間欠爆発症と認知バイアス
四谷 実春
ピーピーピー ポテトの上がる音が厨房から鳴っている。今日はシフトがうまく合わなくて全然人手が足りていなかった。
わたしは全く余裕が無くなっていた。カウンターには行列がなしている。いつもの昼時の混雑に加えて、今日は涼を求めて飛び込んだ客が加わって店内はごった返していた。
今日はもう10月の終わりなのに真夏のように暑かった。
いつも来る見窄らしい格好の男性客が高圧的に注文してくる。
「とんかつてりたまバーガーセット」
この人は、バイト仲間同士で『シャカぽて』というあだ名がついていた。
毎回シャカシャカポテトを注文するし、注文する時の正気のない言い方が印象的だからだと思う。
「シャカポテとダイエットコーラ」
「それに単品でオニオンポテトとチーズバーガー」
シャカぽてはぶっきらぼうに続けた。目はわたしの胸に向いているように見える。
自意識過剰かな?
オニオンリングを注文されて、フライヤーがいっぱいなのを思い出した。
ついつい顔が引き攣った。
私は無愛想に注文を繰り返す。
忙しいとわたしの神経は全く、愛想を振り撒く回路に使われなくなった。
愛想のない女というのは損だと思う。
男だったらいいなとたまに思うことがある。男なら愛想がなくてもそんなに非難されないでしょ?
女で愛想がないっていうのは結構キツい。愛想がないだけで器量が悪いとかそんな感じに分類される。ネットで調べると愛想がない人間というのは高慢で、捻くれていると書かれていた。
どうだろう?そう言われたらそんな気がしないでもなかった。
それにわたしは吊り目の仏頂つら、よく何か不満でもあるかのように見られることがあった。
本当に損していると思う。
そんなことを考えていたら忙しい時間はあっという間に過ぎてすぐに閑散とした空気に変わった。わたしは交代で休憩室に入る。
今日は一人休憩だから気が楽だ。パイプ椅子に座るとどっと気怠さが襲ってきた。
何か目的があったらいいのに、ただ生活をするためのバイト。このまま年をとっていったらどうなるんだろう?
今日はお客さんが少ないな。
割と暇だったので私はイケメンの主任が赴任してきて始まる恋愛物語を頭の中で再生しながら、退屈な午後のシフトを乗り切ろうとしていた。そう、いつか王子様が現れて。でも私はこんな感じから他の子達みたいにその王子様に愛想よく振る舞ってアピールなんてできない。でもその人はきっと私の内面にある何かに気がつく。そんなことを考えながら接客する昼下がり。
「ダブルチーズバーガーセット」
シャカぽてが横柄な口調で注文した。
「それとシャカシャカポテトとダイエットコーラ」
「焙煎ゴマエビフィレオとスパチキ」
私はその注文を繰り返す。
この人久しぶりに見た気がする。なんか顔が腫れて青あざができている。
私の頭にドラマのワンシーンが浮かび上がる。
借金をしてデスゲームに参加することになるやつだ。こういう人がデスゲームに参加していてもおかしくはない。
わたしは閑散とした店内で残りのバイトの時間で妄想する候補としてその設定は面白いかもと思う。
シャカぽてにオーダーをサーブするとしばらくは客が途切れていた。
私がカウンターで退屈そうにしていると、後ろから陽子先輩が声をかけてきた。
少しハスキーの声で先輩は言う。
「うわきっも!またあいつ来てる。」
聞いていた男性スタッフが笑う。
でもそう言いたくなる気持ちもわからないではなかった。別にそのお客さんが憎いわけじゃない。
こう言うのはアルバイト仲間の定番の娯楽なのだ。
そのまま陽子先輩はテーブルの清掃にフロアに出ていった。
帰ってきて気持ち悪いって言いたげに吐くようなジェスチャーをする。
ようこ先輩は、決めつけて言う。
「間違いないって!食べ方が汚い人間は人間性も汚いから」
私は引き攣ったように不器用に笑って先輩に話を合わせた。
引間 涼
「ダブルチーズバーガーセット」
俺は横柄な口調で注文した。
相変わらずDカップが嫌悪の眼差しで俺を見る。
俺はまたいつものテーブル席へドカッと座った、今日は人が少なくてガランとしている。
ガブリエルに会って銃を持っていても俺の生活は相変わらずだった。
俺は相変わらず日常は全くうまくいかなくて貧乏くじばっかりって感じだ。
今日はまた派遣先でクビになった。
だけど、そんなことはもうそんなに気にならなかった。
俺は自分にいつもの問いを繰り返す
『なんで俺なんだ?』
そうするとガブリエルの白い顔と言葉が俺に答えを思い出させる。
『お前が罪人だからだ』
それを思い出しながら俺はタバスコで真っ赤になったポテトを噛み締めた。
そう、俺がずっと今までフラストレーションの原因だと思っていた人間関係だの、バイトや派遣先の理不尽だのっていうのは、本当の原因じゃなかったんじゃないか?つまり本当はそれは俺自身の…
それ以上考えようとすると、得体の知れないストレスが襲ってきて俺のジャンクフードトリップは加速した。デスソースでヒリつく舌に、ダイエットコーラを流し込む。
そしてまた齧り付く。腹が減った犬みたいに。
最後の一口を指で強引に自分の口に詰め込むと俺は、カバンの中の銃を確認した。そして携帯でその地図を確認すると店を出た。
新宿に着くと、ゴールデンアワーの光彩が街を玉虫色に染めていた。まだ四時なのに日は落ちかけている。
新宿三丁目の方にしばらく歩いて、大通りから細い通路に入っていくとその建物はあった。
その雑居ビルは度重なる改装のためか入り組んでいてまるでピラミッドに入っているような感覚を覚えた。やたら天井が低くて、押しつぶされそうな印象を受ける。以前窓だったであろう場所は塞がれてしまっている。
東京のコンクリートジャングルにはこういう雑居ビルがたまにあった。
雑居ビルの狭い階段を登って、奥の方へ歩いていくと雑然と荷物が積み重ねられているのが目に入る。
そこにあった、宇宙人グレイの置物があるのを見つける。
扉は開けっぱなしになっており、そこから怒鳴り声が響き渡っていた。
開け放たれたドアはオレンジに水色の枠取りの色にペイントしてあった。
中を覗き込むと、中年男が助手と思われるオバはんに怒鳴り散らしていた。
怒鳴り方が常軌を逸しているようにも見える。おせっかいかも知れないし、事情はわからないけど、凄まじい罵詈雑言をヒステリックに捲し立てている中年男を見るに見かねて俺は一応仲裁を試みることにした。
狭い通路を入っていくと脇には、水晶玉だの、宇宙船の模型だの、UFOを撮ったと思われる写真だの、宇宙人の遺した石だのが妙なスペースを開けて雑然と置かれていた。棚にはカルトじみた本が並んでいて、棚板はその重みで、今にも折れそうなほど曲がっていた。
それらのものやこの怒鳴り声が客を遠ざけていることは容易に想像できた。
こういう人ってどうやって生活していってるんだろうな?
「すみませーん」
そう言いながら事務所に入っていこうとした瞬間。
パリーンと陶器の割れる音がして、ついにオバはんがブチ切れた。
「人が黙っとりゃ、何調子乗っとんじゃワレェ!」
そういって、近くにあった、湯呑みを投げたかと思うと、近くにあった、金色の銅像を手に取って中年男を殴りつけ始めた。部族の女をデザインしているのか、たらこみたいな唇に坊主頭垂れたおっぱいがダブルの字に模ってある。
俺は咄嗟に止めに入るが、ブチ切れたオバはんは俺にも容赦無く殴りかる。
「何があったか知りませんがー!」
俺はそう言いながらなんとか仲裁しようと二人の間に入り込むと、俺の側頭部に銅像の乳が当たってゴツッという音がする。
滴った血を見てようやく我に帰ったオバはんは、青ざめて言う。
「あんたがいきなり出てくるから…」
ーーーーーーーーーーーーーーー
くるくると俺の頭に包帯を巻くオバはんの手は手慣れたものだった。前にもこう言うことがあったのだろうか?
そして俺の頭に包帯を撒き終わるとオバはんは中年男に
「私はもうあなたと同じ空間にいることが耐えられません。辞めさせていただきます。」
そうピシャリと言って出ていった。
それを聞いた中年男は軽く右手をあげて了解の合図を示した。
そして俺に出されたお茶を啜った。
その仕草がいかにも社会不適合者といった具合で、俺は自分が何をしているんだろうと思い始めた。
中年男はお茶をカツンとテーブルに置くと気を取り直したかのように、さっきまでの刃傷沙汰がなかったように、ケロリとして俺に言った。
「オカルト専門探偵 水谷 みひろです。」
そして、オレンジと水色で趣味悪くデザインされた名刺を差し出した。
ーーーーーーーーーーー
こうやって対面してみるとその男は思ったよりもガッチリしていた、身長は涼よりも少し高いくらいで、浅黒く日焼けして、少し骨ばった顔つきに縁の無いメガネを掛けていた。だが、インテリという感じはなくて全体から感じる雰囲気はむしろ軍人とか警察官とかの雰囲気に近かった。
そして目つきはいつも何かを洞察しているかのような思慮深さを感じさせた。さっきの醜態を見ていなければ、黙って一切動かなければ、落ち着いた大人の紳士に見えなくもない。
もう俺ははわざわざ色々と説明することはなかった。ただこう言えばいい、
「この銃なんだけど」
そう言って、銃を机に出せば、その探偵社が問題を解決できるかどうかわかる。
前回の探偵社ではまるでそこに何も見えないように振る舞うどころか、まるでこの事象自体に関わる事を避けるかの如く、全く別の話をし始めた。
俺はは期待していなかった。とりあえず、銃で試してから、そのあと、もし見えない銃があったらって言う話でも聞いてみようかと考えながら、ショルダーバックから銃を出して机に置いた、そして言った。
「この銃なんだけど」
探偵は神妙な顔をしてこの銃のある空間を見つめていた。
「見えるのか!」驚きと、希望が混じり合って思わず声がでた。
まだ探偵は神妙な面持ちで銃のある空間を見つめている。
そして
「認知バイアスぅぅぅぅぅぅぅぅ やああああああああああ!」
と奇声を張り上げたかと思うと、狂ったように地団駄を踏み始めた。
「なんでだよぉぉぉぉ!」
「なんでこうなるんだよぉぉぉぉぉ!」
涎を垂らして叫びながら泣き喚いている?
男のヒステリーほど見苦しいものはない。俺は即座にここを出て行きたくなった。
だが、こいつはコレが見えているんだ。
そして、水谷は俺の存在に気が付くと俺にありとあらゆる罵声を浴びせ始めた。
ああ、さっきのオバはんは悪くなかったんだな。
俺は気がついた。
「このクズ野郎が!」
顔を近づけて叫び散らすと、唾液が飛んで顔に掛かった。
怒りを通り越して俺はこの中年男を心底軽蔑した。
そして席を立って出て行こうとした時。
水谷が後ろから言った。
「認知バイアスがかかっているね、それ」
まだ軽蔑の眼差しで呆れて見つめる俺に対して水谷は続けた。
「こんな強力なの滅多にないよ」
そして俺に何事もなかったかのように、俺が短期を起こしたみたいな言い草でソファを示して言った。
「まあ掛けなさい」
この探偵によるとこの世の中には認知バイアスっていうものがあるらしい。
「具体的には自分の思い込みや、周りの外圧によって無意識のうちに事実と違う判断をしてしまう心理現象のことだね」
水谷の説明によると、この銃にはその認知バイアスのようなものが掛かっていて、正常な認識が阻害されているらしい。
「じゃあ何で、あんたにはそれが見えるんですか?」
俺は質問する。
正直あの姿を見た後に、この男を敬称を付けて呼ぶことには抵抗があった。
水谷曰く、この世界には認知バイアスで阻害されている事実がたくさんあるらしい。宇宙人の痕跡を調べる際にそう言うものに触れてきた水谷は、訓練の末、認知バイアスを取り除く能力を獲得したという。
「だが副作用があってな。見えない人間たちの愚鈍さに我慢ならなくなるんだ。それはもう我慢ならなくてな、さっきもお見苦しいところをお見せしました。」
水谷は急に丁重になって言ったが、あの行為に対して対して後悔しているようにも反省しているよにも見えなかった。
俺はこんな副作用があるくらいなら、この世の中にいくらか見えないものがある方が全然マシだろうと思った。
理解してくれる人間が現れたという喜びというよりも、自分が異常者に近づいたような不安の方が大きかった。
しかし誰にでも何かしらの反動のようなものがあるんだろうと考え直した。それ以外の部分を考えれば水谷はまともだった。
それに、どの道俺はこの男に頼らざるを得ない。この件に関して言えば、そもそもこの銃が認知されないことには話が進まないのだから。
引間 秋平
汐梨から借りているアウディのSUVからはまだ新車の匂いがしていた。運転が苦手な汐梨ほとんどこの車を使うことはなかったからだ。本当はワンボックスカーの方が仕事は捗ったんだが、この車を汐梨が父親から入学祝いに買ってもらったのは私がナイフを授けられる随分前のことだから仕方ない。
少しずつ街の明かりが少なくなって郊外に入っていく。
外に出ると夜風はだいぶ冷たい。その廃工場の街灯はもう機能していなかったが、満月の灯りで私は、その草の生い茂った道を難なく見つけることことができた。
この工場は最近倒産した会社の登記簿調べて、その閉鎖された施設を探し出して見つけたものだった。
私は、中に入ると、その柵を閉めて開かないようにチェーンをかけると、最後にかんぬきをするようにナイフを取り付けた。こうしておくことで、バイアスが働き、この場所に人が近づかなくなるためだ。いわば人間の忌避剤のようなものだった。
中に入ると錆びた鉄の匂いがした。この工場はモーターのオーバーホールをするための施設だったようで、一部のまだ使える機械は全て取り除かれていたが、一部の作業台や、細かな釘やボルトはそのまま残されていた。
これらは『装置』を作るときに時折役に立った。
私は石油ストーブに火を付けると、やりかかっていた作業を再開した。
手書きの設計図に沿って糸鋸でベニヤを切り始めた。
そして、
その男は私が一人目に殺した男だった。
最初にあのマッカーサーが私に渡したカードには、出水の名前と住所そしてパチンコ店の名前が書かれていた。
当然だが私は当初殺人など実行するつもりは毛頭無かった。
ただ、このナイフの不思議な習性やあのマッカーサーの格好をして男に対して好奇心が湧いていた。
私はまずこの出水という男が一体どういう男なのかということを知りたいと思った。
こんな道具を使って殺されるほどの人間とはどういう人物なのだろうかと。
テロリスト予備軍だろうか?それとも、何か新しい発見を成し遂げた学者だろうか?
もしそういう相手だったら相応の警備がされているんじゃないだろうか?
しかしそういった私の予測と、出水は全く異なる人間だった。
出水は、郊外のアパートで暮らしていた。そしてカードに書いてあったパチンコ店に毎日のように入り浸っていた。
彼は、そこで働いているのではなく、客として通っていた。
私は近くのアパートを借りて、そこからしばらくこの男を観察することにした。
年齢は30代後半だろうか?髪は金髪に染めており、そのパサパサの髪をオールバックに撫で付けていた。
体格は日本人にしては良い方で180センチくらいの男だ。
手の甲には袖から続く刺青が見える。
その派手な身なりとは裏腹に、出水の生活は退屈なものだった。
出水は仕事をしていなかったので、生活費は、同棲している女からの生活保護と、彼の家族へのたかりによって賄われてるようだ。
意図的に怠惰にしているのかと思われるような生活はまるでナメクジやナマコなどの軟体生物を観察するが如く退屈だった。
窓から見える室内には、黒いカーテンが付けられていたが、ほとんど空いていたので部屋の様子を見ることができた。部屋の中にはパチンコの攻略雑誌があるわけでもなく、中途半端な巻の漫画が数冊おいてあるだけだった。
出水は昼頃目を覚まして、パチンコ店に出掛けては、勝てばそのまま打ち続け、負ければ、家に帰って、同棲している女の連れ子を虐待していた。
それ以外の時間はアニメを見ているか、携帯をいじっているかだった。
結局、一番大きな出来事といえば、この男が自分の妹の職場に金の無心に行き、暴れて、結局この妹が職を失った事件くらいだ。
もし出水が、彼の妹に生活の援助を継続的に望むなら、目先のわずかな金銭のためにこのような行動を取るのは明らかにマイナスでしかない。
おそらくこの男は軽度の知的障害を患っているのではないだろうか。
数十日観察した結果私は、この男が殺されなければならない理由も、生きているべき理由も見つけることはできなかった。
しかし誰かこの世界に不要な人間を間引きするとしたらその選択の候補に上がる可能性はあるだろう。
つまり淘汰されるものとして選択された可能性だ。
もしかしたら、こういう人間が我々が気が付かないところで、少しずつ淘汰されていってるのではないのだろうかと私考えた。
そして私はその執行者として選ばれた。仮に私がここで抗って執行を拒絶したとしても、おそらく彼らは他の誰かによって同じように殺される運命にあるんだろうと思った。
認知バイアスが働くとはいえ、実際にナイフで生身の人間を殺害するのは躊躇われた。
私はなるべく間接的になるように努めた。
PTSDになる兵士のほとんどが、被害者と対面しての殺害を行い、断末魔の叫びを聞いているそうだ。
そこで私は間に機械を介在させて、さらに実行の時間をずらした。
そして十分に時間をかけてナイフの効果の範囲、期間の検証を行った。
最初は毛頭殺人など実行するつもりはなかったが、ここまで準備を整えた頃には好奇心が勝るようになっていた。そう、最後までやったらどうなるんだ?
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