認知バイアス訓練と衝動

引間 涼


俺は残りのバーガーをテイクアウト用の紙袋に包むと水谷の事務所に向かった。善は急げだ。

水谷にガブリエルを尾行して貰えば、この事件は解決に向けて大きく進むような気がした。

今まで横たわっていた。デカ過ぎるブラックボックスに光が当たるんだ。

俺は自分がものすごい発見をしたような気になっていた。

それから南北線を使って新宿に向かい、事務所に着いた頃には夜の9時を回っていた。


水谷は不機嫌そうな顔をして俺の話を聞いていた。

「だから、今度ガブリエルが現れた時に、あんたが遠くから見張っていて、跡をつけてくれたらどうかなと俺は思うんだ」


いいアイデアだろと言わんばかりの俺に対して水谷は俺を睨みつけながら言った。

「何を言い出すかと思えば、この自分勝手なクズ野郎が!」

水谷は続ける。

「そりゃそうだろうよ。そいつは認知バイアスを使ってるだろうよ?

そんなことはこっちは最初っから百も承知なんだよ。わざわざ来て話すことと言ったらそんなことか。」

そして最後に語気を強めて付け加えた。

「どうしようもないバカだなお前は本当に!」


なんて不快なやつなんだ。俺は思った。

まあ、水谷がクソヤローなのは今に始まったことではない、こんなことでカッとなっていたら、こいつと話なんかできやしないのだ。

「じゃあなんでそれがわかってて調査しないんだ?」

「あ!実はもうやってるとか?」


俺がそう尋ねると、水谷は深いため息をしてから言った。

「じゃあ何か?俺は命懸けで、その人外の化け物の跡をつけて行かないといけないってのか?」

「ふざけるなよ小僧!」


「いやそれがあんたの仕事じゃないか?」

「それが出来るからバカ高い依頼料を内蔵売っ払う念書まで押して体で払ってんだろ?」


そう言うと、水谷は忌々しいものを見るような目つきで俺を見やがった。


そして思いついたように言った。

「お前が認知バイアスを無視できるようになればいいんじゃないか?」

「そうだ!お前のアイデアなんだから、お前が実行すればいいじゃないか!」


俺が?いやそういのって超能力みたいなもので生まれ持ったもんじゃないのか?

「いやだからそれができないからあんたに頼ってるんじゃないか」


「いや、出来るかできないかはやってみないと分からんじゃないか?」

「お前には素質がある気がするんだよな。」

水谷は自分の顎鬚を触りながらこちらをじっと見つめて言った。


「やってみるか」

勝手にひとりで納得したようにそう言うと、水谷は事務所の奥から何かを持ち出した。

そして俺に尋ねた。

「俺が何をしたかわかるか?」

ああ、この感じはやはり最初に水谷から逃れようとした時や、ガブリエルが消える時の、でも逃げ出したくなるような感覚はずっと弱いように感じる。

「何かを取り出した?」

水谷はニヤリと笑った。


「そうだ!正解だ!」

そういうと、水谷は机の上にあったものをどかした。

「いいか、今ここにあるのは、俺が以前見つけた認知バイアスのかかった何かだ」

「だがこのバイアスはお前が持っている銃やガブリエル、それからーーーほど高くはない、だからまずはこいつを認識できるようになるところから始めようか」

こうして、俺は水谷のところで、認知バイアスを無視する訓練を始めたのだ。


面倒臭いのは、俺が認知バイアスの訓練を計画的にやろうとすると、そこにその物質の認知バイアスが及んでしまうため、俺が訓練のために水谷のところに訪れないという事態が発生してしまう。つまりバイアスが働いて俺は水谷を避けてしまうのだ。

だから、どうしたのかというと、その解決策は俺には何も知らされなかった。つまり俺は何も知らない方がバイアスが波及しないということらしい。自分で言ってても訳が分からないが、要は水谷がうまくやってくれるっていうことだ。


そして、この訓練にはもう一つの問題があった。バイアスを無視した場合の副作用だ。そうだ、水谷のあの間欠爆発症だ。あの急に狂ったように怒り出すアレだ。俺は少しそれを感じることができた。水谷はそれを感じることができるということは、素質があることだと言った。

この感じを例えるなら、ものすごく不快な事実を知ってしまったにも関わらず誰にも話せないみたいな感じだった。


訓練が終わる頃には俺は本当に水谷の顔を見るのも嫌なくらい嫌いになっていた。

帰り際に俺はふと水谷に聞いた。

「そういえば、こないだのマック店員の警護はどうしてるんだ?」

もし、水谷しか認知バイアスを無視できないなら、水谷はだいぶ手一杯ってことになる。その割に暇そうにしてるのだ。

「ああそれか、いやその話は無しになった。」

俺は言った。

「無しになっただって?いや無しになったってどういう事だよ?」

それに対して水谷は急に声を荒げて言った。

「こっちだってな!慈善事業でやってるわけじゃないだよ!」

「俺の依頼はお前の兄が殺人者かどうかを見極めることであって殺人を食い止めることじゃない。」

俺がそれを聞いて非難がましい目を向けると、水谷が少しトーンを落として付け加えた。


「本当はアレを助けるべきじゃなかったくらいなんだ。お前はどのくらい危険な相手を相手にしているのかが分かってないんだ。」

「今できることと言ったら、あの女がどうなるなるかを観察することくらいだ。つまり、犯人が執拗に殺そうとするのか、それとも、そのまま野放しにするのかだ。」

俺が軽蔑の眼差しを向けながら立っていると水谷は自分に納得させるように続けた。

「大丈夫だGPSはつけてある。」

「だから、不自然な動きがあればこちらに情報が入ってくる。それで犯人が分かれば、この依頼は完了じゃないか。わざわざ警護してどうなる。そんなわけのわからない勢力と対立する必要はないだろう。」

そして最後に俺を見て言った。

「俺たちにはどうしようもないんだよ。それは交通事故みたいなものなんだから。」


つまり水谷は、これ以上深く関わって四次元人と対立したくないんだろう。あのマック店員が生きていることは向こうもいずれ気がつくだろうし、その時に俺たちが警護していたら、最初の殺人を妨害したのは俺たちだってバレてしまうリスクは大きくなるだろう。

結局俺は黙っていた。確かにそれ以上俺に進言する権利はないと思ったからだ。

それに確かに水谷がいうことも一理あった。だけどいいのか?それで…



引間 秋平

(恋人との会話中に考えている。シーン)


人は誰かにもしくは何かに仕えなければならない。

誰しもがいつかは支配者と衝突して選択を迫られる。能力によってそれが早いか遅いかっていう違いがあるだけだ。それならば四次元人は、あのマッカーサーはこれ以上ない存在のように思えた。


「そうそうこないだお土産で貰った紅茶があるんだった」

汐梨が言う。

私は汐梨の家に来て、一緒に映画を見ているところだった。映画好きの汐梨の部屋には、大型テレビとスピーカーが完備されていて、さしずめミニシアターのようだった。

私は正面のソファに座って、私以外の誰にも見えていないナイフを鞘から抜いたり刺したりしながら考える。

しかし殺人だぞ? 

いやしかし政治家にしろ、間接的に大量に人を殺しているも同義でないか。今まで政策の過ち、又は故意の政策の過ちでどれだけの人間が虐殺されてきただろうか?

国家運営の究極においては殺人は必要になるのではないだろうか?


厳正と言われる司法裁判の判決ですら、時の権力や役人の事情によって恣意的に判決が捻じ曲げられてしまう。

裁判官ですら、自分の裁判の結果を決めることができない。


それならば、ならばあの男に仕えた方がずっとマシじゃないかと?

結局この世の正義というものは突き詰めていけば、どこかで妥協することになるのだ。そこが正義と権力の境目なのだ。それなら自分自身で実行したほうが潔いのではないか?私が実行しなくとも誰かが実行することになるのだから。


「これ見たことなかったんだ。」

と汐梨が言って、有名な戦争映画を再生し始めた。


私は極論を用いて段階的な判断を全て放棄しようとする。

しかしそれを良しとするかどうかも結局は私の判断なのだ。不可能じゃないか今更、ここにきて、常識的な判断基準の次元に戻るのは。そんな次元の判断ができるのはその次元で生きている場合だけだ。

私の前に彼が現れた時点で、そう言う次元の判断というのはもう考慮の対象にならないだろう。つまりあの瞬間もう別の次元へ私の思考は変質してしまうのだ。


一人目が一番の難関だと思っていた。しかしその選択を問いなす時というのはきっと定期的に訪れるのだろう。結局最終的には精神の選択があるのだ。知識は選択肢を与えてくれるし、論理性は選択の道筋を示してくれるだろう。だが最終的に選択を下すのは精神なのだ。最も強靭な精神が行う選択とはなんだろうか?

この殺人が私にとって挑戦であるならそれは、精神の敗北ではないのではないだろうか?

どの道始めてしまったのなら最後まで見届けるしかないだろう。

そうでなくてはそれこそ、中途半端に迷っては何も得られない失うだけではないだろうか?もう後戻りはできないのだから。


「どうしたの?秋平気分が悪いの?」

そう言ってこちらを向いた汐梨の顔と、青ざめたあの女の顔が重なった。

脳裏に目を瞑った女の顔がよぎる。



固めて、固めて、動かないように、考えるな。余計なことは考えるな。

狂気に始まりがあるとしたら。それは、精神の判断が論理を超越し始めた地点じゃないだろうか?



引間 涼


翌日の夕方、俺はあのマック店員、四谷 美春の勤めているマクドナルドの前にいた。

昨日は水谷のいうことにも一理あると思った。

しかしそういう風に冷酷に考えるならば、最初からあのベレッタで、兄を殺して終わりっていう話じゃないか?

だからもし自分がそうしない方向に生きるのであれば必然的に、四谷 美春を見殺しにするっていうことはできなくなる。

それに、水谷みたいな気の狂った中年と、俺みたいなどうしようもない人間が結託して、なんの罪もない女の子を見殺しにするっていうのはなんか違うだろ?

いや俺は格好つけたいだけなのかもしれない。ろくに女になんか縁がないから、下心でそんなことを考えてるのかも知れない。仮にそうだとしても俺が今やろうとしている方向はなんとなく自分にとって救いがあるような気がする。

今更ビビってどうなるっていうんだ?もう乗りかかった船じゃないか


俺がそんなことを考えていると、ドアから四谷 美春がバイト仲間と一緒に出てきた。

話しかけるだけなのに何故か胸がバクバクする。

いや別に俺はやましいことをやってるわけじゃないんだけどな。

俺はそう自分に言い聞かせて、少し大股でそのグループに近づいていった。



「あ、あの、四谷 美春さんですか?」

少し声が裏返った。


四谷美春がこっちを振り返った。明らかに警戒したような目つきだ。

俺は続けた。

「少し話があるんだけど」

俺がそういうと、背の低い気の強そうな女がしゃしゃり出てきて言う。

「はぁ?なんなんですかあなた?警察呼びますよ?」

キッパリとそう言って、四谷美春を連れて逃げようとする。

そして俺と同じくらいの体格の優男がこちらを見てキョドっている。

なんだそりゃ?俺が何したっていうんだ?


俺が四谷美春を追いかけようとすると、優男が俺の前に立ち塞がる。

「いやちょっと、ちょっと」

「なんなんですか?警察呼びますよ?」

俺はそいつを睨みつける。

なんなんだどいつもこいつも警察、警察って。

俺が誰かに話しかけると犯罪になるのかよ?何罪だよそれ?

そうやって俺がそいつと押し問答していると。

「あはははははっ」

それを見て四谷 美春が笑った。屈託なく笑ったその笑顔は、今までの受けていたツンケンした印象とは随分ちがうものだった。

「確か探偵さんと一緒に居た方ですね」

四谷 美春がそう説明してくれて、俺もやっと立つ瀬ができた感じになる。

「あーどうも、探偵助手をしております、引間 涼というものです」

ちび女が俺にまだ絡んでくる。語尾をあげて威嚇するように言う。

「じゃ、なんで最初からそう言わないんですかぁ?」

黙れクソ女。お前が自己紹介すらさせずに不審者扱いしたんじゃねーか。

そう思ったらそれが顔に出てたのか、女はさらにすごい形相で睨んでくる。

なんでそこまで初対面の相手をこうも憎々しく見られるのか。まるで親でも殺されたかのように憎々しげな目つきでこちらを睨んでくる。

「まあとにかく、先日の件で四谷 美春さんの警護をする事になりましたので、注意事項等お話しておきたいと思いまして」

俺がそう言うと、ちび女はその言葉尻に飛びついていった。

「えーなになに!先日の件って?」

なんだよ、こういうデバガメがいるせいで全てスムーズにいかないじゃないか。

俺がそう思っていると四谷 美春が説明する。

「私この間、帰りに誰かに攫われたみたいで、でも警察に行っても全然相手にしてくれなくて」

困ったように四谷美春がそう言ったのに対して俺は絶対なんか首を突っ込んでくると身構える。

しかし実際は驚くほど無関心だった。そして急に興味を失ったかのように、踵を返してチビ女がいう。

「じゃあねー春ちゃん!また来週っ」

うーん、なんだこの不自然さは?これってあれか、認知バイアスが間接的に働いてこの事件に関する興味が妨害されているって事なのか。つまりそう感じるってことは俺は認知バイアスを多少無視しているってことになるのか。たぶんそういうことなんじゃないだろうか?



そして俺と四谷美春は二人残された。

俺はまず四谷美春に対して警護にあたっての注意点を挙げた。

①なるべく一人にならないこと

②戸締りをすること

③そして、送り迎えに自分が警護することを伝えた。

それは全て俺が考えたことで、効果があるかどうかは全然わからなかったが自分がベレッタで誰かを殺害するならやりにくくなるだろうという条件を考えた。

「はい、わかりました。」

四谷美春はそう答えた。


そして俺は、四谷美春の送り迎えをこの事件が解決するまで行うことを伝えた。

今回犯人は、一度連れ去ってから犯行に及んでいることを考えると、通勤時を狙われる可能性が高いと考えたからだ。

「よろしくお願いします」

四谷美春が頭を下げた。たっぷりとした艶やかな黒髪の分け目が覗く。

そう言われると何か自分が有意義なことをしているのか、それとも飯事をしているにすぎないのかわからなくなり、俺は自重気味に笑った。





俺は四谷美春の隣を歩いた。こういうのってどうするのだろうか?少し後ろを歩くのが正解なのか?

俺は何か話した方がいいんだろうかと考えるが、多分自分と同じくらいの若い女になんの会話するべきか見当がつかなかった。俺は年齢を聞こうと思い頭の中でシミュレーションをするが、途中でやっぱり年齢を聞くのはセクハラになるとかいうSNSの情報を思い出して黙り込んでしまった。いい天気ですねっていうには相応しくなく空は鼠色に曇っていた。まあ護衛なのだから何も言う必要はないのだが、そして四谷美春も何も言わなかった。


しかし駅を出て雑踏を離れて静かになると、俺は何かますます気まずくなって、ソワソワして聞かれてもいないのに自分がこの事件に関係を持った経緯を話し始めた。 

それは良くない選択だった。

俺が兄の殺害を謎の人物に依頼されたことを話し始める。

「うん」

四谷美春が相槌を打つ。

最初はちょっと事件の触りだけ話して終わるつもりだった。

四谷美春がまた相槌を打つ。

「そっかぁ」

少しだけ話すつもりだったんだ、オブラートに包みながら。

だけど俺は聞いてくれる誰かがいる状況に、同じように事件に巻き込まれた女性がいる状況に、今までずっと一人で抱えていた何かが洪水のように溢れ出して止まらなくなった。


俺は兄に対して思っていたこと、自分が本来在らなければならない姿があったこと、だけど結局自分がそれとはかけ離れた存在になってしまったこと、それでも、いやそれだからこそ兄を殺したくないこと、俺は自分が兄に対して思っていることが何か災いして、こんなことになっているんなんじゃないかって不安。そして自分が罪人だということが口に出たところで。明らかに変な話をしているなと俺はやっと気がついた。

そしてどんな顔をして聞いているんだろうかと四谷美春の方を見ると、四谷美春は、少し俯いたまま全然頓珍漢な返事を俺に返した

「そう言うことってよくありますよね、私はペット飼ったことないけど」

俺は一瞬意味が分からなくて文字通りフリーズした。

そして次の瞬間思い当たる。

認証バイアスだ!


彼女の中ではそれで理屈が通った事になっているらしい。

四谷美春は何か納得したように頷くとなんの変哲もない表情でこちらを見上げた。

俺たちはそんな奇妙な会話だけをして彼女を実家まで送り届けた。

幸いなことに認証バイアスのおかげで、俺が吐き出したそれは四谷美春に届くことはなかった。



 

それから俺は一度家に帰ってからバイトに行く準備を始める。今回のバイトは新木場の倉庫だったから四谷美春の家とは反対方向だった。最近は色なんことに時間を取られるので空いている時間はバイトを目一杯入れないと生活が維持できなくなっていた。


俺が、作業用にしているGAPのボロいカーキパンツを履いて家を出ると水谷がドアの横でタバコを吸っていた。

俺の顔を見るなり低い声で言う。

「やるぞ」


そうこれが水谷が認知バイアスで俺が訓練に参加しないのを防ぐ解決方法だった。つまり、水谷が俺のところに不意にやってきて、俺の予定も何かも無視して訓練を強制するのだ。


このやり方のおかげで俺の生活はめちゃくちゃだった。俺は仕方なく派遣先に急用でいけなくなったと連絡を入れる。これで俺の評価はまたひどく下がっただろう。


水谷はこの状況はある程度のレベルまで習得するまでの我慢だという。俺が習得しさえすれば、こんな方法を使わずとも、水谷が突発的に俺を攫いにこなくても、自発的に訓練できるようになるという。だがその前に俺の生活が破綻してしまいそうだった。

それに俺は言ってないが、もし四谷美春の警護をしている時に、水谷が訓練のために俺を捕まえにきたら、俺が勝手に四谷美春の敬語をしていることがバレてしまうのだ。


ーーーーー



そしてまた俺たちは事務所で訓練を開始した、水谷が、金庫の中からまた、何かを取り出して、机の上に置いた。俺がそれが何かわかるようになったらとりあえず合格だそうだ。

バイアスの修行は酷いストレスだったから、そのせいか俺は唇と指の皮が捲れて切れて、かさぶたになっていた。そして、そのテーブルにつくと胃の痛みが襲ってきた。

俺は歯を食いしばってその胃の痛みが落ち着くのを待つ。


そしてテーブルの上の何もない空間を睨みつけた。


隣で水谷が喚き叫ぶ。

「疑え!疑え!」

「何もないことを疑えぇぇぇ!」

水谷の唾液がテーブルに跳ねるのが見える。


何かをそこに見ようとすると俺になんとも言えない異常なストレスが襲いかかって、すぐに立ち上がりたくなるが、俺の体は椅子に縛り付けられていて立ち上がることができない。

思考が勝手に全然違うことを考え始めようとする。頭がめちゃくちゃ痒くなって頭を掻きたくなるけど手が動かせない。

そうやって、俺は目の前の。本当に目の前にあるはずの何かから無理やり考えを逸らし続ける。どうでもいい思考が次から次へと浮かんできて脳がその認識を阻害しようと躍起になっている。


このあらゆる手段を使って目を背けたくなる衝動を我慢するのが水谷曰く能力開花の第一段階なのだという。しかし気をつけなければいけないことがあった。

この衝動は我慢し続けているとある地点でそれが暴力的な衝動に変わるのだ。

そして俺はそれが少しずつ自分の中に蓄積されていっているのを感じていた。



こうやって溜め込まれたものがどうなるんだろうか?俺はこの訓練をやっているうちに、あの那須を殴った事件が、もしかしたら、この認知バイアスを無視することによるこの衝動から来たんじゃないかと思い始めるようになった。

あの行動が今まで少しずつ溜まっていた衝動が爆発した結果だとしたら?

じゃあ、今やってることはどうだ?あの時よりもずっと認知バイアスに関わり合ってる。そしていずれもっと大きなバイアスを無視して、何かを認識できるようになって、その代わりに俺の心の中に黒いものが溜まっていって。

そうしていつかその衝動の大爆発が起こって。


その時俺が銃を持っていたら?

 

水谷がいうには、普段からその衝動を溜めこないことが大事だと言うのだ。つまりあの間欠爆発症は水谷にとって自衛策ということになる。


だがああやって発散できたらまだマシで、俺はどうしても溜め込んでしまうのだ。いつ爆発するか分からない黒い何かを。

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