第2話 ようこそ、ナイトワールドへ②

 意外にも城の中はきれいだった。

 床は鏡のようにピカピカだし、シャンデリアにはほこり一つない。


(本当に、ここがおじいちゃんの家……?)


 リビングに通された礼太は、ソファに縮こまって壁の絵や燭台しょくだいを見回した。

 そんな礼太を、向かいに座る老執事はいぶかしげに見つめる。


「人間界に住まう貴方様が、なぜ、ナイトワールドへ……」

「ナイトワールド?」

「この世界の名前。ずっと夜だからねぇ」


 老執事の言葉を、左のソファに座る銀髪青年が補足する。次いで彼はあっと声を上げた。


「自己紹介がまだだったねぇ。俺はマイケル。君の再従兄弟はとこにあたるかなぁ。気軽に“マイキー兄さん”って呼んでねぇ」


 「は、はあ……」あいまいに返す礼太に、老執事は胸に手を添えておじぎした。


「申し遅れました。私はクルス家にお仕えする、執事のセバスチャンと申します。こちらはメイドのエレノアです」

「ノラでいいですよお。リヒト様にはとってもお世話になったんですう」

「よ、よろしくお願いします。マイキーさん、ノラさんに……ええと」

「呼びにくければセバスとでも」

「どうも、セバスさん」


 物腰柔らかな三人に、礼太は少しほっとした。

 どうやら、彼らは礼太を食べるつもりはないらしい……恐らくは。


「でも、な~んで紛らわしい格好するかなぁ? レイ君、危うく今日の夕食になるところだったんだよ?」


 マイキーに指された耳を、礼太はとっさに押さえた。


「これは、えっと、母さんが隠してなさい、って……」

「どうして? 立派な牙もとがり耳も、吸血鬼僕らじゃ誇らしいことなのに」

「え……」


 さも当たり前のようなマイキーの言葉に、礼太は目をぱちくりさせた。


 礼太の耳と犬歯は、生まれつきとがっていた。

 髪で隠して、小さく笑うようにしたけれど。悪魔みたいだとクラスの男子は笑い、女子は遠巻きに耳打ちするばかりだったのだ。


「マイキー様、分かりませんかねえ? 人間界では吸血鬼ヴァンパイアっぽいところは隠さないといけないんですよお」

「えぇ~? 人間の考えって分かんないなぁ」


 のんびりと話す二人に、あの、と礼太は気にかかっていたことを切り出した。


「皆さんは、その、吸血鬼ヴァンパイア……なんですか?」

「あ~ゴメンゴメン、まずはそこからだねぇ」

「私からご説明を」


 セバスが礼太をまっすぐに見つめて話しだした。


「左様でございます。そして貴方様の祖父であるリヒト様は、それは偉大な吸血鬼であらせられました」

「おじいちゃんが!?」


 目を丸くする礼太に、セバスはうなづく。


「貴方様は人と吸血鬼の混血……半吸血鬼ダンピールなのです」


 礼太はしばし呆然とした。

 吸血鬼ヴァンパイア半吸血鬼ダンピール。そんなこと一度も言われなかったし、不思議な力を使えたこともない。


「でも、僕、太陽も平気だし」

「人の血も混じってるからねぇ」

「血も吸ったことないし」

「経験ないからですよお」


 「で、でも……」未だに信じられない様子の礼太へ、セバスは少しだけ目を鋭く細めた。


「ではなぜ、レイタ様は私どもの言葉が分かるのですかな?」

「え……」

「人間は吸血鬼私どもの言語を理解できません。我々が会話できているのは、レイタ様が無意識に言葉を合わせているからです」

「それに、さっきのケガもすっかり治ったようだしねぇ」


 ふと見れば、服の穴から見えていた傷はきれいに消えていた。

 おかしい。さっきまで確かに痛かったはずなのに。


 とまどう礼太に、マイキーは続けて身を乗り出した。


「ねえねえそれより、レイ君はどうしてここに来たの?」

「えと、分かりません……学校の帰り道を歩いてたら、急に霧がかかって、それで……」


 「なるほどね」彼はあごに指をあてがい、糸のように細い目を向ける。


吸血鬼僕らの世界であるここ、ナイトワールドはね。人間界と分かれていて通れないんだ。でも一部の強い吸血鬼だけは、人間界への行き来や、人間を呼び寄せたりすることができる」


 礼太はさあっと顔を青くした。

 つまり、礼太は誰かの手でこの世界に連れてこられた訳で。簡単には元の世界へ帰れないのだ。


「じゃあ、帰るにはその呼んだ人にお願いするしか……」

「やめた方がいいよ」


 とたんに冷えきったマイキーの声が、礼太をさえぎった。


「なんでそいつはわざわざ人間のレイ君を呼んだと思う?」

「……食べる、ため……?」

「うん。賢い子だ」


 恐る恐る答えた声に、マイキーはにっこり笑って続けた。


「人間は、俺たちにはこの上ないごちそうだ。特に人の生き血は、まさに垂涎すいぜんの的……うまく隠さないと、明日には食べられちゃうかもねぇ」

「そんな……!」

「人間って珍しいですからねえ。とっても強い吸血鬼じゃないと呼ぶことすら無理ですし! 名家の誰かさんか、あるいは……」

「“魔王”様、かなぁ?」


 「魔王……」思わず口にした礼太に、セバスがわずかに目元を歪める。


「ドラキュラ伯爵。吸血鬼一族の祖とも呼ばれる男ですな。の男はかつて人間界へと侵攻し、悪行の限りを尽くした恐ろしい奴です」

「魔王様は残酷だよ? もしレイ君が帰りたいなんて頼んだら、恐ろしい化け物に変身して……がぶり!」

「ヒッ!」

「なぁんてされちゃうかもね」


 鋭い牙をむき出して例えるマイキーに、礼太は半泣きになってうつむいた。


「じゃあ、僕、どうしたら……」

「レイ君が強くなるのが、一番手っ取り早いかもね」


 マイキーはいすに座り直すと、今度は真剣に礼太へ向き直る。


「それと。レイタって名前、あんまり聞かないからすぐ人間ってバレちゃうかも。レイって名乗った方が良いかもねぇ」

「わ、分かりました。そうします」

「素直ないい子ですねえ、食べちゃいたいくらい可愛いです~」

「あ、た、食べないでくださいっ!」


 うっとり微笑むノラに慌てて叫んだその時。ぐう、と間の抜けた音が響いた。

 はっとお腹を押さえる。そういえば、晩ご飯がまだだった。


「まずはお食事にしましょうか」

「腹が減ってはなんとやらです! それに。こんなに人間らしい匂いでいたら、すぐに正体がバレちゃいますよお」

「そうだねぇ。とりあえず数日こっちの物食べよっかぁ」


 食事の準備に立ち上がる三人へ、礼太はあせりながら聞いた。


「ってことは、僕、今日のうちに帰れないんですか……?」

「早くても十年後とかかなぁ」

「じゅッ!?」


 にこやかに告げられた衝撃の事実に、礼太は一瞬めまいを覚えた。


(十年って……じゃあ学校は? 父さん母さん、カンカンに怒っちゃうよ……!?)


 頭を抱える礼太に、ノラが「うーん」と人差し指を唇にあてがった。


「まあ、ここの時間の流れはだいぶ遅いですからねえ」

「え……?」

「そーそー、こっちの百年って、向こうの一年だしねぇ」

「じゃあ、ここの十年は、えっと……」

「約一ヶ月、ですな」


 冷静なセバスの答えに、礼太はさらに頭を抱えこんだ。


(それでも家から追い出されちゃうよお……!)





 その後、シャワーを浴びた礼太は、マイキーのお下がりのワイシャツと黒ズボンに着替えた。

 耳も牙も隠さない姿は、さながら吸血鬼のよう。


 料理ができるまで少しかかるようで、礼太は用意された部屋で、窓から外を眺めていた。


(きちんと帰れるのかな……もし帰れなかったらどうしよう……!?)


 礼太、もといレイは、延々と広がる不気味な森を見つめて、重いため息をつくのだった。

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