第3話 リセット


                 第三章 リセット


 オサムは横溝に会った数日後、ツトムに出会った。

 ツトムと、喫茶「イリュージョン」以外で出会うのは初めてだった。その時、オサムは前兆を迎えていて、自分もそのうちに同じ一日を繰り返すのではないかという不安に駆られ始めていた頃だった。

 ツトムと話をしたのは、いつも喫茶「イリュージョン」の中、冷静に話をしていても、どこかに不安があったが、それでも不思議と喫茶「イリュージョン」を一歩出れば、それまでの話がまるでウソのように、

――あそこでは幻想について話をしただけだ――

 と、現実味を感じることはなかった。

 ただ、オサムはその前日、喫茶「イリュージョン」で、ヨシオと呼ばれる人と出会った。ヨシオはその日初めて喫茶「イリュージョン」を訪れたといい、その理由を、

「オサム君に会ってみたかったんだ」

 と述べたのだ。

 最初、彼がヨシオだと気付かなかったので、彼の挙動に不信を感じていたので、怪しい視線を浴びせていたが、ヨシオは、

――何でも分かっているさ――

 と言わんばかりに、オサムを見ていた。

「どうして僕のことをご存じなんですか?」

 以前にツトムからヨシオの存在を聞いていたのだが、本人から聞かなければ、正直ツトムからだけの一方通行なので、信じがたいところがあった。

 ツトムがいうには、ヨシオから自分が同じ日を繰り返しているということを聞かされたという。しかも気になるのは、一人の人にそのことを一人しか告げることはできないということだったはずなのに、

――なぜゆえ、ヨシオは僕の前に現れたのだろう?

 そう感じて当たり前のことだった。

「俺はね、実は科学者なんだ」

「えっ?」

 いきなり何を言い出すのかと思ったが、その話はツトムから聞かされたわけではなかった。ヨシオのことをツトムは知っているようで知らないのかも知れない。あれだけいろいろなことを話したツトムだったが、ヨシオのことは、

――自分に同じ毎日を繰り返しているのを教えてくれた人であり、同じ一日を繰り返していることにパターンがあることを教えてくれた人――

 ということしか聞いていない。

 それ以上のことを知っていて話をしなかったようには思えない。もし、そうなら、ツトムの中にヨシオを隠さなければいけない何かがあったということになる。

「科学者というのはすごいですね」

「そんな風には見えないだろう?」

「そんなことはないですが」

 最初はピンと来なかったが、顔をよく見ると、髭面が妙に貫録を表していて、白衣を着て、手をポケットに突っ込んでいれば、それなりの迫力を感じさせる雰囲気に、思わず、

――なるほど――

 と感じさせるところがあった。

 ヨシオが何を考え、これから何を言おうとしているのか、なかなか想像するのは困難だった。

 オサムはツトムのことを思い出そうとしていた。

――そういえば、あれだけ毎回のように会っていたのに、最近はご無沙汰の気がするな――

 と感じていたが、その思いは横溝にもあったが、横溝に対してとは雰囲気が違った。なぜなら、横溝とはそれほど親しく話をしたことがないだけに、いなくても最初は気にならなかった。

 ツトムに対しては、あれだけ話をしていたので、いなくなると、一抹の寂しさを感じ、一人の孤独を思い知らされる気がした。しかし、それはこれから自分に起こるであろう、

――同じ日を繰り返す――

 ということへの不安が募っていることを表していた。

 そして、二人と会わなくなって数回経つと、今度は立場が逆転しているのに気付かされた。

 ツトムと出会わなくなってもさほど気にならなくなったのに、横溝がいないということが気になってきた。それだけオサムの中での残像が、違った形で残ってしまったということを示しているのだろう。

「ツトムに同じ日を繰り返しているという話をしたのは俺なんだけど、そのことはツトムから聞いているかな?」

「ええ、聞いています。ツトムさんが言うには、同じ日を繰り返していることを告げるのは、一人に対して一人だって言っていました。ツトムさんのお話は分かりやすいんでしょうが、聞いていて信じがたいところもあって、どうにも納得できないところが多いような気がします」

「それはそうでしょうね」

「俺も実は以前、同じ日を繰り返していたんだ。今は元の世界に戻ってきたんだけど、元の世界に戻れずにいる人も結構いる。その中には、向こうの世界がいいと思っている人もいたりするから不思議なんだ」

「ヨシオさんはどうだったんですか?」

「俺は、早くこちらの世界に帰ってきたいとずっと思っていたのさ。どうやったら戻ってこれるかということもいろいろと考えてね。でも、途中で気付いたんだ。俺がこの世界にいるのは、最初に俺がこの世界を創造して、こっちにいることを望んだからだってことをね」

「それはどういう意味なんですか?」

「一口に言えば現実逃避になるんだろうが、俺の場合は少し違う。自分が創造した世界を証明したいという思いに駆られたと言った方がいいかも知れない。だが、俺と同じような気持ちの人がいたんだ。俺よりも少し後に同じ日を繰り返すようになったんだけど、それがツトムだったんだ」

「そういえば、ツトムさんは小説を書いていると言っていましたね」

「そうだね。そして、俺は科学者の端くれ、お互いに共通点はあるような気がしているんだ」

「ツトムさんは、ヨシオさんのことは何も話してくれませんでしたけど、ヨシオさんのことを何も知らなかったんでしょうか?」

「そんなことはない。二人で同じ日を繰り返す世界の話を語り明かしたものさ。彼はそれなりに必死に訴えるものがあったよ。ただ、俺と彼とでは性格的には似ていないと思うところがあってね」

「そうなんですか。でも、お互いに避け合っているというわけではないんでしょう?」

「そんなことはない。ただ、お互いに適度の距離を保とうとしていたのは事実で、一時期微妙な距離を模索していたような気がする。そのせいでぎこちなくなった時期もあったんだけど、だからと言って避け合っていたわけではない。緊張の糸が張りつめていたというのはあったかも知れないね」

「僕はツトムさんから、そのうちに僕も同じ日を繰り返すことになると聞かされて、少し戸惑っているところなんですけど、そのツトムさんとは前はずっと会っていたのに、今は会えなくなったのが少し気になっています。ツトムさんは元気にしているんでしょうか?」

「彼は元気だよ。でも、彼は今、同じ日を繰り返している世界から抜け出そうと必死になっているところなんだ。どうやら、彼は大きな勘違いをしているようで、それが分からないと、あの世界からは抜けられない。もっとも、抜けようという意識が少し違っているような気がするんだ」

 オサムは、ヨシオの話を聞いていると、ツトムが話してくれた内容とは少し違っているように思えたが、突き詰めると、同じところに戻ってくるような気がした。

 ツトムのことを思い出しながらヨシオを見ているのと、ヨシオを見ながらツトムのことを思い出しているのとでは、状況が違ってくるのが分かった。目の前にいるヨシオの方が印象深いと感じるのは仕方がないとしても、ヨシオを見ていると、ツトムへの意識が次第に薄れていくのが感じられ、不思議な感覚に陥っていた。

「ところで、ヨシオさんというのはどういう人なんですか?」

 ヨシオのことを何も知らないから、ツトムのことを思い出そうとしても次第に意識が薄れてくるような気がした。ツトムがヨシオのことに対して何も触れなかったのにも、何か理由があるような気がする。ひょっとすると、ツトムがしようとしていることを、オサムが否定したということと、何か関係があるのかも知れない。

――僕には、ツトムさんに恨まれるような何かをしたという意識はまったくないんだけどな――

 それが、ツトムと出会うかなり前のことであったということを、その時はまだ知らないオサムだった。

 オサムは、疑問に思っていたことをヨシオに聞いてみることにした。

「ヨシオさんは、ツトムさんと同じを繰り返していると言いますが、繰り返し始めたタイミングというのは違いますよね?」

「そうだね」

 ヨシオは笑顔で答えた。

「でも、お二人はどこかで出会って、相手に同じ日を繰り返していることを告げたわけですよね。同じ日しかお互いに繰り返していないはずなのに、そんなことが可能なんですか?」

「同じ日を繰り返しているからと言っても、ずっと薄っぺらいままではないんだよ。薄っぺらい世界が同じ日を重ねるごとに厚くなって重たくなってくる。そのうちに他の人との接点が生まれてくるということは考えられないかね?」

 これは、オサムが横溝から聞いた話だった。あの時は、単純に毎日を生きることへの辛さから、同じ日を繰り返すことを羨ましがるという、今では考えられないことを思っていた時に聞いた言葉だったので、ビックリした。

 そんな表情を感じ取ったのか、

「どうやら、この話を聞くのは、君は初めてではないようだね」

 そう言って、またニッコリと笑った。

 もちろん、この話でツトムとヨシオの接点が見いだせたわけではないが、同じ日を重ねることで厚くなったものが、どこかで接点を持ったとしても、不思議ではないと思えてくるから不思議だった。オサムは最初に横溝と話をした時に感じていた同じ日を繰り返すという意識を、今は完全に怖がっているのが分かった。

――こんなに得体の知れないものだったなんて――

 想像すると、自分が精神的に耐えられるものなのかどうか、疑問に感じてきた。

――恐怖心というのは、これから起こることが分からないから感じるものだ――

 明らかに何かが起こるのは分かっていても、そこからどんなことが派生するか分からない。いい方に考えれば、夢や希望ということになるのだろうが、逆に言えば、恐怖以外の何物でもないということになるだろう。

――必要以上に神経が過敏になり、冷静な判断力を必要とする時ほど、精神的に不安定になってしまうに違いない――

 入る前から不安が募っていては、最初から負の要素を背負ってしまっていることになり、自分が未知数であり、それ以上でもそれ以下でもないことを思い知ることになるだろう。

――僕はこうやっている間にも実際には同じ日を繰り返しているのかも知れない――

 ただ、自覚はない。

 午前零時を過ぎれば何事もなく次の日になっている。そして、前の日とは違う一日を過ごしているのだ。

――だが、昨日と思っている日が本当に昨日だということを考えたことがあっただろうか?

 いや、思いこんでいるだけで、そのことを考えようとはしなかった。

 それは、考えようとしなかったのではなく、考えないようにしていたのかも知れない。

――しなかったというのと、していたというのではまったく解釈は違ってくる――

 そう感じると、今日という日を繰り返すことに知らず知らずに入り込んでいる人も少なくはないに違いない。

――こうやって話をしている人も、同じ日を繰り返しているのかも知れない――

「同じ日を繰り返すことを抜けた」

 と自分から言っている人は、本当にそうなのだろうが、少なくとも、同じ日を繰り返している事実を認識していた人たちだ。

 そんな人たちと今まで会わなかったはずの自分が、急にまわりがそんな人ばかりになるなんて、そんなおかしなことはないだろう。

――やっぱり、前兆からいつの間にか、同じ日を繰り返す世界に入りこんでしまっていたんだ――

 と感じた。

 オサムは、昨夜のことを思い出そうとしていた。すると、一つだけ思い出せることがあった。

――確か、誰か死のうとしている人を助けたような気がしたな――

 自殺しようとしている人を助けるというのは、いいことをしたという気分になるものだが、その時は、後ろめたさを感じた。

 確かに死を意識するほど辛いことのあった人は死んだ方が楽なのかも知れないので、自殺を止めるというのは、後ろめたさを感じても仕方がないが、すぐにそんな思いも薄れてくるものだと思っていた。

 しかし、その時は次第に後ろめたさが膨らんでくる。まるで、

――自殺しても、その人は本当に死ぬとは限らない――

 とでも言わんばかりの考えだった。

 それは、生まれ変わるという発想がその後についていたからだと思ったが、数時間しか経っていないのに、そんなことをすっかりと忘れてしまっていたというのもおかしなことだった。

――やっぱり、午前零時を境に、僕は意識も記憶もリセットされてしまったのだろうか?

 と、感じたのだ。

 自殺をする人をオサムは今までに何度か見たことがあった。

「一生のうちにそんなに何度も自殺の場面に遭遇するなんて、よっぽどのことなのかも知れませんね」

 と、自殺を目撃したことが何度もあることを話した人から言われた。

 話をした相手は女性で、どうしてその人に話す気になったのか、今ではその時の心境を忘れてしまった。しかし、その時まではいい関係を育んできた相手だったので、付き合う寸前まで行っていたのは事実だった。そんな相手に話しをしたのは、何か思うところがあってのはずだったのに、結果としては、完全に裏目に出てしまった。明確な別れの言葉はなかったのだが、それからお互いにぎこちなくなり、付き合うどころか、一緒にいることも苦痛に感じるようになった。

 幸いだったのは、どちらが嫌いになったというわけではなく、自然消滅的な別れに、憔悴感はなかった。

「お互いに距離を置きましょう」

 という一言があっただけで、

「そうだね」

 肯定も否定もする気がなかったオサムは、そう答えるだけだった。相手もそのことを分かったのか、それ以上、何も言わなかった。

――どうして、こんなことになったんだろう?

 ぎこちなくなり始めて最初はいつもそのことを考えていたが、次第に考えないようになった。気持ちが冷めてくるのが分かってくると、別れに対して、何の感情も抱かなくなった。

 会わなくなってからしばらくして、

――自殺の話をしたのがいけなかったのかな?

 と後悔しているわけでもないので、反省もしていない。結果として別れることになったが、きっかけなどどこに転がっているか分からない。自殺の話がきっかけになったとオサムは思っているが、彼女の方は違うことを考えているのかも知れない。

 ただ不思議なことに、自殺の話がいけなかったのではないかと考えたその後、少ししてから、彼女が自殺未遂をしたという話を聞かされた。手首を切っての自殺未遂らしいのだが、理由はハッキリとしないという。完全な衝動的な行動で、その時の彼女の気持ちを計り知ることは、すでにできなくなっていた。

「そうなんだ」

 教えてくれた人に対してそっけない素振りをしたが、相手も修が別れてからかなり経っていることで、

「俺には関係ない」

 と言われても仕方がないという思いがあったに違いない。

 オサムは自分でも冷静な顔になっているのは分かっていた。それまでにない冷静な表情に、表情が引きつっているのではないかという思いに駆られていた。それでもオサムにとってかつて、

――付き合っていたと言ってもいいくらいの相手――

 そんな女性が自殺を試みたというのに、まったくショックがないということはありえないだろう。

「何となく、分かっていたんじゃないかい?」

 と言われたが、

「そんなことはないよ」

 と答えた。その言葉にウソはない。彼女が自殺をするような女性でないと思っていたのは事実だし、

――彼女に限って――

 と考えたのも事実だった。

――人間なんて、いつどこで死にたいと思うか、分からないということか――

 と感じた。

 それは人間の感情に左右されない本能のようなものが見えないが影響しているということになるのだ。

 オサムにとって、自分の中で、

――自殺する人――

 というイメージが頭の中にあったのは事実だが、実際に自殺を目撃した相手が、どんな人だったのかなど、分かるはずもない。元々知らない人が自殺して、生死の境を彷徨っている時の断末魔の表情は、インパクトが強すぎたが、それとは別に感情は冷静だった。

――まるで何も考えていないかのようだ――

 と思えるほどで、しかも、その人が普段どんな人だったのかなど、想像できるはずもなかった。

――自殺しようとする人には、性格的に共通点があるに違いない――

 というのが基本的な考え方だが、何度も自殺の場面を目撃するたびに、その思いがまるで絵に描いた餅のように思えてくるから不思議だった。

――感覚がマヒしてきているのかな?

 と感じた、その思いに間違いはないだろうが、それだけではないような気がしていたのもウソではない。

 今までに何度か自殺を目撃してはいるが、その中に自分の知り合いはいなかった。もしその中に自分の知り合いがいるなどということになれば、それこそ確率的にかなりのものであり、恐ろしさが頭を擡げるに違いないと思ったからだ。

――自殺する人の心境が分からない――

 死ぬしかないと思って死ぬのだろうが、そこまで自分を追いつめるには、もう一人の自分がいないとできないような気がする。

「誰かが背中を押してくれないと、自分から死ぬなんてできないわよね」

 数少ない彼女の言葉の一つでもあった。

 彼女はその時あまり面白くなさそうな顔はしていたが、ほとんど話さなかったわけではない。むしろ、言葉数は多かったのかも知れない。それを思うと彼女が何を考えていたのか分からないまでも、その後自殺することになったのも、その時から繋がりがあったのかも知れないと思った。

――別れることになったのも、「死」というものに対して犯してはいけない神聖なものであるということを彼女の中で確固たる気持ちが存在していたに違いない――

 そう思うと、別れることになったこと、別れてしまってから後悔がなかったことに対して、オサムは自分なりに納得できるような気がしていた。

「オサムさんは、自殺を何度も見ているということは、何かを繰り返しているのかも知れませんね」

 この言葉も彼女の不思議な語録の一つだった。

「繰り返す?」

「ええ、繰り返しているからこそ、自殺を目撃するんですよ。そのうちに嫌でも何かを繰り返すことに遭遇して、死というものを感じる時が来るのかも知れませんね」

 どこまでも謎に満ちた発想だった。

「君の発想が時々怖くなることがある」

 悪気もなかったのに、思わず口走ってしまった。

「それはお互いさまでしょう?」

 彼女も負けてはいない。ただ、勝ち負けの問題ではなく、会話が何かの答えを求めているわけでもなく、淡々と続けられていることに、ゾッとしたものを感じていた。

 オサムが同じ日を繰り返すというのを意識させられたのも、ミクと会ってからだった。

 ミクに対して、何ら他の人との違いを感じたわけではなかったはずなのに、どうしてそう感じたのか、ひょっとすると、以前付き合おうと思っていた彼女とどこか似たところがあったからなのかも知れない。

 ただ、今回はミクに対して何も話をしたわけではない。歴史の話に花を咲かせた程度で、ミクと話をしていて感じた、

――同じ日を繰り返す――

 という発想について口にはしなかった。

 だが、口にしなかっただけで、素振りは普通ではなかったのかも知れない。ミクはそのことを感じ取り、態度に表したことを、逆にオサムが怪しく感じたのかも知れない。

――ミクに対して、どこか怯えたような気持ちがあるのかも知れない――

 初めて会ったはずの人なのに、どこかで会ったことがあると感じたことが今までに何度かあった。その相手に対して必ず怯えのようなものを感じていたが、ミクに対して感じた怯えも、同じような怯えだった。

――でも、ミクのような雰囲気の女性と出会うのは、初めてのはずなんだけどな――

 と感じていた。

 ミクの方はどうなのだろう? 話をしていて違和感はないが、まったく疑問を感じていないというわけではなさそうだ。お互いに手探りだったのは、間違いのないことのようである。

「僕は、同じ日を繰り返しているということを、メカニズムとして証明したいと思って、研究していたんだ。ずっと研究していたんだけど、研究している間は、毎日が先にいくんだ。でも、同じ日を繰り返しているという事実に変わりはない。つまりは、同じ日を繰り返している部分と、先に進む部分の二つが存在しているんだ」

「僕には信じられない」

 と、オサムがいうと、

「オサム君は、今まだ、自分が前兆にいると思っているんじゃないかい?」

「ええ、まだ、同じ日を繰り返しているという自覚はありません。毎日を先に進んでいますからね」

「実はオサム君だって、すでに同じ日を繰り返しているんだよ。でも、同じ日を繰り返している部分よりも、先に進む部分の方がまだ大きくて、同じ日を繰り返しているという意識がないだけなんだ」

「難しいお話です」

「これは同じ日を繰り返している人は、意識していることなんだけど、自分が同じ日を繰り返していて、午前零時を過ぎて、次の日になっていないことを感じた時、それは日にちが変わる瞬間であれば、向こうの世界に飛び出すための扉が見えるんだっていう。それは僕の研究ではハッキリと証明できたわけではないんだが、ツトム君の小説のネタにはなっていた。だから、彼に同じ日を伝える役が僕になったというのは、まんざらでもなかったのさ」

「同じ日を繰り返しているということを、その人に納得させるために、誰かが話をしたやるということは、ツトムさんから聞きました」

「どこまで聞いたのかな?」

「同じ日を繰り返しているということを教えてことができるのは、一人に対して一人だということでした。それ以外にも聞いたような気がしたんですが、正直覚えていません」

「その時に君は、僕の存在を聞いたんだね?」

「ええ、そうです」

「普通に毎日を暮らしている人、つまり、同じ日を繰り返していない人だって、日付が変わった瞬間に、必ずその扉を開けて、向こうの世界に飛び出しているんだよ。その人は無意識にしているだけのことで、覚えていないけど、その行為がなければ、明日という世界は開けてこないんだ」

「ヨシオさんの話を聞いていると、まるで、次の日に進むことの方が難しいんじゃないかって錯覚を覚えるような気がします」

「それは錯覚ではなく真実なのかも知れないよ。オサム君は、自分が今まで歩んでいたことだけが真実だと思いこんでいるから、そのことを錯覚だと感じるのさ」

「どういうことですか?」

「今まで意識したことのないものを、いきなり意識すると、それは唐突に出てきたことであって、余計に今まで歩んできた自分を正当化したくなるものさ。それは当然のことなんだろうけど、それって、本当は絶対的な保守を自分で作ってしまっていることの証明をしているだけになるんだよ。すべて自分が正しいということを自覚していないと、自分に自信なんて持つことができないのが人間というものだからね」

「人間というのは、そんなに弱くて、流動的なものなんですか?」

「そうだよ。僕は人間を研究すればするほど、そのことを痛感させられる。人間というのは一人では生きられない。でも、一人で生きていこうとする意識は何よりも強い。他の動物は本能で、まわりへの感情と、自分が一人で生きていくという境目を感じているだけで、意識はしていないのさ。だからうまく行っている。うまく行っているけど、それは潜在意識なので、人間のように悩んだり苦しんだりしない分、余計なことは考えない。それが幸せなのかどうか分からないが、『知らぬが仏』なんて言葉、本当は人間に使うものではないような気がしてくるよね。でもね、確かに人間は弱くて流動的なんだけど、本能に逆らうことができるのも人間だけなんだ。ただ、逆らったらどうなるかということは本当に『神のみぞ知る』というべきなんだろうね。そこから先は、僕の研究の外だったんだ。というより、それ以上研究することが怖くなったというべきなんだろうね」

「どうしてですか?」

「だって、自分の運命を自分で見てしまうことになるからね。それは先を見るわけではなく、これから起こることを知ってしまうというのは、自分の人生の終わりから、遡っていく感覚になることなんだ。そこまで考えてくると、同じ日を繰り返している方が、気が楽になるような錯覚に陥ってしまう。これは完全に錯覚なんだと思うんだけど、きっと同じ日を繰り返す人というのは、自分の最後を考えたことのある人なんだと思う。本当に見た人がいるのかどうか、分からないけどね。でも、ここまで考えてくると、自分が知ってはいけないことが次に日に待ち構えているんじゃないかって無意識に感じた人は、次の日に進むための扉を目にすることになる。そして、扉を見た瞬間、それを超えるのが怖いと、皆思うんじゃないかな? それこそ『知らぬが仏』さ。無意識に前に進んでいた今までの自分にゾッとするほど恐怖を感じる人もいるんじゃないかな?」

「それが同じ日を繰り返しているということになるんですか?」

「そうだよ。同じ日を繰り返すのと、毎日先に進むのとではどっちがいいのか、その人それぞれということだね」

「でも、先に進むのが怖くて、毎日を繰り返すようになった人は、二度と、先に進むことを望んだりしないんですか? 老いることもない。ただ同じ日を繰り返しているわけでしょう?」

「そうじゃない。同じ日を繰り返していると言っても、それは精神的なものであって、身体や感覚は着実に先に進んでいるんだ。年も取れば、年齢相応の感覚を持つことになる。だから年を取れば感覚も衰えてくるものなんだけど、でも、同じ日を繰り返している人のほとんどは、いつの間にか、先に進んでいたということも珍しくはない。同じ日を繰り返している時に誰かに教えられることはあっても、先に進む毎日に戻る時には、誰も教えてくれる人はいないんだ。元の世界に戻った時、その人は同じ日を繰り返していたという意識は消えてしまう。記憶が抹消されるわけではないけど、その記憶が表に出てくることはない。もし出てくることがあるとすれば……」

「あるとすれば?」

「その人は、自分の死期がハッキリと見えているのかも知れない」

「それは、ヨシオさんの科学者として発見した事実なんですか?」

「僕は科学者として事実だと思っているけど、でも証明することは難しい。だから、僕の考えを他の人に強制しようとは思わない」

「じゃあ、どうして僕に話してくれたんですか?」

「どうしてだろうね。でも、僕はこの話をするのは君だけにではないんだ。もちろん、ここまでの話をツトム君にはしていない。同じ日を繰り返していることを誰か一人が、他の一人に教えてと言っただろう? それは決まったことしか教えることはできないし、個人の考えを正当論のようにして伝えることもできない。だから、ツトム君には、必要最低限のことしか話をしていない。君だって、ツトム君からは必要以上なことを聞いていないはずだからね」

「確かにそうですね。ツトムさんの話がどこまで信憑性があるか分からなかったけど、あなたの話が裏付けになっているのも事実ですね」

「でも、僕は君にこの話をするということは、君は気付いているかも知れないけど、もうすでに前兆ではなく、本当に同じ日を繰り返していることになるんだよ」

「どうしてですか?」

「だって、今君が言っただろう? 同じ日を繰り返している人に対して、一人は一人にしか言えないって、僕はすでにこの世界から抜けているから誰に話しても問題はないんだけど、でも、聞く方の君としてはツトム君からも聞かされて、僕からも聞かされることになるということは、君は意識はないかも知れないが、同じ日を繰り返す世界に入っているんだよ」

「でも、確かに昨日とは違う日を繰り返しているはずなんですけど?」

「まだ完全な自覚があるというわけではないんだろうね。しかも、君は自分に前兆があるという意識があった。前兆という意識からはなかなか抜けられないものなんだよ。しかも君は意識はしていないまでも、この世界のことを自分なりにいろいろ想像している。それはツトム君や僕のように想像力があるわけではないが、実は君の中で、大きな仮想の世界を作り上げているんだよ」

「そうなんですか?」

「ああ、君には意識がないと思う。しかも、その理由を君に言えば、ひょっとすると、言葉を聞いただけでは訝しい表情になることは目に見えているんだ」

「それは一体どういう?」

「それは人間誰もが持っている『欲』というものが働いているからなんだ」

「欲ですか?」

「ああ」

 きっと自分でも訝しい表情になっていることが分かっている。

 しかし、オサムは「欲」という言葉をすべて悪いことだとは思っていない。確かに悪いイメージはあるが、

――人間にはなくてはならない必要なもの、いわゆる「必要悪」のようなものなのかも知れない――

 と思っていた。

 そのことを彼は言っているのだろう。そうだと思うと、オサムは訝しい表情になったとしても、それは反射的なもので本能ではないと思う。相手がどう思っているか分からないが、誤解は解いておきたいと思った。

「欲というものは、自分ではどうすることもできないものだという思いをほとんどの人が持っているんだろうが、決してそんなことはない。逆に自分の中にある欲を利用しようと思えば、簡単に利用できるものなんだよ」

「でも、利用している人なんているんですか?」

「心の持ちようで、利用するものというのは、利用できると思うからこっちが利用していると思っているわけでしょう? じゃあ、どうして利用できないかというと、そのものの本質を分からないから、利用できないと思いこむのさ。本質を知らないということは、怖がっているということ、怖いから、そんなものを利用するなんておこがましいと思いこむのさ」

「じゃあ、欲というものを怖がっているということですか?」

「利用できないと思っているということは怖がっているということだよ。ただ、それは本質を知らないから怖がっているわけではない。欲というものを悪いものだと決めつけているから怖いと思うのさ」

 少し考えてみたが、答えは見つからない。分かりそうで分からないことというのは、じれったいものだ。

「性欲にしても、征服欲にしても、あまりいいイメージに見えないだろう。でも、食欲や睡眠などの欲は、誰も悪いとは言わない。つまりは、自分だけの中で解決できない欲、人に迷惑を掛けてしまう欲、それを怖がっているのさ。性欲にしても、征服欲にしても、どちらも実現させようとすると、どうしても犯罪が絡んでしまうような気がしてくるだろう?」

「そうですね。テレビ番組なんかの影響かも知れませんが、確かにその通り」

「でもね。テレビ番組で取り上げるというのは裏を返せば、それだけ誰もが気にしているということを示しているんだよ。タブーとされながらでも、そのことを取り上げれば、視聴率が上がる。それだけ興味があるということなんだね」

「それは、実際には犯罪になるからできないけど、テレビドラマなどで、自分の代わりに誰かがやってくれるという意識なんですかね?」

「それもあるだろうけど、やっぱり、普段は避けていることでも、架空の世界の出来事なら、ありだと思っているんじゃないかな? しかも避けているということをテレビドラマを見ながら意識する。それは普段の自分を客観的に見ている自分がいるような気がするんだけど、違うかな?」

「ツトムさんは小説を書いていると言っていましたけど、あの人も小説の中で、自分の願望を叶えようとしていたんでしょうか?」

「彼はそんなことはしない。しないというよりも性格的にできないんだと思うよ。でも、それは彼が善人だからできないというわけでもないし、書くということになると、発想が浮かんでこなくなるというわけではないんだ。彼の中で自分なりに法則のようなものを持っていて、彼が欲について小説に書くということは、反則だと思っているんじゃないかって思うんだ。ただ、本人は、自分に発想が浮かんでこないからだって思っているに違いないんだけどね」

「どうして、ヨシオさんは、そんなに人のことが分かるんですか?」

「いや、人のことが分かるわけではなく。ツトム君のことだから分かるんだ。人には、『この人のことなら、手に取るように分かる』という人が、誰にでも一人はいると思っている。ただ、そのことを意識しない人はたくさんいるのさ。出会っていないのかも知れないし、出会っていて、しかも時々話をする人であっても、そこまで相手のことを分かるとは思っていない。それだけ自分に自信が持てる人間なんていないということさ」

 オサムは自分を顧みて考えてみた。

――僕にはそんな人はいない――

 元々、人と話をすることがめっきりと減ってしまった。

 最初は相手からウザいと思われても、お構いなしにこちらから話しかける方だったが、大学三年生くらいの頃から、次第に人と話をしなくなった。

 人と話をするのが煩わしく感じられるようになったのだ。

 こちらが煩わしいと思っていることは、相手にも伝わるもので、ぎこちなくなったのはお互いさまだった。

――ひょっとすると相手も僕と同じように、自分の方から話をしないから相手が話をしてくれない――

 と思っているのかも知れない。

 この思いは相手に気を遣っているからではなく、それだけ相手のことを考えていないからだ。

――まずは自分中心――

 この考えが、オサムを自分の殻の中に閉じ込めて、独自の考えを生む手伝いをするようになったのだ。

 ヨシオが話を続けた。

「僕は同じ日を繰り返しているという研究をしている時だけ、意識は同じ日を繰り返していないんだ」

「それはどういう意味ですか?」

「この世界にも慣れというものがあって、さすがに同じ日を何度も繰り返していると、感覚的に分かってくることもある。ただ、逆に慣れてしまって、気付くべきことが気付かずに、ずっと未来に向けて生きている人には気付くはずのことを気付かなかったりする。毎日を繰り返している人というのは、それだけ感覚が退化してしまっているのかも知れないんだ」

「そういえば、ツトムさんが面白いことを言っていましたね」

「何と言っていたんだい?」

「同じ日を繰り返している人は、それだけでハンデを持っていることになるから、他の人にはない特殊能力を持っているんだって言ってました」

「特殊能力ねぇ」

「ええ、しかも、特殊能力と言っても、それは人間誰しも持っているものであって、ただ、その感覚が研ぎ澄まされているだけだという話にもなりました。僕はその意見に賛成なんですけどね」

「なるほど、その意見には賛成だね。と言っても、その話は僕と話をしている時にも出た話題ではあったんだけどね」

「そうだったんですね。でも、ヨシオさんは、同じ日を繰り返しているという研究をいつから始められていたんですか?」

「僕は、自分が同じ日を繰り返すようになってから研究を始めたわけではないんだ。元々から、同じ日を繰り返しているという感覚を持っていて、その中で考えていたことなんだけど、同じ日を繰り返しているというのは、夢の中でしか存在できないことだって、ずっと思っていたんだ」

「夢の中だけで繰り返しているということは、夢の世界が繋がっているということですか? 以前、『夢の共有』という、他人と同じ夢を共有しているっていう感覚の話をしたことがあったんですが、何となく同じようなニュアンスに聞こえますね」

「君が、『夢の共有』についてそれなりの感覚を持っていてくれているのであれば、同じ日を繰り返しているのが、夢の中だという感覚を案外と理解しやすいのかも知れないと思っているよ」

「夢というのは、一回完結じゃないですか。しかも、どんなに印象の深い夢であっても、気が付けば忘れてしまっている。きっと目が覚めるにつれて忘れていくんでしょうね。目が覚めるまでに時間が掛かるのは、夢を忘れるためだって、僕はずっと思っていました」

「その通りだよ。だからこそ、夢は現実世界に自分が引き戻された時、一度リセットされる必要がある。それが目が覚めるにしたがって夢を忘れることなんだ。どうしてそんな必要があるかというと、その人の中で一度見た夢は繋がっているからなんだよ」

「じゃあ、たとえば今夜夢を見るとすれば、それは過去の夢から繋がっているということなんですか?」

「その通り。だけど、それは一度前に見た夢だとは限らないんだ。今日という日が、必ず昨日という日の続きである現実世界とは明らかに違う。そのため、夢というのは、現実世界に引き戻される間にリセットされる必要があるのさ」

「まるで、デジャブを感じさせますね」

 デジャブというのは、一度も見たことがないはずなのに、過去に見たことがあるような気がしてくることで、それがいつのどこだったのか、決して思い出すことはできない。

 なぜなら、デジャブというのは、「記憶の辻褄合わせ」のようなものであり、見たというのは、本当にそのものズバリを見たわけではなく、たとえば、壁に掛かった絵を見て、その時に、

――どこかで見たことがあるような気がする――

 と感じたことが、意識の中に残っていると思っていたのだ。

 つまりは、過去に感じた、

――どこかで見たこと――

 というのは、本当にさらに過去のことなのか、オサムは疑問だった。過去であるなら、同じ記憶が果てしなく過去に繋がっているものであり、それはそれで不思議な感覚だ。

 しかし、逆に過去に感じたどこかで見たことというのが、未来に感じるはずのことを予知しているだけだと思えば、その時と二回だけのことを考えればいいだけで、よほど、過去に果てしない思いを馳せることよりも、信憑性があるのではないだろうか。そう思えば同じ日を繰り返している人の特殊能力の一つが、この予知能力だという考えも十分にありなのではないだろうか。

 この考えをヨシオに話すと、彼も、

「もっともの考えだって思います。僕もそこまでハッキリとデジャブに関して考えたことはなかったけど、僕の考えを裏付けるには十分なものだって思っていますよ」

 デジャブについて考えていると、さらにヨシオは自分の考えを続けた。

「今話に出たデジャブと、考え方として交わることはないけど、ニアミスを侵しているような気がするね」

「まるで決して交わることのない平行線を描いているようですね」

「というよりも、『限りなく透明に近い白色』というイメージの方が強いかも知れませんね」

「その表現もピッタリだ。でも、僕はもう一つ別の考えを持っているんだ。それは、違う考えというわけではない。そういう意味では、交わることのない平行線を描いていると言えるのではないだろうか」

「それはどういうことですか?」

「同じ日を繰り返しているという世界では、慣れてくると、同じ日の過去であれば、どこにでも飛び越えることができるような気がしていたんだよ」

「同じ日なのにですか?」

「そうだよ。同じ日を繰り返していると思っているのは、僕は錯覚なのではないかって思うんだ。次の日になって新しい日が開けるのか、それとも、同じ日を繰り返すことになるのかの違いというのは、日にちが変わるその瞬間に、リセットされるかどうかで決まるということなんだ」

「リセットというのは?」

「感覚的なものだけをリセットするという意味なんだけど、日にちが変わる瞬間に、実は誰もが頭の中をリセットされると思っているんだ。普通に新しい未来が開ける人は、その日一日をリセットするんだ。でも、同じ日を繰り返している人というのは、前の日をリセットするわけではなく、その一日よりも前をリセットするんだ。同じ日を繰り返しているのか、それとも日にちが変わった瞬間に未来が開けるかどうかの問題は、このリセットがどちらで行われるかということで決まるのさ」

「じゃあ、同じ日を繰り返している人は、過去をいつもリセットしているということになるんですか?」

「いや、それは最初の一回きりなんだよ。二回目に同じ日を繰り返して、日にちが変わろうとした瞬間には、その日をリセットしようとする。でも、一度それ以前をリセットしてしまったことで、その日をリセットしてしまうと、すべてがリセットされてしまうことになる。そんな恐ろしいことはできないって無意識に思うんだよ。だから、この世界からなかなか抜け出せないのさ」

「じゃあ、思い切ってその日をリセットすることができれば、その人は同じ日を繰り返しているという呪縛から逃れられるのかも知れないとも言えるんですよね」

「僕は正直そう思っている。ただ、今は実際に同じ日を繰り返しているわけではないんだけど、今の君の話を実行したという感覚はないんだ。だから、もし実行できたとしても、それは戻ってしまった瞬間に忘れてしまっていることになる。これって何かに似ている感覚だろう?」

「あっ、それこそ、夢の感覚じゃないですか」

「だからこそ、僕は同じ日を繰り返していることに、夢の世界が関わっているという仮説を立てたんだよ。そして、同じ日を繰り返すということを、人間であれば誰しも一生に一度は起こることだって思ったんだ。夢を見ない人間なんていないと思うからね」

 彼の話は実に興味深いものだった。

 話をしていて共感できることは今までにもあった。ただ、それはお互いに意見交換の中で納得していくもので、この時のように、ほとんどが相手の意見を聞いているだけなのに、ここまで共感でき、さらに発展した考えを持つことができるようになるなどということは思ってもみなかったことだったのだ。

「ヨシオさんがさっき言っていた『慣れてくれば、過去のどこにでも飛び越えることができる』というのは?」

「いくら同じ日を繰り返しているとしても、過去が一枚岩ではないということさ。どこかに違いがあるから、紙のように薄っぺらいものでも、重なって行くにしたがって、次第に厚みを帯びてくる。逆にいうと、薄っぺらい紙と言っても、それは『限りなく薄いが、まったくのゼロではない』ということにもなるだろう」

「ヨシオさんは、過去のどこかに戻ったことがあったんですか?」

「戻ることはできなかったね。僕の中の理論では戻れるはずだっていう思いがあるんだけど、どうしてもできない。それは、リセットという感覚が影響していたんだけど、そこに気付くまでにかなりの時間が掛かった。リセットというイメージは、同じ日を繰り返すということを考え始めた比較的最初の頃から持っていたのに、それと過去に戻るという感覚がなかなか結びつかなかったのさ」

「でも、過去に戻ることのできる人もいるかも知れませんね」

「僕も理論的には不可能ではないと思っていたんだ。実は、そのことを話した人間が今までに一人だけいるんだ」

「それがツトムさんだというんですか?」

「そうだよ。ツトム君も僕の意見に賛同してくれた」

 その話を聞いて少し不気味な気がした。

 一つは、ツトムが簡単にその話を信じたということ。そして、もう一つは、最近、そのツトムと会っていないということだった。

「でも、その話をよくツトムさんは信じましたね」

「最初はビックリしていたさ。でも、彼は自分の考えていたことと照らし合わせたみたいで、しばらくすると納得してくれたよ。でも、この話はあくまでも仮説であって、絶対にできっこないんだって言っていたのが印象的だった」

「実は、僕も今、ヨシオさんの話を聞きながらいろいろ考えていたんですけども、やっぱり過去に戻るというのは不可能だって思ったんですよ。それが夢の中の世界であってもですね。いや、逆に夢の中の世界だからこそ、難しいのかも知れません」

「どういうことなんだい?」

「タイムマシンなど、SFの世界では、過去に戻ることをパラドックスの証明として、タブーが定説になっていますよね」

 パラドックスというのは、簡単に言うと、たとえば自分が過去に戻り、過去のものを壊したとする。すると、そこから先は歴史が変わってしまって、今の世界ではありえないという考えだ。一番分かりやすいのは、自分の親が出会うところを邪魔してみたり、あるいは親を亡き者にすれば、自分は生まれてくるはずがない。

 生まれてこなければ、過去に戻って、親を殺すことはできない。親を殺さなければ自分が生まれてきて、過去に戻って親を殺しに行く。

 要するに、歴史の辻褄が合っていないのだ。時代の流れの矛盾のことを、いわゆる「パラドックス」というのであろう。

 しかし、夢の世界であれば、同じように歴史が繋がっているわけではない。ヨシオの話のように、同じ日を繰り返しているのは、夢の世界であり、夢の世界では同じ日を繰り返すかどうかは、リセットするかしないかにかかっているというではないか。

「パラドックスというのは、現実世界のことであって、夢の世界のように、夢と夢の間であったり、同じ日を繰り返している場合は、日にちが変わるであろう瞬間に、リセットされることになるのだから、過去に戻るという発想は、パラドックスの範囲外ではないんだろうか?」

「確かにその通りなんだけど、やっぱり、リセットされたとしても、過去に戻ることはできないと思うんだ」

「どうしてなんだい?」

「夢の中で同じ日を繰り返している人が、本当に同じ次元に過去を持っているかどうか、疑問に感じるからなんです。同じ日を繰り返すために、夢の世界に入ったのだとすれば、同じ日を繰り返している夢の世界というのは、本当に過去と同じ次元なのかということを考えると、『否』という答えが導き出される気がするんですよ」

 オサムは、パラドックスを感じながら、自分が同じ日を繰り返す扉を開けることになると思っていたが、どうもそうはならないようだ。

 その入り口に立ちはだかったのが、ヨシオであり、出口の近くと、そして、出てきてからその場所にも誰かがいるような気がした。

 その人たちはそれぞれに違う人で、自分のターニングポイントに立ちはだかり、その時に何かを悟らせる要因になるのだろうと思った。

 それが誰であるのかは分からないが、少なくとも今までにその人の存在を身近に感じているのは事実だろう。

 そう思うと、大体の見当はついている。その場で誰が現れるのか、興味深いところであった。

 その考えが、オサムに、

――同じ日を繰り返しているという夢は、永久ではないのではないか?

 と思わせた。

 しかし、実際に入ってしまうと、本当にこの思いを確信として信じ続けることができるだろうか? それがオサムにとって一番気になるところであった。

――リセットという言葉が、これからの自分に重要な役割を示してくれるような気がする――

 と思うようになった。

 ヨシオの話をじっと聞いていると、ヨシオの考えていることがある程度分かるようになり、自分の意見を言えるようになると、今度はヨシオをそこまで得体の知れない存在に思えなくなった。

――僕と似たところがあるのかも知れない――

 そう思うと、最近出会った人たちは、誰もが同じ穴のムジナのように思えてくるから不思議だった。

 ヨシオの話は、オサムに今まで考えたことのないものを感じさせたように思えたが、話をしている時は、確かにその時初めて感じたことではないという意識を持った。今までに感じていたことを忘れていたのか、それとも意図的に意識しないようにしていたのか、自分でも分からない。ただ、意図的にしていたとすれば、ヨシオが話をした時に感じたに違いない。それがないということは、本当に忘れていたのではないだろうか。

 リセットという言葉が、どうしても頭の中で引っかかっていたのは、ヨシオから聞いた話を、自分が意図的に意識しないようにしていたわけではなく、本当に忘れていたのではないかと思ったからだ。意図的に意識しないことと、忘れていたこととでは大きな違いがある。意図的に忘れていたものは、自分の世界の中だけで考えられることだが、忘れていたというのであれば、自分の問題なのか、それともまわりから影響を受けたものなのか、どちらなのか分からない。それだけ考える幅が広がったということだ。

 リセットというのは、そんな自分にまわりが影響しているものなのかを知るには、大きな手掛かりになるのではないかと思われた。オサムは、その時、自分が物忘れの激しいことを今さらながらに思い出さされた。

――物忘れの激しさも、自分だけの問題ではなく、まわりから何らかの影響を受けているからなのかも知れない――

 と感じた。

 物忘れの激しさは、実は今に始まったことではなかった。数か月前から、少しずつ気になっていた。

――仕事が惰性のようになってきた――

 と感じたのだが、それと前後して物忘れが気になり始めた。

 仕事のことで物忘れの激しさを感じることはあまりなかったが、そのうちに仕事に影響してくるかも知れないと思うようになってから、密かに不安に感じていたものだった。

 物忘れというものが、

――他のことを考えていたので、覚えることができなかった――

 と思っていたはずなのに、物忘れが日常生活に影響してくると、その考えが違っていることに気が付いた。

――他のことを考えているから覚えられないというわけではなく、むしろ、何も考えていないからすぐに忘れてしまうのではないか――

 と思うようになったのは、今までの自分が、何も考えていないように思っている時でも、いつも何かを考えていたということに気付いたからだった。

 そういえば、子供の頃から、いつも何かを考えていたように思う。むしろ、子供の頃の方がその傾向が強く、特に小学生の頃などは、いつも算数の数式について考えていた自分を思い出した。

 そのことを忘れていたわけではないのだが、思い出す必要がなかったので、記憶にだけ留めていた。思い出す必要のない時は、しまい込んだまま、引き出すことのない記憶の奥にある部分、そこに小学生の頃の自分の習性についての意識が格納されていた。

 算数というのは、子供心に興味があった。規則正しく並べられている数式には、魔力のようなモノが潜んでいると思っていた。一度算数の時間に先生が教えてくれた魔法陣のからくり、しかし、それよりも算数の数式の方がさらに魔法に思えていた。

 しかも、それを他人から教わるわけではなく、自分で発見するという遊びは、子供のオサムを夢中にさせた。

――規則正しく並んでいるものを、一度崩して新しく組み立て直すと、そこには想像もしていなかった新しい発見が生まれてくるんだ――

 と思っていたからだった。

 その思いは、リセットに繋がるものがあった。

――一度崩すということは、まったくなかったものから新しく作り出すのだから、リセットするのを同じではないか?

 厳密にいうと、リセットというのとは違っているのだが、作り直すという意味では共通点が多い。それを思うとオサムは、今よりも子供の頃の方が、実に真面目で、考えが深かったのではないかと感じるようになっていた。

「二十歳過ぎればただの人」

 という言葉もあるが、自分もまさしくその通りではないかと思っていた。しかし、それは物事を考える上で、深さという意味を考慮すれば、二十歳を過ぎてもあながち、

――ただの人――

 とは言えないのではないかと思っている。

――何か大切なことを忘れているような気がする――

 オサムは、最近そう思うようになっていた。それは自分が同じ日を繰り返しているという意識を持つ前からのことで、忘れてしまってもいいように思うのだった。

 何が大切なことなのか分からなくなっていたというよりも、忘れてしまうことに感覚がマヒしてしまっていたと言った方がいいのかも知れない。その時に感じていたはずもなかったリセットという感覚を無意識に悟っていたからなのかも知れないと感じたのは、その後、ツトムと再会してからのことだった。

 大切なことを忘れていたのは、ヨシオと出会ってからツトムと再会するまでに、かなりの時間が掛かったように思えたのに、実際には翌日だったことだ。それは、オサムが同じ日を繰り返していたからに他ならない。同じ日を繰り返している期間を抜けた時、それ以前の記憶はリセットされて、昨日の記憶はそのまま昨日として意識されるので、そんなに時間が経ったという意識はないはずだ。それなのに、かなりの時間が掛かったように思えた。しかも、忘れてしまうのではないかと思うほど、かなり以前のことのように思えたのだ。その期間、同じ日を繰り返していたという証拠でもあるのだが、自分の思っていたことと違っていたことが少しショックであるにも関わらず、あまり意識していないというのは、やはり感覚がマヒしていたからに違いないのだろう。

 ヨシオの話を聞いた時、オサムはまだ自分が同じ日を繰り返しているという意識はなかったにも関わらず、ヨシオの話では、オサムが同じ日を繰り返しているのだということを聞かされた。

 疑問に感じてはいたが、そのことをヨシオに聞きただすことはしなかった。

――どうせ聞いても答えてくれないだろう――

 という意識があったからだ。

 ヨシオは肝心なことは話すが、話していいことと悪いことはわきまえているようだ。ということは、ヨシオが話をしないということは、オサムが知ってはいけないということになる。それがオサム自身が知ってはいけないことなのか、それとも、知ることは構わないが、今は知るべきことではないということなのか、オサムには判断がつかなかった。ただ、ヨシオが話さないということは、聞いても答えてくれないということだけは、分かっていた。

「オサム君とこうやってお話できるのを楽しみにしていたので、実に今日は楽しかったよ」

「いえいえ、僕もヨシオさんと出会えるとは思っていなかったので、何か安心した気がしました」

「君はこれから同じ日を繰り返すことになるんだけど、君なら大丈夫だ」

 どこにそんな根拠があるのか分からない。

「どうして、そんなことが言えるんですか?」

「君はリセットという言葉の意味を分かっているようだからそう感じたんだよ」

「リセットですね」

 分かったような分からないような気持ちのまま、オサムはヨシオと別れた。その日がオサムにとってどんな日であったのか、きっとそのうちに分かる時が来るだろう。その思いを抱きながら、オサムは家に帰りついた。

 本当はその日、最初から喫茶「イリュージョン」に顔を出すつもりだった。

――喫茶「イリュージョン」に顔を見せれば、横溝がいるかも知れない――

 という思いがあったからだ。

 横溝と会いたいと思ったのは、その日、横溝と出会えば、何かを教えてくれるかも知れないと感じたからだ。

 しかし、意外にもそこにいたのはヨシオだった。

 ヨシオから聞いた話は、オサムの中で考えていたことに対して、

――目からウロコが落ちる――

 と言ったような気持ちにさせる話であった。

 何かを考えていたオサムだったが、それが一つにまとまらなかった。いつも一つのことに集中していると、他のことが目に入らないはずのオサムが、なぜか一つのことを考えている時に、一緒に他のことまで考えようとしていたのだ。

 しかし、それは二つのことではなかった。繋ぎ合わせれば一つになることだったのだ。最初は二つのことを考えているなど、思ってもいなかった。なぜか考えが纏まらないと思っていただけなのだ。

 ヨシオと話すことで、自分の中に二つの考えが存在し、無意識に共通点を探っていたのに、共通点が見つからず、モヤモヤした思いでいたことも、意識の外だった。

――感覚がマヒしていたのかも知れないな――

 ヨシオと出会ったことで、考えが一つになったが、それが本当にいいことなのかどうか、まだ頭の中で測りかねていた。

 オサムは横溝と出会うことはできなかったが、ヨシオと出会ったことが何か大きな影響を及ぼすと思えてきた。それが今日という日のすべてとなるような気がしなかったのは、気のせいではなかったのだ……。


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