地下道の先は洞窟になっていて、海と繋がっていた。かなり広い洞窟だ。松明が所々で燃え、紅蓮の炎をあげている。揺らめく炎が岩に砕ける白い波飛沫や黒い人影を不気味に浮かび上がらせていた。


 船着場には二艘の船がついていた。船から降りてくる人達は皆、私たちと同じような黒いマントを頭からすっぽりと羽織っている。顔の見えない黒い影が、何体も何体も船から降りてくる。


 桟橋を歩く小さな丸い黒影。ひょろ長の棒のような影。時々足を滑らせたのか、よろめく影。二艘の船から降りてくる人達は二十人か、三十人か。赤黒い岩肌に黒い影が重なり合い、その人数は正確には分からない。


 ざざざぁあざざぁざざぁぁ……


 波の音が反響する洞窟内。黒影達の話し声は全く聞こえない。黒いマントを羽織った人達は船を降り、洞窟の中に作られた階段を上がって私たちの方へと向かってくる。


「すぐ横を通りそうですね」隣で洸太君が言い、頷く。


 今いる場所はトンネルから歩いてきた地下道の出口で、ごつごつとした輪郭が洞窟内の様子を切り取っている。船着場からだと、私たちが今いる場所は、岩肌にできた縦長の隙間のように見えるかもしれない。船着場を上から見下ろすこの隙間から、私たちはしゃがんで様子を窺っている。


「こっちを気にする人は誰もいませんね」


「うん……」できるだけ息を殺して返答する。


 洸太君の言う通り、黒いマントを羽織るのは正解だと思った。でも、黒マントを脱ぎ捨てていった男の体臭が、頭から被っているフードの中に充満していて吐き気を催しそうだ。太った男の方なのか、ひょろ長の方なのか。生ゴミにカレー粉を振りかけたような酷い臭いで頭まで痛くなってくる。


「紗千香さん?」声がして、頭に被っていたフードの耳の辺りがはらりと捲れ上がった。「とりあえずは——」声が頭上から降ってくる。


「全員がそこの階段を通り過ぎるまでは動けませんね」


 無言で頷くと、洸太君が私の顔を覗き込んだ。


「大丈夫っすか? 今にも吐きそうって顔してますよ?」

「さ、いあ……、くに……、臭い……」

「確かに臭いっすよね。耐えられないなら、地下道に隠れてフード脱いでたらどうっすか?」


「そう……しよっかな……」言った後で、ダメだと首を振る。空気に混じる腐ったカレー臭を我慢して、「やっぱり見てる」と言い直した。


「だって、あの中に美蝶子ちゃんが混じってるかもしれない」

「そうっすね。夢子さんや入道さんの影も探さなきゃっすよ」

「うん……」


 マントの中が臭いとか言ってる場合じゃないと、目を凝らす。黒い人影の先頭は石でできた階段を上り、もう、すぐそこまで来ていた。隠れている場所から階段までは数メートル。見つからないかと怖くなる。ぎゅ、鞄の上からお守りを握る。


 ——大丈夫。それに、ひとりじゃない。


 黒マントは思った以上に重く、絹で織った着物の生地のようだった。衣服を通して感じる温もり。狭い岩穴の隙間。身を寄せ合うように隠れている洸太君の体温が心強い。


「……で、……ないよう……」低い男性の声がして、顔を岩穴に引っ込める。耳に触れているフードを指で摘みあげると、さっきより会話はよく聞こえた。


「やめるにやめれねぇんじゃねぇの?」

「ほんでもよぉ、田中のじぃさん自力で船降りるのがやっとじゃねぇか」

「まだまだイケると自分では思ってんだろ」

「イケるかよ。ったくよぉ、老害だよなぁ」

「だなぁ老害だよなぁ」

「八十過ぎても引退しねぇって、どっかの……だい……う……」


 声が途切れていく。階段を通り過ぎたのだと思った。


「そういうことか」洸太君の声が頭の上でした。「そういうこと?」顔を上げ、訊き返す。


「そういうことっすよ。産まれる子供の数はどんどん減る一方ってお爺さんが言ってた意味が分かったっす」

「え? 今の会話とどう繋がってるの?」


「あ、えっと」洸太君は顎を下げ、「まぁなんというか……」と言葉を濁し、「少子高齢化じゃなくて、高齢で少子化してるってことっす」と、意味不明な回答をした。その後で「確かに老害っすね」と、呟く。


「そう思うと背の低い影はみんな老人に見えてくるっすよ。あと、あのノロマな動きしてるヤツとか」


 視線を船着場に戻す。船着場の周辺には背が低くて丸まった影に、動きの遅い影がまだちらほら残っていた。


「顕示欲なのかなんなのか、代替わりの時期を間違えてるんすかね。てか、年寄りが多いから未だにこの氏神詣が続いてるのかもっす。常識で考えたら、これから行われる儀式って犯罪だし」

「犯罪……」

「そっすよ」


 飲み込む液体なんてないのに、乾き切った喉が上下した。美蝶子ちゃんの泣き腫らした顔と手首の痣を思い出して、胸が苦しくなる。でもそれ以上の想像はダメだと奥歯を噛み締める。


「許せないっすよね。そういうのは絶対に。だから誰かが美蝶子ちゃん達を逃したんすよ」

「うん……」


 誰かが逃した。

 その人はいまどこにいるんだろうか。


「それにしても」洸太君が話を切り替える。


「入道さんっぽい影はないっすよね。あの大きさの身体だとすぐ見つけれると思ったんすけど」


 階段を上る人影は少なくなってきている。船着場周辺にいたノロマな影も階段を上り始めていた。


「んっ」顔を顰めた。今、不意にチカッっと目に刺激が走った。目を擦り、階段を上る黒い影達に視線を戻す。確かにいま、階段を上る黒い人影の中で、一瞬、チカッ、っと何かが光った気がする。


 目を凝らす。階段を上る人影はまばらになってきている。さっき光を感じた辺りは——、と視線で探り、背の低い黒マントと小太り気味に膨らんだ黒マントに行き当たる。階段のその後ろは、ノロマな黒影ばかりだ。二人は並んでやけに密着して歩いている。


 ——違う。


 密着しているように見えるのは、小太りが背の低い黒マントの方に腕を伸ばしているからだ。洸太君の顔を見上げ、「あの人達……」と、気になる黒マント二人を指差す。洸太君は無言で頷いた。洸太君も同じ二人組を凝視している。私も急いで視線を黒マントの二人組に戻す。フードをまぶかに被り、顔はここからでは見えない。


 小太りが階段につまずき「おっとッ」と声を出した。聞き覚えのある男性の声。


「あの訛りのひどい——」


 洸太君が言い終わらないうちに背の低い黒マントが大きく揺れた。小太りがそれを引っ張り上げるようにマントの下から腕を動かす。


 ——刹那。


 揺らめく黒マントの中。チカッ、銀色の何かが光った。


「いまのって……」洸太君の顔を見る。「手錠っすね」洸太君は二人に視線を向けたまま答える。「じゃあ、あれは——」私も二人に視線を戻す。


「手錠をかけられてるのが多分……美蝶子ちゃんっすね……」


 美蝶子ちゃんらしき黒マントはもう見えない。その後ろを歩いていたノロマな黒影がゆっくり通り過ぎていく。


「とりあえずは、全員階段を上ったところで追いかけるしかないっすね」

「うん……」


 ノロマな黒影達は、まだノロマに階段を上っている。もどかしい気持ちがどんどん膨らみ眉根が自然と寄っていく。「早く歩けーっ!」と怒鳴りたくなる気持ちで拳を握る。


 ノロマな黒影は残り四人。いま、ひとりのノロマが通り過ぎた。


 あと三人。

 あと二人。


 そして最後のひとりが、視界から消えていく。


「よし」待ち構えてたように洸太君が呟く。「俺、先に出てみますね」と、立ち上がり岩から顔を出して下を見下ろした。右に左に首を何度か動かし、洸太君はこっちを向く。


「二人一緒にいけそうっすよ。岩肌に階段みたいな段差があります」

「階段……」

「きっと秘密の地下道を作った誰かが、自然な岩に見えるように削ったんすね。だから一緒に行けますよ」


 美蝶子ちゃんが通り過ぎてからもうだいぶ経っている。考える間も無く私は「行く」と、即答していた。


 



 


 








 






 

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