勇者とバードと犬・再び


「明るくなる前に逃げよう」と言ったエッダだったが、やはり「全部片付ける」の続きをすることにした。

 とりあえず駆け込んだ丘の上の野営地には、壮年の番人が二人いる他には、本当にキノコや草花を摘んで歩く採集人か旅行者しかいなかった。大量の野犬の死骸を放置して去るわけにいかないだろう。


 囲いを出て見渡すと、日が昇る前の青灰色の空の下に広がる森に霧がかかっている。丘の下に拓かれた林道の向こうに大胆に抉られた地形が、靄々とした景色の中になおさらポッカリと浮いて見えた。これも、やはりよろしくない。


 何頭が追って来たのか、「全部」片付いたのか、逃げた個体がいるならそれは戻ってこられそうか。

 白く流れる霧の下で入り乱れる足跡を注意深く調べながら、死んだ犬を拾っては穴の底に並べる。霞む木立の陰から、様々の生き物が息をひそめて見守っている気配がした。

 生きていない犬の体がすべて集まると、さすがにむごい眺めだし、臭気もひどい。

 ミアを来させなくてよかった。


 周りに積み上がっていた土をちょいちょいと蹴り崩して穴を埋め戻してしまうと、森の生き物たちの気配は安心したように遠ざかっていったが、逆に、霧の中から姿をあらわしたものもあった。

 狼のように耳が尖った黒い大型犬と、茶色い短毛で耳が垂れた、大型だが若い感じの犬だ。倒れた木を立てなおしてみているエッダのまわりを少し距離をあけてうろついたり、平らにならされた土を嗅いだりして、怒っている様子でもない。


「――そうか。……ごめんな」


 エッダがしゃがんで待つと、茶色い垂れ耳は寄ってきてエッダの靴や指ぬきの手袋を熱心に嗅いでから、指先を舐めてくれた。黒犬は小柄なエッダの手がぎりぎり届かない距離を保ちながらも、かまってほしそうにっと見つめてきた。


「エッダー!」


 よく通る声で呼びながらミアが丘を下りてくる。


「さすが! 仕事が早いわね――……ひゃっ?!!」


 二頭の犬に気がついて足がすくんだのか、蹴躓いてころびそうになっている。

 肩をずり落ちる楽器ケースをはっしと抱えるのが、健気というか、道化ているというか……。

 エッダは犬たちを脅かさないように無言でそっと立ち上がり、丘の下の道に出た。

 二頭は離れてついてくるようだ。


 用心深い足取りで合流したミアは、暗褐色の髪を編みなおし、腰袋ウェストポーチをふくらませて出発の準備がすっかりできている。エッダのリュックも片腕にかけていた。それでバランスを崩したのか。


「あー……、ごめん」

「え? 持ってきちゃっていいのよね? まだ上に用があった?」

「いや。いい」

「それより――」


 ミアは少しかがんで、エッダに耳打ちする。


「あの子たち、なに? まさか……」

「たぶん違うよ」


 かがまれたのが気に入らないエッダは首を横にそらせながら、一歩ミアから離れつつ答えた。


「家族が帰ってこないからさがしにきた――とかだと思う」

「そう思う?」

「うん。道、きけた?」


 ええ、とミアはうなずいて、林道の一方の先を指さした。


「こっちの先の村から町への馬車に乗ったらいいって」

「わかった」


 リュックをきちんと背負って指された方に躊躇なく歩きだすエッダに、ミアは犬たちを気にしながら従った。


「ついてくるんだけど」

「そうだね」

「仇をうつ機会をねらってるんじゃない?」

「ないと思う」

「ほんとお?」



 道はまた深い森に続いていた。わずかに差し込む夜明けの光が、ただよう霧や露に濡れた木の葉に反射して、薄闇を白くかすませていく。


「――しゃべっていい?」


 先にたって周囲や足もとに気を配りながら黙々と歩くエッダに、ミアは遠慮がちにたずねた。


「なに?」

「あのね…… ?!!」


 木陰を何かが走り抜ける音がして、とっさに猫が背を丸めて飛び退くような動きでエッダの肩にしがみつきながら、ふり返る。

 茶色い毛のほうの犬が物音を追って木立に入っていった。黒犬のほうは足を止めてせわしなく辺りをみまわしている。エッダも頭を巡らせて見ると、その狼に似た琥珀色の目は、彼女のそれによく似たムクロジ色の犬の目と、まっすぐぶつかった。


 黒犬が視線を下げ、エッダは前を向いて歩きはじめた。


「で、なに?」

「あ、ええ、さっき道を教えてもらったときね、番人のひとが――」


――もう出かけるのかい?

 ついさっき、君の連れの勇敢なお嬢さんが出ていった直後すぐあとだが、

 やっぱり一人でっていった女の人がいるんだ。

 君たちのような旅人というわけでもなさそうでね。

 途中で行き合ったら気をつけてあげてくれないか。


「――って。そしたら、スープのお爺さんがね」


――それはヴィリスかもしれない。


「――って」

「何それ」


 エッダは振り向いたが、それはミアにではなく、茶色の犬が戻ってきて、また二頭で後ろをついてくるのを目で確かめるためだった。ミアも一瞬、こわごわ振り返ったが、話を続けた。


「亡霊よ。あなたも、この森には悪霊がいるって言ってたじゃない」

「それは、夜の話……」

「そうね。私も言ったのよ。朝から起きて行ったのに? って」

「あと、私が言ったのは、違う」

「違うの?」


 エッダは面倒くさそうに顔をしかめたが、ミアは、適宜合いの手を入れてやらないと話が捗らない相手だとわかってきたらしい。


「鬼火みたいの話」

「鬼火? ウィル・オー・ウィスプ?」

「この地方でそう呼ぶなら、そう」

「ふーん……。女の人の幽霊の話じゃないってことね。

 ヴィリスっていうのもね、このあたりのお話じゃないの。

 東のほうの国に、結婚できずに死んだ女の子の魂が森に寄り集まって、月光の強い晩に踊り狂ってる――それを見たら呪い殺されるって言い伝えがあるのよ」


――あんたがたが来るとき、儂らが「怖い怖い」と大騒ぎしとったのに、

 あの娘さんはピクリともせず眠っていたと、同じテントの夫婦者が言っとったよ。

 魂だけ抜けだして踊りに行っていたのかもしれんぞ。


「――そして帰ってきて、明るくなる前に森に身を隠したんじゃないかって、

 お爺さんは言うのね」

「へー。こわいなー」

「信じないのね。鬼火オーウィスプは避けるのに」

「火の玉は見えるから」

「あー……、そうね」


 頷いたが、ミアは納得した顔をしていなかった。

 朝もやの時間は過ぎたが、森はまだ深く、トンネルのように楢の木々が枝をからめた小道に差し込む光は、頼りなくうつろっている。夜中でなくても。木漏れ日の陰に踊る女性の姿が見えても不思議はない。


 やがてブナの森がとぎれ、石垣が入り組んで何重にも張り巡らされた間に、楓や樫の木が葉をそよがせる野原に出た。先にあるのは、高い塀で囲わずに、迷路のような石垣で守られた村のようだ。


 道に沿って、何台もの馬車が見えてきた。箱体や幌や馬の鞍布まで色鮮やかで、祭のために飾ったのでなければ、祭に招かれた芸人や商人のキャラバンに間違いない。


 村の住居が見える前にエッダは獣肉や皮の匂いが多いことに気がついた。まだついてくる二頭の犬も、ソワソワしはじめた。


「昨日までお祭りだったそうよ。

 一日早ければ稼ぎ時だったのにね、って番人さんが言ってたわ」


 ミアの声は目的地が見えてホッとしたというように明るかった。


「でもまだいろんな馬車がいるわね。

 治療師や武芸者がいるかもしれないわよ」


 そんなことより、ここは狩人の村なのだろうか。

 どうしようと、黒と茶の犬たちを見ながらエッダは考えた。



*****

第一話、終わり。

第二話『半死の人』に続きます。

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「巨人の子孫なのに小さくて悪かったな。」強がる少女勇者は魔王に転職したい。 百田桃 @momodamomo

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