第4話 飛び出す未来
第四章 飛び出す未来
その日、家に帰ってから、日付が変わる瞬間を刻一刻と迎えていた。デジタル時計を見ているのに、頭の中にはアナログ時計の針が動いていた。秒針が次第に左下から上に上がっていく。三本の針が一つになる瞬間を迎えるのだ。
いや、迎えたはずだった。時計の針は確かに一直線になったはずなのに、気が付けば、秒針はすでに右下に向かって下がっていくのが見えていた。
――どうして気付かなかったんだろう?
そう感じたが、確かに時間は何事もなく進んでいた。同じ日を繰り返しているなどという感覚はどこにもなく、三つの針が重なったところを見なかっただけで、他は何も変わりないではないか。
そう思うと、急に睡魔が襲ってきた。
それまでは睡魔を感じることもなく、このままずっと夜を徹しても構わないくらいに思えていた。
――よほど緊張していたのかも知れないな――
あれだけ同じ日を繰り返すことになるという前兆を感じ、人からも言われていたので、自分で感じていたよりも、想像以上に緊張していたに違いなかった。睡魔は緊張から解き放たれた証拠であろう。
しかし、一抹の不安はあった。
――このまま眠ってしまって、本当に目が覚めるのだろうか?
今度は、最悪のことを考え始めた。
それはきっと、
――同じ日を繰り返している時、そこから逃れるには、死を覚悟しなければならない――
という思いが、今まで同じ日を繰り返してきた人から聞いた話を思い出した時に得られる結論の一つであったのも事実である。
だが、一度訪れた睡魔に勝つことは、オサムにはできなかった。襲ってきた眠気は指先を痺れさせ、瞼の重さを思い知らされる。
――目が覚めたら死んでいた――
などという洒落にならないジョークを、なぜかその時思い浮かべた。
――余計なことを考えているから眠くなるのかな?
と、考えることをやめようかと思ったが、やめると襲ってくるのは不安だけ、そんな状態で起きているのも、辛いだけである。
結局、睡魔に身を任せるようにするのが一番だと考え、そのまま眠りに就いてしまっていた。
オサムの夢の中には、ツトムとヨシオが出てきた。
二人は、同じ日を繰り返している話をしている。場所は喫茶「イリュージョン」ではなく、知らないお店だった。今までオサムもツトムも、喫茶「イリュージョン」でしか会ったことがなかったので、
――僕の知らない二人の世界が、本当に広がっているんだ――
と感じた。
ただ、オサムが知らない二人の世界が自分が知っている世界の広さに匹敵するような気がしてきたのは、一日という限られた世界も、何日も続いているであろう世界も、元々同じ大きさのものではないかという思いを抱き始めていた。
ツトムとヨシオの話は、一見対等に見えたが、後半はヨシオの指示に変わっていた。
最初、ツトムの話を黙って聞いていたヨシオだったが、彼には彼の考えがある。それを確かめるかのように、ツトムの話を目を瞑って聞いている。
――咀嚼しているようだ――
腕組みをしながら聞いている姿に、ツトムは相手の反応に関係なく、熱弁を振るっている。それはまるで自分の意見を正しいと信じて疑わない信念のようなものが感じられる。それだけ会話の最初の主導権はツトムが握っていた。
しかし、聞いている方も負けているわけではない。主導権を相手に握られながらも、決してキャスティングボードを相手に渡さないという意識が感じられるのか、微動だにせず、腕を組んで考えている姿からは、真っ赤なオーラが醸し出されているかのようだ。
――これって本当に夢の中なんだろうか?
そもそも、夢の中だという意識があること自体が、おかしな感覚だった。
夢を見ている時、自分が夢を見ているという意識があるわけではなく、目が覚めるにしたがって、
――これは夢だったんだ――
と感じる。
しかし、夢の内容は、どんどん意識から消えていく。記憶の奥に封印されてしまったのかどうか、自分でも分からない。
ツトムが一生懸命に話しているのは、自分が同じ日を繰り返している時間を抜けた時のことだった。
「その時の俺は、同じ日を繰り返していた自分と違う自分になっているんだろうか?」
「もし、そうだとすれば、同じ日を繰り返していたという思いは君の中から消えていることになるよね。でも、そんなことはないんじゃないかって僕は思うんだ。理由に関しては分からないけど、きっと、その理由も君が一緒に持ってきてくれるような気がする」
それが初めてツトムの疑問に対してヨシオが答えた言葉だった。
――おや?
前の日にヨシオと話をした時、同じ日を自分が繰り返していたという意識を持っていると言っていたヨシオだったのに、ここではそのことについて曖昧な答えしかしていないことが不思議だった。
夢の中だから曖昧なのかも知れないが、それよりも、
――ヨシオはツトムに対して余計な先入観をなるべく与えないようにしているのかも知れない――
という思いが強かった。
そのことから、オサムは一つの仮説を立てていた。
――ツトムは、ヨシオの実験台なのかも知れない――
という思いだった。
実際に、ツトムは小説家としての想像力があり、ヨシオは科学者として、想像から創造、つまり、作り出したものに確証を与えることによって、見えていなかったものが、見えてくるようになるのだ。
そう思っていると、今度はツトムよりも、ヨシオの話の方が主体になっていた。主導権を握られながらも、実は主役の座を渡していなかったヨシオが、ツトムの想像力に信憑性を植え付けているようだった。
ただ、それでも、肝心な部分は話さない。
たとえば、前の日に話をした「リセット」という考えや、元に戻るために、日にちが変わった時から過去に戻るために、過去のどこに戻ればいいかということなど、過去に戻るということさえ、一切話をしていなかった。
――ツトムなら、自分で気が付くと思っているのだろうか?
と思っていたが、
――ではなぜ僕には話をしてくれたんだろう?
ツトムは実験台だとしても、オサムは何になるんだろう?
そんなことを考えていると、夢から覚めてくるのを感じていた。
――この夢だけは忘れたくない――
そう思うと、自分が最近、忘れっぽくなっていることを感じていた。それがいつも夢から覚める時、
――目が覚めるにしたがって、夢の内容を忘れていくんだ――
と感じたその日に感じることが多いということに、まだ気が付いていなかった。
夢から覚めてくると、自分がどれだけ熟睡していたのかをいつもは感じていて、
――もう、朝なんだ――
と思っていると、実際にはまだ夜中であることが多かった。
しかし、その日は熟睡は感じていたが、朝になったという意識はなかった。
――三時頃じゃないかな?
と思って時計を見ると、思った通りの三時を時計は示していた。計ったような感覚に、いつもと違う意識があり、
――今もまだ夢の中なんじゃないかな?
と感じた瞬間、どうやら、またしてもそのまま熟睡してしまったようだった。
――今度目が覚める時は本当に朝なんだ――
と思ったということを、朝目が覚めた時に感じた。その時の朝の目覚めは、夜中に夢を見たという意識のない目覚めだった。
――やっぱり、夜中に一度本当に目を覚ましたんだ――
朝の目覚めから思い返す感覚に、その日は間違いがないように思えた。普段であれば、夢の世界と現実世界には結界のような線があり、決して侵してはならない境界を感じているはずだった。それなのに、その日は目覚めの中で、結界を感じることはなかった。ということは現実世界で夢を見ているつもりで、本当に見ていたということになる。だから、夜中に目を覚ましたと感じたのだ。
――目を覚ました時に何を感じたのだろう?
何かを感じたように思うのだが、思い出すことができない。一度目を覚ましたと言っても、その後は深い眠りに就いてしまったのだ。目を覚ました時は、自分では夢の中にいると思いこんでいたのだ。
――感じたことも、すべてが夢の中――
と感じたに違いない。
そう感じる方が納得がいく。要するに解釈する上で、これ以上楽なことはないのである。
夢を自分で自由に操れるようになれば、同じ日を繰り返すというメカニズムも理解できるようになるのかも知れない。今の段階では、同じ日を繰り返しているということを一番理解しているのはヨシオではないだろうか。しかし、オサムの中でもう一人、横溝という男の存在も無視できない。彼も何かのキャスティングボードを握っているようで仕方がない。
目が覚めてしまうと、夢の内容はすっかり忘れてしまっていた。しかし、頭の中に意識として残っていることがあった。
――ツトムはヨシオの実験台だったんだ――
という意識だけである。
ただ、ツトムがヨシオの実験台であれば、オサムは一体この世界ではどういう位置づけになっているのだろうか? 同じ日を繰り返すことをツトムからもヨシオからも告げられた。ツトムがヨシオの実験台であるということを、ヨシオはオサムに話しながら、ハッキリと言わないまでも、相手に気付かせるように話をしていた。完全に誘導された形になったオサムだったが、一体、ヨシオはツトムを使って何を証明させようとしたのであろうか?
オサムはその日、確かに昨日(と思われる)と同じような環境にいるような気がして仕方がなかったが、同じ日を繰り返していると言えるほど、同じではなかった。
中途半端に昨日と同じ感覚なのである。
元々、昨日と同じ日だという感覚があるのだから、その部分を差し引いたとしても、ここまで中途半端な感覚は、
――明らかに違う日――
だということを示唆していた。
――そういえば、昨日ってどんな日だったんだっけ?
昨日という日を思い出そうとすると、意識が錯乱してくるのを感じた。昨日という日をどんな日だったのかというよりも、
――どれが昨日の記憶なんだろう?
と言った方がいいかも知れない。
自分の中にある一日という単位の記憶が、時系列で並んでいるはずなのに、すべてが、平行線になっているように思えてきた。
――どの記憶が昨日で、あるいは一昨日で、あるいは一年前で……
と記憶を紐解いているつもりが、逆に絡ませているのを感じた。それだけ記憶に繋がりがない。つまりは、繋がっているはずの一日の始まりと終わりがハッキリとしないのだ。
たとえ時系列に並んでいないとしても、一日の始まりと終わりがしっかりと記憶されていれば、そこからどれが昨日なのか、さらにそこから遡ることもできる。つまりは推測要素になるものがしっかりしていれば、一つ一つを消去していくことで、最後に残る「昨日」を捜し当てることができるはずなのだ。
だが、同じ日を繰り返しているのだとすれば、まったく同じ記憶が時系列の中で一番最新に、そして、消去法でいけば、最後に残るはずなのだが、その意識がない。
――同じ日を繰り返している時というのは、昨日の記憶がなくなっている時なんだろうか?
もし、昨日の記憶が存在しているとすれば、同じ日を繰り返しているという意識とともに記憶までが存在してしまうと、頭の中が混乱し、
――本当に同じ日を繰り返すことができるのだろうか?
という意識を抱いてしまう。
繰り返さなければいけないのに、繰り返せないのは、タブーに当たる。それを敢えてさせるのであれば、リスクは最小限度に留めることになるだろう。それが、
――同じ日を繰り返している時というのは、昨日の記憶がなくなっている時なんだろうか?
という疑問に対しての答えになるのかも知れない。
同じ日を繰り返しているということをあまりにも過剰に意識しすぎているのかも知れない。それは自分が感じているよりも、まわりから言われることの方が強い意識を植え付ける。それも一人からなら、
――そんなバカなことはない――
と一蹴できるのだろうが、同じ時期に二人から言われたのだ。
二人は示し合わせているというのであれば分からなくもないが、そんなことをして、何の得になるというのか、まったく分からないではないか。
同じ日を繰り返しているというのを初めて意識した人は、どんな気持ちだったのだろう?
もし、誰からも教えてもらっていないとするならば、簡単に信じられることではないはずである。
同じ日を繰り返しているのが事実だとしても、まず最初に自分の頭を疑ってみるのではないだろうか。
――そんなバカなことあるはずない――
と、思うことで、問題は自分にあるとしか思えないだろう。
オサムは同じ日を繰り返しているという意識があるが、実際に信用できるほどの確証があるわけではない。明らかに他の人とは感覚が違っているようだ。そう思うと、違う不安が頭を過ぎる。
――他の人は、いずれは元の世界に戻れるようだが、僕の場合は、本当に元に戻れるのだろうか?
違うパターンに敏感になっているオサムだった。
ただ、本当に他の人と違うパターンなのかどうかも分からない。オサムの勝手な思い込みだからだ。
確かに今まで何人かから同じ日を繰り返しているという話を聞かされたが、その内容に関しては、ほとんど聞いていない。聞きたださなかったのが悪いのだろうが、それは話しを聞きながら、自分で勝手に想像を膨らませた部分があったからだ。
しかも、元々同じ日を繰り返すという発想をオサムは持っていた。
自分は小説家でもなければ科学者でもない。しかし、子供の頃に見たテレビ番組で、似たような話があったような気がする。オムニバス形式の奇妙なお話をドラマ化したものだが、オサムはその中で同じようなストーリーを見て、恐怖を感じたのを覚えていた。
――そういえば、あの話の結末ってどうなったんだっけ?
何度も思い出そうとしたが思い出せない。
オサムは今回、他の人から同じ日を繰り返しているという話を聞かされた時、思い出そうとしたが思い出せなかった。しかも、その時に、
――同じ日を繰り返しているという人には、共通点がある――
とどうして感じなかったのだろう?
共通点というのは他でもない、
――同じ日を繰り返すという発想を、意識している人が陥る現象だ――
ということだ。
これほどハッキリとした共通点はないではないか。誰もが陥ることではないとすれば、陥る人に共通点があるはずだ。
しかし、そのことを考えなかったということは、オサムの頭の中に、
――同じ日を繰り返すという現象は、誰もが一度は人生の中で経験することではないのあろうか?
と感じていたからなのかも知れない。
それにしても、
――では、誰もが必ず元の世界に帰ってこれるということなのか?
ということでもない限り、同じ日を繰り返している人が増え続けることになる。
――そんなことがあっていいのだろうか?
そう思ったことで、同じ日を繰り返している人は、限られた人だけだと考える方が自然であり、その人たちには共通点があると考える方が、これまた自然というものではないだろうか。
オサムはそのことに気付くと、それでも、
――皆必ずいつかはこっちの世界に戻ってこられるんだ――
と思った。
根拠は、
――同じ日を繰り返す前に必ず前兆があり、前兆と同時に、向こうの世界の人間がまるで誘うように現れる――
それは、向こうの世界にいる人間が、一人向こうの世界に引きこむことで、自分がこちらの世界に復帰できると考えたからだ。
ということは、向こうにいる人間の数は決まっているということになるのだろうか?
ただ、こちらの世界でも同じようなことが言える。
――世界的に考えると、たとえば一分間に、必ず何人かが生まれ、何人かが死んでいる――
と思うと、少々の誤差はあっても、短期間であれば、それほど人の数に差はないというものだろう。人口の減少を感じるのは、まとまった期間の間を取るからで、限られた期間であれば、さほど差はないはずだった。
――死んだ人は、どこに行くのだろう?
そんなことを考えたこともあったが、
――生まれる子はどこから来るのだろう?
と考えたことはなかった。
誰かの生まれ変わりだという発想がないわけではないが、それもレアなケースで、なかなか信憑性のある発想ではない。
そういえば、オサムは子供の頃、同じ日を繰り返しているテレビドラマを見た時、
――同じ日を繰り返すのから逃れるためには、死ななければいけないのではないだろうか――
と感じたのを思い出した。
それはテレビ番組のストーリーから感じたことだったような気がするが、なぜか思い出せなかった。
――ひょっとして、あの時、最後まで番組を見なかったのではなかっただろうか?
記憶がなぜか定かではないが、ここまで曖昧なのは、本当にラストまで番組を見ていなかったからかも知れないという発想も、まんざらでもないと思えてきたのだ。
「死」というものを、子供心に受け入れる気持ちにならなかったことが、その時、記憶を留めておけなかった理由なのかも知れない。自分にとって理解できることでも、理解してしまうと、自分がその後、理解したことによって苦しむことになるというのであれば、受け入れることはできないという思いが、記憶を留めさせることを拒んだに違いないと思うのだ。
そんな思いは他にもある。
テレビを見ていて、記憶はしているのだが、その時完全に、他人事のようにしか感じなかったものも少なくはない。
たとえば親子関係の絆を描いた番組など、涙を誘う番組であっても、その時は感動して涙を流すこともあっただろう。しかし、ほとんどは、他人事だと思って見ているから涙も出るのであって、自分のことのように置き換えてみるとすれば、案外冷静に見てしまうところがオサムにはあった。
オサムは、自分の親をあまりよくは見ていない。
子供の頃から厳格な父親に対して、それに逆らうことのできない母親をずっと見続けてきた。
――まるで、昭和の家庭のようではないか――
昭和の家庭がどんなものなのかハッキリとは知らないが、家族の中で父親が絶対的な力を持っていて、父親に逆らうなどもってのほか、母親は父親の意見に従い、逆らうことは許されない。
家族は父親のいう通りに行動する。
家族サービスで、
「日曜日はデパートに行くぞ」
と、言われて、テレビドラマなどでは、子供たちは嬉しそうに小躍りしている姿が写されたりしていたが、
――そんなのウソっぽい――
と、オサムはいつも心の中で叫んでいた。
そして考えることは、
――自分が大人になったら、絶対にあんな親にだけはなるもんか――
という思いであった。
家族関係の何が一番幸せなのか、オサムには分からなくなった。大人になった今でも分かっていない。その原因を作ったのは、紛れもなく自分の両親だった。そう思うと、自分の両親を許すことはできない。
特に父親は、
――自分の意見を押し付けて、何が楽しいんだ――
と思っていた。
しかし、最近では少し違う思いもある。
――本心からではなかったのかも知れない。家族を纏めるために仕方なく、厳格な父親を演じていただけなのかも知れない――
とも感じるようになったが、それでも許すことはできなかった。その一番の理由が、
――僕を迷わせたからだ――
と感じるからだった。
考えてみれば、そんな考えは意地を通しているだけの、何の得にもならないことであり、余計な神経を遣うだけ、無駄なことなのに、どうしても我慢できない自分がいる。
しかし、一方ではそんな自分を情けないと思っている自分がいるのも事実で、もう一人の自分は、意地を張りとおす自分を、他人事としてしか見ていないのだ。
オサムは、時々、
――自分が誰かの生まれ変わりではないか?
と感じたことがあった。
見たこともない初めて来た場所なのに、
――以前にも来たことがあるような気がする――
という、いわゆる「デジャブ」を感じることがあるからだ。
それも、自分が誰かの生まれ変わりだと考えれば分からなくもないと思えることであったが、その信憑性は不完全なものだった。
なぜなら、自分が誰かの生まれ変わりであれば、少なくとも、今から考えれば時代はすでに二十年以上は経っていることになる。それなのに記憶している時代は、さほど過去のものではないように思える。まわりが何もない平原のようなところであれば、時代の流れを感じさせることはないが、そうでなければ、同じ現代に思えてならないからだ。
ということは、
――最近、どこかで見たことを、完全に忘れてしまっているからだ――
と考えた方が、信憑性に関しては、完成度が高い。
オサムは、特に忘れっぽくなっていて、しかも覚えていたいと思うようなことほど、忘れてしまっている傾向が強いようだ。
一度自分の記憶能力を疑ってしまうと、もはや信じることはできない。逆にその代わり、別の特殊能力が備わっているかも知れないと考えると、
――自分が同じ日を繰り返していることで得た特殊能力ではないか?
という考えを持つことができるようで、忘れっぽいということや、他人事に思えてしまうということからも、自分の考えが行きつくところは、どうやら、
――同じ日を繰り返している――
というところに、最後は落ち着いてしまうようだ。
オサムは、最近自殺を試みる人をよく見かけるようになった。
最初に見かけたのは、電車に飛び込もうとした人だった。その人は、走ってくる電車に向かって飛び込もうとしていたのだが、その人の様子がかなり怪しかったにも関わらず、まわりの人は誰も気にすることはなかった。
オサムは同じホームのかなり遠くから見ていて気が付いたにも関わらず、同じ列で並んでいる人誰もが、その人を気にすることはなかった。新聞を読んでいる人、スマホを弄っている人、さらには、何を考えているのかボーっとただ立っているだけの人とさまざまであったが、誰一人、先頭に並んでいる男性の怪しげな雰囲気に気付く人はいなかった。
逆に並んでいる人全員が、怪しげな雰囲気に見えてくるから不思議だった。最初こそ、自殺をしようとしている人の怪しさにだけ気を取られていたが、よく見ると、その付近の雰囲気が完全に異様だった。自殺を試みようとしている人だけが怪しく見えるのではなく、全体の雰囲気に飲まれてしまっていたことで、先頭の人だけを怪しく感じたのだと思ってみたが、やはり怪しいのは先頭の男性だけだ。
ホームに流れ込んでくる電車に、今にも飛び込みそうな雰囲気で、反射的に、
――少しでも近づいて助けなければ――
と思ったが、オサムは身体を動かすことができない。
――夢でも見ているのか?
と思った瞬間、確かに男は電車に飛び込んだ。
瞬きをする瞬間がこんなにも長く感じられたことはなかったが、その男性は確かに飛び込んだはずだ。それなのに、何事もなかったかのように、電車が到着し、自分の目の前の扉が開いた。
自分の後ろに並んでいた人は自分を追い越して電車に乗り込む。あっけに取られて飛び込んだはずの方を見ているオサムを、誰も意識していないようだ。他の人の顔を見ると誰も無表情、まるで氷のような冷たい世界に入りこんだようだ。そう思うと、今度はまわりが固まってしまって、誰もが微動だにしない世界に入りこんでしまっていた。目の前に見えている光景もさっきまでとは違い、色がモノクロームになっていた。
――本当に凍り付いてしまったのだろうか?
これも子供の頃に見たテレビドラマで画面に広がっていた光景だった。凍り付いた時間はまわりを微動だにせず、色はモノクローム……。本当にそんな世界が広がっているのを見ることになるなど、ありえるはずのことではない。本当に夢を見ているわけではないのかと疑いたくなるのも無理もないことであった。
――やっぱりウソなんだ――
さっきまで感じていた光景が、嘘だと感じた瞬間に、消えてなくなり、時間は流れを取り戻し、何事もなかったように、過ぎていく。
――ただ、さっきホームに飛び込んだ人はどうなったというのだろう?
さっきまであんなに気になっていたのに、さっきの世界がウソだと思い、元の世界に戻った瞬間、まったく気にならなくなった。完全に他人事に思えてくると、その思いが本当に過去のことであることを思い知ると、落ち着いた気分になっていくのを感じていた。
――人の死なんていうのは、こんな感覚なのかも知れないな――
と感じた。
目の前で人が死のうとしていても、実際に死んでしまっても、死ななくても、さほど関係ないと思うのではないだろうか。ショックを受けた瞬間、自分の中にある他人事だという思いが顔を出し、自分の気持ちに蓋をしようとする。防衛本能と言ってしまえばそれまでだが、逆にこの思いを誰もが持っているとすれば、自殺をする時も、まるで他人事のように思って割り切ってしまうことで、いとも簡単に死ぬことができるようになるのかも知れない。そうでなければ、自殺など、そう簡単にできるものではないと思っている。
――自殺をする人としない人とでは精神的に紙一重なのかも知れない――
オサムは、今までに自殺をしようと思ったことはあったが、実際に具体的に考えたことはなかった。自殺するにもいろいろある。手首を切る。電車に飛び込む。ビルから飛び降りるなど、いろいろあるのだが、方法は考えても、そこから先を考えない。最初は考えるだけで怖いと思っていたが、それよりも、他人事のように思う方が強かったことに、後になって気が付いた。
――他人事のように思うのは、逆に自殺しやすくなるのではないか?
死への恐怖を拭い去るには、自分を他人に思うというのも一つの手である。
死を恐れるということは、自分がこの世にやり残したこと、未練があることで死を恐れているというのであれば、自分をまるで他人のように思うことができれば、その部分の恐怖は拭い去ることができる。いわゆる
――開き直り――
というやつである。
しかし、実際の死というのは、それだけではない。
痛い思いをしなければならないのは当然のことで、
――痛い、苦しい――
というこの世にやり残したことや未練などという抽象的なものではない直接的な苦痛を考えると、開き直りだけで死を選べるものではないだろう。
しかも、死んでから先を考えてしまう。
「死んだら、どうなるの?」
子供の頃に、祖母に聞いてみると、
「いいことをした人は天国に行けて、悪いことをした人は地獄に落ちるんだよ」
という、当たり前の答えが返ってきた。
さすがに子供でもそれくらいのことは分かっていた。要は地獄というところがどんなに辛いとこなのかを聞きたかったのだが、教えてはくれなかった。考えてみればそれ以上知るのは怖いだけ、知らなくてもいいことをその時に怖い思いをしてまで知る必要はなかったのだ。
――聞いておけばよかったかな?
今となってはそう思った。
知らないだけに最悪を想像してしまう。祖母が話してくれるであろう話は、戒めも入っているだろうが、子供相手なので、ショッキングなことはなるべく言わないようにしたに違いない。しかし、恐怖を煽るような言い方しかできないであろう地獄を、祖母が柔らかく言えるかどうか疑問だった。やはり苦しめなかったという意味でも、あの時は聞かなくて正解だったに違いない。
地獄というのがどういうものなのかを知ったのは、祖母が亡くなってからのことだった。別に興味があったわけではない時期だったので、知らされた時はショックだったが、その時もまるで他人事のように見ていたので、印象にはさほど残らなかった。そのおかげで、今でも地獄を想像することは難しい。
――死んだらどうなる?
天国に行くか地獄に行くか、想像できるわけもなかった。少なくとも地獄を他人事だと思っている間は、ずっと考えたとしても、堂々巡りを繰り返すに違いない。
オサムは自分が死ぬということを今までに何度考えたことだろう。そのたびに、
――死んでからどうなる?
と考えた時点で、他人事に変わってしまい、気が付けば意識しなくなるという状態を、何度も繰り返していた。同じ日を繰り返しているというのに、そんな感覚がないのは、やはり他人事のように思うくせがついてしまっているからに違いない。
同じ日を繰り返している時、オサムは、
――自分は死んでいるのだろうか?
と考えていた。
しかし、身体から魂だけが抜けてしまい、その魂だけが同じ日を繰り返しているのではないかという思いも生まれてきた。なぜかというと、
「死んだらどうなるの?」
と子供の頃に祖母に聞いた時、
「身体から魂が抜け出して、魂が生きているから、ずっと生き続けることになるのよ」
と言われたのを思い出した。
子供心にいろいろと考えてみたが、その時は、
――誰か違う人に生まれ変わるんじゃないのかな?
と感じた。その思いは今も残っていて、
――死んだ人は誰かの生まれ変わりになるんだ――
と思うようになった。その思いが、同じ日を繰り返しているというよりも、向こうの世界から誘われていると考えた時に感じた「生まれ変わり」に似ているのだ。
――そこに繋がってくるんだ――
と思うと、考え方がどこからどこに繋がっているのか分からない気がしていた。オサムは自分が同じ日を繰り返しているということを本当なら意識できなかったかも知れない。それをまわりから言われることで嫌でも意識するようになったのは、必然のように思えてきた。
ヨシオがツトムのことを話した時、オサムはどうしても他人事のように思えてならなかった。そして、ヨシオが自分の前に現れたのは、ツトムのパターンとオサムのパターンが違っていることに注目したかったのかも知れない。
――それにしても、ヨシオはどうして自分が同じ日を繰り返しているということを知ったのだろう?
という疑問が頭を擡げた。
誰かがヨシオに教えたのだろうが、ツトムではないことは確かだ。
ツトムとはあれから会っていない。同じ日を繰り返しているにも関わらず会っていないということは、二人のパターンが違っているからなのかも知れない。
――横溝が関係しているんだろうか?
横溝のことを思い浮かべると、ツトムがヨシオにとってどういう関係なのか、おぼろげながら想像できるような気がした。
――ツトムはヨシオにとっての実験台なのかも知れない――
そう思うと、ヨシオはツトムのことは手に取るように分かっても、オサムや横溝のことは分からないだろう。
そもそも、ヨシオと横溝が顔見知りだという証拠もなければ、自分が同じ日を繰り返していることに横溝が関わっていることも、オサムの勝手な想像なのだ。
ツトムやヨシオは、一度同じ日を繰り返す世界に身を投じ、その世界から戻ってきた。その時に、
――日にちが変わった瞬間に、過去のある位置に戻って、そこから前に飛び出したのかも知れない――
ただ、その方法を最初から分かっている様子だった二人は、すぐにこちらに戻ってくることができなかった。
――なぜなのだろう?
ヨシオと話をしていたのを全部覚えているつもりだったが、どうやら、覚えているのは一部だけのようだ。今昨日の話を思い返しているうちに、その時に話したことで忘れてしまったことが思い出されてくると、次第にその感覚が繋がってくるように思えてくるのだった。
しかも、繋がってくると、今朝目が覚めた時に感じたヨシオとの話の内容とは、若干違っていることも分かってきた。
――憚られたのかな?
向こうはそんなつもりもなく、オサムの方が勝手に勘違いをし、勝手な解釈をしてしまったのかも知れない。そこまでヨシオが計算しているとすれば、それはオサムにとって恐ろしいことであった。
――過去に戻ってしまうと、今度は未来に向けて一気に飛び出すことはできないのではないだろうか?
と思うようになった。
しかし、それは同じ日を繰り返しているという、限られた範囲の世界でのことであり、もし、飛び出すことができれば、それはこの世界から逃れるためのキーになるということになるのだと、オサムは感じた。
オサムは、
――自分ならどうするだろう?
と考えた。
日付が変わって、同じ日だと一瞬で判断できるかどうかにもよるが、そう思うことができれば、どこに戻ろうとするだろう?
――やっぱり、日付が変わるその瞬間に戻るに違いない――
それは、手を伸ばせば届きそうなすぐそばにある一瞬である。しかし、それも毎日をきちんと飛び越えている人に言えることで、同じ日を繰り返している人にとっては、すぐそこに見えているようで、超えることのできない目に見えない結界が、目の前に広がっているのを見て取ることができるのだろうか。
だが、それもヨシオが創造し、ツトムが実験台になっているパターンの世界での出来事である。オサムには当てはまらないのではないだろうか? そう思うと、オサムは頭の中で自分が目の前に見える過去に容易に戻ることができ、そして、今度はそこからどうするかを考えればいいという思いに駆られた。
一つ段階を進んだように思えたが、進んだ段階で、次はどこに飛び出せばいいというのだろう? ヨシオとツトムの二人のパターンと同じであれば、元の世界に戻ることはできないような気がする。
つまりは、過去に戻ってから未来に飛び出す瞬間、どこに飛び出すかを最初から決めておく必要はないように思えた。
いや、最初から決めてしまうと、本当にそこに戻れるのかどうか怪しい気がした。本能のまま、自分の理性や欲という正反対のものが、本能として息吹をとなった時、自然と飛び出す瞬間に導いてくれるような気がした。
オサムが、ヨシオとツトムとの一番の違いがどこにあるかと聞かれると、
「自分の未来は自分が決めるものではない」
という答えが引き出される。
「それではあまりにも消極的なのでは?」
と言われるであろう。
しかし、それは自分では決められない優柔不断な考えであり、いろいろなことを考えて決められないことが、本当の優柔不断ではないということを改めて教えられることに繋がくる。
――優柔不断というのは、本当はいろいろなことを考えているつもりでも、実際には考えが浅いから、すべての考えが中途半端になり、結論がないことになる。結論がないことをいくら繋ぎ合わせようとしても、それはただの自己満足にしかすぎない――
自己満足させるための「言い訳」として、優柔不断ということが使われる。元々あまりいい意味ではない優柔不断という言葉でも、それを言い訳にしなければいけないほどの考えというのは、
――それだけ自分に対してウソをついている――
ということになるのではないだろうか。
オサムはここまで考えてくると、嫌な予感が頭を過ぎったのを感じた。
――どうやら、この考えは自分にとって不利なことをいくつか考えさせることになるのかも知れないな――
と思わせた。
何がそのように感じさせるのか、すぐには分からなかったが、
――同じ日を繰り返しているということは、自分にとって知りたくないことを思い知らされることに繋がるのかも知れない――
それが嫌な予感の一つだった。
元々、オサムは自分が忘れっぽいことや、優柔不断なところがあることを意識していた。それと、
――同じ日を繰り返していることと結びつかないでほしい――
という思いとが交錯して頭の中で嫌な予感を作り上げているようだった。
ただ、オサムには同じ日を繰り返していたとしても、それは永久的なことではなく、近い将来、必ず抜けると思っている。
しかし、嫌な予感を感じたことで、一つ疑念が浮かんできた。
――同じ日を繰り返している間を抜けたとして、一体次の日というのは、いつの一日になるというのだろう?
繰り返したその一日の次の日になるのか、それとも、繰り返した日を一日一日と考えて、いきなり数十日後に飛び出すということなのだろうか。もし、後者だとすれば、その間の記憶はどうなるのだろう? 考え始めると、そう簡単に自分を納得させることはできないような気がしてきた。
オサムは、自分の肉体に本当に戻れるのかということが嫌な予感の正体であることにすぐには気付かなかった。
同じ時間に、たくさんの人が死に、たくさんの人が生まれる。すべての人が生まれ変わりだとは言わないが、生まれ変わった人もいるのは確かだろう。もちろん、意識も感覚も完全にリセットされ、まったく違う人として生を受けるのだから、生まれ変わりなどという意識はない。それこそ、
――神のみぞ知る――
というべきであろうか。
ただ、新しく生まれてくる人の中には、死なないまでも、同じ日を繰り返して、そこから逃れるため、過去のある地点に戻り、さらにそこからどこかに飛ぼうとして、行きついた先が、生まれ変わりだったとしても、不思議に感じないのは、同じ日を繰り返しているということを信じているからに違いない。
オサムにとって嫌な予感というのは、戻ったつもりで、自分がリセットされてしまうのではないかということだった。新しく生まれ変わるということは、今の自分が死んでしまうということと同じである。
――でも、今の人生に満足しているわけではないからな――
何に不満があるというわけではないが、過去を思い返すと、将来に対して何ら希望を持っていないことを思い知らされる。
――先が見えないから、同じ日を繰り返すという道に入りこんでしまったのだろうか?
ただ、ここまで同じ日を繰り返すということに対して深く考えたのは、ツトムやヨシオ、そして横溝の存在があったからだ。そしてその入り口にいたのがミクであり、アケミとシンジであった。
――ひょっとして生まれ変わるとすれば、ミクであったり、アケミやシンジなのかも知れない――
別に男でなければいけないというわけではないだろう。何しろリセットされるのだ。感覚や記憶以外に、理性や本能もリセットされることだろう。
そう思うと、オサムは喫茶「イリュージョン」という空間が、異空間の入り口のように思えてきた。
ただ、オサムは明日という日に、ツトムと会うことを自覚している。それは同じ日を何度か繰り返して戻ってきたところでツトムと再会するのだろうと思っていた。しかし、リセットを思うと、すべてを考え直さなければいけないように思えてきたのだ。
――この世界は、解釈一つで何でもありなんだな――
と思ったが、それもリセットという発想を持ってしまったからだ。
考えてみれば、
――夢の世界だって何でもありじゃないか――
とふと感じたが、
――夢の世界というのは潜在意識が作り出すもの――
という意識があることから、夢の世界こそ、制限だらけのような気がして仕方がなかった。
ただ、夢の世界が願望のかたまりであることに変わりはなく、潜在意識がどこまで願望を許容しているかということに繋がってくる。
オサムは願望を、欲と一緒に考えることをしなかった。
オサムにとって欲というものは、悪いものではなく、
――人間にとって必要不可欠な感情だ――
と思っていた。
願望も確かに必要不可欠に見えるが、
――願望というのは、叶えてしまえばそこで終わりだ――
という思いがあったのだ。
それに比べて欲というものには限りがない。もし叶えられる欲があったとしても、すぐに他の欲が顔を出す。要するに、願望に比べて欲というものは漠然としたものであり、曖昧でもあるのだ。
そういう意味で、必要不可欠な感情なのである。
潜在意識は現実世界の意識に比べて、幅が広いように感じるが、夢の世界が欲ではなく願望だと考えれば、限りなく狭い範囲に落ち着いてしまうだろう。
同じ日を繰り返しているのも夢の世界の一環のようなものだと思えば、必ずいつかは目が覚める。それが、必ず同じ日を繰り返している世界から抜けられるということへの確証でもあったのだ。
では、この世界をヨシオとツトムはどのように思っているのだろう?
ツトムがヨシオの実験台になっているというのは、ヨシオの話を聞いていて分かってきたことだったが、ツトムにとってヨシオはどういう立ち位置にいるのだろう。ツトムがみすみす、ヨシオの言いなりになっているというのは解せない気がする。ツトムとしても自分の書いた小説と同じ世界を創造していたのだ。それなりに考えがあったはずだ。
逆に言えば、それなりの考えがツトムにあったからこそ、ヨシオにとっての実験台として存在しえたのかも知れない。そう思うと、二人の目に見えない駆け引きがどのように行われているのか、興味深いところだった。
そういう意味でも、早く明日になって、ツトムと再会したいと思った。ツトムと再会することで、何か吹っ切れるものがあると感じたからだ。
オサムはツトムと再会し、吹っ切れたところで横溝に会うというシチュエーションを頭に抱いている。それは同じ日を繰り返している横溝なのか、それともこちらの世界に戻った横溝なのか考えていた。
――同じ日を繰り返している人は、一度は死を考えるものだ――
と思っていた。
それは自殺を意味しているが、普通であれば、切羽詰っていないと決行はできないだろう。確かに奇妙な世界に入りこみ、頭が錯乱しているのだから、自殺を考えても不思議ではないが、考えたとしても行動に移すだけの理由が見当たらない。しいて言えば、
――自殺をすることしか、この世界を抜けられない――
という思いが、その人を切羽詰らせるのかも知れない。
オサムは自殺を考えていた。
――この世界は自殺しようとしても、できるものではない――
というのは、本気で自殺をする人などいないということだ。自殺というよりも、この世界に一つの起爆剤を投入しようという意識であるが、危険極まりないことに変わりはない。
もし失敗したら、本当に死んでしまうかも知れない。成功したとして、その後、どうなるというのだろう? オサムの考えとしては、日にちが変わる寸前に戻って、そこから新しい日に飛ぶことができるという発想であったが、これもあまりにも自分に都合のいい発想だ。
ただ、オサムが考えているのは、
――死ぬことによって自分が発想している場所に届くかも知れない――
ということであり、何も考えのない人が死んでしまったら、どうなるのか、想像もつかなかった。
――一体、同じ日を繰り返している人というのは、何か見えない力に誘導されているとしても、その力は彼らに何をさせようというのだろう?
以前見た映画で、タイムスリップを題材にしたものがあったが、その映画のテーマというのが、
「歴史は俺たちに何をさせようというのか?」
というものだった。
タイムスリップ自体、歴史に対する挑戦である。しかも、映画のタイムスリップは一人だけではなく、そのあたりにいた人をすべて巻き込んだ、いわゆる局地的なタイムスリップで、個人の問題ではなかった。それだけに、考えは個人個人で違っている。
タイムスリップが起こった時に、爆風のようなモノが吹いたことで、火薬に火をつけて爆発させようとした人がいたが、それおまわりの人が必死に止めた。止めなければ間違いなく当たり一面木っ端みじんで、普通に考えれば生き残っている人は誰もいないからだ。
しかし、それも、
「歴史は俺たちに何をさせようというのか?」
というテーマがあるから言えることで、映画の中では、爆発は厳禁だという発想ではなく、テーマを実現させるためには爆発を起こして、どうなるかを見極めさせることはできない。もし、爆発させてどのような結果になるかというのはやはり、
「神のみぞ知る」
人間が神の領域に入り込んではいけないということなのかも知れない。
この場合の爆発させなかったことに対して、映画を見ていた人のほとんどが、ホッと胸を撫で下ろしたことだろう。
――爆発させて危険に晒されるよりも、もっと他に方法はないのだろうか?
という発想をほとんどの人が抱くに違いない。
もっとも、爆発させて、その後におびただしい数の死体が転がっているという情景を思い浮かべるだけでも恐ろしいのに、スクリーンいっぱいに見たいとは思わないだろう。
だが、それがたとえば戦国時代の映画で、戦場であれば、別にそこまでは感じない。何が違うというのだろう。
それは、戦国時代には戦というものがあり、そこでは殺し合いが行なわれ、終わった後には夥しい数の死体が転がっているということは頭の中で事実として理解しているからである。
――事実というものは、想像していて悲惨なものであっても、頭の中では認めるしかないということを知っているのだ――
と言えた。
しかし、タイムスリップを起こさせるために、火薬を爆発させるというのは、過去の事実にはないことだ。前例がないことはそれだけでも危険なのに、火薬を爆発させるということは、精神に異常をきたしていないとできることではない。それだけ切羽詰っているということなのだろう。
それは、同じ日を繰り返している人が自分で死を選ぼうとしているのと似ている。同じ日を繰り返すというのは、一種のタイムスリップで、それを抜けるには、前例のないことでも奇抜な発想に従うしかないという思いも、切羽詰っていればありえることだ。
しかも、自殺は他の人を巻き込むわけではない。止める人は誰もいないのだ。自分の意志でどこまでできるか、それが自殺を思い立った人の発想であろう。
しかし、本当に死ぬことができるかどうかというのは、疑問である。
オサムは、自分がその立場に立ったらどうするかを考えた。
――僕なら、死のうと思うかも知れない。死を思い止まるのは臆病で、逃げているように思う――
と感じたからだ。
それは、やはり切羽詰って、どうしていいか分からない時に考える発想だからであろう。そうなってしまっては、自分の考えを原点に戻す必要がある。すべてをリセットしなければいけないと思えば、それをするためには自殺するしかないと思うのは、無理もないことだと思えた。
オサムは無理にこの世界から逃れることをしないようにしようと考えるようになった。死ぬということに直面してみると、
――一体、何が怖いというのだろう?
と考えるようになったからだ。
まず最初に考えるのが、
――痛い、苦しい――
という直接的な考えだ。
これは、今までに経験したことのないことなので、本当に怖い。しかも、その先を考えてしまうと余計に恐ろしい。
この世への未練ということも考えてみた。
オサムはこの世に本当に未練があるのかということを考えてみたが、仕事にしても、別に生きがいを感じるほどのこともない。彼女だっているわけでもないし、何よりも、
――どうせ、僕が死んだって、悲しんでくれる人はいないさ――
家族だって、まわりの人だって、その時は悲しんでくれるかも知れないが、数か月も経たないうちに皆忘れていくさ。どうせ他人事なんだからと思う。
家族は、他人事とまでは思わないだろうが、引きづるようなことはないだろう。
オサムは、自分が考えているほど、死に対して本当は恐れる必要などないのではないかと思うようになった。
しかし、苦しい思いをして死んだ後のことを考えると、それが恐ろしい。
――死んだ後、どうなるんだ?
よく言われるのは、自殺はよくないことで、死んでからもその苦しみから逃れることはできないと言われていることだ。
実際に自殺を思い立ち、自殺を試みる人が、どれだけ本懐を達成することができるというのか、結構、未遂で終わってしまう人も多い。それはやはり自殺というものが死んだ後も苦しみを引きづることになるということに、気が付いたからだろう。
それは死のうとした時に感じるもので、その瞬間に分かるだけで、死に切れなかった後で思い返してみても、
――私はどうして、死ねなかったのだろう?
一番、本人が不思議に感じている。まわりの人は、
「やっぱり、この世に未練があるからだよ」
というだろうが、それこそ他人事のようで、無責任な発想だ。そうではないことは、自殺しようとした本人が一番分かっていることである。
オサムは、実際に同じ日を繰り返しながら、死のうとは思っても、そこまで行動に移していない。行動に移さないのは、この世界では、自殺に及ばなくても、ここまで考えることができるからだ。そう思うと、
――ひょっとして、同じ日を繰り返す人の見なかった共通点というのは、遅かれ早かれ、何かの理由で自殺を考えることになる人の前兆だからだろうか?
このままなら、自殺に追い込まれることになる人を、同じ日を繰り返す世界に入りこませて、そこで本人に何らかの選択をさせようとしているのかも知れない。
まず一つは、
――ここで思い止まって、元の世界に戻ってから、死ぬ気になったことを覚悟してから今後の生活を全うすることで、自殺を考えない――
ということになるのか、あるいは、
――このまましばらくこの世界にとどまって、元の世界に戻るのではなく、もう一度他の人に生まれ変わることを考えるために、自分がこの世界に呼ばれた――
という考えもあるだろう。
果たしてそれを本人が選択できるのかどうか疑問であるが、オサムは少しずつこの世界のことが分かってきた気がした。
少なくともオサムはこの世界で死を選ぶことはしない。
――僕はどうしようというのだろう?
オサムは、次の日にツトムと出会うことを予感していた。
――僕は、このまま前の世界に戻るのだろうが、自分が変わるのではなく、戻った世界が変わっているのかも知れない――
と感じた。
自分に都合よく変わっているような気がしてきたが、それも同じ日を繰り返すという世界を経験したからだ。この世界の得体の知れない不気味さは、死を選ぶことにも通じているのかも知れない。そう思うと、
――死んだ気になって――
と、まるで生まれ変わった気になれるだろう。それが戻った世界に影響を与え、自分の都合のいい世界を作り上げていると考えるのは、甘いのだろうか?
ミクやアケミやシンジは、そのまま自分の新しい世界に存在しているだろう。喫茶「イリュージョン」は変わりなく存在し、自分の知っている人のほとんども、見た目は変わらない世界が広がっていることだろう。
ツトムと喫茶「イリュージョン」以外で出会うというのも、戻ってきた世界が、今までの延長ではないという証拠なのかも知れない。
オサムは、戻ってきた世界に一人だけ、今まで存在していた人がいないことを感じていた。
――横溝はどこに行ったのだろう?
そういえば、横溝の下の名前は知らなかった。苗字も頭の中に漢字でしか浮かんでこない。
――横溝は生まれ変わったんだ――
と思っていると、戻ってきた世界は、少し事情が変わっていた。
シンジとアケミは結婚していて、アケミは懐妊しているという。オサムは、そのお腹の中にいるのが男の子で、それが横溝の生まれ変わりであるということを次第に確信してくるのを感じるのだった……。
――同じ日を繰り返している世界――
本当に存在していたのだろう?
あまりにも自分に都合のいい世界。だが、そんな世界の実在を信じている人が何も言わないが増えているのは確かなことだと、オサムは考えるのだった……。
( 完 )
同じ日を繰り返す人々 森本 晃次 @kakku
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