エピローグLOVE

 後日、警察宛てに匿名で『九十九八雲に捧ぐ』との一文の添えられた百億円事件の真相が送付されたらしく、連日のニュースはその話題で持ち切りだった。しかしいまだ犯人は捕まっていない。なぜなら百億円事件の犯人はもうこの世にいないからだ。それと同時に僕は芋づる式に恋泉夫妻が百億円事件の真相をああまでひた隠しにしていた謎も解けた。


 その百億円事件の真犯人とは九十九会長の実の父親である。そして夫が真犯人であることを知った九十九会長の母親はそのことを苦に思い自殺したというのが真相だった。つまり百億円事件の真相を九十九会長の没後に発表するというのは恋泉夫妻の温情だったのだろう。ちなみに九十九会長の父親は天寿を全うしておりいまだ百億円の所在は不明である。生前に全額使い切ったとは到底思えないので今もどこかに何十億の聖徳太子が耳を澄ませて眠っているはずだ。

 そもそもなぜあれほど優秀な九十九会長が百億円事件の真犯人にたどり着けなかったのか? 

 それはラブ子先輩に言わせれば簡単なことらしい。


「外科医が身内を執刀できないように探偵も身内を見破れないのだね。どんな名探偵をもってしても家族の前では盲目になってしまうものだ。まるで恋のようにね」


 それは九十九会長しかり、そしてラブ子先輩もしかり。そういう意味ではふたりは似た者同士であり同じ道を辿ろうとしていたのかもしれない。僕がその道を外したのだ。


 僕は現在いつも通り恋愛探偵部の部室にいた。その安楽椅子に恋愛探偵は座っており机の上のキャットベッドには部室の番犬猫が眠っている。


 そして真相ノートがなくなった今この百億円事件の謎を解ける人物なんて僕はひとりしか知らない。


「やっぱりラブ子先輩も百億円事件の真相にたどり着いていたんですね」

「はて、何のことかね?」

「ここまできてとぼけないでください」

「いいや、本当に私はその謎を解いてはおらん。ただ真相手記を警察に送っただけでね」

「え? でもそれじゃおかしい。だって真相ノートはカフェと一緒に燃えたはずでは?」

「ちっちっち」


 ラブ子先輩はドーナツの穴に突き刺した人差し指を振った。

 はしたねえな。エロいな。

 ともあれ今は真相ノートの件だ。


「ところがどっこい。実は真相手帳は燃えてはおらんかったのだよ、イチズくん」

「そんな馬鹿な。火災後にたとえ焼け残っていたのなら警察が証拠品として押収するはずですし……。ってことはラブ子先輩のご両親が店の外に隠していたってことですか?」

「結果的に店の外には持ち運ばれたがもとは店内にちゃんと保管されていたよ。そしてイチズくん、きみは日に何度もそれを目に入れているはずなのだがね」

「なんだって?」


 十年前に全焼したカフェにあったものを僕が日に何度も目に入れているだって?

 ラブ子先輩のご両親の形見。二人が探偵として生きた証である真相ノートが隠せそうな場所。

 僕は部室をぐるりと見回してから十年前から存在するものを探す。すると一番にごろ寝するハートフィリアが目に入り僕は目線をさらに下げるとキャットベッドに目が留まった。実に年季の入ったクッション性に優れるハート型のキャットベッドである。


「まさか真相ノートが隠されていた場所って……」

「うむ。そのまさかだね」


 ラブ子先輩はハートフィリアを撫でながら猫なで声で正解発表した。


「猫の巣の中にずっと隠されていたのだよ」

「にゃ……なるほど」


 猫アレルギーである九十九会長は近づかないと踏んで、か。


「でもこんな子供騙しの隠し場所なら九十九会長が一瞬で見抜きそうなものですけど」

「事件解決のためならばともかく、ために探偵が能力を発揮することはできんよ。その点あの人は生粋の探偵だからね」


 それが探偵という生きる業なのだ。悲しいかな、九十九会長は探偵としては一流かもしれないが犯人としてはド三流だった。あるいは九十九会長は一連のすべてを見通しながらラブ子先輩に百億円事件の真相を公表させるために自ら死を選んだのかもしれない。

 ともあれ今日までハートフィリアが守り神として百億円事件の秘密を守ってきたのだ。ラブ子先輩以外に威嚇を繰り返していたのもかつての主人との約束を守るためなのだろう。

 僕は部室のピンク色の棚から猫缶を取り出すと蓋を開けてからハートフィリアの前に差しだした。ハートフィリアは警戒しながらも口をつけるとものすごい勢いで完食する。そののち僕がいるにもかかわらず肩の荷が下りたように丸くなって眠ってしまった。


「長い間おつかれさま、ハートフィリア」


 僕は助手の大先輩に労いの言葉をかけた。

 ちなみに余談だが、ラブ子先輩の意向で恋泉夫妻殺害事件の犯人として九十九元会長を公表することはなかった。普通の探偵なら真実を明るみにするべきなのかもしれないがラブ子先輩は恋愛探偵なのでその限りではない。

 そもそもラブ子先輩が探偵をやめた本当の理由は何だったのだろう?

 それが両親の願いだと気づいてしまったから?

 それとも九十九会長が犯人だとわかってしまったから?

 あるいは始めに語っていた事件誘因体質を発動させないため?

 もしくはその三つともか。

 いや、あるいはぜんぶ僕の考えすぎで勘違いかもしれない。

 ただラブ子先輩は他人の恋愛に首を突っ込むのが好きなだけのお人好しなのだ。

 なんというかこれがもっともあの人らしい。やっと一番の謎が解けたと思ったら一周まわってそのまんまだった。

 するとラブ子先輩は唐突にしおらしく言う。


「私はずっと真実を恐れて目を背け続けてきた。私は探偵失格だ」

「ええ、そうですね」

「なぬ?」


 自分で言っときながら不満そうなラブ子先輩だった。どっちなんだ。


「別に探偵失格でもいいじゃないですか。だってラブ子先輩はただの探偵じゃなくて恋愛探偵なんですから」


 探偵としては邪道かもしれない。よもや探偵としての逃げ口上のきらいもある。しかしそれがなんだ。邪道も王道もラブ子先輩が歩けば常道なんだ。


「だからいつもみたくくだらない恋バナで笑ってください」

「イチズくん……下ネタもいいのかね?」

「それはもっと控えてください。恋愛探偵の品格が問われるので」


 僕は苦笑した。

 英語が壊滅的に苦手で恋バナが好きで下ネタがもっと大好きで甘党で源氏物語をバイブルとしているラブ子先輩。どうして僕はこの人のことを思うとこんなにも胸が締め付けられるようにドキドキするのだろうか。これはどんな名探偵にもとけない永遠の謎だ。


「あのラブ子先輩、僕から恋愛探偵に直々に依頼したいことがあるんです」


 しかしあるいはどこぞの恋愛探偵になら解けるのかもしれない。


「この依頼は恋愛探偵にしか、いえラブ子先輩、あなたにしか解けない謎なんです」


 ラブ子先輩は大きく口を開けて人差し指に突き刺したドーナツを食べようとするのを一旦やめてから聞く。


「ふむ。何かね?」


 九十九会長の前でラブ子先輩に言ったように僕も真実から目を背けるわけにはいかない。

 王道一途に迷いはない。たとえどんな道なき道でも自分の信じた道を一途に突き進むだけだ。


「僕の依頼は……どうして僕は、とある人のことがこんなにも好きなのかってことです」

「ほほう。そのとある人とは誰のことかね?」


 僕の話の続きを促して聞き役に徹するラブ子先輩。

 それから僕は一世一代の告白をした。


「そのとある人とは――恋泉ラブ子先輩、あなたです」

「…………」


 ラブ子先輩は眉ひとつ動かさずにドーナツ越しの僕を見つめる。

 僕はこの恋泉ラブ子という人間に恋をした。

 他の誰でもない、ラブ子先輩だから好きになったのだ。

 これが世界にひとつだけの僕の真実だ。


「ラブ子先輩、この僕の謎を解いてくれませんか?」


 恋愛探偵に依頼となればラブ子先輩は逃げることはできない。

 そんな僕の浅知恵を知ってか知らずかラブ子先輩は俯くとゆったりと語りだした。


「恥ずかしながら私は子供の時分にね、『未必みひつ故意こい』のことを『密室の恋』だと勘違いしていたことがある」

「はあ……」


 何の話だ?


「でも今思えば、それはある意味間違っておらんかったと思うのだ」


 要するにラブ子先輩は何が言いたいのだろうか?

 するとラブ子先輩は桃色の瞳に暗い影を落とした。


「私は死神だ。私の周りでは不幸な事件が絶えず起こり、私の愛した者はかならず目の前で死ぬ。畢竟ひっきょう、私の人生はさよならだけなのだ」


 そのとき安楽椅子に座る恋愛探偵と在りし日の死神探偵が僕には重なって見えた。

 そのイメージを打ち消すように僕は目を閉じて首を横に振った。


「ひとりでそんな十字架を背負うなんて馬鹿げてます。だってそんなのって……あまりにも」


 悲しすぎるじゃないか。


「私は探偵をやめたときに誓ったのだ。もう誰も愛さないと。もう同じ過ちは二度と繰り返さないと。ここでイチズくんの謎を解いてしまえば……きみはきっと不幸な目に遭う」


 それにしたって恋愛探偵が恋愛禁止なんて笑い話にもならない。むしろ恋愛を推奨する恋愛探偵の主義主張とはまるで真逆だ。

 僕は恋愛至上主義者ではないし恋愛体質でもないけど、人間、心に鍵は掛けられない。


「あはは。ラブ子先輩、それはありえませんよ」

「む?」

「だってラブ子先輩と一緒なら僕はどこでも幸せなんですから」


 いつか訪れる不幸を恐れて幸せを諦めること、それこそが不幸なことだと僕は思う。

 死神? 名探偵? 事件誘因体質? 不幸体質? どれもくだらない。

 その前にあなたは恋泉ラブ子のはずだ。

 ありのままの等身大のあなたでいい。

 そんな僕の思いが通じたのかラブ子先輩はやっとはにかんだ。


「フフフ。やっぱりだね、きみは」

「え?」

「でもそんなきみと出会って私の気持ちは揺らいだ。だからこそより一層恐怖に思うのだ」


 一転、ラブ子先輩はまたもや顔を曇らせる。

 しかし自分の恋愛事にとんと無関心なラブ子先輩がここまで言ってくれたことが僕は素直に嬉しかった。


「ラブ子先輩の気持ちはわかりました。でも僕の気持ちは変わりません」

「イチズくん……」

「僕はラブ子先輩と出会えて心から本当によかった」


 あなたと出会えなかった人生なんて今じゃ想像もできないくらいだ。

 未必の故意だろうと密室の恋だろうと、僕がきっと解いてみせるから。

 だから。


「まったく、しょうがない助手だね」


 言葉とは裏腹に顔を綻ばせるラブ子先輩。それからドーナツをはめた人差し指をパクッと咥えて手品のようにドーナツを完食した。そして生まれたときについた自身の両手のしわを見つめながらラブ子先輩は唐突に話を変える。


「私はいまだ自分の名前の意味を知らん」


 以前ちょっと触れた『ラブの意味』についての話だ。名は体を表すというが生きていくうえで自分の名前の影響は意外と大きいのかもしれない。

 ラブ子先輩のご両親はどんな思いでこの名前を付けたのだろうか。その答えを知っているふたりは、しかしもうこの世にいない。あとはラブ子先輩が自分で見つけるしかない。

 自分の名前の意味。それを探すのが人生の本当なのかもしれなかった。


「だがいつか私の自分の名前の意味がわかったとき、イチズくんに教えようと思うのだ。それまで道草を食うことになるかもしれんが愛想を尽かさずに付き合ってくれるかね?」

「はい。もちろんです。僕はラブ子先輩の助手ですから」

「ありがとう。イチズくん」


 ラブ子先輩はとびっきりの笑顔でそう感謝を伝えた。

 自分の人生はさよならだけだとラブ子先輩は言ったが、でも僕はそうは思わない。

 ほんとうはさよならなんてない。ただいまがあるだけだ。ただかえるだけなのだ。

 だからどんな道も一歩ずつ地道に歩もうと思う。

 この変わった名前の恋愛探偵とともに。

 こうして僕の恋は迷宮入りしたのだった。

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恋愛探偵LOVEKO 悪村押忍花 @akusonosuka

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