花は綺麗、実は不味い、でも、それでいい。

鈴ノ木 鈴ノ子

はなはきれい、みはまずい、でも、それでいい。

 キッチンで洗い物の食器を片付け終わると、私はタオルで手を拭きながら、ふと、カウンターとキッチンを隔てる壁に掛けられた写真を眺めた。

 そこには私と年下の男性が少し緊張した笑みを浮かべて、店の入り口脇に植えられた白い花を咲かせ花びらを舞い散らせる小さな山梨の木の横で、ラフなシャツ姿の男性と黒色の長袖ワンピースを着た私。

 そして、2人の左手の薬指には金のリングが太陽の光を反射して煌めきを放っていた。

 店の裏手の窓からは、外に広がる田畑が見えていて、一画に植えられた桜の木の根元に自然石で作られた母と妹の墓が、安息の地で安らかに眠るように、木漏れ日の元で優しく照らされて輝いている。


「どうしたの?里奈?」


 カウンターに通じる出入口からその男性、いや、夫の幸助が顔を覗かせて、心配そうな声でそう言った。


「ううん、なんでもない、今、洗い物終わったから戻るね」


 笑みを見せてそう言って微笑むと、夫は恥ずかしそうにはにかんだ。


「うん、隣に居てよ。おばさま方が恐ろしい・・・」


 夫はいわゆるあがり症で会話となると段々と続かなくなってくる。たぶん、常連客の会話に巻き込まれてるのだろう。


「誰がいらしてるの?」


「吉沢さんと町子さん」


 ああ、町内会のおばさま軍団の中核で特におしゃべりなことで有名な方々だ。

 

「あ、すぐ行くわね」

 

「うん、ごめんね」


 水仕事のために捲っていた腕には、数えきれないほどのリストカットの痕があった。その蚯蚓腫れのような線が厚手のブラウス袖によって隠されていく。

 

 苦しんだ日々の残滓。

 

 これをしていなければ生きていくことさえできなかった。死ぬために切っているはずなのに、生きていくことなどとは、なんと滑稽な話と思われるかもしれない。

 でも、それは私にとっては必要な行為だった。


 言い表すなら、それは贖罪であり、救済だ。

 

 お坊さんがお経を読むように、神主がお祓いをするように、私はそれを剃刀で自らに刻んでいた。

 

 何を馬鹿な、と思われるかもしれない。いや、そんな行為と比べるな、とお叱りを受けるかもしれない。

 

 でも、私はそれに縋り、そして、今を得たのだった。


 そもそも私は普通の、いや、普通と言い表すことが適切かどうかはわからないけれど、一般家庭のどこのでもいる子供だった。性格は明るくてそれなりに友達もいる。小学校ではバレーボール部に入ってそれなりの選手になった、中学でも頑張って選手入りして1年生の後半には代表メンバーにまでなっていた。

 そう、あの日までは・・・。


「里奈!担任のかずっちが呼んでるよ!」


 体育館で部活動の準備のために、ネットやボールを倉庫から友人たちと引き出している最中だった。マネージャーの倉持先輩が出入口から大声でこちらへと叫んだ。


「あんた、なんかやったの?」


 親友の和美が怪訝そうな顔をしてそう言った。


「全く覚えないだけど・・・」


 そう返事を返して、ごめんね、っと謝るように拝み手をみんなに向けてから、私は出入口の先輩の元へと急いだ。


「里奈さん、すぐに自宅に帰って。お父さんが事故に巻き込まれたって・・・」


 ここから私の人生は絶望へと流れ落ちる蛇口が開かれたのだった。


 結局、父親は他界した。

 意識もなく、医療機器に繋がれて3日目の朝、激しい痙攣を私の前で起こして、そのまま事切れた。

 目を見開いて体を激しく揺さぶり動かすさまは、当時の私には辛すぎた。

 

 そして、稼ぎは悪いけれど、それなりに幸せに過ごしていた小さな家庭は、風に吹き消される蠟燭の火のように熱と色を消した。

 事故状況は父が運転していたトラックへ乗用車が突っ込んだことで起こったが、追突してきた相手の車には若い夫婦と、2週間前に生まれたばかりの乳児が乗っていたことが災いした。

 

 本当の原因はトラックではないか?


 ネットで陰謀論程度で流れるような話を、よく分からない週刊誌が書き立てた。

 ちょうど、父の勤める会社で運送に関わる不祥事があり、事件捜査が行われている最中だったため、その事故も実はそうなのではないか?と疑惑をかけられたのだ。


 書く奴は楽だ。

 書くだけ書いて、責任なんて取らないんだから。


「あいつらの会社が脅してきたんだ。本当はあの子たちは無罪だったんだ」


 加害者の祖父がマスコミのカメラに向かって喚く。


「幼くてかわいい孫だったのに、こんな結果がありますか。あの会社は私達から幸せを奪ったんです。娘夫婦もかわいい孫も!」


 加害者の祖母がハンカチで顔を押さえて、涙を流しながら語る。

 加害者の祖父母が会社から脅されたんだなどと偽証をして、マスコミもお涙頂戴のその話を大々的に報道した。

 企業がいくら否定しても、弁護士が否定しても、裁判の判決が出ても、祖父母は脅されたと言い張って、最後まで主張を曲げることは無かった。

 裁判では出廷せず、ビデオメッセージで自らの意見だけを語り、ワイドショーなどには頻回に出演した。判決は正当なもので父と会社は当たり前のように無罪となった。やがて出演などが一部ネットで問題視され始めると、親戚達が祖父母は認知症だったと診断書を公表し、過ちの責任から逃げていった。


 祖父母が稼いだ金額はかなりとも聞いている。偽書の本まで出版していて印税まで手にしていると聞いた時は、引導を渡しに行きたかった。

 私達の家族がどんな目に会っているかもしらないで。

 今は高級老人ホームで悠々自適に余生を暮らしているらしい。

 

 大切な父親を失った家庭は、偽証と誤報の記事で一転して、殺人を犯したかもしれない父親の家庭へと、簡単に転落した。

 そんな簡単にと呆れるかもしれないけれど、世間はそれほど噂に流されやすいことを、この時、初めて知った。


 そして年齢が低くなればなるほど噂を信じてしまうことも。

 

 3姉妹の長女だった私は高校2年生であったけれど、それから地獄の日々を過ごすこととなってしまった。

 週刊誌は疑いが晴れました、間違いでした、なんて記事は書かないし、そして謝りにも来ない。

 母は週刊誌を訴えたけれど、争っても正義は意味をなさなかった。


 そもそもが海外と違って報道されない。


 日本の報道機関は身内にはだらしないほど甘い。


 いや、これが民主主義なんだろう。


 報道しない自由の行使なのだ。


 犯罪者の家族というレッテルを張られて、高校の先生たちは私のために尽力してくれたけれど、結局、学生間の話や関係となるとなかなか介入できない。

 

 草原に火を放てば、あっという間に燃えてしまうように、いじめという業火はクラスを包んだ。


「やめて!いや!」


「うるせぇ、被害者がかわいそうだろ、お前にも償ってもらわないとな」


 一人孤独となった一般家庭の子、不良達からは良いカモだ。

 学校の帰り道、そう言って下卑た笑みを浮かべた4人組に、道端の汚い小屋に連れ去られ、衣服を引き裂かれて蹂躙される、そして胎内まで汚された。4人から激しく罵られ、とても言葉では言い表すことのできないことを全てされた。行為が終わり、崩れ落ちて哀れな酷い姿を彼らは満足そうにスマホで撮影していく。


「みんなにも見てもらおうぜ」


 1番しつこかった男が笑いながらそう言った。


「ああ、いいね!」


 いいねの真似をした仲間達が盛大に笑った。


 クラスのグループRainに画像がアップされると、それはあっという間に拡散してネットの世界を駆け巡り、一晩にして私の顔と体は全世界で閲覧可能となってしまった。

 

 彼らが去り、身を起こして、白い穢れを拭く。

 悔しくて苦しくて情けなくて、暫く唇をかみしめて泣きながら、服を整えてその場を逃げるように離れた。

 空に浮かぶ満月の白色が、拭いた物に重なって思わず道端で嘔吐した。


 なんども、なんども、なんども、なんども。


 胃の中みが空になっても嘔吐は続く、口に含まされ、飲まされたソレによって私は内と外、全てを穢し尽くされたと自覚せざるを得なかった。


 ぼろぼろの姿制服姿で帰宅すると、それを見た母親が何があったかを瞬時に理解し警察を呼んでくれたけれど、そののちの結果に私は更に絶望した。

 相手のクズ達は、少年法に守られて家庭裁判所で裁かれることとなり、マスコミは恐ろしい事件なのにも関わらず、小さな記事を書いただけで終わらせた。

 原因まで遡り、そして追及されてしまえば、自らに被害が及ぶことを避けたのだ。


 小さな女子生徒のことなど意味をなさないかのように。


 学校を退学、いや、対面の為にも退学へと誘導された私は、世界中のどこにも居場所を見出すことができなくなってしまった。

 一日中を自室で引きこもって過ごし、夜たまに外を歩けば私を見る視線が怖かった。

 画像のせいもあるのだろう。

 画像から割り出したのか、家の前に不審者が度々現れたりするようになり、警察沙汰となったこともあった。部屋を抜け出して夜中に彷徨い歩けば、変な男から声を掛けられたり、実際に車に連れ込まれて手を出されたりもした。

 安堵する場所など、もう、自宅の6畳半の一室だけとなってしまった。

 

 でも、もう、誰にも、何も、言うことが、できない。


 いや、意味がないと諦めた。


 だって、結果は同じなのだから。


 大切な妹達は安全のために親戚へと引き取られ、母は私のため自宅へと残ってくれた。

 でも、大切な妹達に再び生きて会うことは叶わなかった。

 次に再会した時には2人とも遺影に収まっていて、私は黒い喪服を着て、母と、私は、窓も固く閉じされた大きな棺の前でだった。

 遺影は父が生きていた頃の、楽しい記憶の古い家族写真から切り出された写真で、素敵な笑顔を見せている。

 

 でも、真新しい写真ではない。


 いや、もう写真などないのだ。


 妹達も、同じ仕打ちを受け、耐えきれずにガソリンを被り、抱き合うように自らに火をつけた。

 姉妹の焼身自殺は小さな記事のみによって世間は見向きもしない。

 2人は互いを慰めるように抱き合い、固く抱きしめる手は焼け溶け合って、2度と引き離すことなどできなかった。

 再び炎に包まれた後の白灰は熱を冷ますかのように、母の願いで海へと撒かれた。


「もう、どうして…」


 頑張っていた母は海から帰ってきた後に、ついに力尽き、薄暗いリビングで酒の空き缶に囲まれて泣き腫らす日々過ごすようになる。

 やがて、母も2年の月日の後にアルコールが原因で命を落とした。


「お母さん、風邪ひくよ…」


 机に突っ伏して変わらない姿を揺すってみれば、体は床へとずるずると崩れ落ちる。

 周りにあったビールや焼酎の空き缶が机から落ち、まるで嘲笑うかのように音を立てた。


「お母さん、おかっしい、あはは、あはは・・・」


 その滑稽な音と母の姿に私は笑ってしまった。

 いや、笑うことでしか、自分を保つことができなくなっていた。

 どういったらいいのだろう、人間、本当にどうでもよくなってしまうと笑ってしまうのだ。

 

 それは心を護る手段なのかもしれない。


 冷蔵庫からビールの缶を取り出し、母の飲みに付き合っていた時のように蓋を開けると、プシュッっという開音が静まり返った室内に響く。


「ごめんね、お母さん」


 目を見開いて床に転がったままの母の亡骸を見ながら、私はビールに口をつけると一気に飲み干した。

 苦みが口に広がり喉から胃へと落ちていく、それが何故だか快感となり、冷蔵庫にあった5本をすべて飲み干すと、フラフラになりながら母へと駆け寄り、そして冷えた缶のように冷たくなった母を抱きしめて、眠りへと落ちた。


 これが最愛の母と一緒に過ごす最後の時間。


 やがて朝を迎え冷えた体から身を離した私は、母の頭を一つ撫でてから電話をかける。


 最後の最後まで私は良い娘ではなかった。


『はい、110番です、事件ですか?事故ですか?」


「事件なのか・・・。事故なのか・・・。自宅で母が死んでいます」


「死んでいる?意識がないとかではないですか?」


「いえ、床に転がって、息もしていません・・・」


「パトカーを向かわせましたから・・・・・」


 久しぶりに人と会話をした気がする。

 電話口の女性警察官と話しながらパトカーが自宅へ着くのを待った。入ってきた警察官に話を聞かれながら、母は手配されて来た救急隊に生きていない事を確認されると、警察の鑑識の手によって外へと運ばれて目の前から消えて行った。

 

 事件は報道された。

 

 引きこもりの娘とその母親のかわいそうな最期という話で纏められた。父のことも、妹のことも、何もなかったかのように。


「もう少し、セイフティーネットをしっかりとしないといけないと、私も思います」


 ワイドショーのMCがそんなことを言っていた。

 何を言うのだ、お前たちがきちんと報道していれば、間違いだったときちんと言えば、こんなことにはならなかったのに。

 葬儀を終えて帰宅した私は、テレビに空き缶を投げつける。

 そして、1人となって泣き腫らす日々を母と同じようにして日々を過ごしていった。


「里奈さん、きちんとした施設で生活を立て直しましょうね」


 数週間が過ぎた頃、突然、今まで来たこともなかった親戚が自宅へ押しかけてきて、そんなことを言って私を家から連れ出し、良く分からない団体の施設に強制的に入れられることとなった。

 いや、何を言っても外の者は聞き入れてくれなかったし、何よりも、母親の死体と一緒に寝ていた娘がまともでないと考えたのだろう。


「これにサインして頂戴、うまくやっておくから」


「さぁ、サインしなさい、君が自立するための第一歩だからね」


 叔母と名乗る妙に着飾った親戚と、施設の管理者の男がそう言って、文書を読もうとする私を遮り、そう言って無理やりにサインをさせる。


「何やってんだ!読むんじゃない!」


 サイン後だったけれど、読もうと書類を掴むと2人から罵声が飛んできた。そして管理者の男に拳で殴りつけられると、叔母はそんなこと気にも留めないようにその場から去っていく。


 あとには大切だったものすべてが、叔母の所有物となって売り払われて、そしてあっという間に溶けては消えていった。

 

 施設では度重なる暴力に見舞われる。

 殴る、蹴る、犯す、生きることへの後悔が日に日に増し、それによって思考は麻痺して体は劣化し、総じて意識は底へと落ちていく。

 そして、私はついに施設ビルの3階の窓からその身を堕とした。


  絶望したから身を投げたなどという立派なものではなく、ただ、ただ、命を終えたかった。


 ただ、それだけ。


 一瞬ではあったけれど、宙に浮いた感覚はとても心地よい感じがして、もう、これでと恥辱に塗れていた心が無心になった。

 でも、次に来た衝撃は、ガサガサという音と四肢にぶつかる枝葉の痛みだった。

 山奥にあった施設で窓の下は深い藪と低木が斜面に生い茂っていて、それが衝撃を和らげて私は転がるようにして道までを、まるで滑り落ちるように落下したのだ。

 至る所に擦りむいた傷と枝が深く刺さり、そして右目を激しい傷みが襲う、痛みにもだえ苦しみながら、道路へ出た私はちょうど巡回していたパトカーに見つかり、病院へと搬送された。


「いいか、黙ってろよ。何か言いやがったら殺してやるからな」


 入院となった私に施設管理者の男が開口一番言った言葉に思わず体が震えた。

 また、あの場所へ戻らなければならないということに恐れおののきながら、個室の部屋の片隅で泣いていると扉がノックされた。


「あの、大丈夫ですか?」


 顔を覗かせたのは若い高校生くらいの男の子だった。

 

「ひ・・・」


「大丈夫です?」


 駆け寄ってきてくれた男の子が私の手を遠慮がちにそっと握りしめてくれる。久しく感じることのなかった手の温かみ、いや、ぬくもりを感じて、思わず近寄ってきた彼の顔をじっと見つめた。


「大丈夫?」


 綺麗な顔立ちだった。

 まるで日本人形のように美しく整った顔立ちが素敵な男の子、でも、2日後には、誰かから話を聞いたのだろうか、素敵な笑みは、私を軽蔑する笑みへと変わっていた。


 退院までの恐怖のカウントダウンに恐れ慄きながら、泣き腫らし、震える日々をベッドで過ごしてゆく。


 心はとうに壊れ、思考能力を失い、身は砂礫のようにぼろぼろ。


 醜女のような私に差し向けられる手もない。


 表情の死んだ私に、周囲が感心を払うこともなく、管理者の流した噂が病院中に広まりを見せ、険しい視線が私を包んでいく。


 そんな時、唯一、1人だけ、声をかけてくれて話を聞いてくれる人がいた。


 それが、中学生3年生の男の子、のちに夫となる幸助との出会いだった。


 右腕を複雑骨折して入院していた幸助は、トイレの帰りに階段の傍らでうずくまって泣いていた私に、声をかけてくれた。そして、高校生と違ったのは、彼は噂を知っていても全く動じることもなく、惨めな私の話を時が許す限り聞いてくれたのだった。


「私の手は汚いよ」


「そんなことない。立派な手だよ」


 私のカサカサの手をそう言って幸助が摩ってくれる。彼は話を聞いてくれる時は必ず手を握ってくれて、驚くことにその握り方に嫌悪を抱くことが一切無かった。


「私のこと、聞いてるでしょ?」


「聞いてるよ。だから、なんなの?」


 衝撃的な一言。

 何かが壊れるような音が頭の中で響き、シンプルな言葉、そして、一切の感情の篭っていないのが印象的だった。

 今まで投げつけられるように聞いてきた、哀れみも、同情も、嫌悪も、なにも感じることのない言葉に、私は何故か安堵を感じる。上部だけの優しさを院内でたくさん浴びたせいもあるかもしれない。


「中学生でも話は聞けるんだよ」


 そう言って微笑む幸助の笑顔を見て、その手の温かさに触れていくうちに、私の中になにかが宿った。それはやがて堰を切ったように幸助に私は身勝手な気持ちを吐き出してゆく。


 ただ話を聞いてほしい。


 それだけの思い。


 とりとめのない、いや、今までの絡まった思考によって順序立てて話すことのできない滅茶苦茶な話を、同情するわけでもなく、かといって軽蔑することもなく、ただ、ただ、延々と聞いてくれる。

 話すことを忘れていた壊れかけの人形の私は、その行為によって、数ミリ、数センチの短さだけれど、喜怒哀楽を用いた話を進めていくことができてゆく。


 やがて幸助は私の喜怒哀楽を外へと繋いでくれた。


 恐怖のカウントダウンが、希望へのカウントダウンへと、切り替わった瞬間だった。


 中学生にそこまでできるのだろうかと訝しむくらいに、幸助は色々な人々と繋がっていた。ケアマネジャー、ケースワーカー、弁護士、行政、そして仄暗いところとも・・・。


 それは幸助も苦しみを抱えて過ごしていた結果であり成果でもあった。


「うちの母さんはね、AV女優なんだよ」


「え?」


 落ち着きを取り戻し、院内から嘲笑いの蠟燭の火が消えて煙が立ち上るまでになった頃、幸助がそう語り始めた。


「それで、凄くいじめられたし、馬鹿にもされた。地獄のような日々も過ごしたよ。僕だけじゃなくて母さんも凄く苦しんでた…。でも、1人だけ味方してくれた人がいて、その人に救われたんだ」


「どんな人なの?」


「学校の先生、女の先生だったけど、凄く勝ち気で男まさりな先生でさ、クラスでなんて言ったと思う?」


「なんて言ったの?」


「自分を曝け出す仕事を馬鹿にするな、だってさ」


「曝け出す?」


「うん。もちろん、クラスから色々と不満が出たよ。女子からは汚らわしいとか、男子からは変態とか、色々ね。先生はさ、一言だけ言った。貴方達はそれができるのか?って、クラスはできるわけないとか、絶対やだ、とか、言いまくってた。そしたら、できないことを笑うなって、怒鳴った」


「できないことを…笑うな…」


「自分が出来もしないことを笑うなって、馬鹿にするなって烈火の如く怒った。どんな仕事であっても、一人一人が頑張っているから、社会が成り立つ、そんなことすら分からないなら、まともな仕事なんてできるわけがないっていってさ。さらにびっくりしたのはね、AV女優って仕事は賛否両論あるけれど、いや、風俗もだけれど、違法でない限りはきちんとした職業であって、性犯罪をも防いでるんだってさ」


「性犯罪をも防いでる?」


「うん。そんなことない!ってクラスが騒然としたけど、じゃあ、使ったことないのかって言い返されたら、男子も女子も黙っちゃってさ。先生は世の中は綺麗事ですまないことがある。だから、人はそれぞれの物差しで判断してしまうけど、それは間違いだって、どんな相手でも、きちんと尊重しながら、考えて生きていかないと、本当の優しさも、本当の強さも身につかないってさ」


「本当の優しさ?本当の強さ?」


「僕もその時は意味が分からなかったけど、今は分かるよ。どんな人であっても、過去に何がある人でも、力になりたい、支えてあげたいって思える人に出会えた。本当の優しさも強さも、相手の過去がなんだろうと、そのすべてを受け入れること、そして何があっても全力で一緒に居いるっていう覚悟なんだと思う」


 そう言って幸助は恥ずかしそうに頬を掻く、それを見て私は感動するよりも、胸が苦しくなって居た堪れなくなった。


「私は・・・そんな・・・」


「いいの。ぼくの勝手な思いだから、でも、それを教えてくれたのは里奈さんなんだ」


「私が・・・」


「うん、僕はそう思ってる」


 そう言って微笑む幸助の横顔を、私はただ見つめることしかできなかった。


 私は退院するとケアマネージャーの勧めで社会福祉施設に入所して、その系列の喫茶店に就労支援を受けながら就職した。退院した幸助はお店に足繁く通ってくれて、久しぶりに持ったスマートフォンのRainでやり取りをするようになった。


 『おはよう』


 『おやすみ』


 『なにしてる?』


 『忙しかった?』


 きっと、普通にやり取りする言葉だと思う。それは私にとってもどれも素敵な出来事だ。


 でも、それは私に別の苦しみを呼び寄せる。

 意識や常識がはっきりとしてくるからこそ、普通に戻り始めたからこそ、彼に甘えているのではないか、彼の未来の奪っているのではないか、こんな私がそこに居ていいのだろうか、数多くの考えが頭をよぎっては、やり取りを終えた後の私を苛んでゆく。

 

 そして私は剃刀で手首を切った。


 死にたい、という気持ちと、生きたい、という気持ちで。


 理解して貰えるとは思わない。理解すらして貰えないとも思う。


 苦しみ、悲しみ、嬉しさ、優しさ、そのすべてがその傷を作っていく。


 手首の傷に気が付いた幸助は、それを止めるわけでもなく、心配しないでもなく、ただ、そっと寄り添っては話だけを聞いては日々を過ごしてゆく。


「どうして、止めたりしないの?」


 思い切って聞いてしまったことがある。

 幸助は少し悲しそうな笑みを浮かべながらも私の目をしっかりと見て口を開いた。


「僕が止めてって言うことは簡単にできると思う。でも、それは何の解決にもならないから。里奈に傷がつくのは嫌だ。それは間違いないけれど、里奈が里奈なりに考えを纏めるまでは待つつもりだよ。あまりにも酷くなるなら、もちろん手は打つけど、でも、今はその時じゃないと思うんだ」


 ああ、私はなんて愚かなことを聞いたのだろう、これ以降、私の手首の傷はその数を減らしていった。

 

 やがて新しい傷がつかなくなった頃、幸助は成人を迎えて私達は正式に付き合い始めた。そしてその年の暮れに入籍し、私達は住み慣れた町を離れて、とある地方の小さな村の喫茶店を譲り受けた。

 私が正社員になるまでに頑張った就労先の喫茶店の店長が、大事な先輩が体を壊して店をどうするか悩んでいるので、継いで見る気はないか、と言ってくれて、幸助と二人で真剣に考えた末にそのありがたいお話を受けることにしたのだ。


「この木を植えなさい」


 最後の引き渡しの時に、私達夫婦はくだんの先輩、飯村さん夫妻から、一本の木を頂いた。


「これは山梨の木だ。白い綺麗な花が咲く、しかし、小枝は棘になるし、実は沢山成るが正直言って不味い。でも、それでいいんだ。美味い実を結ぶ必要はないんだよ。時より綺麗に咲きながら、互いに身を守りながら、いつも通りの日常を、いつも通りに積み重ね、ゆっくり2人で歩んで行きなさい」


 その木は喫茶店の店先に植えられて、今も順調に枝葉を伸ばしてすくすくと育っている。

 

 喫茶店を初めてしばらくすると、幸助のあがり症が判明した。

 私には頑張ってひた隠しにしていたようだが、接客をするようになるとそれはたまに出る。幸助が寄り添ってくれたように隣に身を置きながら、互いに得手不得手を補いながら、日々を過ごしていく。


 幸助の母親、美幸さんも時より訪ねてきては、私達と過ごしてはあの町へと帰っていく。

 気さくな人で、なにより、私より若く見える。とても幸助の母親とは思えない、買い物に行けば私の姉と勘違いされてしまうほど、そして優しさと思いやりに溢れる人だった。

 

 買い物帰り、喫茶店の前で沢山の花の咲いた山梨の木の前で、美幸さんが先に行く私を呼び止めた。


「里奈さん、女の幸せって何だと思う?」


「女の幸せですか?」


「そう、女の幸せ」


 私は首を捻った。

 過去の自分からすれば今の私は幸せ過ぎるほどに幸せな気がする。


「愛する人の隣とか、愛だとか、言うつもりはないわ」


「そうなると・・・。ちょっと思いつかないですけど・・・」


「簡単なことよ、微笑みを沢山浮かべていること、今の里奈さんのようにね」


 笑うことなど忘れていた過去の私だったが今は違う、微笑みながらの暮らしを、日々、紡いでいる。


 山梨の花がそれに応えるかのように、穏やかな春風に花を揺らした。

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花は綺麗、実は不味い、でも、それでいい。 鈴ノ木 鈴ノ子 @suzunokisuzunoki

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