最終話

 燃えている。

 岩戸トンネルのある半島の真ん中が、まだ、燃えている。


 山倉のおじさんが言った通り、洸太君と美蝶子ちゃんと地下道を抜けて、トンネルの竣工看板を外した出口を出ると、喪服を着たおばあちゃんが待っていた。トンネルの入り口は半分だけ開き、紺色の法被を着た地元の消防団の人達が、交通整理を行っていた。


 蛭子町から急いで出なくてはいけないお偉いさん達のために、急遽深夜に呼び出しがかかった消防団の人だと、車の中でおばあちゃんは言っていた。


 急いで帰らなくてはいけないお偉いさん。きっと卑忌様の氏神詣のために全国からやってきた氏子なんだろうと思った。そんなに人数はいないはずなのに、お偉いさんと言われる人達は、深夜に無駄な人員を無料で招集できるらしい。


 おかげで、地下道の出口が塞がれてなかったのは助かった。でも、多分そこは、おばあちゃんの交渉力だと思っている。きっと出口のある方の扉は動かすなと、消防団の人に言ったのだ。


 美蝶子ちゃんは無言で地下道を走り続け、出口を出た後も、体操座りをした腕の中で泣いていた。薄い着物の上から洸太君の黒いティーシャツを着て、背中を丸めて嗚咽を漏らす美蝶子ちゃんに、かける言葉は見つからなかった。


 ただ、少しだけ安心できたのは、私と合流する前、洸太君が美蝶子ちゃんに美蝶留ちゃんを知らないかと尋ねたら、船に乗る前に、福山さんに引き渡されたと言ったことだった。話を聞いた洸太君によると、福山さんは美蝶子ちゃんに手錠をかけた、あの最低最悪なお巡りさんに「はよ帰れっ」と、ど叱られ、泣きじゃくっていた美蝶留ちゃんとともに、自宅に戻ったということだった。


 事実。おばあちゃんの車で福山さんの家に洸太君の車を取りに戻ると、福山さんはバツの悪そうな顔をしてから、髪の毛をガシガシと勢いよく掻き毟り、その後で、「申し訳ありませんでした」と私たちに頭を下げた。


 いいパパだと思っていた福山さんは、多分、美蝶留みちるちゃんの本当のお父さんではない。


 でも、それでも。


 薄暗い福山さんの家の中から美蝶留ちゃんは「パパーっ!」と玄関まで走ってきて、福山さんの足にしがみつき「パパだぁいすきっ。もうおとまりしないでっ」と足にごしごし顔を擦りつけていた。福山さんも福山さんで、私たちの視線を気にしつつ、「ごめんね、ミチル」とその頭を優しく撫でていた。


 二人の様子を見ていたら、福山さんへの怒りが曖昧にぼやけていって、何が正解なのか分からなくなってしまった。


 美蝶留ちゃんにとって、福山さんは大好きないいパパ。

 それが、美蝶留ちゃんにとっての真実。


 もしもこの先、福山さんが誘拐や不法な手続きで美蝶留ちゃんのお父さんになったと分かれば、その時はきっと、行政なのかなんなのか、担当部署が動くのかもしれない。でもそれは、美蝶留ちゃんから大好きなパパを奪うことにきっとなる。そうだとすれば、安易に通報をすることが果たして最善策なのかと大いに考えてしまった。


 でも、言わなくてはいけないことはある。もちろん、ミチルちゃんのいない場所で。


「ミチルちゃんを男湯にいれるのは、サイテーな父親のすることです!」


 自分の性格が百八十度変わってしまったかと思うくらい、私ははっきりと福山さんに言い放った。福山さんは、肩を落とし、「もう、絶対に男湯には連れていきません」と私に約束してくれた。


 当然だ。それに、もう、忌々しい氏神詣はなくなるはず。福山さんにそれを伝え、卑忌様を普通にお祀りするだけでもご利益があることを伝えた。


 山倉のおじさんが言っていた、「愛を願えば、無償の愛を与えてくれて、家族をずっと守ってくれる」このご利益こそ、福山さんがこれからもミチルちゃんと生きるために、一番必要なご利益だと思った。


 洸太君の車に二人で乗り込み、福山さん宅を出発する時、玄関先で美蝶留ちゃんは、「さっちゃん、こうちゃん、またあそびにきてねぇー」と、満面の笑みで手を振っていた。もちろん、私たちは何事もなかったかのように装って、「またねー」と手を振り返した。


 ここに来るまでの道中で、洸太君と美蝶留ちゃんのことについて話し合った。答えなんてないし、正解なんて出ない。でも、洸太君がたまに福山さん宅に遊びに行き、様子を窺うということで話は落ち着いた。それしか、今の私たちにできることはない。


 今、私たちはおばあちゃんと美蝶子ちゃんと合流し、岩戸トンネルからおばあちゃんの家に向かう途中の、海を見下ろせる道沿いに車を停め、卑忌様を祀っていたお堂が焼けていくのを見ている。


 美蝶子ちゃんは、しばらくおばあちゃんの家に泊まることになった。おばあちゃんは、山倉のおじさんから、そう頼まれていたと、美蝶子ちゃんに伝えた。


「わたしもひとりだから、若い子がいたら、ありがたいわぁ」と、おばあちゃんは美蝶子ちゃんに言ったけど、本当は、山倉のおじさんがずっと守ってきた、蛭子家の子だから、これからは自分が代わりに守りたいのではないかと、思っている。


 喪服を着たおばあちゃんは、地下道の出口から出てきた私を抱きしめ、「さっちゃん、よぉ無事で」と言った。「こうちゃんもよぉ戻ってきた」と私を抱いたまま言っていた。おばあちゃんの喪服は防虫剤の匂いとお線香の匂いが染み込んでいて、一晩中お線香を炊いて、仏壇に手を合わせていたのだと思った。


 私は、おばあちゃんが喪服を着ている理由を思って、知らないうちに涙がどんどん溢れてきて、おばあちゃんの胸の中で泣いていた。「怖かったんかぁ、怖かったんかぁ」と小さい子供を宥めるように私の頭を撫でるおばあちゃんは、きっと、私が涙を流す本当の理由を知らない。


 これは、私の妄想なのかもしれない。


 私のお腹には、おひぃ様の子孫に遺伝的に出てくるという黒い蝶のような痣がある。おばちゃんも、おじいちゃんも、蛭子町の出身ではないはずだ。だったら、なんで私のお腹には黒い蝶のような痣があるのだろうか。


 私は、妄想している。

 真実を知る必要はないと、思っている。


 美蝶留ちゃんの中では「福山さんがいいパパ」だということが真実なのと同じように、私の妄想は私の中の真実であってもいいと思っている。


 喪服を着たおばあちゃんは海に向かい、手を合わせて目を閉じている。美蝶子ちゃんも、手を合わせて目を閉じている。私は洸太君の隣に並び、お堂の燃える様子を目に焼き付けている。


 朝陽が昇らない日本海。青墨がかった空には雲が流れ、瞬きをするたびにその色を変えていく。


 夜明けは、近い。


 卑忌様のお堂が燃える炎は激しさを増し、遠く離れたここからでも木材が焼け落ちる音が聞こえてきそうだった。


 黒煙と紅蓮の炎とともに、山倉のおじさんが一緒に連れて行くと言っていた、おひぃ様達の魂が空へと飛び立っていく。爆ぜる火花に彩られ、自由な世界へ。海で舞い、空に舞い、やがて卑忌様の深い愛に包まれてきっとどこかで眠るのだろう。


 ——どうか、そうでありますように。


 手を合わせ、私は静かに目を閉じた。



 


 


 

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