常夜の吸血少年レイ
日暮蛍
第1話 ようこそ、ナイトワールドへ①
電柱のかかる夕暮れ空。
工作クラブが終わった、いつもの帰り。
ああ、今回も算数のテストがうまくいかなかった。
足取り重く家へ帰る、そのはずだったのに。
(どうして、どうして?)
そばかすの目立つ色白の肌に、分厚いメガネ。男子にしては少し長い、耳が隠れる長さの黒髪がおどる。
暮れかけの青空は真っ赤に染まり、浮かぶ雲は黒い。夕日は三日月へ、アスファルトはぬかるんだ土へと変わり果てていた。
(ここはどこ?
涙目に振り向いた先には、枯れ木の上を黒い化け物が飛んでくる。
巨大な丸い体に、ぎょろりとした目玉が一つ。そこから二本角と短い足が生え、腕の位置からは悪魔の翼が生えている。
そして体の半分はあろうかという口には、乱ぐいの歯が並んでいた。
「あっ!」
不意にグイ、と後ろへ体が引っぱられる。振り向いた時には、枝に引っかかったランドセルのふたが勢いよく開いてしまった。
つんのめった礼太の前へ、筆箱が、ノートが、今日返された五十点のテストが飛んでいく。
ああ、なくしたら怒られちゃう。悪い点数でも見せないといけないのに。
そのまま礼太は泥まみれになって坂を転がった。衝撃でメガネもランドセルも吹き飛んでしまい、森を抜けたところでようやく止まる。
あちこちがズキンと痛む。歯を食いしばって身を起こせば、ぼやけた視界にも分かるほど大きな黒いかたまりがいた。
「あああ、ごめんなさいごめんなさい!」
腰を抜かしたままでいると、生ぬるい息がむわりと肌をなでる。
ああ、食べられるんだ。礼太は固く目を閉じ、腕で目の前をおおった。
人を丸飲みにできる口が食らいつく──。
その寸前で、バチリと目の前が輝いた。
ハッと礼太は目を見開く。よく目を凝らせば、めがねが無くとも視界がはっきりしていった。
巨大コウモリはまだ目と鼻の先にいた。が、牙は見えない壁にはばまれたように、礼太には届かない。
コウモリは低くうなると、やがて金切り声を一つ上げて森へと飛び去っていった。
(た、助かった……?)
どっと礼太は息をついた。
まだ足が震えている。運動はからっきしな礼太が逃げきれたのは奇跡に近いだろう。
息を整えて立ち上がり、辺りを見回す。
暗いしげみにはメガネもランドセルも、テスト用紙も見つかりそうにない。
森へ探しに戻って、またあの化け物に襲われたら一たまりもないだろう。
(ここは本当にどこなんだろう……)
ため息をついて、礼太は後ろへ振り向く。
そして思わず息をのんだ。
霧はいつの間にか晴れ、そこに見上げるほどの黒い城がそびえ立っていたのだ。
ひび割れたレンガに、草がこれでもかと絡んでいる。薄暗い森にぽつんと建つ古い城は、とてつもない威圧感を放っていた。
(なんで、こんなところに城が……)
汗ばんだ肌を、低く唸る風がなでていく。
生つばを飲んで、礼太は格子のようなフェンスへと歩み寄った。
門の扉は固く閉ざされており、すき間から見える玄関も、ベルらしいものはない。
「す、すみませーん……」
か細い声に、返ってくる声はない。
礼太は思いきってお腹に力をこめた。
「あの! 僕、帰り道を探してて……ヒッ」
バササ、と不意に飛び立つ羽音に、礼太はびくりと肩を震わせた。
見上げた木の枝から、カラスが空へと飛んでいく。
胸をなでおろしかけて、礼太はふと、枝を二度見した。
今、カラスとは別の影が見えた気がしたのだ。もっと大きい、人のような……。
息を殺して辺りを見回した、その時。
体がふっと浮く感覚と共に、地面と空がぐるんと反転した。
「うひゃあっ!?」
「つっかま~えたぁ!」
そのまま礼太はあっという間にフェンスを越え、石だたみの道へと降り立った。
腰の位置で誰かに抱えられている。犯人を見上げて、礼太は呆然とした。
二十代ほどだろうか。ゾッとするほど美しい男だった。
白い肌に、輝く銀髪。切りそろえた肩口に十字のピアスがゆれている。
「見てノラさ~ん、ほら!」
「おやあ、人間なんて珍しいですねえ」
きしむ音を立てて、両開きの扉が開く。
次に出てきたのは、丸メガネをかけ緑の髪をまとめあげた、メイド服の女性だ。
茶色の目はおっとりとしているのに、その奥には、えものを前にしたヘビのような鋭さがある。
それもそのはず。スカートからのぞく足は、大蛇の姿をだったのだから。
「ホントホント! 久々のごちそうにありつけるよぉ~」
「ヒッ……」
ごちそう、という言葉に礼太は身構えた。
この人たちはきっと人間じゃない。その証拠に、二人ともとがった牙と耳をしている。
「んーちょっと待ってください、マイキー様」
足が震えて動けない礼太に、蛇メイドはふと首をかしげた。
「その子、何か見覚えがあるお顔のような……あと混血っぽくないですかあ?」
「ノラさん、気のせいだよ! それに
(
とっさに飛び出そうとした肩はすかさず捕まえられてしまい、そのまま礼太の首筋へ、キラリと光る青年の牙が迫った。
「あ、あ……!」
「お~っと逃げないでねぇ? じゃあ早速、味見を……」
「お待ちください!」
ぎゅっとつむった目を礼太が開けば、玄関にもう一人、誰か立っているのが見えた。
黒い
老執事はつかつかと歩み寄ると、淡いスミレ色の目を礼太へ向けた。
「貴方のお名前は?」
「く……
「クルス!?」
「クルス!?」
振り絞った声に、青年とメイドは顔を見合わせた。
一方の老執事は、苦い顔でため息をつく。
「やはり、
「……りひとおじいちゃんを知ってるんですか?」
礼太は恐る恐る、聞き覚えのある名前を尋ね返す。
「お孫さん!?」蛇メイドは思わず口元をおおう。老執事はそんな彼女と青年を、キッとにらみつけた。
「アハハ~こりゃ失敬」
「リヒト様のご親族とはいえ、到底許されることではございませんよ」
「ごめんってホント! 謝るから、ね? レイ君」
「は、はい……」
なれなれしさに気圧されてうなづく礼太に、老執事は深々とおじぎした。
「ご無礼をお
「あ、待って、くださ……父さんが、その、知らない人についてったらだめって」
「は~いつべこべ言わない」
「ひぅあっ!?」
しどろもどろとする礼太を、青年が人差し指を振り上げ、超能力のようにひょいと宙へ持ち上げる。
困り果てる礼太へ、蛇メイドがにっこり微笑んだ。
「大~丈夫ですよお、何せこの城、レイ様のおじいさんの家ですからあ」
「で、でも……せ、せめて離してくださぁいっ……!」
抵抗むなしく、礼太は半ば強制的に城の中へと連れていかれた。
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