常夜の吸血少年レイ

日暮蛍

第1話 ようこそ、ナイトワールドへ①

 電柱のかかる夕暮れ空。

 工作クラブが終わった、いつもの帰り。

 ああ、今回も算数のテストがうまくいかなかった。

 足取り重く家へ帰る、そのはずだったのに。


(どうして、どうして?)


 礼太れいたは息を切らし、霧のかかる森を走っていた。

 そばかすの目立つ色白の肌に、分厚いメガネ。男子にしては少し長い、耳が隠れる長さの黒髪がおどる。

 久留守くるす 礼太れいた、十二歳。下校路を歩くうちに深い霧がたちこめて、気づいたらこの森にいた。


 暮れかけの青空は真っ赤に染まり、浮かぶ雲は黒い。夕日は三日月へ、アスファルトはぬかるんだ土へと変わり果てていた。


(ここはどこ? あれ・・は何!?)


 涙目に振り向いた先には、枯れ木の上を黒い化け物が飛んでくる。

 巨大な丸い体に、ぎょろりとした目玉が一つ。そこから二本角と短い足が生え、腕の位置からは悪魔の翼が生えている。

 そして体の半分はあろうかという口には、乱ぐいの歯が並んでいた。


「あっ!」


 不意にグイ、と後ろへ体が引っぱられる。振り向いた時には、枝に引っかかったランドセルのふたが勢いよく開いてしまった。

 つんのめった礼太の前へ、筆箱が、ノートが、今日返された五十点のテストが飛んでいく。

 ああ、なくしたら怒られちゃう。悪い点数でも見せないといけないのに。


 そのまま礼太は泥まみれになって坂を転がった。衝撃でメガネもランドセルも吹き飛んでしまい、森を抜けたところでようやく止まる。

 あちこちがズキンと痛む。歯を食いしばって身を起こせば、ぼやけた視界にも分かるほど大きな黒いかたまりがいた。


「あああ、ごめんなさいごめんなさい!」


 腰を抜かしたままでいると、生ぬるい息がむわりと肌をなでる。

 ああ、食べられるんだ。礼太は固く目を閉じ、腕で目の前をおおった。

 人を丸飲みにできる口が食らいつく──。


 その寸前で、バチリと目の前が輝いた。


 ハッと礼太は目を見開く。よく目を凝らせば、めがねが無くとも視界がはっきりしていった。

 巨大コウモリはまだ目と鼻の先にいた。が、牙は見えない壁にはばまれたように、礼太には届かない。

 コウモリは低くうなると、やがて金切り声を一つ上げて森へと飛び去っていった。


(た、助かった……?)


 どっと礼太は息をついた。

 まだ足が震えている。運動はからっきしな礼太が逃げきれたのは奇跡に近いだろう。


 息を整えて立ち上がり、辺りを見回す。

 暗いしげみにはメガネもランドセルも、テスト用紙も見つかりそうにない。

 森へ探しに戻って、またあの化け物に襲われたら一たまりもないだろう。


(ここは本当にどこなんだろう……)


 ため息をついて、礼太は後ろへ振り向く。

 そして思わず息をのんだ。


 霧はいつの間にか晴れ、そこに見上げるほどの黒い城がそびえ立っていたのだ。

 ひび割れたレンガに、草がこれでもかと絡んでいる。薄暗い森にぽつんと建つ古い城は、とてつもない威圧感を放っていた。


(なんで、こんなところに城が……)


 汗ばんだ肌を、低く唸る風がなでていく。

 生つばを飲んで、礼太は格子のようなフェンスへと歩み寄った。

 門の扉は固く閉ざされており、すき間から見える玄関も、ベルらしいものはない。


「す、すみませーん……」


 か細い声に、返ってくる声はない。

 礼太は思いきってお腹に力をこめた。


「あの! 僕、帰り道を探してて……ヒッ」


 バササ、と不意に飛び立つ羽音に、礼太はびくりと肩を震わせた。

 見上げた木の枝から、カラスが空へと飛んでいく。

 胸をなでおろしかけて、礼太はふと、枝を二度見した。


 今、カラスとは別の影が見えた気がしたのだ。もっと大きい、人のような……。

 息を殺して辺りを見回した、その時。

 体がふっと浮く感覚と共に、地面と空がぐるんと反転した。


「うひゃあっ!?」

「つっかま~えたぁ!」


 そのまま礼太はあっという間にフェンスを越え、石だたみの道へと降り立った。

 腰の位置で誰かに抱えられている。犯人を見上げて、礼太は呆然とした。


 二十代ほどだろうか。ゾッとするほど美しい男だった。

 白い肌に、輝く銀髪。切りそろえた肩口に十字のピアスがゆれている。

 あかいシャツがよく似合う彼は、細い目で笑うと、礼太を下ろして玄関へ手を振った。


「見てノラさ~ん、ほら!」

「おやあ、人間なんて珍しいですねえ」


 きしむ音を立てて、両開きの扉が開く。

 次に出てきたのは、丸メガネをかけ緑の髪をまとめあげた、メイド服の女性だ。

 茶色の目はおっとりとしているのに、その奥には、えものを前にしたヘビのような鋭さがある。

 それもそのはず。スカートからのぞく足は、大蛇の姿をだったのだから。


「ホントホント! 久々のごちそうにありつけるよぉ~」

「ヒッ……」


 ごちそう、という言葉に礼太は身構えた。

 この人たちはきっと人間じゃない。その証拠に、二人ともとがった牙と耳をしている。


「んーちょっと待ってください、マイキー様」


 足が震えて動けない礼太に、蛇メイドはふと首をかしげた。


「その子、何か見覚えがあるお顔のような……あと混血っぽくないですかあ?」

「ノラさん、気のせいだよ! それに吸血鬼ヴァンパイアの血が薄いならいけるでしょ~」


吸血鬼・・・って……じゃあ、血を吸われたら、僕も吸血鬼に……!?)


 とっさに飛び出そうとした肩はすかさず捕まえられてしまい、そのまま礼太の首筋へ、キラリと光る青年の牙が迫った。


「あ、あ……!」

「お~っと逃げないでねぇ? じゃあ早速、味見を……」

「お待ちください!」


 ぎゅっとつむった目を礼太が開けば、玄関にもう一人、誰か立っているのが見えた。

 黒い燕尾服えんびふく片眼鏡モノクルが様になる、ひげを生やした白髪の執事だ。人間にも見えるが、二人と同じく尖った耳と牙をしている。

 老執事はつかつかと歩み寄ると、淡いスミレ色の目を礼太へ向けた。


「貴方のお名前は?」

「く……久留守くるす礼太れいたです……」

「クルス!?」

「クルス!?」


 振り絞った声に、青年とメイドは顔を見合わせた。

 一方の老執事は、苦い顔でため息をつく。


「やはり、理人リヒト様のお孫様でしたか」

「……りひとおじいちゃんを知ってるんですか?」


 礼太は恐る恐る、聞き覚えのある名前を尋ね返す。

 理人りひと。それは、礼太が物心つく前に亡くなった、祖父の名前であった。

 「お孫さん!?」蛇メイドは思わず口元をおおう。老執事はそんな彼女と青年を、キッとにらみつけた。


「アハハ~こりゃ失敬」

「リヒト様のご親族とはいえ、到底許されることではございませんよ」

「ごめんってホント! 謝るから、ね? レイ君」

「は、はい……」


 なれなれしさに気圧されてうなづく礼太に、老執事は深々とおじぎした。


「ご無礼をおびします、レイタ様。ご事情は中でうかがいます。まずは、こちらへ」

「あ、待って、くださ……父さんが、その、知らない人についてったらだめって」

「は~いつべこべ言わない」

「ひぅあっ!?」


 しどろもどろとする礼太を、青年が人差し指を振り上げ、超能力のようにひょいと宙へ持ち上げる。

 困り果てる礼太へ、蛇メイドがにっこり微笑んだ。


「大~丈夫ですよお、何せこの城、レイ様のおじいさんの家ですからあ」

「で、でも……せ、せめて離してくださぁいっ……!」


 抵抗むなしく、礼太は半ば強制的に城の中へと連れていかれた。

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