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「説明するのがめんどくさいから」と、夢子さんが教えてくれたYouTubeは、動画ではなく静止画像を貼り付けただけの音声動画だった。
小さなスマホ画面には、血の池地獄さながらの壁紙を背に立つ二人の男性。一人は黒いハンチング帽を被った五十代くらいの男性で、もう一人は黒いチャイナ服を着た、三十代くらいの男性だった。どちらの男性も『怪談スペシャル』で見たことがある。意味ありげに人差し指を突き出して、眉毛をへの字に曲げている若い男性の方には、『怪談師 今中怖助』とテロップが出ていた。
夢子さんは「この動画を見れば大体分かる」と言っていた。ということは、このラジオで話していた村が、この蛭子町なのだろうか。
スマホ画面から目を剥がし、片耳だけに嵌めていたイヤホンを抜き取る。掌にイヤホンを握り込んだまま、
夢子さんはテーブルに顔を突っ伏して、鼻からすぅすぅ寝息を吐いている。
どうりで静かだと思った。
それはそれでありがたい。
それにしても、やけに生々しいスタジオ録音だった。音声がプツプツ途切れたり、聴きとれない箇所もあったから集中して聴いてしまった。だからなのか、なんだか肩がずしっと重たい。聴くだけならスマホを凝視する必要なんてなかったはずなのに、いつもの癖なのか、どうしても画面に目が釘付けになってしまった。
「ここのことなんすよね?」耳元で洸太君の声がする。向かいの席から入道住職が「はい、はいはいはい」と小声で答える。
「本来は、一応守秘義務だと思っておりますので、その怪談がどこの土地かというのは話せないのですが。他言無用ということで」
「もちろんっす。で、このラジオって、続きもあるんですか? その、インタビュー映像のとこがここには入ってなかったんすけど」
「はい。もちろん、別動画にラジオ音声があるはずです」
「まじっすか。ここまで聴いたんなら、この続きも聴きたいっすよね、紗千香さん」
「え?」話を振られて言葉が詰まる。ラジオの中では怪奇現象も起きていたみたいだし、正直この先を聴くのは怖い気がした。
「この続きって、概要欄とかにリンクあるんすか?」洸太君が興味津々にさらに尋ねる。「あると思いますよ。ちょっといいでしょうか?」入道住職が手を伸ばす。「あざっす」洸太君は私のスマホを入道住職に手渡した。
「えっとですね、確か——」入道住職の手の中でさっきの続きが検索されている。
——私の携帯なんだけど。
なんだかな、と思いながら、隣に座るミチコちゃんに視線を向けた。ミチコちゃんは箸を置き、不服そうな顔でそっぽを向いている。どうやらもうご飯は食べ終わったみたいだ。麦茶が空になっているのに気づき、そっと席を立った。
冷蔵庫へ向かう。ドアを開けようとして、イヤホンを握り締めたままだったと気づく。タタタタッ、タタタタッ、スマホで文字を打ち込むときのタップ音を掌に感じる。
「んんんんんぅ? いやはや、変なところを押してしまいました」
「あぁ、これ一回消した方がいいっすね。じゃあ、こっからは俺のスマホで」
手の中でピピピッとイヤホンが鳴く。良かった。有名人とはいえ、他人にスマホを触られるのは正直嫌だった。
冷蔵庫のドアに手を伸ばしかけ、気配を感じて横を見た。すぐ横にミチコちゃんが俯き加減で立っている。いつからいたんだろうか。来たことに気づかなかった。
それにしても——。
そばで見て思う。ミチコちゃんの肌は陶磁器のように澄んでいて美しい。地雷系メイクなんかしなくても、十分可愛いと思った。背の高さは私より少し低いだろうか。
ミチコちゃんの手には空になったお茶碗と、食べ残したポテサラの小皿。やはり、ポテサラは口に合わなかったのかと、少しだけ残念な気持ちになった。でも味の好みは人それぞれ。致し方ない。
「持ってきてくれてありがとう」声をかけてみたけれど、ミチコちゃんは無言で俯いたままだ。
家に入ってきたときの態度といい、とっつきにくい子だな、と思った。でも、食べ終わった皿を台所に持ってきた。そういうことが当たり前に出来るなら、きっと悪い子じゃないはず。
皿を受け取ろうと手を伸ばしかけ、「これって……の……なの?」何か訊かれているのだと気づき耳を澄ます。「から……、この……け、って、みんなおな……の?」声が小さくて聞き取れない。「ん?」と、声に出して訊き返した。
「同じ味……」
「同じ、味?」
「みんな、これは、同じ味になるの?」
「ポテトサラダのこと?」
ミチコちゃんが、こくり、頷く。
「えっと、この味付けは——」
「おおっ、これっすね!」
私の声に洸太君の声が重なる。振り返ると、「紗千香さん続き見つけましたよ」洸太君がこちらを向いて親指を立てていた。「ほら」とスマホを向けられて一歩前に出たけれど、よく分からない。
「私は、あとでいいよ」
「あ、冷蔵庫、麦茶っすか?」
「あ、うん」
「俺も喉乾いてたんすよね。もうピッチャーごと持ってきたらいいんすよ」
「そうだね、そうするつもり」
「入道さん、これ」洸太君が入道住職の方に向き直る。「これのことっすよね」見つけた動画を確認しているようだ。
「あ、」いけない。ミチコちゃんをそのままにしていた。「ごめん、話——」と見たけれど、もうミチコちゃんは私の横にはいなかった。流し台に小皿と茶碗を置こうとしている。せっかく話しかけてくれたのに、悪いことをした。
「あ、置いといてくれたら」声をかける。
——刹那。
「え?」と、小さな声が漏れた。流し台に腕を伸ばしたミチコちゃんの、細くて白い手首に縄のような痣がついている。私の視線に気づいたのか、ミチコちゃんがさっと黒い袖を伸ばして手首を隠した。自然と目が動き、流し台の前に立つミチコちゃんと視線がぶつかる。ミチコちゃんは無言のまま、怯えるような蔑むような瞳で、私の目を見つめている。
「ごめん」と言いかけて、なんか違う気がして言うのをやめる。
「ラジオ版じゃないっすね」
ミチコちゃんが私から目を逸らす。ミチコちゃんは今度は洸太君のことを見ている。もしかして、ミチコちゃんも動画を見たいのだろうか。
——そうかもしれない。
ミチコちゃんはスマホを持ってきてないようだし、それはあり得る。
ダイニングテーブルでは、「これって」と、洸太君が入道住職にスマホ画面を見せている。
「や……だま……」小さな声が聞こえた気がして、耳を澄ます。
——気のせいか。
「ですよね!」洸太君の声が大きい気がして、眉を顰め軽く睨んだ。洸太君は気づくそぶりもなく、入道住職と話してる。
「まんまインタビュー映像じゃないっすか?」
「本当ですねぇ。いやはや、これがまだアップされたままだったとは。それにしてもよくこれを見つけましたね」
「俺こういうの検索するのめっちゃ得意なんすよね」
「そうでしたかそうでしたか。あ、だから、あのディ——」
「あー、ね、ですよね〜」
「もぉっ」洸太君の今の声はまずい。隣の部屋ではミチルちゃんが寝ている。そのことを忘れないで欲しい。洸太君がこっちを向き「ごめん」と片手でポーズを決める。どうやら心の声が聞こえたようだ。
本当に全く。やれやれと頭を軽く振り、「よかったらミチコちゃんも一緒に見る?」と誘ってみた。
ミチコちゃんは俯いて、動かない。
はぁ、息を吐いた。ミチコちゃんは私には無理だ。そもそも私に地雷系メイクをする十五歳の家出少女なんて上手に相手できるわけがない。
「紗千香さん?」
「あ、うん……」
冷蔵庫を開け、麦茶のピッチャーを取り出してダイニングテーブルへ。洸太君が座っている椅子にお尻半分腰掛けて、イヤホンを片耳に嵌めた。
「じゃあ、いっすか? はじめますよ」
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