの字に曲げて首を振った。


その日は一月にしては日差しは暖かく風もなかった、俺は美春のバイトが終わるのを待ちながら携帯電話をいじっていた。

俺はの気分は上々だった、いや訓練のストレスで、いつも不機嫌なんだが、上々だった。

なんとも訳のわからない状態なんだが、要は大筋はうまくいっているってことだ。

最大の成果はやっぱり、認知バイアスの無視ってやつができるようになったてことだ。

とはいっても俺の能力は到底水谷には及ばなかったが、それでもこの能力があると無いとでは大違いだった。


俺がバイアスを無視することができるようになったことで、俺も四谷美春の事件に対して認識できるようになったのだ。

俺は事件についての水谷との認識共有を、俺がこのバイアス無視の能力を獲得することで初めてできるようになったのだ。


俺は水谷説明を聞いているうちに少しずつ自分のバイアスによって捻じ曲げられた状況を正確に思い出していった。


そう、それは最初に四谷三春を発見した時のことだ。

そこにあったのは、映画のSAWに出てくるような殺人マシーンで、そこに会ったバイアスのかかったナイフを水谷が引き抜いたのだ。

そしてそれによってカラクリが止まって四谷美春は助かった。

だが、そのナイフはバイアスが強すぎて水谷ですら持ち帰ることを断念した。俺としては、このように放り出された四次元の武器たちがどのように回収されているのか?またはされていないのか興味があったところだが…


そして四谷美春はその死刑台の上で自分の死の運命も知らずに寒さに凍えていたのだ。


これだけのことがわかっていれば犯人を探し出すことなんて簡単なことのように思えた。

だって相手は俺たちみたいなバイアスを無視できる存在なんて想定していなから、探偵の捜査能力を使えばあっさりと捕まえることだってできるんじゃないか?

それから相手の殺害手段がナイフで、しかも、かなり面倒臭い殺害方法をとっていると言うことが俺を安心させた。

俺は今まで、美春のボディガードをしている時も、相手が銃を持ち出していきなり二人もろともバンバンとやられてしまうって可能性を考えていた。

だが実際は相手が持っているのは四次元の武器といえどもナイフ一本で、なんの趣味なのか知らないが、直接刺し殺したりするようなタイプでは無いってことが分かっている。



俺がそんなことを考えていると、従業員用の通用口から四谷美春が何人かの従業員と一緒に出てくるのが見えた。


俺は軽く手を上げて四谷美春に合図を送る。

しかしそれに応えたのは四谷美春ではなく、怪訝そうにこちらみる二人の従業員だった。

今日は何か雰囲気が違うことに俺が気づいた。


顔を示し合わせて、あのチビ女が、男性店員にこちらに行くように促しているように見える。

その女は最初にここに来た時に警察を呼ぼうとした俺の前世の宿敵だ。

そして前に出た男性店員がこちらに近づいてきて気まずそうに俺に言った。

「あの、ちょっと話があるって言いますか…」


ん?


そいつは身長180センチくらいで、俺よりも年下に見えた。

髪型も顔も特に特徴がなく、自分の意見も意思もないような感じだった。Yahooゲームの白アバターみたいなやつだ。

俺が黙って聞いているが、白アバターは後ろをチラチラと見てなかなか本題に入らない。


要領を得ないその白アバターを見ていた黒幕のチビ女が出てきた。そしてそのギョロついた不健康な目で俺を睨みながら言う。


「あなた警察じゃないんですよね?」

「なんの権利があってこんなことしてるんですか?」

権利だって?


チビ女は続ける。

「とにかくあなたがどういう人間か審査させていただきます。」

審査だって?



「はぁ」

俺は全く想像だにしていなかったことを言われてついつい了承の返事を返してしまった。


そして一泊置いてその馬鹿馬鹿しさに気がつくと同時にイラつく。

お前はなんの権利があって、俺に自由意志に権利だの審査だのって口を挟むんだよ?

俺が怪訝そうに睨むと、俺の100倍くらいの眼力でチビ女は俺を睨み返した。


四谷美春が後ろから近づいてきて申し訳なさそうにいう。

「すみません、陽子先輩がどうしてもというので…」四谷美春はアルバイトの時は、髪を後ろで束ねていた。

「私はいいって言ったんですけど」

そう四谷美春が付け加えると、チビ女が四谷美春もギョロリと睨みつけた。


「いや別に」

俺はそっけなく答えるが、これが四谷美春の思惑とは関係ないことに少し安心する。


そして俺はそこで思いついた。事件のことを話せば間接的な認知バイアスでこいつらはそそくさと去っていくのではないだろうかと。以前そうだったじゃないか。


俺は咳払いしてからもったいぶって話した。

「美春さんは誘拐事件の、犯人にまた、襲われる可能性がありますので。」

俺は、事件や犯人を強調しながらチビ女に話しかける。


しかし女は答えた。

「だからそれは警察に任せたらいいですよね?」

「あなたじゃなくていいですよね?」


ん?効果ない?なんでだ?

俺はもう少し事件の核心的なところに近づくような情報を入れてチビ女に話を続けた。

「犯人は誘拐して、ナイフを用いているんです。非常に特殊なナイフです。」


俺はこの状況を思い出して、また腹の中に黒いものが溜まっていくのを感じて、少し不快になる。


しかし女は

「そういうことも全部警察に任せたらいいですよね?」

「私が言ってるのはあなた警察じゃないですよね?」


ん?全く通用しない。

つまり俺な訳か。こいつは俺への敵愾心という、因果のみでこの場にいる訳か?

そんなことってあるか?

つまりこいつは四谷美春が襲われた事件なんかにはこれっぽっちも興味がなくて、自分の人生とはなんの関係もない同僚が、自分とは何の関係も無い男に送り迎えされていて、それが俺なことが気に食わないという一心でここにいるってことになる。

すごい神経だな…



だがある意味これは別の因果によって、認知バイアスに阻害されないことができるっていうことでもあるわけだ。

そうして結局、認知バイアスでこいつらを追っ払うことに失敗した俺は近くにあったファミレスで尋問されることになった。



中途半端な時間だったので店内はがらんとしていた。


俺たちの座ったのは四人掛けの席だったが、チビ女は四谷美春を奥に座らせると男店員を座らせて最後に無理やり狭いスペースに自分が割り込んで三人掛けた。


そして俺は反対側に一人座る。



対面してみると、ギョロリとした目の下にそばかすが散らばっている。年甲斐のないツインテールに対しておそらく年齢よりも老けて見える顔の肌は灰色だった。そして白アバターがドリンクバーで淹れてきたコーヒーを一口啜ると女は尋問を開始した。

「じゃああなたの出自から伺いましょうか?」


なんだこれ?面接か?お見合いか?

あとで考えたら全くそんなこと答える必要はなかったんだが、俺は律儀に答えた。だって何もやましいことはないんだから。

「私はこちらの探偵事務所で働いております。」

そう丁寧に言って水谷の名刺を渡した。

そこには代表として水谷の名前が書かれていたから、女が俺に言った。


「水谷さん?あなた引間さんじゃないんですか?代表ってことは社長ですか?」

「いえ私はそこの従業員で名刺は今作っているところでして…」

事件の性質上、名刺なんて全く意味がなかったし、俺が担当しているのは俺の事件だけだったし。

「名刺もないって正社員じゃないんですか?」

どうなんだろうな?依頼料のカタにタダ働きしているのは正社員になるんだろうか?

俺が答えあぐねていると、チビ女が


「正社員じゃないということですね。」と決定する。

「社会的信用があるとは言えないですね。」


いやお前もバイトだろう?

「単刀直入にいいますとね。私は美春ちゃんがグルーミングされている可能性があるんですよ

あなたみたいな人間をね。信用するなんて普通あり得ないんですよ?」

チビ女は白アバターに同意を求める。

「そうですよね?」

白アバターはうんうんとしたり顔で相槌を打つ。

はぁ?なんなんだ一体?

チビ女は続ける。

「私だってこんなことはやりたくないんですがね、美春ちゃんがこういう人間と付き合いがわかるってわかったら…


「いや、あのさっきからこういう人間って随分失礼じゃないですか?」

俺は長ったらしいチビ女の演説を遮って行った。


「わかるんですよ〜、あなたは隠してるつもりかも知れませんが残念ながらわかるんです〜」演技がかったアニメボイスで語尾をあげて話すチビ女。

「私はね、心理学を勉強してるんです。専門学校で。専門学校といってもちゃんとした専門学校ですからね?知名度のある。」

「だからわかるんですよ〜」


「グルーミングって言葉をご存知ですか?」

「ご存知ではない?探偵業をされていらっしゃるのにご存知でない?」

「グルーミングというのはですねぇ、事件の被害者が加害者に手懐けらてしまうことを言うんですよ〜」


「俺は加害者じゃないっすよね?あの、私はあなたと初対面だと思うんですが、何を根拠に私をそんなに攻撃するんですかね?」

イライラしてきてそれが態度に出てくる。


それを聞いてチビ女は断言するようにピシャリと言った。

「食べ方が汚い人間は心も汚い!」

そして鬼の首でも取ったかのように勝ち誇って続けた。

「あなたウチの店によくきてたでしょ?だから見てたんですよ?」

クソみたいな薄っぺらい分析をドヤ顔で披露するチビ女。


それを聞いて俺は、コイツらを説得するとか無意味だと言うことを悟った。

心理以前に会話すらできないのだから。


埒があかないと気がついた俺は、事件の話で認証バイアスをもう少し働かせてコイツらを追い払う方向に立ち返ることにした。だがそれが間違いだった。


俺はどうやれば事件の核心的な部分をこの四谷美春のボディガードと関係させられるか考えた。

考えてしまった。

そう、それについて考えてしまったのだ。

俺の思考の先っぽが、その領域に入ったときに一瞬脳裏にあのナイフがありありと浮かんできた。


そして、そして限界値が来たのだ。

突然に、なんの前触れもなく。



そうだ、あのナイフ、あのナイフはあの水谷が持ち帰るのを躊躇するくらいの強力な認知バイアスが働いているものだった。

俺はそれを忘れて、またそれを思い出してしまった。思い出して脳裏に再現してしまったのだ。

そのナイフのイメージに俺の思考が到達すると同時に、俺の中に溜まっていた黒いものが竜巻のように瞬時に腹の底から舞い上がった。


その竜巻に巻き上げられるように俺は席を立ち上がった。テーブルも椅子も固定されていたので勢いよく立ち上がった俺はくの字の姿勢で止まった。


俺は自分が抑えられないのがわかると、手だけは出さないように、机の上にあった何かを引っ掴んでおもっきり叫んだ。

「ああああああああああああ!」

「うガあああああああああああああ!」


その雄叫びを聞いてチビ女のギョロ目が飛び出そうになっている。


そのまま俺はヒステリックに、支離滅裂に怒鳴り散らした。

「わからないか?わからないのか?」

「ふざけんなよ、このクソチビ女」

「何回も俺は言ってるのに、なんで見えてないようなふりをするんだ!」

「あのナイフが!っあのナイフが!っ」

「あいつの言うとおりに銃で全員ぶっ殺して終わりなんだ!」

「それが正解なんだろ!?クソがっ!俺は…俺は…」

俺はそこで言葉に詰まる。


チビ女がテーブルから少し離れて避難しながら、すごい剣幕で被せてきた。

「あーあーあー」

俺をしっかりと指差しながらこれだと言わんばかりに。

「本性でたっ!本性でたよっ!」

「見た?見た?美春ちゃん見た?わかったでしょ?」


そして四谷美春と目があった。

何だよその目…


俺の手には無意識で掴んだぐしゃぐしゃになったナプキンが握りしめられていた。

俺はそれを地面に叩きつけとそのまま逃げるようにその店を後にした。





考えれば考えるほど酷い醜態だ、争いは同じレベルでしか起こらないっていうネットミームが頭に浮かぶ、まさに俺はあの女のレベルまで下がって罵り合ってしまったわけだ。

いや、罵り合ったってもんじゃない、俺が勝手に雄叫びを上げて狂っただけだ。あれじゃまるでキ⚪︎ガイじゃないか。水谷じゃないか。

俺はもうひどくみっともない物笑のネタとして彼らに見られていることだろう。 

通りを歩いて狭い路地に逃げ込むと俺は角に見えたバーガーキングに入った。


ああクソ、クソが!

まだ微かに、あの暴発の余韻が残ってイラつく。


人のまばらな店内でカウンターに手をつくと、俺の人相を見て店員がギョッとしているのが伝わってくる。俺はそんな酷い顔をしているのか?


俺はメニューを見てシルキーランチダブルマッシュルームに目が止まり、その味を想像して少し気分がマシになった。


シルキーランチダブルマッシュルームのセットを注文すると、カウンター席は埋まっていたので、喫煙室の前にあった、二人がけの小さいテーブルにトレーを滑らせた。

俺は、カバンから出したデスソースを並べて、どれを掛けようか吟味を始める。

繊細な味のシルキーランチソースに冒涜とも言えるデスソースをぶっかけるのだ。なんて背徳的な味になるだろうか?

ダブルマッシュルームのハンを開けて分解するとゴロゴロと大きめにカットされたマッシュルームが入っている。俺はその灰色と、あのチビ女の肌の色が重なって脳裏に浮かんだ。

俺はあいつらにとってただの見た目通りの、想定通りのクズだったってことになって、あのチビ女はきっと四谷美春を守ったと今頃勝ち誇っているだろう。

だが俺は一番悔しかったのは、俺が築いた四谷美春の信頼が、俺たちの関係が、俺の守りたいっていう善意の意思がめちゃくちゃに捻じ曲げられて、酷い偏見と誤解に満ちたものに変えられてしまっているんじゃないかっていうことだった。

思っていた以上にそれが俺にとって大きなダメージだったことが今わかった。

四谷美春を送り届けた時に微笑んだ眼差しが、今やキ⚪︎ガイを見た時の驚愕のあの表情に変わり果てたわけだ。


俺はその灰色のチビ女のツラに真っ赤なデスソースを振りかけると、もう一度ハンを乗せて大口で齧り付いた。

きのこの旨みと辛さが混じり合う。そしてデスソースで台無しになった繊細なシルキーランチソースの背徳感を味わった。俺は辛さなのか少し涙ぐむ。

あのチビ女を食ってると想像しながら、それをがむしゃらに咀嚼して飲み込む。

そしてまたかぶり付く。急激に血糖値が上がる快楽を感じながら。

ほんの三口ほどで俺はそいつを平らげた。

俺が余韻に浸りながらポテトに手を伸ばした時、誰かが近づいてきて俺の前の席に座った。

俺は睨みつけてやろうと思ったが、急激に血糖値が上がった時の脱力感で首を持ち上げるのが精一杯だった。


だが睨みつけたって意味がないのだ。ガブリエルの明後日の方向を向いた冷たい瞳孔に、どんな眼差しを向けたところで何の意味もないのだ。

そしてそのまま口元は微動だにせずにいつものように呟いた。

「お前の兄を殺してほしい。」


そして続けた。

「全て取り返しのつかなことになる前に」


いつものセリフに今日は取り返しのつかないことになる前にという言葉が付け加えられた。こいつが言うと本当に取り返しがつかないんだろうなと感じる。今日の失態なんて可愛いものに思えてきて、俺はセンチメンタルな夢の中から現実に引き戻されるのを感じる。つまりだ。こいつは「早く殺せ」って言ってるのだ。


だが一体こいつに何ができるのか?今まで俺に何が起きた?殺さなかったらどうなるんだ?

確かにこいつからはまるで幽霊だか亡霊だかみたいな逃げ出したくなるような不吉な何かのような、または神々しい存在に対する畏怖のようなものを感じる。

だけどそれがどっちだったにしても、これってあのバイアスを感じる時の嫌な感じと似てないだろうか?


俺はずっと、ガブリエルの周りを疑い続けた。存在を不存在を、同一性を、関係性を、時空を、次元を、自分自身を。


そうするとチラリとほんの微かだが俺の反応が思い通りじゃなくて何かバツが悪くなったような表情がその冷たい目の中に一瞬だけ映った…様な気がした…


そして俺は初めて見たのだ。それが立ち上がるところを。そしてその白い塊は出口の方へ移動していく。

だがそのバイアスは強すぎて煙のような白い何かがかろうじて歩いているように見えるだけだ。

俺は机に並んだデスソースを残ったポテトと一緒にカバンに放り込むと、その白いモヤを追いかけた。


それを追いかけて外に出る。俺はバイアスをマックスで疑いながらそのモヤモヤの跡をつける。俺の余裕のない形相のせいか、その醸し出す異常性のせいか、人々は俺を避けて道をあけた。そしてそのモヤモヤは路地を抜けて大通りに出ると扉を開けて客待ちをしていたタクシーに吸い込まれた。


俺はすぐさま、別のタクシーを止める。

「前の誰も乗っていないタクシーの後ろを適当に走ってくれ。あの黒いやつ」

運転手は困惑して俺に奇妙な視線を向けた。

「急いでるんだ」

運転手は納得いかないようなそぶりで小さく首を傾げると車を出した。

なるべくガブリエルの使う認知バイアスに触れないように、かつ、別の因果関係で認識させるように俺は運転手に注文した。

バイアス最大限に疑っても、前の車の中に見えるのは後部座席に揺蕩ううっすらとした白いモヤだけだった。

しかし今、ガブリエルの乗っているタクシーの運転手には認識できているんだろうから、やつは器用に切り替えることができるんだろうと思う。確かに、あのベレッタやナイフも持ち主には認識できるのだから。

運転手は何か変な客だと思ったのか俺に話しかけることはなかった。俺は前の座席に手をかけて座席の隙間から前のタクシーを凝視していたからだ。


それからどのくらい走ったろうか?郊外特有の物流倉庫のような建物が増えてくる。交通量が減ってくるとそのタクシーが二つ連なっているのはだいぶ不自然に思えた。実際向こうが尾行に気がついている可能性は高いかもしれない。

だが俺のバイアス無視の限界で白いモヤしか見えないのだから、これ以上離されるともう追える気がしなかったのだ。

実際、水谷からは俺のバイアス無視の能力が十全になるまでは尾行は試すべきじゃないと言われていた。ガブリエルに仲間いる場合だって考えられる。確かにこんなに一点を疑ってあれだけしか感知できないバイアスを持つ人間が他にいたら俺はカバーすることはできないだろう。つまり俺は水谷と同じくらいのバイアスを無視する能力を身につけなければ俺自身が危ないのだ。

だけど、俺は追ってみたくなってしまったのだ。


しばらく走ると、その車は工場の前に停車した。料金を払うそぶりもなく、白いモヤはタクシーから溢れ出すとそのまま工場に吸い込まれた。

俺はそこに運転手を待たせて白いモヤの跡を追った。


中に入るとプラスチックの溶けるような香りがした。白い煙はだだっ広い駐車場を抜けて赤茶ともオレンジとも言えないような色で塗装された倉庫に入っていった。


俺はその跡を追った。従業員はまばらだったから、俺は何食わぬ顔をしてその煙の跡を追った。

中に入ると、グリーン仕切られた従業員通路を律儀に流れていく白い煙が見えた。傍らには金属の背の高いケージが白のペンキで塗られていて、その中にマネキンの体が並べられていた。どうやらマネキンを作っている工場のようだった。

そのままベルトコンベアに運ばれるような白い煙を追いかけていくと大量のマネキンが無造作に積み上げられた部屋にたどり着く。


だがその部屋に入るともう白い煙は消えていた。

俺はそこで、認証バイアスを最大にして、その空間を、そのマネキンの一つ一つを凝視して最大限に疑って回る。

すると、その中の一つのマネキンがじっとこっちを見ているような気がした。俺はそこに集中的に疑いを向けるとそこにあの白い顔があった。


大量のマネキンの中に埋もれながらその目だけはこっちをじっと見ていたのだ。

マズイ!俺の背中に大量の冷や汗が流れた。


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